暴走する頭脳の弊害を減らし、身体智にリードされる自分を育てる からだ・心 右往左往 このページをアンテナに追加 RSSフィード

9999-09-09 このブログで語ること

人は意識頭脳では動いていません。頭脳で行動をコントロールはしていません。その勘違いを見つけて、頭脳主導でない新しい自分と置き換えていくと、想像を超えた自分の身体智と出会います


その追及の試行錯誤を続けていくと、いつしか野口整体創始者・野口晴哉追走の道と交わってきたことに気づきました。整体武術もスポーツも生活もあらゆるものが形を変えて目の前に再登場してきました。そうは読んでもらえないでしょうが、このブログは私なりの整体論なのです。

災害防災関係のブログはこちらに移動しました

http://d.hatena.ne.jp/meuto+bon/

あわせてよろしくお願いします。

2016-04-09 失業の危機か

新大阪健康道場はきわめて健全に進んでいると思う。

社会に貢献する方向に向かっているかという物差しを当てた場合である

その仕事を、いい世の中にしていくと考えると、その道筋というのは、究極は「その仕事がいらなくなる方向へ進めばいい」ということになる。

あらゆる犯罪交通違反がなくなれば警察はいらなくなる。

放火失火もほとんどなく、まれにおこっても家人近隣だけできわめてボヤのうちに消火されてしまう世の中になれば消防署はいらない。

あらゆる生徒が、自分能力開発を行い、勉強をするようになれば、学校の先生はいらない。

「俺がいないと回らない」という方向は実は失敗なのである。その職業目的としている状態がかなっていき、そのために提供するものが少なければ少ないほど成功した度合いが高いといえる。

整体だってそうだ。その先生の整体を受けないと健康を維持できないという人を増やすということは、まことに不健康である。だから伝説名人野口整体の野口晴哉師は、「治療は捨てた」と言い、活元運動を整体協会の根本にされた。

新大阪健康道場の最新の「整体体操」である進化体操のもっとおすすめのやり方は「腰とろ 腹つな」という。

自分で腰やおなかに触れてながら、ゆっくり姿勢を変え、部位が動いていくように指で追っていくというものになった。

悔しい。この方法を練習してもらうと、私が直接首肩肩甲骨背中に「とろける整体」をかけるよりも、はるかに短時間効率よくしかも深く、こわばりが解除される。

だから、私が整体をする際にも、この「一人でもできる方法」の押さえどころを押さえ、同じ手順で進行している。その方が効果が高いから。

私の方がもちろん上手だけれど、それでも私の手をご自分の手に変えていただけば自分で自分に整体できる方法になる。腰や腹や足の付け根という「自分で簡単に手が届くところ」がメインになっている。

つまり、整体を受ければ受けるほど、受けなくても自分でできるというものを身につけていることになる。それが証拠私自身が「腰とろ 腹つな」は、ここ10年でもっとも「せっせと自分でやってしまう度合」が高い

と、書いた直後、特急列車のがらすきの指定席で、さっそくおなかに触れながらやってしまった。4分。首が肩がやはりいっそうくにゃくにゃになった。

料理人がもっともお客さんにおすすめの料理が、あまりにもおいしく飽きない。、毎日自分で作って食べてしまうというような状況だということである。さらに言えばレシピを公開して、お客さんが自分で作って食べられるようにしている、ということである。

整体を受けに来ないですむ整体をメインにし始めている。さて半年一年後にどうなっているんだろうか。失業しているんだろうか。楽しみである。

進化体操&とろける整体

受講希望の方はブログから

http://ameblo.jp/sinkataisou/

2016-04-01 整体には「3」が効く

整体で触れる際の指を、できるだけ三点でとらえるようにして大化けしました。

※「3」については下記のブログを参照してください。

 進化体操ブログ

 http://ameblo.jp/sinkataisou/entry-12144904473.html


ものの数十秒触れたら、受けている人がとろける。これは今までも同じです。が、とろけた中になんとも言えない気持ちのいい芯の伸び縮みがあって、とろけて。伸び縮みして、寝返りして、という無意識反射運動が、10分前後も止めなければ続くようになりました。

もちろん誰もがなるわけではなく、進化体操なども合わせて練習している人ほどそうなります

前記した整体の「ワンタッチ」の効果が、より深く届くようになりました。時間的にも長くなりました。その背景に、何があるかと探しました。すると相手の人の身体を立体的にとらえている感触が大きくなったことがあるように感じています。

