うつ病(9)−ふさわしい自尊心を抱く

うつ病に苦しんだセアラは自分についてこのように説明しています。「いつも自信がありませんでした。自尊心はとても弱く、自分は何の考慮にも値しない人間だと思っていました」。それで、うつ病の原因のひとつは自尊心が弱いことです。私たちはふさわしい自尊心を培う必要があります。


                      神にとってひとりひとりは価値がある


わたしたちが他の人から認められることを自分の価値を量る基準とするとき、私たちは自分をうつ病にかかりやすくします。しかし、わたしたちの価値はほかの人からの是認によって決まるのではありません。聖書は、神の最愛のみ子が他の人からは「取るに足りない者」とみなされたことを示しています。(イザヤ53:3)神の評価と人間の評価は異なっています。うつ病と闘って勝利を収めるには、神が私たちをどのようにご覧になっているかを知り、自分の価値に関する平衡のとれた見方を持つことが必要です。


聖書は神がご自分の僕たちを評価しておられることを示しています。イエス・キリストは,「あなた方の髪の毛までがすべて数えられているのです。恐れることはありません。あなた方はたくさんのすずめより価値があるのです」と語って、ご自分の弟子たちが神にとって価値があることを強調されました。(ルカ 12:6,7)



House Sparrow (Passer domesticus indicus) by Lip Kee
神は一羽のすずめのこともご存知だが神の僕はたくさんのすずめより価値がある



わたしたちは自分の髪の毛の数を知らないかもしれませんが、神はその数を把握するほどに、私たちの詳細な点に至るまで、ご存知です。神にとって私たちはひとりひとり価値があるのです。神はわたしたち一人一人を深く気遣ってくださっています。(ペテロ第一 5:7)



New hair by Idhren
エホバ神は髪の毛の数をご存知なほど私たちに関心を払っておられます


エホバ神が私たちについて精通しておられるのは、神が人間の復活を保証しておられることからも分かります。(使徒24:15)人間について詳細な点まで知らなければ、神は人間を復活させることはできません。


エホバは、とりわけ謙遜でへりくだった人、打ちひしがれた人、自尊心の低い人に注意を向けられます。エホバはこのように述べておられます。「『わたしは高みに、聖なる場所に住み、また、霊の打ちひしがれた、へりくだった者と共に[住み]、へりくだった者たちの霊を生き返らせ、打ちひしがれた者たちの心を生き返らせる。』」(イザヤ57:15。ペテロ第一5:6,7。詩編146:8)


エホバは、とりわけへりくだった人、嘆き悲しむ人に好意を抱かれ、それらの人々に将来の希望を差し伸べられます。イエスはこう言われました。「嘆き悲しむ人たちは幸いです。その人たちは慰められるからです。」(マタイ5:4)


セアラは、神が自分に個人的な関心を払ってくださっていることを認めて、自分にも価値があるという気持ちを強めることができました。「私はいつも創造者に対して畏敬の念は抱いていましたが、神が私を一人の人間として気遣ってくださっていることをその時から悟るようになりました。子供たちが何をしようと、夫が何をしようと、また父や母がどのように私を育てたかにかかわりなく、自分がエホバと個人的な友好関係にあることを悟りました。それ以来、私の自尊心は本当に強くなってゆきました」。


うつ病を克服したセアラは、こう回顧しています。「祈りに対する態度を変えたことが最も大きな助けになりました。それまではただ大きな事柄について神に祈り、つまらない問題で神を煩わせてはならない、と考えていました。でも今は、何でも話せるように思います。・・・私の祈りに神が答えてくださり、日ごとに試みとなる状況を切り抜けさせてくださるのを見ると、ますます身近に感じます」。(ヨハネ第一 5:14。フィリピ 4:7)



Lamb of God 30 - Margaret Tarrant by Waiting For The Word
エホバは私たちの祈りに耳を傾けて助けてくださいます


神がわたしたちに個人的な関心を抱いておられ、祈りに耳を傾け、その日その日に立ち向かう力と知恵を与えてくださるという確信は、うつ病との闘いにおける鍵です。
              
                    自分についてふさわしい見方をする 


わたしたちはみな欠点や弱点を持っています。しかし長所もあります。使徒パウロは、自分についてふさわしい見方をしていました。パウロは次のように述べています。「たとえわたしが話し方の点で熟練していないとしても、知識の点では決してそうではありません」(コリント第二 11:6)講演者として秀でてはいなかったかもしれませんが、それで劣等感を持つのではなく長所を認めてふさわしい自尊心を持っていました。


聖書は、自分を実際以上に評価して、誇りを持つことを戒めています。(ローマ 12:3。箴言8:13)それでも、私たちはすべての分野で秀でていないとしても、良い点もあることを認めることができます。


また、わたしたちはそれぞれ、境遇も体力も能力も異なっています。それで、自分を他の人と比べないようにしましょう。聖書は、わたしたちの「手のなし得る」ことは何でも、「他の人と比べてではなく」、もし、自分の過去に照らしてうまくいったなら、「自分自身に関して歓喜する」ことを勧めています。(伝道の書 9:10。ガラテア 6:4)


職場や学校で、あるいはクリスチャンの活動で、私たちが自分にできる最善の事柄を行なってエホバに魂を込めて仕えれば、その成果や成し遂げた量にかかわりなくエホバは喜んでくださいます。(マルコ 12:30,33)最善を尽くして努力をしたならば、私たちはエホバに評価されているのですから、自尊心を持ってよい理由があります。


次回は、「うつ病(10)−楽観的に改善する意欲を持つべき理由」をアップしたいと思います。

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