くらのすけの映画日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

日記ロゴ 「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。
なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。
また、大ファンの上戸彩さんのBLOGも運営しています
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2018-05-21 映画感想「若親分」「悪名」「続悪名」 このエントリーを含むブックマーク

kurawan2018-05-21

「若親分

海軍士官エリートコースを棒に振ってやくざ世界の二代目を襲名するという異例の主人公を描いた人気シリーズの一作目。主演は市川雷蔵。物語は普通ですが、オーソドックスな画面作りが古き良き日本映画を感じさせる作品でした。監督池広一夫

霧がかかるトンネルの向こうから一台の人力車がやってくる。突然その車に襲いかかる一人の男、そして乗っていた南條組の親分が殺されて映画が始まる。

海軍士官エリートコースを進んでいた息子の武は、父の葬儀の場に帰ってきて、海軍を退役し、父の仇を討つために二代目を襲名する。

あとは、きっぷがいい上に男前主人公が次々とその男っぷりを上げて行く様を描いて行く。時は明治末期、日露戦争の戦勝景気に沸き返る日本を舞台にしたお話がなんともノスタルジック

きっちりと決めた画面の構図と、横長の画面に配置される木と人物の構図など、安心して見ていられる画面作りも美しい。これが基本的映画作りだと思います。お話はかなりとってつけた繰り返しが続きますが、気楽に見ていられる娯楽映画という感じでした。

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「悪名」

田宮二郎勝新太郎コンビの人気シリーズの第1作目。宮川一夫の美しいカメラ依田義賢の脚本という一流どころのスタッフを配置した娯楽映画である。まあ、出来栄え普通といえば普通作品監督田中徳三

喧嘩好きの浅吉が、ある時暴れん坊の貞と出会うところから映画が始まる。お互いに引けを取らない喧嘩技量意気投合して、あとは女郎屋で知り合った女を助けながら、地元ヤクザとの小競り合いをして名を売っていく展開となる。

物語はたわいもないし、小難しい主義主張もない娯楽映画で、勝新太郎田宮二郎個性映画を引っ張っていく感じで楽しい

ラストは、目当ての女を無事逃し、因島の大親分義理を立てて浜辺で寝転ぶ朝吉のショットでエンディング。おそらくシリーズ化するかどうか不明というエンディングだが、当然、シリーズ化されていく。安定した画面が本当に安心して見ていられる映画だった。

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「続悪名」

第一作と全く同じスタッフキャストで、純粋に続編の物語が展開。個人的にはこの続編の方が人間ドラマとしてしっかりしているように思います。監督田中徳三

主人公朝吉の名前がどんどん売れるにつれ、松島新地の元締めが朝吉にしまの一部を任せ、いっぱしのヤクザの親分となる。

しかし、いざヤクザの世界に入り込むと力だけでは成り立たないこと、行き着くところ金がなければ立ちいかないこと、結局目をかけられても儲けさせなければ適当にあしらわれることが見えてくる。

そんなある日、朝吉に召集令状が来て戦地に旅立つ。留守を預かる貞は何者かに刺され命を落とす。朝吉はヤクザ世界の虚しさを知りながら再び戦地へ。戦場では自分たちがいかに小さく虫けらのような存在であることを知って彼方に進んでいってエンディング

おそらく原作もっとしっかり人間ドラマが描けているのだろうが、やはり娯楽映画に仕上がっている感じがしなくもない。前作で人気が出た田宮二郎が若干表立って来た気がする作品でした。

2018-05-18

映画感想「GODZZILLA 決戦機動増殖都市」「のみとり侍映画感想「GODZZILLA 決戦機動増殖都市」「のみとり侍」を含むブックマーク

「GODZILLA 決戦機動増殖都市」

ゴジラのアニメ版三部作の第2章を見ました。前作もそうでしたが、やたら理屈を語るセリフばかりが目立って、うっとおしい。アニメ映像は凄いですが、映画映像で見せなければ行けません。今回も、カメラワークやカット割りになんの斬新さもなく、ワクワクするほどのストーリー展開もなかった。

