『明治の冒険科学者たち:新天地・台湾にかけた夢』

柳本通彦

(2005年3月20日刊行,新潮新書108,ISBN:4106101084

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夢の島フォルモーサ



冒頭で著者は言う:

新領土獲得に日本人は歴史上初めて「国民的」高揚を経験する.日本中を台湾ブームが席捲し,この明治二十八(一八九五)年以降,海を越えて多くの人と物がこの島に渡ってくることになる.(p. 10)

当時の台湾に対する熱狂ぶり.今では想像することもできない.そして,本書を通じて,読者は,多くの人間と彼らの思惑が日本「初」の植民地だった台湾の地で複雑に交錯したことを知る.



最初の主人公・伊能嘉矩(第1章「台湾に科学の光を当てた−伊能嘉矩」)には,当時の人類学・民俗学の人脈が見え隠れする.台湾で行なわれた博覧会で「人種」が陳列されたという記述があるが,これは同時代のアメリカ自然史博物館でも公開されていた同様の“展示”と響き合うものがある(→ケン・ハーパー『父さんのからだを返して:父親を骨格標本にされたエスキモーの少年』2001年8月31日刊行,早川書房ISBN:4152083654).アメリカ自然史博物館で当時,人類学展示を牛耳っていたのは,ほかならないフランツ・ボアズだった.



第2の主人公である田代安定(第2章「時勢を駆け抜けた反骨の植物学者−田代安定」)には,当時の「台湾植物学」界の人脈が顔をのぞかせる.動的分類学の早田文蔵への言及があったりするのも興味深い.後世のゾルゲ事件への言及とか,柳田国男との関わりとか,本書全体を通じて,一見狭い台湾(と言ってもその具体的イメージをぼくがほとんどもちあわせていなかったことに気づかされた)の中で,当時の幅広い人的ネットワークが交わっていたということか.



第3章「〈蕃人〉に一生を捧げた人類学者−森丑之助」を読む.この人,まるで天狗.台湾の峰々を飛び歩いたようだ.首狩りの風習が残る台湾奥地の〈生蕃〉?〈熟蕃〉ということばとともに本書で初めて知った?の生活環境に深く入り込むことができた森はもって生まれた独自のキャラクターの持ち主だったという.鳥居龍蔵から教わったという写真術を駆使して台湾先住民の映像記録を遺した森の晩年の数年はほとんど闇の中.伝記を書いた著者の苦労が行間から伝わってくるようだ.



本書は,明治時代に台湾研究に身を捧げながら,いまではその痕跡すら消えつつある〈忘れられた3人〉に光を当てた伝記本だ.当時の日本の対外植民地政策のあり方と抗日武装蜂起の勃発を背景にして,“内地”の行政官や研究者たち(とくに人類学・民俗学・生物学)がどのような意図をもって植民地・台湾に渡っていったのかがうかがえる.もちろん,本書の主人公たちは公的な地位も低く,現地調査中絶え間なくさらされる身の危険の割には経済的にはまったく報われなかったという.明治時代以降の日本では,そのような境遇の研究者がとても多かったような気がする.だからこそ,彼らのピュアな研究意欲がよりいっそう印象に残るのかもしれない.



この本で“脇役”として登場する坪井正五郎鳥居龍蔵は,日本の人類学界を築き上げた功労者とみなされている.たとえば,ぼくの手元にある寺田和夫『日本の人類学』(1981年1月20日刊行,角川文庫4682,ISBN:4043266014)の第2章には,明治時代に彼らが日本の人類学をどのように立ち上げてきたのかが描かれている.別の本ではきっと“主役”を演じるにちがいない彼らビッグネームたちと比較するとき,本書の主人公ら(とその家族)がたどった人生とのあまりに大きなちがい,落差の大きさには言葉もない.現在の台湾で founding fathers としての彼らが顕彰されはじめているというくだりを読んで少しだけ救われた気がした.



三中信宏(23/April/2005)

【目次】
序章 海路,台湾へ! 8
第1章 台湾に科学の光を当てた − 伊能嘉矩 14
第2章 時勢を駆け抜けた反骨の植物学者 − 田代安定 72
第3章 「蕃人」に一生を捧げた人類学者−森丑之助 130
終章 明治という時代に生きた冒険科学者たち 187
あとがき 203
参考文献 207
年表 212
索引 [i-iv]