森山大道「新宿」

〜研ぎすまされたモノクロームの都市〜
写真界に生ける伝説として君臨する森山大道
過剰とも言えるハイコントラストなプリントと、日常に介在する不安をえぐるような被写体。一目見て彼の手による作品だとわかる作品群は、アートと呼ぶにはあまりにも重く、濃厚な世界が凝縮されている。
銀塩写真の時代、20世紀の終わりに彼が作り出し2002年に世に問うた写真集が「新宿」である。

新宿

新宿

ミレニアムに湧く新宿の街。水商売の女たち、ピンク映画の看板、オフィスビルディング、野良猫。街の最下層でシャッターを切り続ける森山大道。暗い暗室から生まれでた作品は粗く、淡く、刹那の時を刻む時代に確かに存在した一瞬をとてつもないインパクトで我々の胸に刻みつけてくれる。長年の森山大道のキャリアが一つの完成点を得たと言える、時代に遺る傑作写真集。

森山大道が多くの人々に愛される理由の一つとして、アレ、ブレが作り出す強烈な存在感があると言える。雑誌の表紙にでもしようものなら周囲の本すべてを飲み込んでしまうようなインパクトである。しかし、森山大道の写真はアート写真のビジュアルインパクトにとどまらない。ファインダーの向こうの被写体は儚く、時代に取り残されたが故に我々の心に何かを訴えるものばかりだ。プリントを極めて重視する彼の写真は、暗室での幾度もの行程を経て練り上げられた濃厚さでそれを押し出してくる。
北海道やニューヨーク、ブエノスアイレスと自分を見失っては取り戻してきた彼が最後に辿り着いた「新宿」は写真藝術の一つの完成形とも言える作家性が詰まっている。
フランスにおいて日本人写真家の評価が高まっている。彼らにオリジナルプリントを渡す前に、もう一度森山大道という写真家を見つめてみたい。その最たる作品集の一つが「新宿」であることに間違いはないだろう。

ことば「極北」

ウルティマ・チューレとは何か〜
例えば「日本人ギタリストの極北」などという表現を雑誌や本で良く見かける。
なんとなく「最高到達点」的な意味だろうなーなんかかっけーなーと考えていたのだが、最近自分で文章を書いていて使用しようと思い、ふと気になったので辞書で引いてみた。すると驚くことに結果は以下の通り。

ただの北の果てという意味しかこの言葉は有してないようだ。
ということでさらに調べてみると、どうやらこの言葉、微妙に外来語らしい。

どうやら英語には「Ultima Thuleウルティマ・チューレ」なる言葉があるそうだ。
Ultima Thule」を研究社の新英和中辞典で引いてみると「世界の果て;最北端;極限、極点;はるかなる目標[理想]」と書かれている。ラテン語起源の言葉で、ブリテン島のさらに北にあると伝説で伝えられてきた島らしく、それが転じて高い理想や目標といった意味に繋がっていったらしい。
確かに日本では北っていうと北枕のように、そんなにプラスイメージではないから「極北」って言葉の意味には少し違和感を感じていた。なるほど英語起源なら納得だ。
しかし「ウルティマ・チューレ」って何とも言えない響きだな。極北って言葉がさらにかっこ良く感じるようになった。

光文社新書「就活のバカヤロー」

〜生肉のまずさを知れ〜

新書は現代の出版業界においてかなり大きな存在になりつつある。文学はとっくの昔にサブカルみたいなもんになってしまい、雑誌は部数が下げ止まらない中でそれなりの存在を示している。雑誌にちょっと足した値段で、ビジネスマンの通勤のお供になってくれる結構優秀な稼ぎ頭だったり。

本屋に平積みされていて、なおかつ個人的にタイムリーだったので購入したのがこの「就活のバカヤロー」だ。

就活のバカヤロー (光文社新書)

就活のバカヤロー (光文社新書)

イタすぎる現代の就活生、金太郎あめ的エントリーシートにうんざりの企業、嫌々就職支援をする大学、そして学生を煽ることで必死に生き延びようとする就職支援企業。就職活動を取り巻く問題点を様々な視点から研究し、まずい生肉でも誰かが手を付ければどんどん食べざるを得ない「焼き肉の生焼け状態」に問題提起をするべく書かれたセンセーショナルな一冊。

非常に面白い。1時間半もあれば読み終われるくらいだ。内容は具体的かつ現場に近い話ばかりなので掴みやすく、多かれ少なかれ企業に勤める人には関係がある話ばかりだ。作者の語り口もノリが良く、悪く言えば個人的な主観も目立ってしまうのだがそれはそれで一つの意見として参考になる。
本質的には就職活動は学生が企業を選ぶという側面があるにも関わらず「市場」と化してしまっている。原因として作者は就職をとりまくすべての環境の問題を挙げている。学生、企業、大学、就職ビジネスの四つの現場全てがまずい生肉を食べ続けなければならない負の連鎖。現場取材によって得た生の声で構成されたその実態は痛々しい。作者は問題点は指摘しつつも結局具体的な対策までは触れることができておらず、無論この本を読んだところで解決を望むのは無理である。しかしながら現場を知った上で戦いに望めるのは強い。就職活動に携わる人々は読んでおいて決して損はしない良書である。

