くらのすけの映画日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

日記ロゴ 「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。
なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。
また、大ファンの上戸彩さんのBLOGも運営しています
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2018-08-21 映画感想「1999年の夏休み」「悲しみに、こんにちは」「ブッシュウィ このエントリーを含むブックマーク

kurawan2018-08-21

1999年の夏休み」(デジタルリマスター版)

まるでおとぎ話のようなファンタジーある意味幻想的であり、どこか怪しいほどの危うさも漂っているのが不思議映画でした。全員少女少年を演じている作品監督金子修介

森の奥深いところに立ち全寮制の学校。一人の少年が何やら手紙を書き、そしてランプを手に近くの湖にいき身を投げる。少年の名は悠。

カットが変わると単線を走る列車で一人の少年が目を覚ます。さっき死んだ少年と瓜二つである。彼は薫と言って、この学校に転入して来た。学校には夏休みに帰る故郷もない則夫、和彦、直人がいた。彼らは悠と親しく、死んでしまったことに罪悪感と寂しさを抱えていた。

そして3人の前に悠と瓜二つの少年薫が現れ、3人は困惑する。果たして本当に薫と悠は別人なのか。

実は悠は和彦のことが好きで何通かの手紙を渡していたが、どれも和彦は無下に断っていた。悠が自殺したのはそのせいなのか。実は直人も和彦が好きだった。だから悠が死んだことで、内心喜んだのだ。

則夫は直人より一つ下の学年なので、この夏休みが終わりみんなが卒業すればほとりぼっちになることに寂しさを覚えていた。

そしていつのまにか和彦と薫は親しくなり、いつの間にか和彦は薫のことを好きになっていた。一方、直人は薫に、お前は悠なのではないかと迫る。悠の死体は上がっていない。彼は和彦の心を得るために戻って来たのではないかと迫る。そして薫は自分は悠なのだと告白。直人は湖まで薫を責め続け、殺してしまおうと迫る。そこへ和彦がやってくる。

一時は和彦と薫を残し、帰りかけた直人だが、気を取り直して戻ると、二人は湖に飛び込んだ後だった。おかしな雰囲気に則夫も駆けつける。

カットが変わると、ベッドに眠る和彦。直人は一人だけしか助けられなかったと告げる。そして冒頭と同じシーン。列車の中で薫が目覚める。そして学校へ。驚く和彦に「僕は悠でも薫でもない」と語る。

そして則夫と再会、そして・・・・そこには悠の死を受け入れ、彼が生きていたことを信じ、一つ心の成長をした3人がいた。

悠の死は果たして幻想だったのか。ただこの四人の危うい心の成長の象徴だったのか。結局、具体的でリアルものものは何一つないままに不思議感覚映画が終わる。まさに寓話である

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「悲しみに、こんにちは

淡々と語られるタッチ作品で、両親を亡くした一人の少女が、その悲しみを押し殺しながら、次第に立ち直っていく姿を描いている。そのたまらなく切ない感動にいつの間にか包まれてしまう一本でした。監督はカルラ・シモン

花火を見ている主人公フリダのカットから映画が始まる。両親を病気で亡くした彼女は、叔父夫婦の元で暮らすようになる。そこには幼いアナという少女もいて、フリダは一緒に遊ぶようになる。

突然の別れに、悲しみを表現する術も知らないフリダは、わがままを言い、可愛がられるアナに嫉妬心さえ見せ、子供心の残酷さを見せたりもする。

そんなフリダに戸惑う叔父夫婦の姿に、嫌われていると感じてしまうフリダ。

それでも一生懸命尽くす叔父夫婦。幼いアナはフリダを慕う。やがて新学期が近づいて来て、その準備をする叔母に、フリダは、死なないよねと尋ねる。そして母はどうやって死んだのか、自分のことを言ったのかなど聴く

おばあちゃんにもらったパジャマを着てベッドでフリダとアナ、そして叔父とはしゃぐが、突然フリダは泣き出す。どうしていいかわからないままに、叔母はフリダを抱きしめる。暗転して、フリダの母の名前に捧げるテロップが出てエンディング

