アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

”学問奴隷”育成機関としての大学 研究奴隷ファームと化す国立研究所

太田龍のロス茶本で紹介されている「IMF管理を通じてのグローバル化が民族・国家乗っ取り・奴隷化の手段である」と言う指摘を支持する事例はいくつも発見できる。韓国も経済危機でIMFの指導が入って、その国家・経済体制が外資に浸食されつつある国である。本来であれば、外資アメリカ帝国のターゲットとしての日本人は、同じ搾取される立場の韓国人と連帯して、そのような状況と闘うべきである。しかし、そのような自覚は日本人にも韓国人にも不足しており、逆に感情的な溝が深まるような方向に誘導されていく。そのような乗っ取り作業は、政治経済の場面でだけでは無く、一般人の意識に上りにくい学問の世界でも進行中である。韓国が過度の受験競争社会になり、自殺者が異常に多いことと、そのような民族の奴隷化が明確に自覚されていないことの間には関係がある。責めるべきは”ダメな自分”ではなく、悪魔的な社会のありようである。競争原理は、奴隷支配の原理である。自由市民は競争する必要がない。奴隷は奴隷同士戦い、競争する。大学、研究機関も、そのような外資・米国の奴隷化の対象である。それは日本でも、小泉”改革”以降の国立大学・国立研究所の独立行政法人化によって進行中である。理事長が外部から入ってくるが、彼らの行うことは、競争原理の徹底、外国人ポスドクの優先的採用とそれに伴う日本人若手研究者の非正規雇用化、外資との連携研究の導入であり、国民の税金で営々と蓄積されてきた日本の知識・技術が外国企業・国外に漏れ出て行く。関係者なら、胸に手を当ててみてほしい。”理事長”は下の記事にもあるようなアメリカ帰りでは無いだろうか。
福島原発の事故によって、日本社会における理系専門家・研究者の権威はかつて無いほどに下落した。それは、しかし、たまたまこのような大事故が起こるまで露呈しなかっただけのことで、専門家がその世界で特殊化することでしか生存できない現状の当然の帰結としての”無能性”だったのだ。専門家こそ自らの視野を顕微鏡的に限定し、極微化した王国の王を目指すことでしか生き残れないのが特にこの十年来の日本における学問世界のありかたである。立派な学者こそが現実世界の無能者であることは、一昔前ならば、寅さん映画のエピソード的な、一般人からのほのぼのとした好意の対象であり得たが、現在の日本では、その専門家の悲劇が国家的な悲劇に直結している。専門家・研究者は、(官僚機構相手の)雑務と成果競争に追われ、自らの研究の射程を拡張・深化し、社会性・哲学性を帯びた領域にまで思索を深めるような余裕が全くない。小泉”改革”で宣言された「有用性」の尺度はますます幅を利かす一方で、数字的な評価制度ばかりが一人歩きし、研究は独立した精神の喜びに満ちた営みではなく、奴隷の作業に似たものになる。これは日本文化の危機以外の何ものでもない。4・10の1万5千人が参加した高円寺・反原発デモの主催者は「素人の乱」だったが、この若い人たちの言語感覚・時代感覚はすばらしいと思う。利権に関係のない、とらわれのない素人の判断力、直観力の方が正常なのが今の日本なのだ。専門家は、素人を指導するのではなく、素人にサービスすべき立場にある。

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韓国:科学技術系大学でエリート学生の自殺相次ぐ

 【ソウル大澤文護】科学技術エリートの育成を目指して設立された韓国の国立大学・韓国科学技術院(KAIST)=本部・大田市(韓国中部)=で今年、4人の学生が相次いで自殺したことが明らかになり、韓国社会で「極端な成績至上主義が原因では」とエリート教育の是非をめぐる論議が起きている。

 報道によると1月8日(1年生)▽3月20日(2年生)▽同29日(4年生)▽4月7日(2年生)の4件の自殺が相次いだ。いずれも成績不振からくる悩みを周囲に漏らしていたという。

