年末と第九

マルセル・プルーストの小説「失われた時を求めて」の感想日記を八月から書いているが、たまには「はてなダイアリー」に別な日記を書きたい時もある。
今日はある事情から、朝から第九を聴き、観た。
ベートーヴェンの第九は日本では何故、何時頃から年末に演奏されるようになったのか?
昭和23年の暮れ、当時の楽団員の「餅代」を捻り出そうとしてN響が始めたのだそうである(石井宏著『帝王から音楽マフィアまで』新潮社刊)。
たとえばバイロイト祝祭歌劇場再開時、ベルリンの壁崩壊時など、ヨーロッパでは特別な意味合いをもって演奏されることが多い。
ぼくは、愛する我がオットー・クレンペラーhttp://d.hatena.ne.jp/mii0625/20030909が指揮するベートーヴェンの第九の音源を5種類、持っている。
1) 15/11 1957 英国ロイヤル・フェスティバル・ホール、ライブ
2) 31/10 1961 英国ロイヤル・フェスティバル・ホール、ライブ
3) 27/11 1961 英国ロイヤル・フェスティバル・ホール、ライブ
4) 8/11 1964 英国ロイヤル・アルバート・ホール、ライブ、映像(白黒)
5) 25/6 1970 英国ロイヤル・アルバート・ホール、ライブ、映像(カラー)
以上の演奏は、全てBBCが製作に係わっていて、音質、画質ともに充分に鑑賞に耐えるものであり、“鷲が舞い降りた”クレンペラーの、稀有壮大かつ緻密な、ベートーヴェンの第九の演奏の記録だと思う。

ユダヤ人って簡単にいうけれど…

ビリー・ワイルダー監督はユダヤ人だ、ウッディ・アレンユダヤ人だ、レナード・バーンスタインユダヤ人だし、我がクレンペラーユダヤ人だ、トーマス・マンユダヤ人だし、マーラーユダヤ人だ、…、こんなことをいっても何もならないのだが、プルーストの小説「失われた時を求めて」を読んでいて、改めてユダヤ人あるいはユダヤ教について僕は何も知らないことを知った。
プルーストの母は富裕なユダヤ人の娘だった、シャルル・スワンは教養のあるユダヤ人だった、といわれても、ユダヤ人って何なんだ?
ユダヤ教徒ユダヤ人というのか?ユダヤの血が流れている人々をユダヤ人というのか?
血が流れているといわれてもね〜、リンダ困っちゃう!と、日本人である僕は思うのだったが、では日本人って何なんだ?