唐突ラストだが、このカットで、フリダの何とも言えない悲しみと、その立ち直りが表現される。たまらないラストです。

これという物語もないのに、さりげない映像に散りばめられるフリダのも物悲しいクローズアップが見事な演出。小品ですが、いい映画でした。

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ブッシュウィック 武装都市

延々とした長回しのワンカットで見せる前半のサバイバルアクションシーンから、話にネタ切れで一気に終わらせるクライマックスまで、何とも言えない適当映画だった、監督はカリー・マーリオン、ジョナサン・ミロ

地下鉄で降りた1組のカップルがおしゃべりするシーンが延々と続いて映画が始まる。主人公ルーシー彼氏家族のところに連れ行くためにやってきた。そこへ、列車運休になるアナウンス、改札を出ると火だるま人間が駆け込んでくる。外に出ようとすると、ヘリコプターや銃声が聞こえる。様子をみようと出た彼氏爆弾で死んでしまう。

一人になったルーシーが出てみると、暴徒に追いかけられ、何とか逃げ込んだ部屋で元海兵隊のスチュープと出会う。そして家族の元に行くためのサバイバルアクションが始まる。ワンシーンワンカット全く途切れず二人の逃避行を追いかけるカメラ。妹の家にたどり着くまでに、この動乱の経緯が説明されてくる。

何やらアメリカの一部の州が独立をすると言い出し蜂起したらしい。何ともめちゃくちゃな展開。ところがこの辺りまで来るとエピソードネタ切れが目立ち始め、一方、ワンカットカメラワークにも限界が来て、ヘリが俯瞰で見る街並みなど普通カットも挿入される。しかも、何やら市民が反抗を始めたとのことで、それを助けるために、武器を保管しているおばさんが出て来て、無理矢理感満載のまま物語はクライマックスへ。

そして、ふとしたことでスチュープは死んでしまい、軍の救出ヘリの待つ公園へ向かうルーシーと妹のアクションちょっと描かれてルーシーも公園で撃たれて死んでしまい、映画は終わる。何やねん、という締めくくりに唖然。本当にB級アクション感満載の映画だった。

オープニングやカメラ長回し面白かったのに、力尽きた感じのエンディングになった映画でした。

2018-08-20 映画感想「最後のランナー」「曼陀羅」「吶喊」 このエントリーを含むブックマーク

kurawan2018-08-20

最後のランナー

炎のランナー」のエリック・リデルのその後を描いた物語ですが、これというものもない普通映画でした。まぁ、物語の興味のみという作品でした。監督スティーブン・シン。

オリンピックで金メダルを取ったエリック・リデルだが、たくさんのスポンサーオファーを断り、自分の信念で生まれた地中国へ渡り結婚したというナレーションから映画が始まる。

現地の中国人で親しくなったジ・ニウが語る物語として展開していく。

やがて日本軍が侵攻して来て、リデルは収容所に収監される。収監先をやっと見つけたニウがリデルを支援するために奔走するのが物語の中心となる。

いかなる妨害にも信念を貫くリデルの姿が展開していくが、やがて彼は病になる。そして終戦の五ヶ月前に脳腫瘍のために亡くなって映画が終わる。

なんのこともない普通映画である

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曼陀羅

農業エロティシズム、と、なんともよくわからない映画でしたが、極端なローアングルと大胆な移動撮影切り返し、シュールな構えでしっかりとは意図された構図を駆使した映像は、さすがに才能を感じざるを得ません。監督実相寺昭雄

恋人を入れ替えてSEXをする男女の濃厚なシーンから映画が幕を開ける。行為が終わって海岸に出ると二人の男がやって来て、男の方を気絶させ、残った女を犯す。

このホテルオーナーは、狂った男女のカップル自分たちの仲間にし、農業で自給自足するユートピアを作ろうとしていたのだ。という話だと思う。

とまあ、よくわからない展開ながら、その接着剤として何度もレイプシーンやSMシーン、SEXシーンが繰り返され、時に土を耕す場面なども挿入。堅苦しい、インテリ学生のようなセリフの連続で語られる物語は、シュール以外の何者でもない。

しかし、一つ一つのカットの構図は実に美しいし、切り返しのうまさは絶品の近い。極端なローアングルで捉える画面に大胆な移動撮影が組み合わされ、時にクローズアップを交える絵作りは一級品である