 韓国メディアが自殺続発の背景と指摘するのは、米国の大学で36年間教授を務めた徐南杓(ソナムピョ)総長が06年の就任時に採用した▽全授業の英語化▽成績不振者から追加学費徴収−−などの新制度だ。特に学費は原則的に国庫負担となっているにもかかわらず、同院は基準点に満たない学生から1学期最大600万ウォン(約46万円)の授業料を「懲罰」として徴収、批判が集中した。1月に自殺した1年生は、受験校ではない実業系高校出身で、ロボット製作能力を評価されて入学し韓国メディアが「ロボット英才」と称賛した人物だった。しかし英語での授業についていけず単位を落とし、授業料支払いの負担と周囲の期待を裏切ったことの二重のストレスに苦しんでいた可能性が指摘されている。

 同院はすでに、懲罰的な授業料徴収制度の撤廃方針を固め、学生や教授から「負担が大きい」と不評だった全授業英語化の原則も緩和する姿勢を示している。12日付の韓国紙・朝鮮日報の社説は「世界大学評価でKAISTのランキングは06年の198位から09年には69位と年々上昇している」と、競争原理導入によるエリート育成に一定の評価を与える一方「学生が感じるプレッシャーを和らげ、極端な行動に走らないための制度面の見直しは急ぐべきだ」と学校に求めている。

毎日新聞 2011年4月16日 11時06分

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韓国のメディアの健全性は、この事件の本質を正しく報道していることである。事件の鍵を握る人物は、アメリカで成功して36年間教授を務めたという総長である。これが日本の事件だったら、黙殺される可能性が強い。朝日新聞がアメリカ隷属翼賛新聞になってから久しい。読売新聞は、先代社主の正力松太郎がポダムというコードネームのCIAエージェントであり、現在も要所要所で日本がアメリカ従属に傾くように世論誘導に余念がない。日本は、メディアがアメリカに支配されることで支配されている。日本の大手メディアの罪は重い。民主主義は、メディアが権力者に隠然支配されれば、実質的には無自覚な奴隷的精神の制度化に過ぎなくなってしまう。その世界的先進国がアメリカであり、追随者が日本だったが、現在はかろうじてネットがその堕落した現実を暴く役目を果たしている。しかし、当然ながら、そこに規制をかけようとする動きが、震災を口実に進行中である。

トムソン・ロイター論文引用率ランキング 競争が自己目的化する不幸な世界を作り出す狡猾なビジネス

学問は、本来競争にもっともそぐわない領域、人類の精神性の発露の領域である。
学問は、その意味では、芸術と同じだ。たとえば、芸術家のランキングがあれば、それはおかしなものだ。誰かが、北斎ゴッホ若冲レンブラントを並べてランキングしたとしても、それは主観的な美意識の問題で、そこに客観的な基準はあり得ない。学問も同じことで、数量化できるもの(被引用率など)でランク付けし、競争をあおるのは、学問の奴隷化の一環であり、新種のビジネスと言うよりも、意図的な文化の退廃化の企てである。大学や研究機関のランキングに振り回されているのは、多くは日本、中国、韓国などの西洋型アカデミズムの後発国であることにも注意すべきだ。
本来質的な問題を量的な問題にすり替えることは誤りである。あらゆるランキング・ビジネス、国際評価ビジネスは、そのような過誤を意図的に作り出し、人々を、国々を、競争に駆り立て、本来の目的を忘れさせ、競争自体が自己目的化した世界、醜悪な競争世界を作り出す。
マスメディアは喜んでそれを引用する。しかし、そのことによって、文化そのものが変質し、妖怪めいたものが我が物顔で徘徊する世界、不幸が蔓延する世界が現出する。すでに日本、韓国でそのような現象は顕著である。
トムソン・ロイターはロス茶系企業でもある。

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論文の引用回数ランキング、東大が世界13位

 米国の学術情報調査会社トムソン・ロイターは、2000〜10年に論文が引用される回数が多かった日本の研究機関のランキングを発表した。
 東京大が10年連続でトップだったが、世界4518機関の中では13位で、前年の11位から順位を下げた。
 国内2位は京都大(世界33位)、3位は大阪大(40位)、4位は科学技術振興機構(66位)、5位は東北大(67位)。分野別では、物理学で東大が世界2位、材料科学で東北大が3位、化学で京大が4位となるなど、22分野中6分野で日本の機関が世界5位以内に入った。

(2011年4月16日12時01分 読売新聞)

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