アジアあるいは義侠について15:殿様貴族

 なんだか、なかなかアジアにもどれなくなってしまいました。何とか戻らないといけません。
 倒幕に反対だった孝明天皇を毒殺したとか明治天皇をすり替えたとかは、少なくとも今のところフェイク扱いですが、偽勅を作ったというのは本当の話で、つまり真っ赤な天皇詐欺ですね。そんなものに引っかかる方もひっかかる方ですが、ともかく尊王とかいっても、薩長志士らにとっては、天皇は利用できる「玉」にしか過ぎません。そうなのですが、その玉を利用して、自分たちの権力を「正当化」してしまう。というか、それしかないわけです。
 中学生なら、貴族政権の時代は大昔の古代で、中世近世は武士政権の時代、などと教わるでしょう多分。で、明治維新はというと、四民平等、人の上に人なく下にも人なし、の時代の到来。というのも真っ赤な偽で、明治政府はわざわざ「貴族」を作り直します。ミソは、自分たちを貴族にすることで、薩摩の殿様、長州の殿様は格の高い公家と共に公爵様となり、大久保は死んでいますが代わりに息子が土佐の殿様らと並んで侯爵様、伊藤や西郷の弟も公家や殿様と並んで伯爵様。殿様藩主を藩知事、県知事にしたり、公家と武士の親玉をわざわざ貴族にしたり、関西人なら「どこが革命やねん、大昔への後戻りやないか」といい、関東人も「なんだ結句公武合体じゃねえか」といいたくなるでしょうが、自ら「復古」というのですから処置なしです。そういえば、髷は切り刀は廃し秩禄処分もありましたが、「士族」つまり武士身分は、戦後しばらくまで戸籍に記載され続けたことをご存知でしょうか。
 「第二革命」とか「反革命」とかいいますが、陸蒸気は走ってもガス灯が灯っても、政権のあり方でいう限りは、天皇がいて公家がいて貴族がいて武士がいる。こんなところから、どこへ進むのかどこへ戻るのか、さっぱり分かりません。
 いやそれはちょっと言い過ぎましたか。
 けれども、例えば西郷にしても(もちろん他の薩長公家政権の連中でもおなじですが)、彼の「意図」は征服侵略論にあったのか、それとも武力抑止連帯にあったのか、といったことが何故問題になるのでしょうか。幼稚ないいかたで恐縮ですが、数年前までは薩摩の下級藩士であった西郷某という男は、何の権利、何の根拠があって、明治6年のいま、例えば神田明神下の鳶の親方や船場の呉服屋の手代やあるいは陸奥盛岡の水呑み百姓らとは違って、「おいどんは」韓国を征服するとかしないとか、そんな重大極まりないことを決める権限をもっている、と思っていたのでしょうか。それはもちろん、「おいどん」は参議で大将で政権の留守番役でごわすからであり、つまり「おいどん」の権限は、天孫公家のバックアップを受けているという、ただその一点にかかっているわけです。
 もしも、天皇から大政を預かっていた将軍や大老らが辞任し、「同じく」天皇から任命された西郷参議らが、今は重要政策の決定権をもっているというその「違い」を、「革命」的転換と呼ぶとするなら(まあ、そう呼んでも商標登録違反ではないわけで)、その事態を、さらに「第二革命」へと前進させるとはどういうことになるのでしょうか。
 韓国をどうするかこうするかといったこと以前に、少なくともそれと並んで、西郷は、士族である自分が手にした重要な権限の根拠について自問することがあったかどうか。私は、その辺のことは全く知りません。