結局、ユートピアの建物の巫女が汚れたからと隠岐の島へ主人公達は船出するが、寺の建物が炎に包まれる実相寺昭雄監督得意のシーンのあと、船出した船は難破し全員死亡。残った主人公若者ホテルを売り、日本刀を購入、新幹線のシーンに続いて、列車トンネルの中に消えて映画が終わる。

全くはてな連続であるが、映像作品としては一級品である。そこがすごい。

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「吶喊」

痛快!青春娯楽時代劇の傑作でした。とにかく、余計なことはそっちのけに真っしぐらに突き進むバイタリティあふれる展開が爽快。若さがほとばしる痛快さに終始、引き込まれてしまった。監督岡本喜八

一人の老婆が、まるで昔話をするように、百姓の千太の話を語り始め幕を開ける。そして、一物に自信のある百姓の千太が、嫁御を探そうと街道でお糸に襲いかかるところから物語が始まる。

時は幕末、戊辰の役で奥州に官軍が迫って来ている。官軍密偵万次郎が千太と出会ったのもそんな時。そこへ奥州軍の十太夫が絡んで、迫ってくる官軍に一矢報いようと烏組なる遊撃隊を作り暴れ回るのが本編。

とにかく、面白いことなら何でも飛び込んでいく千太と万次郎、それに気っ風のいい十太夫キャラクター映画をどんどん引っ張っていく。

そこに、明るい空気感女好きな千太とテルの陽気なSEXが繰り返され、お糸のしたたかな生き方も描かれて、とにかく全編青春そのものの空気が最高。

やがて奥州軍は敗れ、官軍制圧してくるが、最後までテルと交わる千太のシーンなど、ラストまで手の抜いていない脚本も面白い

最後に冒頭のおばあさんが話を締めくくって映画が終わる。痛快という言葉がぴったしの青春時代劇でした。

2018-08-17 映画感想「タリーと私の秘密の時間」「銀魂2 掟は破るためにこそある このエントリーを含むブックマーク

kurawan2018-08-17

タリーと私の秘密の時間

どこか不思議な空気を感じて見た映画でしたが、案の定こういうラストかという一本。少々、デフォルメがきつい気がしますが、映画作りというのはこういうものだと思うし、楽しむことができました。監督ジェイソン・ライトマン

間も無く生まれるようなお腹をしたマーロ、長男のジョナの体をブラッシングしてやる静かなシーンから映画が始まる。手際よく母親を演じ、テキパキとこなすかに見える彼女ハイテンポな曲がかぶっていく。ところが彼女にはもう一人サラという娘もいる。しかもジョナは精神不安定らしく、すぐに騒ぎ出してしまうのである。と、少しづつマーロの境遇描写されるオープニングがうまい

一見静かに始まるのだが、静かなのではなくて、すでにマーロは限界になっているのである。そして3人目の赤ん坊が生まれると、彼女はどんどん追い込まれていく。細かいカットと繰り返しの映像で、単調な毎日ストレスに変わる展開を描写。そして、どうしようもなくなったところ、兄から夜のベビーシッターを雇うことを提案される。

限界だったマーロは、その女性を雇うことにする。やって来たのはいかにも今時の女性のタリーだった。最初不安だったものの、仕事完璧で、次々とこなしていく姿にマーロの心も余裕が出てくる。しかも、育児のみでなく、私生活のことも話すようになってえ、マーロは次第に余裕を取り戻す。しかし、タリーの素性は全くわからず、夜明けには帰ってしまう。

ところがある夜、タリーは赤ん坊を残して街に出かけようとマーロを誘う。赤ん坊父親がいるから大丈夫からと車でマーロを連れ出したタリーは、かつてマーロも遊んだニューヨークの街に連れていく。

そしてバーで酒を飲み、気持ちよくなったところで、タリーはそろそろ去る時がきたとマーロに告げる。せっかく落ち着いて来たマーロは途端にパニックになり、心が乱れ始める。自転車をとって、夜の街を走り抜け、慌ててタリーが後を追う。

お乳が張って来てその場にうずくまったマーロをタリーが助け、マーロが運転して車で帰路につくのだが、途中、疲れで二人とも眠ってしまい川から落ちて事故を起こす。水の中で、外に出れないマーロを人魚の姿になったタリーが助け、病院のベッドでマーロは目覚める。

