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日々の糧としての写真 A LIFE LIVED IN FEAR IS A LIFE HALF LIVED

HIRANOYA 平野屋 コンピューティング

2011-12-26

平野屋コンピューティング一周年の日

2010年12月25日が、平野屋コンピューティングの設立記念日であった。

丁度一周年だ。


一年目の出来事を書いておきたい。

一年目に起こった出来事に教訓はない。

やり直したいと思った事もないから、この一年は幸せな一年だったと言えるだろう。



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そもそも、会社組織にしょうと思ったのは、10年付き合って来た会社さんからソフトのリニューアルの申し入れが有ったからである。



2010年10月に国体ゴルフが終わり、その会社の社長と会って話しをした。

これからの10年を考えると一回全社システムプログラムを作り直した方が良いと言う事で意見が一致したのである。

10-12月まで見積もりと仕様の大ざっぱな決めをして、2700万円と決めた。

12月には契約書の案も送り、OKであると言う返事をもらいスタートした。

担当者と話しをして、正式な契約の調印前に仕事をはじめざるを得ない事情が有り、始めた。

僕には10月からゴルフの仕事があり、友人にはやはり10月から別な仕事があったのである。



会長がいて社長がいてすぐ下に担当者がいると言う実に小さな会社なのだが、社長は一切、話し合いをしようとしなかった。

友人2人と昔からの相棒の計3人と一緒に開発することにして(雇用契約を結び)、事務所を借りた。





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2月に入り。

なかなか約束のお金の支払がなかった(そもそも請求書も出せなかった)。

契約の話も弁護士に確認中とか言って進まなかった。

メールをしても、社長からの返事は来なかった。

突然、見積もりの2700万円を2500万円に値段を下げろと言う申し入れが来た(担当者からである)。

契約も個人保証を入れて、納期遅延一日に関して数万円の罰金を科すと言う内容を呑めと言う。

こちらから出した物とは全く違うではないか。

12月末の話と全く違うのである。

なんと、12月時点の担当者は何と警察に逮捕されたので退社したそうだ(おれおれ詐欺の主犯だったそうだ)。



1割負けろと言う事だが、そんな事する余裕はない。

そして、こう言う契約にサインする会社は有るまいと思う。

参った。

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プログラム自身は

画面数150画面(コンバート後の数で、実際に作った数は1000以上有るのんじゃないかなあ)

ファイル数は75、延べフィールド数は1300以上。

最大のファイルのレコードは130万件。

毎日30枚程度の入出庫伝票が有り、コンスタントに100〜150社の得意先現場が有る。

毎月各社に請求書が出て得意先元帳を出して、売りかけの管理をする。

リース会社なので請求金額は貸し出しと返却の商品の差と日数で生じて、客先での紛失には個別に対応する。

商品は1000以上のアイテムからなり300種類程度有る。


こんなプログラムであるのだが、10年以上運用しているのでフィールドの意味や、中に入っている価は微妙に違い単純なコンバートは出来ない。

多分、僕にしか出来ないと思うのだが、彼らの考えは違ったのだろう。

他の会社に見積もってもらったら5000万、4000万、800万という3社からの返事があったらしい。

自分たちが、いつも客から値引きを要求されるから自分もそう振る舞うのだろう。








現在雇っている3人の他に2人雇う約束にしていたのだが、3月に急遽仕事をストップした。

8月までの予定で、友人皆に話しをして、仕事を空けてもらっていたのにこれは参ったのである。



彼らの対しての信頼は「0」になってしまった。

支払うべき金の都合もつかない。



毎日、飛び降りようか、車で海に飛び込もうか、と考えていた。

ウイスキーを飲んで、ボーとして暖かくなったら車ごと埠頭から飛び込むらしい。

何件か新潟の東港では有ったときく。





僕が数百万金を使い、進めていたのにそう言うことをする会社だった。



まだ再開の目が有ったので6月に現在の「新潟e起業館」と言う施設に事務所を移った。

4-6月まで交渉を行い、結局、もう別れることにした。


5-600万円と、信頼を失った。



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それからが根性の飛び込み営業の始まりである。

事務所にいても仕事は来ないから、毎日毎日、新潟市内の会社を回るのである。

色々な会社と出会い、話しをした。

そんな中で、新しい事業のアイデアが浮かんだのである。

2010年に思いついたクラウドの企画、今持っている技術と市場のニーズが融合したのである。

多分、来年の核となる事業である。

上手く行くか分らないが、きっと勝ち目は有るのだ。


そして、飛び込みから生まれた仕事も進行中である。

これは嬉しい。

飛び込んで知り合ったお客様からお仕事が入って来るなんて素晴らしいじゃないですか。


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今年の国体山口県で、素晴らしい出来だった。

来年はもっと上手く行くだろう。

見積もりも出した。

また色々な人と出会えるだろうか。


毎月の仕事も順調に進んでいる。

新しいスタッフが育って、仕事を任せることができて来た。


今は新しい仕事も入り、今年前半の傷は何とか持ち直しつつ有る。


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例のアホ会社は10年来、継続的にこの世界で仕事をくれた。

総額で3000万円くらいだろうか。

僕が、曲がりなりにも会社を続けられたのはその会社のおかげである。

感謝している。

保守契約もしていなかったが、いつでも電話が来たら返事をして、問題には対策をこうじてきた。

作ったものには責任を負わなければ成らないからである。

裏切ったのは向こうである。

何の咎める気持ちもなく別れられて幸せである。

いま、死ぬほど集中して仕事ができるのも、そう言う重しが無くなったからである。

自分の体が、こんなに軽い物とは思いもしなかった。

例の一件に関して書きたい事は沢山有るが、向こうには向こうの事情が有るのだろうから、責めはしない。



しかし、あいつら、ろくな死に方はしないだろうなあ。

僕は3月に一回死んだのである。

社長と会長の親子が、ニヤニヤ笑いながら、「平野屋折れてくるさ」とか言っているかと思うと憂鬱になる。

2010年11月に打ち合わせに行った時に会ってもらいたいと話したら、ベンツが納車なので会えないと言う事だった。

驚き呆れる話である。

あの社長の10月の約束は何だったんだろうか。

オヤジの言いなりなんだろうなあ。

あの会社で働いている社員が可哀想である。




死んでしまいたい事の一因はあの2人に頭に来ていたからである。

そんな気持ちで、トキメッセの11階から暗い海を眺めていた。

死ねば保険金が2000万円入って来るよなあって考えながらである。

もし、国体の仕事がなかったら、クラウドの事業の企画が無かったら、両親が健在でなかったら、僕はいなくなっていたかもしれない。



6月に飛び込み営業を始めた時に、こう考えた。「1年頑張って、駄目だったら、もう一回死のうと考えよう。」

半分すぎて、何とか生きて行けそうな気がする。



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子どもたちには言っておきたい。

禍福はあざなえる縄のごとし

Sadness and gladness succeed each other.


何が有っても、死ぬ事はない。

海に飛び込むより、知らないドアの向こうに飛び込むと良い

100に一つの出会いが有る。



結局は、教訓が有るのだった。




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