天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

マカオにて

 マカオを一言で表現すれば、狭くて暑いということになるだろうか。チェックインした安ホテルの位置は最高に良かった。着いてすぐはそこがどこだかまったく分からない。ホテル備え付けの市街地図を広げて、ホテルのおっさん(一応フロントの中にいるおじさん)にホテルの場所を尋ねる。よく聞かれるらしく、要領よくボールペンで印をつけてくれた。それを目印に恐る恐る観光地方面に歩いてみる。すぐにマカオ博物館というところに来た。そのすぐ前にはこのようなものがあった。見るからに観光名所。
 聖ポール天主堂跡。建物の壁一枚だけ残っていて丘の上から街と海を見下ろしている。
 丘の上から見た景色。左手にマカオのシンボルマークのようなカジノの派手なホテルが見える。右下の通りは大三巴というお土産店通り。道は石とタイル畳でヨーロッパの風景を思わせる。
 階段横の植え込みで働く人々
 裏通りには庶民のお寺もちゃんとある
 私の泊まった安ホテルの近くには、こんなきれいな通りもある。まるでヨーロッパ。
大三巴を下ってゆくと、セナド広場という街の中心地に出る。
 セナド広場
 夜はライトアップされて美しい。
 さて一人の夕飯は静かに落ち着いて、ポルトガル料理でも食べよう。セナド広場から近いレストラン「エスカーダ」
 階段を上がった右側がその隠れ家風のこじんまりした店。
こんなものを食べました。
 前菜にスープと野菜サラダ。ビールはポルトガルビール。
 メインはやはり肉よりも海のエビのグリル。
 このオイルサーディンが安くて最高に美味しかった。
イワシでこの味。日本では味わえないものだった。
 最後は濃い珈琲。
お値段はここらあたりでは高い方だが、満足した。日本語を少しだけ話すおばちゃんにチップをあげた。

アジアの広がり

 マカオの安ホテルでは、ベットとテレビしかない。外から戻ってシャワーで汗を流すと、テレビをつけることになる。ふと見ると女子のバスケットボールの試合をやっていた。佛光と山形とある。山形というのはまさか日本の山形のことだろうか、と見ていると選手の顔が日本人ぽく見える。日本人ぽいとはどんな顔か、説明がつかない。感じの問題。どんな感じなのか。
 こんなところで、まさか山形のチームが試合をしている訳が無いと思っていたが、そのまさかの山形だった。テレビの音で「リーベン」がどうしたこうしたと言っているのが聞こえた。よく見ると、監督らしい人の胸に小さな日の丸が付いていた。佛光大学と山形大学の女子バスケの試合だった。
 佛光大学というのは台湾にある大学だった。

 マカオで台湾と日本の学校のバスケの試合を見る。何気なく、当たり前のようにテレビ放送をやっている。選手たちは一生懸命試合をしている。双方ともに見た目は同じアジア人。アジア人同士が一緒にスポーツを楽しんでいる風景だ。アジアは一つという感じがする。そういう時代になったのだと思う。昔はアジアだろうとそう簡単には外国に行くことはなかった。
 少年時代、英語の勉強を始めたころは、外国と言えば白人の住む地域を思い、英語は英国の言葉でアメリカ人も使う。正統派英語はイギリス人の話す英語で、米語は少し崩れているなどと教わったものだ。高校時代、学校経由の紹介で香港の少女と英語で文通をしたことがあった。当時は香港にたいする知識がほとんどなかった。英国統治領なので、ここでも英語なのだというくらい。相手はベッキーチャンという名前。そうかベッキーちゃんなのかと思って文通していた。英語なのでてっきり白人の少女を想像していたら、ある日送ってきた写真が、眼鏡をかけた丸顔、太めで小柄なアジア人だった。そのせいではないと思うが、そのうち文通は途絶えた。
 大学を卒業して就職した保険会社で、海外の人と付き合うようになってもほとんどが白人だった。相手は、ロンドン、スイス、ミュンヘン、サンフランシスコ、オースチン、ダラス、グリーンズボロー、シカゴ、ニューヨーク色々行った。アジアはわずかにタイ、インドネシア、香港、韓国、シンガポールに少しだけ。その頃、やっと香港を正しく認識したものの言葉はどこに行っても英語だった。最後に仕事で係わったのが中国。それから始まった中国語の学習だ。
 マカオにいると、何語で話してもいてもいいような気がする。街の案内図を見ていると、日本語もある。

 見ているのはどこの国の人かわからない。別の場所で同じような案内図を見ていると、後ろから「あれ、こんなところへ来ちゃった」と日本語が聞こえる。大学生らしい若者グループだった。
 庶民のお店に入ると、中年のおばさんがガンガン話しかけてくる。が、何を言っているか分からない。広東語なのだろう。こちらが普通語で応酬すると、誰か他に普通語の話せそうな店員に声をかけたりするが、本人は構わず話してくる。でも言ってることは分かる。シャツを買うなら大きさがあうか試着してみろということだ。私が手に持ったシャツのハンガーとボタンをはずしてくれる。どうせ言葉は通じないので、こちらも日本語で「そうか、じゃあ着てみよう」と言って「一点大(少し大きい)」と反応する。「不要(ブヨン)マ?」いらないのか?と顔を覗き込むので、少し大きいけど、いや相当大きいけど綿だし縮むかもしれないと思ってもう一つのTシャツと一緒に買ってしまう。値切るのを忘れた。元々バーゲン品でもあり安かった。マカオの買い物作法はどのようなものか知らないが、庶民的には中国人社会なのでやはり値切るのが正しい買い方だろう。
 街で道を尋ねる時は、なるべく若者に英語で聞くようにすると、たいてい教えてくれる。おばさん、おじさんたちは自分達のことばでガンガン来る。そういう人たちのたまり場は公園だ。その点中国と同じ。ただ土地柄で公園が狭いがこれは仕方が無い。

庶民、ほとんど高齢者の憩いの場所。

 二胡に合わせて、京劇の歌のようなのを唄うおばさん
 閑話休題。英語で海外とお付き合いを始めた頃と今との違い。時代は移り、アジアを広い一つの地域で見るようになった。簡単に言うと、どこに行っても中国人の影響がある。即ち中国人が住んでいる。香港、マカオはいまだにパスポートがいるものの中国である。台湾も政府が異なるが同じ中国。シンガポールシングリッシュなどと言う怪しい英語が話されるが、文化は中国。マレーシアもそう。マレー人もいるが中国人が多い。日本の中華料理屋にいる中国人にどこから来たのか尋ねると「マレーシア(馬来西亜)」と答えられてきょとんとしたことがあった。
 アジア地域は、長い歴史の中で中国の文化が広がりつつ、色々な国ができた。日本もその中の一つ。極東に位置して独特の文化が発達した。他地域に比べて強い文化でもあったため、列強の植民地になることなく独自に政治経済が発展をし、失敗もした。しかしこうして見るとアジアは一つ。インターネットで情報も即時に共有できるし、交通機関の発達で用事があればホイッと行くことができる。遣唐使の時代ではない。白人の国々やアフリカなどはさすがに遠い感じがするが、アジアは近い。「大東亜共栄圏」などと言う怪しい言葉があったが、漢字の意味的にはあり得る。
 尖閣列島の附近で、中国漁船の問題があったが、これなどは各国の間での政治的かけ引きの話だ。庶民の世界では今や一つの地域。かけ引きくらいはあってもいいが、戦争になることだけはいけない。どんな理由にしろ人々が殺しあってはいけない。同じ時代に地球上に命を受けた人間同士が殺しあうことに、正当な理由などはどこにもない。