看病している夫のドリューに医師が告げた言葉、それは、マーロは極度の睡眠不足、そして精神的な限界にきているということだった。夜のベビーシッターを雇ったと聞いていたのにどうしてマーロは限界にきていたのか訝るドリュー。そういえば、ドリューはそのベビーシッターを知らないし、会ったこともないことに気がつく。そして、マーロの旧姓がタリーだと医師に話す。

まり、タリーはマーロが作り上げた妄想女性だったのである。昼は子育てをし、夜もタリーとなって、完璧母親を演じていたのだ。そしてとうとう限界が来たのである

退院したマーロの前で、赤ん坊をあやすドリューの姿があった。ジョナは、いつものようにブラッシングしようとする母に、そんなものはいらないからとマーロに抱きしめてもらう。

危機を脱したマーロ、マーロの疲れにようやく気がついたドリュー、そして、家庭が平穏になるにつれ、自然子供達の姿も落ち着く。前半から中盤の目まぐるしい展開と中盤のヒューマンドラマのような流れが、一気に一人の母親精神限界の話に収束する。なかなか深みのある作品でした。

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銀魂2 掟は破るためにこそある

前作があまりにも面白かったので、今回もかなりの期待で見に行ったが、とにかく、口上がやたら多くて映画が完全に止まってしまっていた。笑わせようという小ネタがしつこいので、リズムに乗ってこない。しかも、前作で見せた軽妙な悪ノリが全て滑ってしまって、そこへしつこく長台詞が映像を止めるので、だんだんため息ばかり出て来てしまった。監督は福田雄一。

愚痴を言っている銀時達の声が聞こえているオープニング、さらにカメラ小僧まで登場させる悪ノリ、そしてようやく本編。例のよってダルダルから爆発するような展開へ引き込むのだが、その後すぐに長台詞が次々とリズムを壊し始める。

キャバクラネタ、床屋ネタなど、面白いはずが、すぐに長ゼリフの口上で、リズムが途切れる。とにかく、真選組の内紛、将軍をも巻き込む大騒動へと展開していくが、次々としつこい長台詞で映画を止めるばかりで、いつまでも前に進んでいかない。

台詞を半分以下にして、ノリだけで突っ走れば前作同様拍手ものの娯楽映画に仕上がったろうに、ほんまにしんどかった。クライマックス、おきまりのジブリネタのネコバスも今回は完全に不発。中盤のエヴァンゲリオンネタも今ひとつインパクトが弱く、映画のノリになっていない。

終盤の銀時のアクションシーンも完全に力尽きた演出になってしまって、とてもラストを飾るシーンになっていない。前作がとにかく面白かったので、本当の残念です。

2018-08-16 映画感想「オーシャンズ8」「地の群れ」「肉弾」 このエントリーを含むブックマーク

kurawan2018-08-16

オーシャンズ8

大好きなアン・ハサウェイほか豪華女優陣が一堂に会して、豪華な宝石をだまし取る豪華な映画なので、出来栄えの良し悪しはどいでもいいのですが、まぁ映画としては普通の娯楽映画という感じでした。監督ゲイリー・ロス

主人公デビーが出所してくるところから映画が始まる。巧みに万引きをして、必要品を手に入れ、上手く騙してホテルの部屋に入る。そして5年間練りに練った犯罪を実行するためにかつての仲間に声をかけ始める。

そして揃った7人、狙うはカルティエが50年間も保管だけして来た時価15000万ドルのトゥーサンと呼ばれるネックレス。そしてそれをメットガラというファッションイベントでダフネ・クルーガーというセレブ女優につけさせ、すり替えるというもの。一方でデビーを陥れたクロード・ベッカーに罪を着せる計画を実行に移す。

今時なので、テクニカルプロがそのスキルで見事に作戦成功。ところが、途中で気がついたダフネも加わって来て、分け前が減るのかと思いきや、実は展示されていた宝石もごっそり手に入れていて、大団円

