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small planet motion

上野散歩 | 060918

千葉方面へ向かう車に乗って高速道路から夏の昼間の景色を眺めていると、なんだかどうにもこうにも説明のしようのない心境が湧き上がってきてエモーショナルだったんだけども、そのエモさがどういう状態のことを指すんだか全然説明できない。なにか涙が出るような気分だったのかもしれないが、わからない。感情線は並行だった。頭も極めて醒めた状態だった。ただなにかの水位は高かったかもしれない。脳からいいクスリが出ているような。眼精疲労のせいもあってか、たぶん視界も正常ではなかった。クリアな日差しに程よい空気透明度、そして焦点の狂ったおれの目に映る街の景色から住宅地へ、河を渡ってゆくその両岸のアパート群、ひとつひとつのオブジェクトが克明に、しかし(高速道路から眺める景色は大概そうだが)まるで自分と無関係の別世界にあるような、まあ事実おれはたぶん今後に渡ってあのように眩しく美しくある意味グロい世界に住むことなど決してないのだろうが、とにかくにも地上を埋め尽くして視界よりはるか遠くまでひろがってゆくのであろう巨大なミニチュア感。なんだこの非現実的にいとおしいような疎ましいような美しいようなそうでないような、というあたりで、本城直季「small planet」が思い当たった。あれだ。いまおれはあれを見ている。「アオリ」という技法を使っているらしい。Impress の記事によれば、あれは「人間には決して見えない」景色らしいし、実際あれそのまんまというわけではなく、あれに近いような印象として感じられているだけなんだけど、動画であのかんじが見れてるってのはちょっとラッキーだなあとか客観的に思っている自分も同時に居た。

