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神田明神

一般

神田明神

かんだみょうじん
御神徳
 ご祭神は、家庭円満、縁結び、商売繁盛、事業繁栄の守護神として大変親しまれており、特に縁結びとは、男女の仲を結ぶことだけでなく、すべてのものが幸福であるようにと、互いの発展のための繋がりが結ばれることです。 境内には、日本一大きな石造りの大国様がいらっしゃり、大手町の将門さまの塚はお詣りの人出が絶えません。

ご祭神
 神田明神には三柱の神様がお祀りされています。

 一ノ宮は「大己貴命(オオナムチノミコト)」様

大己貴命は大国主命ともいわれ「だいこく様」と親しまれ、国土経営・夫婦和合・縁結びの神様としてのご神徳があります。

 二ノ宮は「少彦名命(スクナヒコナノミコト)」様

当社では「えびす様」として、商売繁昌・医薬健康・開運招福の神様として親しまれています。

 ※少彦名命は関東北部海岸地方では海より来訪される神「えびす様」としての信仰が古くから伝わっています。

だいこく・えびすの両神は縁起のよい七福神の代表としても知られています。

 三ノ宮は「平将門命(タイラノマサカドノミコト)」様

平安時代末に活躍した武将で、関東の英雄として知られる平将門公を三ノ宮としてお祭りしています。「弱きを助け、強きを挫く」神様として、また江戸東京守護神としても多くの方々より崇敬されています。

神田明神の由緒
 社伝によると天平2年(730)創建とあり、すでに1,270年以上の長い歴史を有する神社として知られています。創建時は皇居の辺り、現在の千代田区大手町(武蔵国豊島郡江戸芝崎)にありました。やがて天慶の乱(939〜940)に敗れた平将門公の首が付近に葬られると天変地異の怪異が続き、付近の住民は窮していました。それを知った時宗の真教上人が将門公の祟りを鎮め、延慶2年(1309)には将門公を祭神として合祀しました。

 時移り徳川家康江戸幕府を開くと、将門公を深く尊崇して当社に神領を寄進しました。幕府発展による江戸の大規模な造成のため、元和2年(1616)には江戸城の表鬼門にあたる現在地(千代田区外神田)に移転し、江戸鎮守に相応しい壮麗な桃山風の社殿が幕府により築かれました。

そして神田祭は天下一の祭礼としての意味をこめ、天下祭(御用祭)とも呼びならわされ江戸市中を挙げての祭礼として盛大に執り行われました。

 当時は、華麗な山車が延々と36台以上も続いて江戸城に入り、将軍をはじめ大奥の女性に至るまでが上覧し、贅を尽くした祭礼は二年に一度の風物詩として、数多くの錦絵や祭礼番附に美しく描かれ、それが飛ぶ様に売れたといわれています。

明治を迎えると東京府社・準勅祭社に定められ、明治7年には明治天皇の御親拝があり東京を代表する神社として厚く敬われてまいりました。

 しかし大正15年の関東大震災により社殿はじめ社宝等を失いましたが、氏子崇敬者の尽力によって昭和9年当時としては画期的な鉄骨鉄筋コンクリート造り総漆朱塗り権現造の現在見ることのできる社殿が造営されました。

 また平成7年より始まった御造替事業により社殿他建物全てが美しく塗り替えられ、江戸鎮守としての面目を一新しました。