人はその自覚する情報の90%を、視覚から取り入れているそうです。目です。

視覚という情報のとらえ方をあらためて分析しました。目というのは、一番手前にあるものしか見えません。壁の向こうは目にとっては「ない」のです。

耳にとっては、防音壁でないかぎり壁の向こう側も、音さえすれば「ある」のです。見えなくてもあるのです。ただし、音がなる、つまり動きのないものは「ない」ことになります。

鼻・嗅覚にとっては、時間というものはあいまいです。においさえ残っていれば、そこにいないものも、いたことが分かります。

犬を散歩に連れていくと、前の犬がやったおしっこのにおいをかいだのち、自分のをひっかけて上書きしています。

時間も輪郭もあいまいですね。食べられる食べられない、敵味方といったことが明確になりそうな嗅覚です。

視覚に戻ります。視覚情報では「今」「目の前の」「一番手前にあるもの」が「ある」のです。

ということは、景色を一枚の絵のように切り取って見ていることになります。自分が動きますから、それが「絵」ではなく物体=立体だとわかりますが、情報の種類としては平面として見ていることになります。

その視覚を日常最も使う「五感」として採用している人間、またさらに文字情報という平面からの情報を大量にとっている現代人は、しらずしらずに感覚が平面化しているのかもしれません。

それで、人に触れるときに「3点」という条件をつけることで、立体である相手の人を診ている感覚が、立体を見る感覚に補正されているのではないかと仮説を立てています。

立体・物体・人体を平面扱いしているのをやめ、ちゃんと立体・物体・人体あつかいすることで、いきなり整体の効き目が一ケタ上がってしまったかのように感じるぐらいすごくなりました。受け終わった人も変化の度合いが過去最高の倍ぐらいはあるといわれる人が多くおられます。

仮説は仮設。それがあっていようとおるまいと、三点でとらえると、立体的に相手がとらえられて、整体の効き目も、体操による心身の変化も桁違いに大きくなる。これは事実。まだまだ研究余地を残している「3」。

今年の進展が楽しみです!

2016-03-04 愛歯道

歯医者を変えた。

今のご時世、すなおに飲み込めないような嫌な、きなくさいことも多い時代だけれど、一方では次の時代に花開かせたい素敵な変化の兆しのようなものも増えてきた。

薬を出すのが嫌で嫌で、薬を使わないで病気が治せないかを一生懸命試行錯誤して「あいうべ体操」を作っちゃった今井一先生みたいな人が出てくるのもそう。

それが一部のマニアだけが知っている状態ではなくって、学校教育に入り込んでインフルエンザ激減につながって、それをNHKが朝の番組で取り上げる。(2月25日NHK朝いちで放映)うん、いい兆しだ。

これも一般的にはまだまだ知られていないことだと判断して書くが、歯医者さんも素晴らしい方が出てきている。

抜きたくない、削りたくない、金属なんか埋めたくない、という歯医者さんである

「治療してなんぼ」ではなく「治療しないでなんぼ」という歯科医である。

削ったり埋めたりの治療で稼ぐのではなく、一生歯を残すことにシフトして、それで歯科医業を成り立たせようとしている歯科医である。かみ合わせから全身の関連で、整体師よりもよほど身体に精通している革新的な歯科医の方がいる。


というので、私も「地元で近くで上手だと評判がいいけれども、ふつうに削ったり抜いたりの治療する歯科医」さんを続けるか考えた。

そして偶然ネットで見つけた「まったく遠くて不便だけど、どうもあまり治療しないで歯を残す方向で進んでいるような歯医者さんに」セカンドオピニオンをいただきに行った。結果として、そちらの歯医者さんに通うことになった。

自宅から二時間かかる。(通勤の途中ルートから行けるので、実際には通勤ルート+35分でいけるけど)

何がその不便で遠い歯科に通う決心をつけさせたのか?

