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正力松太郎

(一般)
しょうりきまつたろう

読売新聞社長

明治18年4月11日、枇杷首(現・富山県射水市)に生まれる。
東京帝国大学から警視庁に入り、刑事課長などを経て、官房主事兼高等課長となるが、大正12年12月27日の虎ノ門事件(難波大助による摂政裕仁親王−後の昭和天皇−の狙撃事件)を防げなかった責任を取り警察を辞職。
その直後、読売新聞を買取り社長に就任、身近な話題を記事にし、発行部数を増やし、読売新聞は朝日・毎日と並ぶ大新聞となる。
昭和9年、プロ野球球団・大日本東京野球倶楽部(現読売ジャイアンツ)を創設。 
昭和19年に貴族院議員となり、戦後は大阪読売新聞を発行、読売新聞を全国紙として展開しはじめる。
昭和28年、日本で最初の民間テレビ局である日本テレビを創設。街頭テレビでプロレス中継を流し、CM広告料でテレビを運営する。
昭和29年、読売新聞社社主として経営の第一線から退き、翌年(昭和30年)に衆議院議員に当選。原子力行政に力を入れ、原子力委員会の初代委員長となり、科学技術庁の初代長官となった。
また、柔道十段の柔道家、プロ野球初代コミッショナーとしても知られる。
昭和34年、第一回野球殿堂入り。
昭和39年、勲一等旭日大綬章を受章。 
昭和44年10月9日死去。享年84歳

プロ野球界に貢献した競技者に贈られる「正力松太郎賞」(正力賞)に名を冠している。

日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」

日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」

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