NewBalance M1300

〜The King of Sneaker〜
ブーツ全盛の冬の街でもお洒落にスニーカーを履いている人は目に留まる。スニーカーはこの二十年でファッションアイテムとしての立ち位置を確立した。その原点となる伝説的モデル、それがNewBalanceのM1300であると僕は思っている。
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1985年当時、39000円という常識を超えた値段のスニーカーが発売される。NewBalance社のフラッグシップモデル、M1300である。ブルーグレイの上品なヌバック地に白いステッチ、通気性の為のメッシュが機能を主張する。履き心地を追求し、EVAスポンジを圧縮してミッドソールにウレタンと共に挿入するENCAPシステムを初めて採用し、驚異的な衝撃吸収、拡散能力を発揮した。
その履き心地がラルフ・ローレンに絶賛されたエピソードはあまりに有名である。トラディショナルな姿勢を崩さないファッションイコンであるラルフ・ローレンM1300を履いたことにより、スニーカーは運動靴ではない新たな領域に初めて到達することができた。それまでのスニーカーはミュージシャンやスポーツ選手に愛されることはあっても、結局それは若者文化の中での人気に過ぎなかった。あくまで運動靴の延長線上にあったのだ。しかしながら値段に糸目を付けず、履き心地の為の技術を投入したM1300という靴は、ハイファッションのシーンにおいてもスニーカーが通用することを証明した。ナイキのエアマックスのブームもこのM1300がなければあり得なかったことだろう。
現在も多少の仕様変更はあれどオリジナルと同じUSA製でM1300を購入することができる。価格は20000を下り、当時と比べたら随分良心的になっている。例え洋服がどんなに安かろうとも、足下に合わせるだけでファッション全てが完成するような思想と技術が詰まったスニーカー、それがM1300なのである。

スタンダール「赤と黒」

〜全人類マストな恋愛小説〜
今さら語るまでもない世界文学の傑作。2007年に出た野崎歓の新訳が誤訳だという話で話題になったが、僕が読んだのは学研の世界文学全集に収録されている古屋健三訳。

赤と黒〈上〉 (岩波文庫)

赤と黒〈上〉 (岩波文庫)

フランス文学の傑作。ナポレオンを崇拝する貧しい少年、ジュリアン。貴族階級が終末を迎えようとする19世紀のフランスで、僧侶として身を立てた彼は高尚な野望を胸に上流社会へ切り込んで行く。彼の中で渦巻く恋愛感情は加速しながら激動の時代に慄然と立ち上る。彼を通じて一つの時代を書ききったスタンダールの代表作。

本当に色々な対比がつまっている小説だ。貴族と平民、富める者と貧しい者、愛する者と愛される者、過去の者と現在の者という様々な「赤と黒」が次々と主人公・ジュリアンの前に立ちはだかる。大作なのでそれらの要素全てを一読で噛み砕くのは難しいし、なにより書かれてからの170年以上の意識差は壁になる。しかし、それでも僕がこの小説を読み込んで電車を乗り過ごしてしまったのは今も普遍的な価値を持つ恋愛小説としての「赤と黒」があったからだった。
主人公のジュリアンはナポレオンオタである。選択の岐路にたったときも「ナポレオンならこんなときこうしただろう」と考える彼が「女の心を征服したい」という野望を胸に抱くのは不自然じゃない。そんな彼の恋の相手となる女性はこの物語に二人出てくるのだが、こいつらがまたキャラ立ちしてる。一人は地元有力者の妻、つまるところ人妻である。マザコン要素たんまりな優しさがジュリアンを包む。もう一人は貴族の娘でツンデレ属性。ジュリアンを低俗と思い込もうとするが結局デレる。この二人の心を深い洞察と分析で巧みに掴んでいくというエロゲ的な恋愛展開は相当に読ませる。
赤と黒」を恋愛小説として見るとその完成度は相当なものだ。こういうのは時代に関わらず普遍に楽しませるが、なによりこれだけのものをあの時代に完成させたスタンダールはやはり偉大だといえよう。全人類マストな恋愛小説、それが「赤と黒」だ。

AC部・伊武雅刀のホームページ

〜スーパーバランスな映像世界〜
伊武雅刀のホームページ。レベル高い。
伊武雅刀
開いた瞬間吹き出す。かなりのセンスの持ち主に間違いねえ。ベテラン俳優にもかかわらず、こういったセンスをしっかり持ち続けるのはさすが伊武雅刀。オリジナリティがなきゃいくらベテランと言っても俳優として生き残れないわな。
このホームページの制作はザマギのPVで有名なAC部だ。
AC部コミュニサイト
そして個人的にザマギの最高曲であるマジカルDEATHのPV。

ゼロ年代初期より頭角を表した多摩美卒の三人組映像アーティスト、AC部。その作品はこのホームページらもわかるようにうすた京介的な不条理ギャグ感覚を軸にしている。しかしそこだけにとどまらない絶妙なオシャレ感はアーティスト一本筋ではなし得ないクールなデザイン感覚を作品が持っているからだろう。それによりこの手の作風にありがちな「狙った感」をうまく打ち消すことで「特異で笑えるけど飽きがこない」という高度な作品を生み出すことに成功していいるんじゃないだろうか。
ギャグやサブカルにどっぷりではなく、しかしオリジネイターの超個性。この高次元のバランス感覚は映像飽和世界の隙間にばっちりくる。これこそがAC部の持ち味だ。