レッシグ「Free Culture」の感想

しばらく、大カゼをひいて伏せっていた後、咳込みながらバケーションに出てしまった。久しぶりに仕事に空きもできていたので、このヒマを利用して本を読んだ。最近、デジタル時代の著作権問題に興味を持っているので、それならやっぱりレッシグを読まなきゃ始まらないでしょう、ということで、読んでみた。

Free Culture: The Nature and Future of Creativity

Free Culture: The Nature and Future of Creativity

法律論ではあるが、わかりやすい事例をふんだんに引いていて、めちゃくちゃ面白くて読みやすい。ただし、最後の部分で、レッシグ教授自身が関わった訴訟のくだりは、まさに臨場感があるにもかかわらず、訴訟をめぐる理論があまりに法学の基本論・テクニック的でややわかりづらい。本人も、ここで法学の基本論にこだわったことが敗訴の原因・・と痛恨の後悔をしているのではあるが。

私がかねてから素朴な疑問としてもっていたことが、いずれもここで問題の一部として論じられている。また、私自身、P2P違法コピー問題、映像・音楽のデジタル配信に関する「現在のやりにくさ」、クリエーターの間での「階級差」による違いなどについて、どう考えるべきかわからない部分が多かったが、この本でいろいろな疑問が氷解した。

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テレビ映像の「パンドラの箱」 - Tech Mom from Silicon Valley

一言で言えば、少なくともアメリカに関する限り、やはり現行の仕組みは間違っていると思った。(日本の法律も基本的にアメリカのものを踏襲していると思うが、詳細はわからないので、ここでは日本の状況は除外する。)私の感覚では、レッシグの言っていることにはほぼ全面的に賛成だ。また、シリコンバレー全体の空気もほぼ同様だと思う。

  • 現行の著作権保護期間は長すぎる。(法人の場合95年、自然人の場合は生存期間プラス75年)
  • 著作権保護期間が切れそうになるたびに延長するやり方は、実質的に著作権を恒久化することである。レッシグはこれを、著作権の有限を謳ったアメリ憲法の精神に違反していると主張している。
  • 憲法にある著作権の基本精神は、著作権者を無制限に保護することではなく、クリエーターが適正な報酬を得られるということと、知識がより容易に広まり多くの人に利用されることの間のバランスをとることである。
  • 現在の状況では、過去のバランスが崩れて巨大メディア企業に力が集中しており、クリエーターの創造性だけでなく、言論の自由まで阻害されている。
  • 大多数のクリエーター(上位の数%以外)は、実際には現行の著作権法の恩恵を受けていない。ほとんどの作品は、数ヶ月から数年で市場価値はなくなってしまい、その後は商業的に流通できなくなる。100年待たないと(あるいは今の状況が続けば永久に)パブリック・ドメインに移らないために、かえって少し前の作品が世に出る機会を奪われている。
  • サンプリング、引用、派生作品への利用などといったderivative workに対して、作品そのものの著作権と同じ内容の制限を課することは、創造性をかえって阻害する。
  • 廃盤になったレコード、パッケージ化されていない映像などについては、ちょうど絶版になった本でも、古本を著作権料支払いなしで流通できるような、「二次流通」のしくみを作るべきである。これは、20世紀の主要な文化資産であるこれらの作品とそれらが伝える知識や精神が正しく伝播され次世代に利用されるために、必要なことである。
  • 最大の問題は、著作権の法律そのものもさることながら、実際にはより高額な弁護士費用を払えるのはどちらか、という点で勝敗が決まってしまうという点である。
  • 現行の法律を厳密に適用すれば、アメリカ人の大多数がなんらかの法律違反を犯していることになってしまう。このことが逆に、「法律に違反すること」に対する感覚を麻痺させる危険がある。
  • こういう場合、法律違反の取り締まりを強化するか、法律自体を変えるか、どちらかになる。インターネットが世の中を変えてしまい、今後もさらに変えていくという現実の中で、法律を変えるしかないと思われる。著作権の期限をもっと短く戻し、それ以上に延長を希望する著作権者は、「更新の申請」をして登録を行うようにしたり、上記のようにderivative workへの制限を緩めるなどが必要だ。

これに対して、どうするべきかということについて、レッシグは「草の根」と法律活動を提唱しており、「クリエイティブ・コモンズ」によるパブリック・ドメインの再構築という試みもこの一環といえる。

巨大メディア企業への権力集中による矛盾とその弊害については、漠然と感じてはいたが、この本を読んで、現実の厳しさに愕然とした。なるほど、シリコンバレー人たちがディズニーを敵視するわけである。(ディズニーだけではないのだが。)そして、結局弁護士費用を払えるほうが勝ち、たくさんお金を持っている方が勝ち、という現実は、全くそのとおりだと思えるだけに、なんだか気が滅入る。

「middle tail」と私が名付けた、マス向けコンテンツとlong tailコンテンツの中間に位置する「ブロードバンドに適した領域のコンテンツ」がまもなく隆盛すると思っていたのだが、なかなか現実は厳しそうだ。そのためには、GoogleやYahooなど、巨大メディア企業に対抗できるだけのdeep pocketを持ったシリコンバレー企業が、ディズニーなどの既存勢力に対抗して、彼らのいやがることをやり、訴訟されたらやり返し、徹底抗戦するしかないような気がしてきた。Googleの、図書館の本をすべてスキャンしてサーチ可能にするといった試みを見て、首をかしげていたのだが、ようやくその意義がわかってきた。

それにしても、アメリカはまだシリコンバレーがあり、deep pocketな新興企業群があるから、まだ希望があるような気がする。日本は、弁護士の数ではアメリカに及ばないが、メディアの集中と権力サイドの言い分に従う「お行儀のよさ」ばかりが目立つ。現状を変えるパワーがどこに存在するのだろうか。例えば、(日米ともに)既存メディア企業と対抗する立場になる電話会社はどういう立場をとるのだろうか。ブロードバンドのインフラでは先行している日本だが、ブロードバンドに適した領域の中味(コンテンツ)では、相変わらずアメリカの後追いになるのだろうか。

業界コンサルタントとしての私の立場から言えば、この本に引用されている「FMラジオの悲運」(当時AMラジオの巨大メーカーであったRCAが、FMラジオを脅威と見て、訴訟により発明者を自殺に追いやった上、不利な周波数割り当てをするよう政府に圧力をかけ、本来FMラジオのもつポテンシャルを永遠に封じ込めてしまった)と同じ運命を、ブロードバンドがたどることになってしまってほしくないと思う。

まだまだ不勉強な分野でもあり、普段以上に、ご意見、反論、異論など歓迎いたしますので、宜しくお願いします。<1/2/2006 追記>
参考ブログ
坂口安吾の著作権保護期間満了 - Copy & Copyright Diary