日蓮宗大本山 池上本門寺
東京都大田区東急池上線池上駅から徒歩10分ほどのところに位置する、本門寺。
730年前、日蓮聖人は、身延山から病気療養のため常陸に向かう途中、現在の東京都大田区池上である武蔵国池上で亡くなった。本門寺はその霊廟である。
中世の時代、現在の東京には住職はおらず、妙本寺と兼ねた住職が鎌倉で両方を監視していたという。
1590年に政権が変わり徳川の時代へと移行。近世、江戸の時代である。それから住職がこの地に来ることになり、伽藍が大きくなった。それまでは現在ほどの大きさがなかったためか、現在まで残っている逸話には江戸時代のものが多い。
その後、空襲により総門、五重塔、宝物殿、経蔵以外は焼失した。



総門を抜けた階段。単に石が並べられているだけでなく、ローマのレンガアーチに使われるまぐさのような形をした石がみられる。これは何百年も風にさらされる石の膨張、ズレを止めるためのものだ。

階段を登りきったところの、山門との間の道。この写真の背後には最初の写真の右側にうつる大堂がある。少しわかりにくいが、石が敷かれた道の軸線が少しずれている。これは今は一つしかない大堂の隣に同じくらいの大きさの本堂が建っていた。そのときの名残である。

すごく薄い石の墓。

本門寺 五重塔

2層までは瓦葺き、それ以上は銅板葺きである。竣工当時は全て瓦葺きで仕上げられていたが、竣工からわずか7年で屋根の傷みが発生し、順次軽い銅板に葺きかえられたという。この五重塔には構造的な特徴が多数ある。
第一に、一般的な五重塔では5層分を積み上げるという工法をとるが、四天柱と呼ばれる心柱の外側に位置する柱がそれぞれ繋肘木に組まれる形になっており、上に載せるだけの法隆寺などとは対照的である。また、その四天柱の外にある側柱は桔木との関係において勝つのが通常であるが、本門寺五重塔の場合は斜めに切られる処理がなされている。そしてこの五重塔には通常はあるものが欠落している。それは尾垂木と繋肘木の間に垂直材として設けられなければならない束である。この束がないことによって四天柱から伝わる力が地面まで到達することができず、それと瓦の自重でモーメントによって斗供との壁に接する部分が破断してしまったのである。

本門寺 宝塔

現在は改修中の宝塔。平安時代空海が持ち込んだとされるが、直径5.5mある円形平面をもつ本格的な宝塔はここにしかないという。石山寺にも多宝塔と呼ばれる宝塔があるが、それは下重が正方形平面になっている。また、円形平面でも小さい石碑なら多く存在する。