地球をゴジラから奪還するべく、その第一体を倒したものの負傷して気を失ったハルオが目を覚ますと、人類から進化したのか昆虫から進化したのかわからない種族が目の前にいた。彼らはメカゴジラの母体だったナノメタルを使った武器を使っていて、その存在に、次のゴジラに対抗すべく兵器再生し始める。

そして、後一歩で倒せるというところで、当初の作戦ナノメタル人間の合体による破壊作戦ハルオたちが躊躇した瞬間ゴジラは復活してしまって映画が終わる。

ハルオを救ったミアナたちの種族が鱗粉を体にまとっている上に双子がいるというところは明らかにモスラ想像させるし、エンドロールの後のエピローグでは、次の最終章ではキングギドラの登場を予感させる。

結局、オリジナリティを重視しない制作方針で、この作品の完成度のレベルを知ってしまうのは少し残念。

アニメ映像凄さは認めるが、映画はそれだけではないことを再確認して欲しいと思う。


のみとり侍

これは面白い!となるべきところなのですが、とにかくテンポが悪くて、全然乗ってこないし、脇役が弱いので話にキレがないし、個性的キャラクターを配置しているのに、それぞれが立って居ないので、うだうだしているだけにしか見えない。ラスト人情ドラマも間のドラマもみんな死んでしまっている。人物が生きていないのです。監督は鶴橋康夫。

長岡藩の小林寛之進が、藩主が詠う歌を皆で聞いているシーンから映画が始まる。しかし、ちょっとした一言逆鱗に触れ、猫のノミ取りになるよう命令され追い出される。訳のわからないままに市中に出て、猫のノミ取り屋に行く寛之進は、それが、女に愛を売る男娼だと知る。

まず、このノミ取り屋の個性的な主人、男娼たちが面白くない。もっとポンポンと弾むような導入部のはずがダラダラと入って行く。さらに、最初仕事でバカにされ、婿養子の清兵衛と知り合って、飲み屋で話す清兵衛の話にもキレがなく、全て滑る。さらに続く清兵衛に教示を受ける寛之進の流れもセリフで説明してしまう。

続いては長屋での貧乏侍のエピソード、これも演じる斎藤工の芸不足か、全く面白くないし、続く田沼意次の失脚から、寛之進が河原晒し首にされる下りも全然

そしてクライマックス、寛之進を追い出した藩主が、寛之進を認めて藩政改革のために招き入れる畳み込みも全くリアル感がなく引き込まれずにエンディング

脚本の悪さに演出感性のなさが生んだ失敗作の典型、そんな映画だった。宣伝を見ている時からやや不安だったが思った通りというのはあまりに残念です。

2018-05-17 映画感想「ゼロの焦点」(1961年版)「ゼロの焦点」(1961年版) とに このエントリーを含むブックマーク

kurawan2018-05-17

ゼロの焦点」(1961年版)

とにかく映像のキレが抜群にいい。寸分の隙もなくどんどん展開して行くストーリ展開のリズムに引き込まれてしまいます。時代色による色褪せなどものともしない迫力、これが名作というものでしょう。クライマックス能登金剛の断崖での真相暴露シーンはのちのサスペンス劇場の原点になった映画、いつか見ればと思っていた一本を見ました。監督野村芳太郎、脚本は橋本忍山田洋次

主人公鵜原禎子が夫憲一の金沢出張に送り出すシーンから映画が始まる。この場面に遡り、最近結婚したばかりの新婚であること、月のうち10日は金沢出張があり、東京金沢を往復する生活になることなどが見事に挿入され、物語の舞台説明が一気に行われる。この脚本の秀逸さにまず惹かれます

そして、帰って来ない憲一、それを心配する禎子、そして禎子が金沢に行くと浮かび上がってくるもう一人の人物、憲一の兄宗太郎の金沢登場から、死、そして田沼久子の死、全てが一本の意図糸でつながったと思われた展開で一旦物語を収め、一年後、禎子が金沢に行き、全ての真相を明らかにするラストシーンへ、まさに畳み掛けて行くという言葉がぴったりのリズム感で締めくくる様がなんとも言えない職人技さえ感じてしまいます