クロードを陥れることにも成功保険の捜査員も軽妙に巻き込んで、軽いタッチの娯楽が終焉する。

今更、珍しくもない鮮やかさですが、作品が豪華なので、それだけで十分見応えがありました。

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「地の群れ」

とにかく、重いし、暗い。1970年という製作年、熊井啓ATGで初監督をしたということを考えれば納得もいくものの、かなり陰にこもった作品でした。監督熊井啓

昭和16年、一人の女が若者を責め立てている。どうやら妹を妊娠させられたらしく、この女は朝鮮人か、中国人か。そしてタイトル

のちにわかるが、この若者は宇南というのちの医師である

時は1970年、この映画の制作年の佐世保。原爆被爆民の差別、部落差別が当然のように世の中に存在し、その抑止力などなく、ただ隅に追いやられ、誰もが見て見ぬ振りをしている状況が描かれていく。自らも被爆に悩む医師として、宇南の苦悩も描かれていく。

被爆民の多く住む地域の若者が部落の女を強姦した事件を核にして、戦後の苦しみをいまだにひきづる人々の苦悩が淡々と描かれていく。

ラストシーン近代的な団地の中に逃げ込んでくる被爆民の地域に住む信夫の姿を、何事もないように編み物をする女たちが微笑みで見守るシーンで映画が終わる。熊井啓の鋭すぎる視点が一気に画面から漂ってくるシーンである

映画は非常に充実した作品で仕上がっているが、今ではとても作れないテーマとレベルの映画だと思います。そう何度も見たくなる映画ではないですね。でも考えさせる一本でした。

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肉弾

独特の映画ですが、なるほど、代表作と言える一本、というか岡本喜八らしいユーモア満点の映画だった。もう少し終盤の畳み掛けが上手く仕上がったらもっとメリハリが効いていた気がするけれど、それでも面白い映画でした。監督岡本喜八

一人の若者魚雷ドラム缶を縛った乗り物に乗って敵艦が来るのを待っている場面から映画が始まる。日が眩しいので、傘を広げると、そこには「あけぼの楼」という遊郭の店の名が描かれている。物語は、この若者がこの状況に至る話が語られていく。

士官候補生で軍隊に入ったものの、戦況は悪化爆弾を抱えて敵戦車に飛び込む肉弾兵の任務が与えられる。最後の外出許可が出て、若者女郎屋へ向かう。途中の古本屋で聖書を手に入れ、そのまま新地へ。

ようやく見つけたおさげ女学生の店に行くが、彼女は店の女将で、出て来た女郎は化け物のよう。逃げ出すように店を後にし、持って来た傘を着て雨をしのいでいるところへ、古本屋の帰りの女学生女将に再会。二人は防空壕で一夜を明かす。

若者は海岸で一人穴を掘って爆弾を抱えて特攻する練習をしていると、一人の少年がやってくる。そしてその少年とのやり取りの後、3人の看護婦と出会ったり、モンペのおばさんと出会ったりとシュールでコミカルなシーンが展開。そして広島の街が空襲に会い、遊郭なども全て破壊され女学生女将も死んだらしいと知らされる。

そこへ上官から、状況が変わったから近くの特攻ボートの基地へ行けという。しかしそこにはすでにボートはなく、近くに魚雷の基地があるからそこへいけと言われる。そして、今の状況となる。

やがて終戦のビラが撒かれるが、メガネを壊した若者は読めず、近づいて来た汚物処理の船に向かって魚雷を発射するも魚雷は沈んでしまう。汚物船の船長終戦を教えられ、引っ張って東京まで連れて行ってもらうことになる。

しかし、結んでいたロープが切れ、若者ドラム缶は置いてけぼりとなる。そして時は流れ昭和43年。海岸沖に白骨になった若者を乗せたドラム缶は浮かんでいた。

海岸で穴を掘ってのやり取りのシーン、ドラム缶の中のシーンがややしつこくて、馬鹿馬鹿しくなってくるが、かなり独特の物語の面白さがある映画でした。

2018-08-15 映画感想「カメラを止めるな!」「追想」 このエントリーを含むブックマーク

kurawan2018-08-15

カメラを止めるな!