一言でいえばドクター覚悟である。

「ちゃんと自分で磨くのが前提だけれども、それがあれば相当長期間今残っている歯は残せる」という歯科医側の覚悟である。

別の患者さんに伝えていた

「少々の虫歯があっても、ちゃんと磨いて(歯医者できちんとケアを続けている状態なら)おれば、そうそう悪くなるものじゃない、痛くなるもんじゃない」

というような内容の言葉。なんかわからないがするっと腑に落ちた。

「歯を磨こう」と思った。お勧めのはぶらしと研磨剤の入っていない歯磨きを買い求め、以後は90%ぐらいの頻度で一日10分以上丁寧に歯磨きをするようになった。ひと月半その状態が続いている。

ちゃんと磨いていると、歯医者さんにちゃんと磨けているかどうかを判定してもらうのも気持ちいいものである。

なぜ続いたのかを考えてみた。

根底に「今ある歯だけではもたないから、入れ歯にしますか、インプラントにしますか」という歯医者さんと「今ある歯を持たせましょう。そのかわりあなた自身でちゃんと一定レベル以上の歯磨きをしなければ、残すことはできませんで」の違いがある。

せっかくなら死ぬまで?今の歯を残せる方がいい。残すべしと決意されているのは藤井先生の方である。ちゃんと磨いておれば、おりおりに早めに必要な歯の延命処置を施していただけるだろう。


逆に言えば、ちゃんと磨かないで、どんどん虫歯や歯槽膿漏を進行させていくような口の中の状況を続けるなら、この遠い歯医者さんに通う意味はほとんどない。和歌山市内のすぐにいける下手ではないといわれている歯医者で十分である。

自主稽古をたっぷりやりながら、一か月か二か月に一回、師範のところに技を見ていただきにあがるようなものである。そこで新たなことを少し教わり、技を手直ししていただき、また次回まで励む。

進化体操やとろける整体の講習のあり方として、もっとも望ましいと思っていることを歯医者で経験するとは思わなかった。


そうか、俺は「歯道」「歯磨き道」の師範のところに弟子入りしたのか。

しかし「歯を残す」というところに立ち位置があるか「歯を治療する」というところに立ち位置が歯科医の方にあるかどうかで、自らの対歯科医に対する反応、生活習慣の改善がこれほど変わるのかというのに驚いた。

もう一つ、整体を施術し、進化体操を講習するわが身を振り返って大変参考になったのが「歯石を取ってもらう」体験であった。


毎日10分以上歯磨きをして迎えた二回目。歯磨き道師範(藤井先生)の判定は

「そこそこよく磨けておる。歯茎に引き締まりが見られ、結果として歯の根元の隠れていた歯石が顔をだしているから、今日それを除去してよろしい」(実際はこういう言い方はされないが、精神的にはこのように受け止めているのである)というものであった。


歯石の除去は歯科衛生士さんのお仕事

まずは歯ブラシで歯を磨いてもらう。同じ歯ブラシなのに自分で磨く感触とはまったく違う。あたりが違う。いかにも歯がきれいになりそうである。実際に自分で15分磨いたときよりつるつるになった。

そこではたと気が付いた。藤井先生が総師範であれば、歯科衛生士さんは高段者の先輩か指導員である。これは先輩高段者に技をかけていただいている時間であったのだ。

高段者に技を掛けさせるから、心平らかにその技の受けを取り、歯磨き技の感触をつかみ取れ、という稽古であったのだ。


続いて歯石除去。機械でやるあれである。

結論から申し上げると、あれほど長時間丁寧に歯石を取っていただいた経験は過去になかった(筆者の狭い体験では)。

まったく痛くなかったのも初めてだった。

まったく出血しなかったのも初めてだった。



施術後にそのことを藤井総師範に申し上げると

「それは違うぞ。痛みがなく、出血がないのは、君が歯磨きによって歯茎の状態を自ら改善したからなのじゃ。これからもゆめ怠ることなく、歯磨き道に励むのじゃ」とのお答えであった。(くりかえすが、実際の藤井先生はこんな話し方はされません。私の心の奥底に響いた声を翻訳して書いております。)


しかしである。不肖の弟子、新参者にもかかわらずあえてここは総師範に一言申し上げたい。もしかしたら先生以下スタッフ一同お気づきではないかもしれないからだ。

この稿でくりかえし「治療しよう」というスタンスと「歯を一本でも多く長く残そう」というスタートラインの違いが全然違う未来につながるという意味のことを書いてきた。

見方を変えれば自分のことである。整体や体操指導を「病気を治すもの」ととらえるのか、「丈夫で活発で楽しい状態を一年でも長く維持させるもの」ととらえるかで技法も指導内容も全然変わるとことである。


押圧ほぼゼロでコリを解消する「とろける整体」は、単独のコリと対抗しないことによって生まれた。身体内奥の弾力に満ちた大半の部分と共鳴を起こすことによって、かき氷に蜜をかけるぐらい簡単に緊張が溶解したりする。(時々ガンコにとろけない人もあるが、これも舌の位置修正でかなり改善することが分かった)

