メリーさん、元次郎さん、ありがとう!

kuriyamakouji2006-05-20

 一人の老女の生き様は美しかった。いや、現在進行中で美しい、あのラストの養老院でのステージでメリーさんはシャンソン歌手元次郎の歌にうなずく横顔が、もはや白塗りではなかった。 そしてあの高い折り目正しい声を聴けました。ほぼ、40年近い昔、僕のいた関内の本屋でお客様として本を買って下さった時は白塗りではなかった。恐らく、夕方から朝の午前4時頃までがメリーさんのお仕事で、来店時は昼間が多かったですね、
 過去のエントリーで書いているように喋り方がどこかの由緒正しき奥様(今回の映画でわかったことは、横須賀から横浜にやってきたのは40歳だったのです。)のようで、所作もそれは優雅なのです。それで、当時の元町の旦那衆にあの人はどんな人って訊いたら、その人は悪意があったのか、脳○○さ、近づかない方がいいと言われましたが、とても信じられなかった。
 主に文庫本を買ってくれましたね、でも、クリーニング屋の夫婦(何と、夫婦の好意でメリーさん専用のロッカーがあったのです)、美容院(ここもメリーさん行きつけだったのですが、埒もないエイズ風評で他のお客さんがメリーさんが使った櫛だとか、衛生上云々で、仕方なくメリーさんに来院を断ることになる。)、喫茶店(ここも似たようなクレームがお客さんからきたのですが、そこのママはメリーさん専用のカップを用意して他のお客さんをナットクさせる)、アート宝飾ビル(この一階の玄関脇に年取ったメリーさん、もうこの頃は腰が曲がっていました。オウムの事件、阪神淡路の震災があった1995年にメリーさんはこの街から消えるのですが、70歳を越えた頃ですね、)、
 そうそう話が前後しますが、黒沢明の『天国と地獄』で舞台にもなった根岸屋は24時間営業で、この映画の中で元愚連隊が証言していましたが、50年代でしょうか、外人さんたちをのぞけば、お客さんの半分はヤクザ、半分は警官で、メリーさんを始め色々な女たちが網を張っていた。売春防止法が施行されたのは1957年ですよ。
 僕が本屋の仕事を終えて一応、大衆食堂であったので、夕飯を食いに行った頃は60年代後半ですね、もうそのような喧噪はなかったと言っても、余韻はありました。80年に根岸屋は倒産するのです。
 メリーさんと言えば、白塗り、襞のある白いドレスですが、団鬼六はその姿は「死神」、山崎洋子は白い化粧は一種の仮面だったんではないかと指摘している。僕は舞踊家大野一雄の息子慶人さんが言っていることなんですが、白塗りすることによって、自分を消しているんですよ、「白」は自分の色を消してゆく、なるほどと思いました。その大野慶人さんですが、シルクセンターにあった大野さんの奥さんのドラッグストアにメリーさんがよく出入りしていて、美しい宝飾を眺めやるときの視線の強さ、そのモノに没入する佇まいの強烈な印象が忘れがたかったとおっしゃっていたのですが、
 ある日、ハムレットのオフィーリアをやってみないかというオファーがあって、大野さんはあのメリーさんになれば、オフィーリアになれると、メリーさんになりきって、舞台に立って評判を呼んだみたいですね、
 五大路子さんはメリーさんをイメージして一人芝居『横浜ローザ』を演じ続けているのですが、幕が締まる花道で通常なら「路子とか、五大とか」かけ声がかかるのですが、「メリーさん」っていうかけ声が乱れ飛ぶのですって、ヨコハマイチの有名人、
 一部の人たちから後ろ指さされ、排除されたかもしれないが、メリーさんを愛する人が沢山いたのです。
 今回、この映画で初めて知ったのですが、メリーさんの実家は広島だったんですね、メリーさんの肉筆の手紙も素晴らしかった。「父君」、「弟君」って言うのですからまいります。この映画に奥行きを与え、「世界を信じてもいいんだ」という祈りを確かな手応えとして与えてくれたのは、シャンソン歌手永登元次郎さんでしょう。
 その元次郎さんは、野毛山界隈に今のシャンソンライブハウス『シャノワール』を開き、シャンソン歌手としてデビューを果たす。50歳の頃です。彼の生き様も凄い!、
 映画『メゾンド・ヒミコ』の田中民(サンズイのついたミンです)を思い出しました。
 とても気に入ったエピソードで、住所不定のメリーさんなのに、盆暮れには、ちゃんと、お世話になった街の人々にお礼をしたのですって、お中元、お歳暮と書かれており、中身はタオルのようなものだったみたいですが、とにかく、裸のお金は絶対受け取らなかったということです。品性がメリーさんの核にあったのでしょう。
 本当に素晴らしい贈り物をありがとうって、クサイ台詞を言いたくなりました。この映画のDVDが欲しいですね、繰り返しみたいそんな映画でした。監督はまだ、30歳になったばかりで、1975年生まれ、デビュー作品です。
 梅田テアトルでモーニングショーで上映中です。
 最後に平岡正明のシリアスなコメントをパンフから引用します。

 そして急逝した男三人の名がかかげられた。「永登元次郎杉山義法広岡敬一」。(略)
 あの婆さんを語って男三人が死んだのかいとチラと俺はメリーを憎む気持ちも生じた。そのメリーも死んだ。最後の洋妾(ヨーパン)は米軍への情報提供者ではなかったかという疑念は、まだ少し、俺にはある。

 2005年1月17日、メリーさん、逝去、享年84歳です。
 野毛山節で供養しますか…。

♪野毛の山からノーエ /野毛の山からノーエ /野毛のサイサイ 山から異人館を見れば/鐵砲かついでノーエ /鐵砲かついでノーエ /鐵砲サイサイかついでならび足/おつぴきひやらりこノーエ/ ちいちがたかつてノーエ /ちいちがサイサイたかつて /おつぴきひやらりこノーエ/天滿橋からノーエ/ 天滿橋からノーエ /天滿サイサイ 橋から東を見れば/鐵砲かたねてノーエ/ 鐵砲かたねてノーエ /鐵砲サイサイかたねて小隊進め/おつぴきひやらりこノーエ /ちいちがたかつてノーエ /ちいちがサイサイたかつて /おつぴきひやらりこノーエ♪

 根岸屋で働いていた元芸者のノーエ節はヨーパンメリーを辛辣に語っていた。元次郎の「哀しみのソレアード」で供養しましょう。
 参照:http://www.yokohamamary.com/yokohamamary.com/

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