社会現象になって、連日の終日完売シネコンからミニシアターまで公開された話題映画を見に行く。果たしてどれほどのものかと半信半疑だったが、正直面白かった。シンプルな物語と何と言ってもテンポが抜群にい。これは監督編集演出の才能だろう。ただ、強いて残念なのは完全オリジナルではなくて原案があるということぐらいか。監督上田慎一郎

ゾンビ映画撮影している場面から物語が始まる。女優に厳しく迫る監督、すでに40回以上もテイクしているが思うようなシーンにならないと喚く監督疲弊した女優の姿に助監督らは休憩を提案監督は外に出てしまう。間も無くして助監督に大量の血糊を持ってくるように指示が来る。待っている間主演の女優と男優、さらに脇役らが都市伝説の話などをしている。かつてこの建物は人体実験に使われていたなどというよくある話。

気さくな話をしましょうという男優提案で脇役の年配の女優は、最近趣味護身術だといい、襲われたときの対処法を教えるコミカルカット。外でドンという不気味な音、そして間も無くして、音響担当若者が腕を切り落とされて転がり込んでくる。しかもあまりリアルで、作り物に見えない。なんと外にフラフラ中年男のゾンビが現れ、本物のゾンビが現れたことに気がついた主演の男女、さらに年配の女優がゾンビから逃れるサバイバルゲームへと物語が展開。そのリアルさを監督自らカメラで追いかける。

しかし、おかしいのは彼らを撮っているカメラ存在である。冒頭から完全にワンシーンワンカット長回しの末に、とうとうヒロインがサバイバルに成功、ひとり生き残って映画が終わる。クレジット。そしてこれが完成した一本のドラマだったことがわかり物語は一ヶ月前に戻る。

常に日和見的にプロデューサーの言いなりで映画を撮っている男日暮隆之の家族が映る。娘の真央監督志望だが、リアルにこだわりすぎてトラブルばかり。妻の晴美は元女優だが、つい役にのめり込んんで我を失うのでとうとう追い出されている。

そんな隆之に一つにピロジェクトの監督依頼が来る。全編ワンカット生放送ゾンビ映画を撮りたいので演出してほしいという。要するに誰も引き受けなかったということなのだが、隆之はこの仕事を請け負う。

妻の晴美は最近暇を持て余し、護身術番組など見て時間を潰している。娘の真央仕事にあぶれて家を出て一人暮らししようと思っている。

そして間も無く、撮影練習が始まるが、わがままなヒロインの女優、自意識過剰男優アル中の俳優などなどに辟易とした毎日が続く。しかし、ようやく段取りも稽古もすみ、いよいよ本番の日が来る。ところが監督役が事故で来れなくなり、その車に同乗していた女性キャストも来れなくなる。本番が迫る中、隆之が監督役で入ることに。さらに女優役も見に来ていた晴美がはいり、いよいよ撮影映画始まる。

冒頭の映像シーンで不自然に思われたところの裏話ネタが次々と明らかになり、晴美ののめり込みキャラなどコミカル楽しい笑いの映画に変貌。これまで張り巡らされた伏線が笑いとなって次々と展開していく面白さだけでなく、映画撮影面白さもまざまざと見せていく。

映画ってこんなに面白いものなのだというのを表裏から見せていく後半が特に秀逸。さらに、色々なトラブルが発生しあわや中断かと思われるところに真央が登場、持前のこだわりと熱さでどんどんスタッフ側をサポートしていく下りも最高。

そして放映が無事終わり、笑いとどこかほのぼのした空気の中で本当のエンドクレジットが流れて映画が終わります。

確かに面白いし、練り込まれた脚本とテンポの良い編集演出コラボレーションが見事な映画で、小品ながら、完成度の高い自主映画という素朴さが光る作品でした。ただ、社会現象になる程かというと、それまでは行かないと思うし、このレベルならミニシアター作品に時々見られるレベルであることも確かです。でも、これが話題になり、映画ってこんなに面白いのだよと、日頃見ない人が関心を持ってくれたことは大成功なんじゃないかと思います。

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追想

美しい構図と流麗なカメラワークにまず引き込まれる。下手をすると、カマトトな女と不器用な男の恋愛の成れの果てになりそうな話を、二人のキャストの抜群の演技力と、大人の視点でしっかりとブレずに演出された画面作りで、まるで一編の詩篇を読み解くような映像表現として仕上げられた映画。素晴らしかった。監督ドミニク・クック