整体を学び始めたころから非常に長い期間、硬い部分をゆるめようとする見方が変わらなかった。

結果としてコリに指を当てるけれども、押しつぶそうとしないことで、やわらかいところにコリが飲み込まれるように消えていくのが可能になった。



過去の歯科衛生士さんは、歯石を敵として歯石と対抗していたのではないか。こちらの歯科衛生士さんは、歯石を取っているのだけれど、それはそのまま「歯の長生きのために」というのが密接不可分になっているのではないか。

歯石を見て削り取ろうとする意識だけの場合と、歯を残そうと思いつつ、歯石を減らしていこうというところに、微妙にタッチの差が生まれるのではないか。歯石を見て歯石を取る。歯を感じながら歯石を見て歯石を取るの違いである。

そういう部分が無意識にも技術の何かをちょっと変えているのではないか。結果的に長時間丁寧で痛くないにつながってはいないか。

コリだけを見ると整体は荒くなる。そこからの想像である。

歯の治療に行くのではなくて、歯磨き道・歯残し道に「入門した」という日本伝統芸能武道等の講習メカニズムにいつしかはまりこんでいたということに気付いたと書いた。

歯磨き道・歯残し道とは別のネーミングが浮上してきた。

「合気道」ならぬ「愛歯道」である。

そうか、俺は愛歯道藤井道場に入門したのか。

最近体操教室の途中にはさみ、習慣化を奨励している「あいうべ体操」も、実は丁寧な歯磨きとセットで、よりその目的にかなうという一面を持っている。

そのあたりも近いうちに書こうと思っている。


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2016-02-22 視力回復体操研究中 RCウインク体操

今、目の体操を考案して試行錯誤である

目のケアとしては、古くは「目が疲れたら遠くの山でもみて目を休める」なんてのがあった。

遠近を交互に見るとか、目玉を上下左右回転しっかりさせて眼筋を鍛えるというのもある。いずれもある程度の効果はありそうである。

視点を変えてみる。

視力に左右差がある人はびっくりするほど多い。先日道場で10人の人に聞いたら、7割がたが上がった。かくいう筆者も左右差はある。二段階ぐらいだが。


視力に左右差があるということは、同じように使っていないということにならないか。両目で見ているようで、7:3で右が主になっているというようなことがありそうである。結果として視力の左右差が出る。

視力には差があるが、目のケアは両目同時である。どうもここに盲点があるのではないかと推察している。片目ずつ行った方が、どうもよさそうな気がする。ここがただいま試行錯誤中の目のケア体操の着目点の一つである。


もう一つ。「目が疲れたら遠くの山を見て、目を休める。

これ自体には異論はない。近くのスマホを見れば疲れるが、遠く六甲の山々を眺めれば気分も変わる。しかし、だからといって、またスマホやパソコンに視点を移せば、たちまちまた目は疲れ、視力は落ちてくる。

私は、速読を研究・講習しているおかげで、本を読むのは人様よりも多少速い。けっこう速い方である。高速で読む際にもの見方が変わるのであろう、文字がくっきりと見えてくる。読書ではほとんど目が疲れない。しかし、パソコンやスマホの小さい画面では疲れるし、また文字を入力するのはゆっくりなので、速読の目が出てこない。

パソコン・スマホの量が増えると、確実に目が疲れる、視力が落ちる(一時的にせよ)気がする。

遠くの山を見て気分をリフレッシュしても、すぐに元の木阿弥である。

どうすればいいか・・・。はたと気付いた。一番目を疲れさせる要因になっている「パソコン」「スマホ」を見ながら、片目ずつ目の訓練をして、パソコンやスマホで目が疲れないような目の使い方に切り替えることができれば、問題はすべて解消である。

作品ができた。「RCウインク体操」という。

整体講座に出席の方々に試行してもらった。スマホや携帯を出してもらい、一分間のRCウインク体操を実施

確実に「一分前とは見え方が違う!」というところまではできた。

さて、この効果が積み上げがきくように、願わくば視力回復ができてしまえる人が複数出てくるのを待ち(自分を含めて)そこまでいったら公開したいと思う。

でも、こうやって試作ていっても、ほんとにものになるのは10個に一つぐらい。でも5年ぐらい寝かしたら改良型ができたりすることもあるので、とりあえずしばらく推進するべし。


【体の使い方 こうやれば変えられるかも】

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