映画(TV/VIDEO/LD/DVD)「性家族」「太陽」

48)「性家族」(DVD) ☆☆

1971年 日本 国映 パート・カラー スコープ 73分
監督/若松孝二    脚本/出口出足立正生 )     出演/香取環 林美樹 武藤洋子 宮下順子 市村譲二 矢島宏 今泉洋


49)「太陽」〔THE SUN〕(DVD) ☆☆☆★★★

2005年 ロシア・イタリア・フランス・スイス カラー ビスタ 115分
監督/アレクサンドル・ソクーロフ    脚本/ユーリ・アラボフ    出演/イッセー尾形 ロバート・ドーソン 佐野史郎 桃井かおり つじしんめい 田村泰二郎 ゲオルギイ・ピツケラウリ

 オフィシャル本を読むと、途端に再見したくなり観る。以下ネタバレ含む。
 初見時との間に本作の前作に当たる「ファザー、サン」を含む、未見だったソクーロフの作品を数本観たこともあり、また本作についての印象が異なったように思う。
  「エルミタージュ幻想」に続きハイビジョンカメラが使用されているが、それが本作にとって有効だったのかどうか。フィルム上映版は未だ観ていないので、フィルムレコーディングの具合がどうなのか不明だが、予告篇で観る限りは、今回観たPAL DVD版よりも具合が良さそうなので、また印象が変わる可能性が高い。デイシーンは良いのだが、防空壕内などの屋内やナイトシーンの暗部の階調が不満で、ビデオ的な生っぽさが強調されている感があり、フィルムの方が良かったのではないかと思えた。
 今回ハイビジョンを使用した明確な理由は知らないが、予算やCGの使用との兼ね合いもあったのではないかと思う。
 「ファザー、サン」のあの柔かな美しさに満ちた秀作を見終えて本作に接すると、やはり日本語での日本の著名な役者が登場するせいもあるのだろうが、佐野史郎の侍従に顕著だが、説明過多に思えてしまう。演技もわかりやすい。一方で、イッセー尾形は、これまでのソクーロフの作品に登場していたとしても違和感がない。軍服を脱ぎ、椅子にかける仕草や、椅子から立ち上がる動作、背もたれに手を当てて椅子に腰掛ける動きに、既視感が漂う。
 開巻は、侍従が盆を持って食事を運ぶところから始まる。椅子に腰掛けたイッセー尾形演じる男は、パンとハムを食す。ここでの一連の食事シーンで気になるのがカット繋ぎが全てOLになっていることで、かなりの違和感を持つ。カットの繋がりにバランスの悪い箇所もある。オフィシャル本によると、このシークエンスは膨大な長さがあるらしく、編集で強引に切っているので繋がらないからOLを使用しているのではないか、ということだったが、それで納得できた。食事後に男は、机上の灯りを点け消しして、侍従に点いたねと言い笑みを浮かべる。灯りを点けたり消したりという行為は、終盤近くでのマッカーサーとの食事シーンで燭台の火を消していくシーンへと繋がっていく。
 男は、常時口をモゴモゴさせる特徴を持つ。これは自分の記憶の中の男の最も象徴的な特徴で、これをイッセー尾形が見事に習得していることに驚かされるが、かつて、あれは226青年将校と会話をしているのだとかいうトンデモ説を耳にして笑ったことがあったが、このそう珍しいわけでもないチックで、一種の異物感を外見から持たせることにイッセー尾形は成功している。
 この作品には、何度か男からの主観ショットがある。侍従が男のボタンをかける様子を見詰める男の主観や、米軍に連れられてマッカーサーに会いに行く際の車の後部座席から前方座席を見詰める男の主観などがそれに当たるが、何故ここに主観の画が入るのか。主観の画が、近景を映した場合の画面のせせこましさや繋がりの違和感から「ラブ&ポップ」の様な主観映像が大半を占める作品を除いて自分は基本的に嫌いなのだが、この作品の主観ショットにも同様の違和感を抱きつつ、妙な魅力を感じた。これは何なのか。又、あの悪夢的美しさに満ちた空襲シーンは、男の夢であることから、男の主観であると考えても良い。
