今時建文帝を信じている奴はアホ(明の黒歴史・つづき)

 これは以下の日記の続きです。
そういえば建文帝ってどうなったの?(明の黒歴史)・今日のラッキーアイテムは「お祖父さんが残してくれた赤い箱」 - 愛・蔵太のもう少し調べて書きたい日記
 
 さて、明の二代目皇帝・建文帝は叔父の燕王朱棣(のちの永楽帝)に追い詰められて大ピンチ。その時に思い出したのが「お祖父さん(初代皇帝・洪武帝)が残してくれた「赤い箱」の話。「困ったときにはこれを開けるのじゃ」と言っていながらその箱は鉄で密閉してあって鍵も何もない。家臣と半泣きになってその箱をこわして、中から出て来たものは。
 以下、幸田露伴『運命』のテキストを引用してみますね。青空文庫から。
幸田露伴 運命

出(い)でたる物は抑(そも)何ぞ。釈門(しゃくもん)の人ならで誰(たれ)かは要すべき、大内などには有るべくも無き度牒(どちょう)というもの三張(ちょう)ありたり。度牒は人の家を出(いで)て僧となるとき官の可(ゆる)して認むる牒にて、これ無ければ僧も暗き身たるなり。三張の度牒、一には応文(おうぶん)の名の録(ろく)され、一には応能(おうのう)の名あり、一には応賢(おうけん)の名あり。袈裟(けさ)、僧帽、鞋(くつ)、剃刀(かみそり)、一々倶(とも)に備わりて、銀十錠(じょう)添わり居(い)ぬ。篋(かたみ)の内に朱書あり、之(これ)を読むに、応文は鬼門(きもん)より出(い)で、余(よ)は水関(すいかん)御溝(ぎょこう)よりして行き、薄暮にして神楽観(しんがくかん)の西房(せいぼう)に会せよ、とあり。衆臣驚き戦(おのの)きて面々相(あい)看(み)るばかり、しばらくは言(ものい)う者も無し。

 ドラクエ風に言うと、

こうていは たからばこを あけた!
なんと!
そうりょのしるしを てに いれた!
10ゴールドを てに いれた!
ひみつのちずを てに いれた!

 ということで、まんまと頭を丸めて3人の坊主とその仲間たち(家臣たちなんと二十名以上)は王宮を後にして逃げのびることができたわけです。
 まるで漫画
 で、そのあと「元・建文帝」は身分を隠して、約40年も放浪の旅を続け、永楽帝の各地への遠征とか鄭和の大航海も、元・建文帝の居所を探ろうとした結果だったというからスケールがでかい(ちょっと漫画以上のスケール)。
 この「建文帝が最後はどうなったか」というのは、明の正史でも「よくわからない」と書いてあって、それが明末〜清の時代にだいぶ学者の議論(というよりまぁ、ヒマネタ)の題材になっていて、その一つが記されている『明史紀事本末』を紹介した有名な日本人が二人いる。一人は明治の(今はもうとんと読まれることのない)文豪・幸田露伴『運命』で、もう一人は18世紀前半・江戸時代の学者室鳩巣『駿台雑話』中の「歳寒知松柏」というテキスト。後者の話の主人公はなんと! 建文帝の忠臣・翰林院編修・程済の物語になっている。
 という今日の話の元ネタは以下の本なわけですが、

しくじった皇帝たち (ちくま文庫)

しくじった皇帝たち (ちくま文庫)

 この議論に関して、高島俊男はこのようにまとめています。p204-206

 しかし、明末ごろより清一代をつうじて、多くの学者が議論していることはわかると思う。
 露伴は、そのなかの「ガセネタ集成」とも言うべき『明史紀事本末』の「建文遜国」一つだけを、頭から信じて『運命』を書き、逃亡説に対して否定的な銭大繒の「萬先生傳」一つだけを見て、うろたえ、ヤケクソになったのであった。
 え? 小生ですか?
 そりゃもう、最初に申したように、皇家に生れ、育って、きのうまで皇帝であった者が、突然坊主に化けて逃げ出したというのがマンガ的です。そんな男が、四十年ものあいだ逃げとおせるはずもない。応援チームができていたとすれば、そういうところから話はもれるでしょう。
 しかし管国忠も書いているとおり、清代のあまたの「大学者」が論争に参加している。民国の孟森もいい学者なのだが、この件に関しては強引である。
 日本では義経が逃げたの秀頼が逃げたのが一流の学者のまともな議論の題目になることはない。中国人はこういう題材に不慣れだ、というのが感想の第一。
 第二。露伴も『運命』ではしくじったが、それよりなおみっともないのが、『運命』を絶賛した評論家連である。日本の知識人は日本と西洋のことを言ってればいい。わかりもしない漢籍について知ったかぶりをふりまわすのは聞き苦しい。
 第三。室鳩巣がこの話を忠義の物語として『駿台雑話』に書いたこと。前々から言っていることだが、中国の筆記はおもしろく、日本の随筆は概してつまらない。それは、話柄や考証を楽しむことができず、すぐ教訓をたれる材料にしてしまうからである。だからクサイ。クサイのが多い。だれもかれもと言うわけではありません。蜀山人なんかいい。しかしああいうのはすくない。

 ということで、この話はこれでおしまいです。