もちろん、戦後間も無くの混乱期に存在したパンパン、つまり売春婦という存在が物語のキーになるのは、今の時勢では流石に時代色なのですが、そんな部分を脇においても決して映画として色あせていないサスペンスに仕上がっているのが見事です。

それぞれの登場人物のドラマ性もしっかりと描写され、単純なサスペンスだけで終わらせず、奥の深いドラマに仕上がっています真相告白シーンの二転三転する展開も見事で、これがサスペンスと言わしめる出来栄えでした。見て良かったです。

2018-05-16 映画感想「ラスト・ワルツ」「マルクス・エンゲルス」 このエントリーを含むブックマーク

kurawan2018-05-16

ラスト・ワルツ」(大音響リマスター版)

アメリカのロックバンド「ザ・バンド」のラストコンサートを映像にしたマーティン・スコセッシ監督の名作。私はこういう記録映画映像として評する感性は持っていないと思いますが、これは名作の空気を感じてしまいました。

ビリヤードの玉をつくシーンから映画が幕を開けます。そして、バンドメンバーそれぞれを捉えるカメラアングルと全体の舞台のカットを繰り返す構成の美しさ、ゆっくりと動くカメラワークの流麗さ、挿入される音楽のうまさなどなど、一味違う何かが見える。

私はロックバンドに詳しいわけでもないけれど、このラストコンサートには、かつて「ザ・バンド」がバックバンドを務めていた時のボブ・ディランやエリック・クラプトン、ニール・ヤング、ジョニー・ミッチェル、などそうそうたるメンバーが集まる。それゆえ、出てくるアーティストはどれもあまりにポピュラー有名人ばかりなので、その辺りのとっつきも悪くなかった。

ツアーで死んでいった仲間達にはなりたくないという最後の言葉の後、全ての演奏が終盤を迎え、ぼんやりセンターに浮かび上がる舞台上で最後の演奏が行われる。カメラゆっくりと引いていってやがてエンディング

音楽映画の名作とはよく言ったものです。見て良かった。

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マルクス・エンゲルス

今まで彼らを描いた映画がなかった気がしますが、とにかく、カール・マルクスフリードリッヒ・エンゲルスの若き火を描いた作品で、これということもない普通作品でした。物語の結末に向かってしっかりと脚本が書かれていないために、終盤まではただ二人の出会いと交流が淡々と描かれて行きます。これも、ストーリーテリングでしょうか。監督ラウル・ペック

時は1943年、産業革命による貧富の差の拡大、経営者労働者という二極化は社会に貧困層を拡大している。そんな中、過激な経済論を展開するマルクスはドイツから追われフランスにやってくる。

一方、イギリスの紡績工場経営者を父に持つエンゲルスは、父の経営方針に賛同できず、フランスへやってくる。そして、マルクス出会う。

それぞれの持論に共通点見出し意気投合した二人は、新しい労働運動を展開すべく協力して行く。物語は二人の活躍とそれぞれの人生を語りながら展開して行くが、どうも運動に対する彼らの個性が今ひとつ浮き上がって来ない。

結果、ストーリーの核になるものが見えず、ラストで「共産党宣言」をするクライマックスだけが引き立って浮いてしまった感じです。二人の人間ドラマの部分が弱いためにすっペラ作品に仕上がった感が強く、歴史の1ページの勉強になったというだけの感想になりました。

2018-05-15 映画感想「ラスト・ホールド!」「フロリダ・プロジェクト 真夏の魔 このエントリーを含むブックマーク

kurawan2018-05-15

ラスト・ホールド!

