『From Here to Eternity : Ernst Haeckel and Scientific Faith』

Mario A. Di Gregorio

(2005年6月刊行,Vandenhoeck & Ruprecht[Religion, Theologie und Naturwissenschaft : Band 003], Göttingen, 637 pp., ISBN:3-525-56972-6 [hbk] → 目次版元ページ

先日,この伝記の存在に気づいて,すぐに調べてみたら,たまたま amazon.co.jp に1冊だけ在庫があることがわかった.即注文して,たった2日でもう手元に.さすがに早い速い.



本書は全640ページもある「電話帳」だ.序論冒頭はカフカの〈変身〉に始まる.続く各パートはゲーテにちなんで,〈ファウスト〉,〈グレートヒェン〉,そして〈メフィストフェレス〉と題されている.エンディングは〈死と変容〉だって.いいなあ,こういうノリ.著者は1984年に T. H. Huxley 様の伝記を出している.ダーウィンの“マルジナリア”に関する編著もある.ハクスリーに続いてダーウィン,その次にヘッケルというのは大物ハシゴだな.



序論(pp. 17-25)では,まず本書全体の「射程」について述べられている.著者は,Robert Richards とはちがって(ということは Peter J. Bowler に近い立場で),ヘッケルはその知的出自から考えてダーウィンと異なる世界にいただろうという立場を取る:


Strictly speaking, Haeckel was trying to follow Lorenz Oken in his attempt to understand science philosophically and hand it down to an educated public. ...[中略]... Oken's view of science was highly Romantic. Along these lines, Haeckel has been seen by some scholars, e. g. Robert Richards, as the last Romantic scientist of the nineteenth century (Richards 2002). However, Oken, as well as Karl Vogt, Robert Chambers and others ...[中略]... had failed because they had unable to link their arguments with a view of science that was not only attractive to the public but was also shared by their fellow scientists. In other words, they had not popularized science but instead producef popular science, science's ugly sister. (p. 18)

著者は,ヘッケルについて知るには,後に彼がたくさん出した一般向けの普及書ではなく,最初の著作である『生物の一般形態学(Generelle Morphologie der Organismen)』(1866)こそきちんと読まないとダメだと主張している(p. 18).第4章では,ヘッケルにとっての magnum opus であるこの本について詳細に論じている.



その上で,当時のドイツの「ロマン主義」がヘッケルとダーウィンとを分ける壁だと著者は指摘する:


Thus, the position brought formard here is a slightly modified version of Bowler's argument that Haeckel was not a true Darwinian. ...[中略]... Romanticism, after all, was a major element in Haeckel's cultural make-up. The differences between Darwin's and Haeckel's ways of thinking are deployed where necessary. (p. 19)

本書では,ヘッケルに大きな影響を直接的に与えた3人が挙げられている.ひとりはヘッケルをイェナに招聘した解剖学者 Carl Gegenbaur,もうひとりはヘッケルに“Stammbaum”概念を吹き込んだ比較言語学者 August Schleicher,そして最初の妻である Anna Sette だ.Gegenbaur と Schleicher の影響は知っていたが,夭逝した Anna Sette がその死後も“永遠なる女性(ewig-weibliche)”(p. 547)として,現世のヘッケルに影響を与え続けていたことを著者は本書で示そうとしているらしい.



とすると,本書全体の構成がゲーテの〈Faust〉にちなんで分けられているのも理由のあることだ.第1部は知を希求する主役ファウスト=ヘッケルが主人公の生い立ちと知的遍歴が述べられ,第2部では永遠のグレートヒェン= Anna Sette が師亡き後のヘッケルを導き,最後の第3部ではメフィストフェレス=時代のうねりに翻弄される晩年のヘッケルが“das ewig Weibliche”の手で天に昇るという台本が予想される.この「劇」の中で,二番目の妻の Agnes と愛人の Frida von Usler-Gleichen は悲劇的な役回りを演じることになる.その結末は,Agnes とその娘 Emma は精神を病み,Frida はアヘンで服毒自殺したと書かれている(p. 523).



—— BGM はもちろんグスタフ・マーラーの第8交響曲〈千人の交響曲〉第2部.そして最後の締めはリヒアルト・シュトラウスの〈死と変容〉か.



※少し気になるのは,ドイツで出された本にしては,明らかな「校正ミス」が目につく点だ.