時は1962年結婚したばかりのエドワードフローレンス新婚旅行先のチェジル・ビーチをさりげない話をしながら歩いている。小粒の石が敷き詰められたような海岸を、しっかりと歩く二人の足元を捉えるカット。しかし、どこかまだぎこちない。

部屋に戻りと、少し早いディナーが運ばれ、二人の給仕が新婚カップルだと興味津々な目つきで見つめる。エドワードたちは二人きりになり、当然ながらエドワード欲望は次第に高まってくるが、どこかぎこちないままにフローレンスに触れる。この展開に交互して二人の馴れ初め、それぞれの家庭の姿がフラッシュバックして挿入される。

エドワードの家庭はどちらかというと労働者階級的な庶民家庭で、父は校長をしていて、母は駅で列車に接触して以来脳に損傷を受けてどこかおかしい。双子の妹がいる。

一方のフローレンスの家庭は、実業家の父を持ち、どちらかというと裕福な家庭のようで、彼女自身、バイオリン奏者で楽団を組んでいる。そしていつか憧れのホールで演奏することを夢見ている。その五人の楽団のチェロ奏者の男性はフローレンスに気がある風である

フローレンスエドワードの家で歓迎され、妹たちや母にも好かれ、父も是非結婚してくれとエドワードに望む。そしてなるべくして結婚することになるが、フローレンスエドワードキスや手を握ることは許すがそれ以上は拒み続ける。

結婚が決まりフローレンスは男性とのSEXに関する本なども読みふける。この辺り、ろくに性教育もなかった中で、こういう時代だったのかもしれず、また母とはそういう心の交流はない家庭だったのかもしれない。

そして、ホテルの部屋、フローレンスの服を脱がすことにも手間取る。この下りがとにかくしつこいほどにくどくどと描かれる。そしてとにかくベッドに横たわり、エドワードフローレンスに体を重ね、いざということになるが、お互い初めてのことで、エドワードはすぐに果ててしまう。一方フローレンスも舞い上がった上に戸惑い、その場を飛び出し、海岸まで逃げてしまう。

ようやく追いついたエドワードだが、自分の不甲斐なさと苛立ちも重なり、思わずフローレンスをなじってしまう。一方のフローレンスも、愛しているが、どうしても上手くいかないから結婚後は別の女性と寝てもいいとさえ言ってしまう。

それぞれがそれぞれに愛しているのに相手を思うあまり、ぎこちない罵りになってしまう。そして、エドワードは、一人ホテルを去る。

時は1975年エドワードはレコード店を経営していた。そこに一人の少女がやって来て、母の誕生日のお祝いのレコードを注文する。それはかつてフローレンスが好んだ曲のレコードで、その少女フローレンスの娘だと確信したエドワード彼女名前を尋ねると、クロエだという。それはかつてフローレンスが娘ができたらつけると言っていた名前だった。そして名字は、フローレンスの楽団のチェロ奏者の男性の名字だった。

そして時は流れ2007年、今や年老いたエドワードはクリケットをしている。部屋に戻りラジオから、音楽ホールである楽団が最後の演奏をするというニュース流れる。その楽団はフローレンス所属していたものだった。

演奏会の夜、すでに年老いたフローレンスは舞台上で演奏を始める。前から三列目の中央で聞いているのは年老いたエドワードだ。若き頃、いずれこのホールフローレンスが演奏する時は必ずここで聞くからエドワードが言っていた席だった。

エドワードを見つけたフローレンスは、いつの間にか涙が頬を伝う。エドワードも涙が伝う。

画面は、海岸に飛び出したフローレンスを追って来たエドワードのシーンへ。二人で戻りましょうというフローレンス言葉に背を向けるエドワードカメラゆっくりと引いていく。エドワードから離れていくフローレンス、二人の距離がみるみるひろがっていくのを横長の画面の構図で捉えながら引いていくカメラが素晴らしい。そして映画が終わる。

ため息が出るエンディングである労働階級エドワード資産階級フローレンスの話なのだが、その部分は必要以上に触れず、あくまで、若すぎる二人の不器用すぎる愛の顛末として描いた視点が実に素晴らしいのです。背後に被るクラシックの音楽とロック調の音楽の組み合わせのセンスのうまさにも頭が下がります。

大人の映画、そんな言葉がぴったりの秀作でした。