映画としてはテレビドラマレベルの出来栄えという一本、脚本も適当だし映像演出も演技部分も普通。これといって取り柄のない映画ですが、ボリタリングというあまり知識のないものを扱っているという興味で見にいった。監督真壁幸紀

大学に入った岡島は、ボルタリング部が自分一人になり廃部の危機を迎え、必死勧誘するシーンから始まる。とにかく、ギャグのそれぞれが滑りまくりと雑な脚本が全然面白さを生み出していない導入部でこの映画のレベルがわかってしまう。このオープニングが今ひとつです。

なんとか七人になり試合に臨めるようになるが、後は適当そのままで、部員それぞれのドラマも適当すぎてもなんの感情移入もないし、可愛いヒロインが出て来ることもないので見るところもない。

そして、何かの決勝戦がクライマックスになり、二位になって終わる。そこになにがしかのメンバーの過去が語られるものの非常に甘すぎて、簡単流れるという安易さも仕方ないが、結局、それで終わりねという映画だった。見なくても良かったのですが、時間がうまくあったもので、それだけかもしれません。

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「フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法」

ドキュメンタリータッチカメラワークで主人公たちの日常を切り取ったような映像演出ちょっと味わいのある作品に仕上がったという感じ。できの悪い母親殺伐とした安アパート空気感がわずか道を隔てたところにあるディズニーワールドの夢の世界との対比で語られる母と娘の物語は、たまらないほどの人間的な暖かさを感じさせてくれました。監督ショーン・ベイカー

一人の少年が、ムーニーとスクテーティを呼んでいるシーンから映画が始まる。

二人の子供が飛び出すと、新しい住人が入ったという。早速三人は新たに入居したところの少女ジャンシーと遊ぶ。とにかく遊びは素朴そのもので、アイスクリーム屋のそばで客にお金をせびってはアイスを買ったり、近くにいる牛たちを見にいったり、最初は戸惑うジャンシーもすぐに親しくなり、特にムーにと仲良くなる。

ある時、廃墟アパートに忍び込んだムーニーたちは暖炉に火をつけて火事を起こしてしまう。慌てて逃げ帰ったが、犯人を薄々勘付いたスクーティの母はムーニーたちを遠ざけようとする。事情を知らないムーニーの母ヘイリーはスクーティの母親に当たり散らす。

ムーニーは母ヘイリーと二人暮らしだが生活は苦しく、家賃が払えなくて一階の宿泊の部屋に移される。しかし、管理人ボビーはそんな二人をなんとか支えてやろうとする。さりげなくこの親子を守る行動に出るボビーが実に温かみがあり、時々外に出てタバコを吸ったりするカットが非常に効果的に挿入される。

どんどん生活が追い詰められて行くヘイリーはとうとうコールガールのような仕事を始めてしまう。最初は目を瞑っていたものの、公になりある時警察がやってくる。

そして児童管理局もやってくる。近いうちに娘と離れ離れになることを予感していたヘイリーがムーニーに贅沢な食事をさせるシーンが本当に切ない。一方で、身体中にタトゥを入れ、悪態ばかりついている彼女描写対照的に母としての彼女を浮かび上がらせる。

警察がヘイリーを連れて行こうと荷造りさせている間、外で児童管理局の職員がムーニーを説得するのだが、とうとう耐えきれなくなり騒ぎ出すムーニー、そして飛び出した彼女はジャンシーの家に行き玄関号泣する。その姿を見たジャンシーは彼女の手を引いて走り出す。カメラはブレブレの手持ちカメラ映像になり二人を追いかける。走る二人はやがて、ほんの側にあるディズニーワールドの中へ、そして二人はシンデレラ城に向かって行く、暗転エンディング

ちょっとクセのある映画ですが、たとえば、ジャンシーの誕生日にヘイリーとムーニーが彼女を沼のほとりに連れ出すと、夜、沼の向こう岸のディズニーワールド花火が上がるシーンが印象的。

全体が手持ちカメラ映像に近い演出がされているので、入り込むまで少ししんどいが、独特の空気感で、底辺に漂う人たちの人間味あふれる必死の姿が胸に迫ってくる。ヘイリーがなぜ仕事をしないのか、なぜムーニーと二人きりなのかは語られない。よく見ると、ジャンシーの家もスクーティの家も父親の姿はない。道を挟んで隣が夢の国であるにもかかわらず、ここはあまり現実的場所。あっさりとした話なのになぜか胸に迫ってきてしまった。