ロシア、ウクライナで、俳句を作る人が増え、句会も開かれているというニュースを読んだのは、ロシアによるウクライナ侵略戦争が始まるよりも前のことだった。国境を越えて、俳句でつながっていた人たちは、今どうしているだろうか。スポーツや音楽、芸術、学問の世界の人たちも、つながっていた。どうしているだろうか。
俳句会の人たちは、ときどき寄り合って吟行に出かけ、親睦を深める。自分の作った句は、句会をひらいて発表し合う。
私が奈良に住んでいた時、大きな句会に参加したことが何度かあった。参加者は円く輪になって座り、自分の名前を書かずに、おのれの作句だけを書いて、担当者に提出する。集まった句は全句が公開される。そうして発表された俳句を読んで、参加者は気に入った句に投票する。その後で、それらの句が誰の作であるかが、作者の名乗りで明らかになる。
この仕組みに私は大いに感心した。
ロシア、ウクライナで、俳句を作り合っていた人たちは、今どうしているだろう。
戦争は彼らを、句会を破壊して、滅びの道に投げ込んでいるのだ。
かつて日本で、戦争を詠んだ俳句がある。
戦争にたかる無数の蠅(はえ)しずか
あやまちはくりかへします秋の暮れ 三橋敏雄
戦場へ手ゆき足ゆき胴ゆけり
戦争が廊下の奥に立っていた 渡辺白泉
やがてランプに 戦争のふかい闇がくるぞ 富沢赤黄男
軍鼓(ぐんこ)鳴り 荒涼と秋の痣(あざ)となる 高柳重信
戦争が戻ってきたのか夜の雪
射殺され棒の如くに屍(かばね)凍て 若木一朗
戦傷兵 外套(がいとう)の腕 垂らしたり
炎夏の街 英霊車過ぎ 音もなし 加藤楸邨