チャットメモ

最近やってないので、チャットで思いついたことや忘れたことや、会話上で出たおもしろフレーズなどをためしに書き出してみよう。

  • 最近の東浩紀氏は高橋名人になんとなく似ている気がするのだが((分野が違うけど)振る舞いの期待のされ方や、あとアゴが強そうなあたりとか)、あまり自信がない。
  • サブカル漫画って、友達だと思っていた女とついセックスしちゃって揉める漫画でしょ?」
  • いい加減サブカルって時代でもないので、そろそろ地方にフランチャイズされないときびしいだろうけど、サブカルを引き受けるだけの地方ってのがあまり育っていなさげ。花束は届くし鉢植えもいけるかもしれないが、種を蒔いて育つかは疑問という。
    • 「現場主義のサブカルとメディア経験主義のオタク」っていうような話があったけども(→http://artifact-jp.com/mt/archives/200608/mediaotakusitesubcul.html)、あれでいうとおれはオタなので「勉強してオタクになった世代」という自覚のうえでも屈託がないんだけど、地方で「勉強サブカル」として育ってしまうと面倒な立場かもなと思う(「過去」としてメディア上でサブカル追体験していくひとたち…とすれば、べつにもう場所がどこでも関係ないか)。そういう層が厚くなれば、「オタクジャンルとしての勉強サブカル」=「オタクの一種」としてやっていくことになるんでないかなとか。
  • そういえば、地方にもサブカル的土壌はあるし、オタクにも当然地方としての現場主義があるんだけど、サブカルの場合地方にメディアとしての力が足りないので(他者に認知されづらいため)サブカルとして成立しづらく、またオタクの場合それが自明すぎるためあまり言及されないんだけど、そういう筋合いはあまり理解されていない気がする。
    • 「でもロックバンドなんかだと地域性というか、それぞれの地域に独自のルーツみたいなのがあることがわりと知られてたりするから、拠点さえあれば育つのかな」
  • (中央→末端の流れ上でいえば)ネタが滞りがちの地方にいると、たまに来る素材をいかにいじりまわすかというような楽しみ方になるというか、おれの場合はそれやってて特に不自由を感じていなかったから、「ネタが枯渇するような事態」ってのは想定しづらいんだけど、最近のオタの場合にはいじくりまわし能力より共感や同調能力を優先して伸ばしてる雰囲気なので、そうでもなさげ。
    • オタク内での時流に対するアンテナや感性の問題もあるんだけど、そのへんファッションに無頓着なのでよくわからないところでもある。これが脱オタのひととかだと「オタ / 非オタ」の時流の中和への意識から、「地方オタ / 都会オタ」の時流の中和への意識も喚起されちゃって面倒なのかもしれないが、それもまたメタな悩みだろう(ようするに「ファッションとしてオタクをやっている」からそこに時差なり格差なりを見るのである)。いや逆で、メタになりきれない悩みだろうか。ベタにファッションとしてオタクやってるので、メタにファッションオタク(←ここでいうファッションオタクは、「ファッションのオタク」でなくファッションパンクと同じ用法としての「ファッションオタク」というか)をやれないというか…わからん。
    • けど「田舎だと高濃度のオタ醸造は不可能」とは思わない。「狭く深く」路線なら実例もいくつか見ている。たとえば、高校〜予備校時代に通っていた溜まり場にリーくんという男が居て、彼はおれの知るかぎりの数年間(おそらくはおれの知らない前後数年以上にわたっても)、ほとんど毎日ビデオ録画したウルトラマンシリーズとゴジラシリーズと仮面ライダーシリーズを、繰り返し繰り返し見続けていた奇人であり、(周辺情報などは別として)放送された内容それ自体に関してだけなら、たぶん彼は同年代の日本人の中で最もウルトラマンシリーズとゴジラシリーズと仮面ライダーシリーズに詳しいオタの一人であったろうと思うし、また彼のような特殊な功を積んだオタをおれはほかに見たことがない(別の種類の奇人なら、世の中にはたしかにたくさん居るが)。オタとしての暮らし方のひとつとして、ああいうのもアリだと思う。まあリーくんの例は極端すぎるかもだが、突き詰めていくと、どのみち極端に行き着くのもまたオタの常というか。
    • まあでも「人口に比例して奇人変人は増える」は正しいと思うので、実際田舎でオタクやってるぶんに「あーいかん、これ以上濃度上げようと思ったら街に出るのが手っ取り早いな」と漠然と思う気持ちはわかる。このへんやっぱ簡単には書ききれないところだ。もうちょっと考えよう。
  • 外園昌也氏に対する評価ズレ問題
    • オタなら「ラグナ戦記」読んでキノコ人間に萌えんかな。
    • 「ラグナ戦記とアフタヌーン時代はもう別人かと」
    • 「モーニングでしか読んだことないと、かなり印象が固まる」
  • むかし漫画のあとがき欄とか読んで漫画家同士の交流図とか妄想してあそんだよね話
    • おれはあんまり興味がなかった。絵柄の影響の仕方とかで関係はありそうだなと思っていたので、師弟関係くらいならある程度意識していなくもなかったけど。根本的に、地方だと作品そのものは届いても雑多情報の質量が少ないので、パッケージへの興味は持っても、ギョーカイ知識とかそういうのはどうでもいいものでしかないというか(→http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20060315#p1)。
    • まあ「こういうのがどうやって制作されるんだろう?」というような疑問から、組織や仕事の流れへの興味などは生まれる。けど、それもべつに特定の○○社ではどんなかんじで、みたいな具体例ではなくて概論としてだし。
    • エロ漫画の「お友達コーナー」みたいなのだと(いまはどうか知らんけど昔のエロ漫画単行本とかだと、巻末数ページぶん作者の友人とかアシスタントのひととかの一言カットみたいなのでページ埋めする様式があった)、明らかに友達でもなんでもなさそうなひととか混じってて「たぶんこれは真」「これはダウトだな」とかあてずっぽうするゲームをして遊んだり、また逆に「全部マジで仲が良いと信じてみる前提で、「お友達コーナーだけで調べた場合のエロ漫画家の交友マップ」を仮構してみよう」みたいなあそびはやっていた(←友人の兄がものすごい量のエロ漫画単行本を所蔵していたため、マイニングし甲斐があったという事情)。
    • 漫画はそんなかんじで薄かったけど、そういえばゲームは多少あったか。でもどっちかっていうとそれも会社とか開発チーム単位での話だったり、または開発者の移籍話であるとか、わりと事務的というか、組織的な流れの話としてだったような。そこに勢力だとか派閥だとか、余計なストーリーがのっかってくるようになったのは 32bit 世代機以降か。
  • 漫画関係でそういうギョーカイっぽい話が流行ったのって、同人絡みとかですかね。萩原一至氏とか。やっぱ「見せ人間関係」みたいなんが好きなひとたちがメディアに情報出さないとだめなのか。
    • 漫画で遡るといしかわじゅん氏とかとりみき氏とか。
    • ギョーカイっぽさで読者層作って盛り上げていくっていうモデルはわりと普遍的にみられるかも。プチ芸能界化というか。往年のアスキー社系の雑誌とかもそうか。
  • 昔の「メディア上にあった業界人描写」のソースを示しつつ連想ゲームするとおもしろそうだなと思った。
    • 「○○氏の単行本のあとがき漫画に△△氏が出てきてた」「△△氏の雑誌インタビューで□□氏とよく飲んでるとの発言が」「□□氏と××氏がスタッフとして共同参加してるゲームのブックレットで対談が」「××氏の単行本の枠外の近況コラムで◎◎氏の名前が」「◎◎氏の同人誌で◇◇氏との宴会の描写が」みたいなかんじで延々つづく。
  • 「自分に酔う」は追い詰められた人間に残された最後の楽しみであり誰にでも保証されるべき基本的人権
    • しかし自分酔いに他人を巻き込むひともたまに居て迷惑と。インターネットはむずかしい。