幸運な病のレシピ( 735 )朝 :菊腸(きくわた)の味噌汁、三角揚げ

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【 2018/11/13の食事 】


この時期の「タラの精巣」を菊腸と呼ぶ、僕は小さい頃この呼び名がわからずに「脳味噌みたいなの」と呼んでいた。
母は頼むと味噌汁にしてくれた。
大根と一緒に仕立てるものだった。
お店には「大きめのもの」と「小さめのもの」が並ぶ。僕は小さめの方が味がしまっているようで好きだ。



味噌汁ができたのでもう一回食べた。三角揚げは刻んで焼いてネギ乗せて醤油かけてまた焼いてから食べる。厚揚げも旨いがこの微妙な厚さが良い。





明け方から仕事していた。腹減ったので、妻が子供の弁当作っている時にもそもそ食べた。昨日の朝作った鳥カツは終わり。


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幸運な病のレシピ( 736 )夜:カツオたたき(紫蘇ニンニク)、ヒラメの煮付け、タラ子の煮付け、汁、ヤゲン軟骨焼き

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【 2018/11/13の食事 】


この時期は、売り場も声明で溢れる。魚卵と白子は数えきれない生命の元だ。
カレイの霧も卵が入っていて嬉しい。
加熱用のタラコにシラタキを絡めると嬉しい。ご飯無しでも美味しい。


汁はいつもの通り。
家族みんながよ喜んで食べる共通料理である。


年齢も性別もこんなに違うのに、同じもの食って満足しようという方がおかしい。

カツオのたたきは刻みニンニクと紫蘇にポン酢を振っておく。
ヤゲン軟骨は焼き鳥屋さんでは食べるが調理するのは初めてだ。
グリラーしようかと思ったが、フライパンで炒めた。







昼はつけ麺を食べた。
ひと玉を妻と二人で分けた。
スープの方に残っている悪魔風の鶏肉のソテーを入れて仕立て直しする。
野菜の量を加減すると、麺が少しでもお腹がいっぱいになる。





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幸運な病のレシピ( 737)夜:イカの一夜干しのアヒージョ

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【 2018/11/13の食事 】


イカ丸干しを食べることにして夕食の準備パート2である。
ワタも一緒に、アヒージョにしたら旨いものであった。
舞茸とネギと生姜である。
干すのは一晩で良い。
カレイの煮付けとタラコの煮付けは嬉しい。


父の食事、多彩な生命を少しずつ、しっかり酒も飲んでおる(笑)。

夜は妻がいなくて僕も少し忙しいので持って行った。
朝昼ときて食べて行った。寝て起きて、庭を眺めているだけなのだが、楽しげせある。
きっと、良い夢を見ているだろう。
あんな風に年を取りたいものでsる、

年をとるということはどんなことなのだろうか、先日母の日記(なくなるまで書き綴っていた)を見た。

日にちの感覚も時間の感覚もなくなり、今しかなくなるのだろうか。
父は、今日がいつだかも朝だか夜だかもわからないという。

今日も良い1日だったともいう。
考えることしきりである。







僕の食事、

ワインをたくさん進んだ暴走した。
カレーが作ってあったので一口食べたら、そば食いたくなって、昼のラーメン食べて、やりたい放題である。
酔っぱらいながら食べて作って、やりたい放題である。
まいったなあ。




この辺まではよかったのだが、ここから頑張ったのである。
やっぱ、カレーとそばの組み合わせは良いなあ。わざわざ大根おろしたりマメだなあ。





寝る直前に計っていた。この頃はすでに意識が定かではない。
「そんなになるまでお酒なんか飲みなさんなさんな」と母には言われたものである。
人生は我慢大会ではないと言っても、強度試験でもない(笑)。

食事に気をつけて、検査値など気にしないとは言っても、嫌な気持ちになる。


さっき、起きて計った。
今日は1日血糖値は高止まりである。
やっぱ、糖尿病なのだなあ。血糖値エリートである。
しかし、起きて小便をして計ったので、最高値は相当に進んでいると思う。
連続測定器が欲しいところなのだが、あれってタイマーでは計ってくれないからなあ。



4時くらいから一眠りした。
起きたところで小便をして計った。
尿糖が出て落ちているのかなあ。
計ってみればよかった。


炭水化物を食べたくなるのは、当たり前の身体の反応である。
高くなるのも、落ちるのも、あたり前のことなのだ。

合併症などと言って恐ろしがるが、どちらにしても何らかの形で死は避けられない道なのである。
そして、細胞にとっては、コロニーが「どんな死に方」で破滅するにしても大差はない。
小さな生命は絶えず分解され再生されている。


死という概念は人しか持っていない。
様々な「目に見える生命」も形式的にはコロニーの終焉としての「死」を持っている。
しかし、ヒトが感じる意味での「死」とは程遠い。



目に目えない生命(マイクロバイオーム)は増殖するときに自分のコロニーをブドウ糖で満たそうとする。
私細胞(精子卵子の受精に由来する目に見えない生命群)も同じである。
セックスと懐妊は単にコロニーを増やそうとするようなものである。
蜂は巣を作り、蟻がは大きなありつかを作り、サンゴ礁を作るのは目に見えないくらい小さなサンゴ虫である。


私というコロニーを作っているのは、あくまでも「私細胞」と仲間たち(マイクロバイオーム)なのである。
決して細胞は「パーツ」でも「道具」でもないのだ。
生命の主体である。
そして私というコロニーを操っている。




だから、小さな生命に操られている私たちは一生懸命に炭水化物食べる。



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