 あの空襲シーンを美しいなどということは歴史認識の無知さを晒しているようだが、歴史を忘れて「太陽」に接しなければ、「太陽」足立正生言うところの『歴史的認識の中で天皇を描かなければどうするんだ!』ということになる。
 空襲シーンはフルCGで描かれているが、日本人が作ると無意識下において幼少時から見ている空襲映像、つまりは米軍がB29から撮影した俯瞰映像の呪縛から逃れることができていないことが多い。どこかで観た映像の再現に終止してしまう。その点、本作の空襲シーンの凄さは、ナマズ(?)が爆弾となり、又戦火の空を飛ぶといったイメージの素晴らしさに感動する。殊に横移動で戦火を捉えたショットなど、「ハウルの動く城」の空襲シーンとほぼ同じショットもあり、悪夢的美しさに満ちていた。
 男は言う。『誰も私を愛していない』。
 防空壕内の地下通路を歩く男の姿を捉えたショットが幾つもある。これが素晴らしい。
 御前会議での呆然とした男の表情、右手を机の上でモゾモゾと動かす様子を捉えた寄りのインサート、海洋生物研究中に瓶を持って『何と言う美しさ』と呟く男のアップ、居眠りする男をパンパンと手を叩き起こして大東亜戦争の起源を語り始める男など、魅力溢れる箇所に満ちている。
 手をパンパンと叩く仕草は、この後米軍からプレゼントされるチョコレートの件で、パンパンと手を叩き『チョコレートおしまい!』と場を収束させる際にも実にユーモラスに使用されているが、侍従のオデコをパンと叩く際も同様に、男の手がパンという音を立てる際には、何とも言えない笑いが生まれる。
 男はアルバムを見ている。家族の写真だ。妻の写真に唇を重ねる。更にハリウッドスターのアルバムを取り出す。そこにはチャップリンの姿もある。
 いつの間にか戦後の米軍統治下になっている。ここで初めて男は外へ出る。外光の下に立つ男の姿を観客は初めて目にする。
 マッカーサーと対面する際にドアを開けて入ってくる男の声は、本作中で最も本物と酷似しており、公の席での男の声をこちらが覚えこんでいるせいか。この席での男の髪型や表情は、マギー司郎ヘイポーにも似ている。
 前述したチョコレートのシークエンスは、本作随一の楽しさに満ちていて、ここから本作のユーモラスな雰囲気が明確に出てくる。殊にチョコレートを調べる侍従を、じっと見詰めるイッセー尾形が口をモゴモゴさせている表情を捉えたアップは笑わずにはいられない。そしてあの『チョコレートおしまい!』で爆笑となる。
 続く学者を招いて語るあうシーンでの、どこに座るかで一騒動起きるのも、米兵からチャーリーと呼ばれたことへ呼応として、イッセー尾形チャップリンへ果敢にスクリーン上で挑んだ素晴らしいシークエンスだった。この席で、男は祖父である明治天皇大正天皇に伝え、更に伝え聞いた皇居の上で極光を見たハナシをする。歴史上にはない全くのフィクションだが、見終わってもいつまでも記憶から離れない。男はこのハナシが、『何故か自分を不安にさせる』と語る。皇居上空のオーロラが映像として本作に登場することはないが、忘れ難い印象をもたらす。
 マッカーサーに食事に招待されたシークエンスでは、煙草の火を貰う際の二人の顔が接近するのが印象的で、顔の接近は、終盤の妻との対面においても同様で、妻の胸に顔を埋め、童心に返ったように男が人間宣言を成し遂げたことを嬉しそうに伝える際の顔の接近共々忘れ難い。
 大広間で待っている子供達に会いに行くべく手を繋ぐ二人の軽やかな身振りと、フト思い出したように侍従に尋ねた玉音放送の録音に携わった男の自決を聞いた際の妻である桃井かおりイッセー尾形を見詰める視線の素晴らしさ。
 玉音放送が遠くに聞こえながら、東京の遠景を俯瞰で捉えたフルCGによる雲に遮られて太陽が隠れているエンドロールのショットに至るまで美しかった。