レース(ペース)戦略の解体と再構築(その1)

moriyasu11232013-10-25

横田真人選手が、小野友誠氏の持っていた男子800mの日本記録を15年ぶりに更新(1分46秒16)してからおおよそ4年の歳月が過ぎた。
更新の前後から今日に至るまで、日本10傑の平均記録やジュニアのレベルは着実に上がっているが、日本記録の更新は4年間おあずけになっている。
そこで、3年前の月刊陸上競技5月号に掲載された「(陸上競技のサイエンス)中距離走における予習トレーニング 〜Kosmin Test(コスミンテスト)の活用〜」と、コーチング・クリニック6月号に掲載された「(特別報告)陸上競技・中距離におけるコスミンテストの可能性」というインタビュー記事を抱き合わせて、今一度「コスミンテスト」をネタに中距離走のトレーニングについて考えてみようというのが本稿の趣旨である。

2009年10月18日、日本体育大学最終フィールド競技会の男子800mにおいて、横田真人選手(富士通)が15年ぶりに日本記録を更新した。また、2位の口野武史選手(富士通)も1分46秒71と、ベルリン世界陸上参加標準B記録(1分46秒60)に迫るパフォーマンスをみせた。
これら記録更新は、もちろん選手達の日々のたゆまぬ努力のたまものであるが、日本陸連中距離ブロックに関わる強化委員と科学委員の連携によるサポートの貢献も少なからずあるといってよいだろう。(…)
科学委員会が行ったレース分析結果によると、日本の800m選手の多くは、世界レベルの選手に比べて200m〜500mあたりの速度低下が顕著であることが示唆されている。これはシニアの大会のみならず、インカレ、インターハイほか多くのレースにみられる共通の特徴であることから、選手の特徴というよりも国内レースの特徴であるということができる。
このようなレースパターンは、「勝負」や「失敗回避」を優先したペース配分であるともいえるが、あくまでも「記録」を競う競技であること、そして心理的および技術的な影響をも考え合わせれば、そのようなレースを繰り返すことによる「負の学習効果」も看過できない。
かねてから選手および強化&科学スタッフの間では、上記のような問題についての共通理解および危機感が共有されていたが、このような「理論的な予習」をいかに「実践的な予習」へと展開していくかが大きな課題となっていた。
そこで中距離ブロックでは、年間数回にわたるペースメーカーをつけたハイペースレースの実施や、春季強化合宿におけるフィールドテスト(コスミンテスト)の導入など、ハイレベルなレースパターンの実践的な「予習の場」を設定することを試みた。
(拙稿「(陸上競技のサイエンス)中距離走における予習トレーニング 〜Kosmin Test(コスミンテスト)の活用〜」月刊陸上競技2010年5月号より抜粋)

コスミンテストは、旧ソ連スポーツ科学者コスミン氏が作成した中距離走(800mおよび1500m走)のパフォーマンステストである。
このテストは、800mであれば1分間走を2本(インターバルは3分)、1500mであれば1分間走を4本(インターバルは1本目と2本目の間が3分で、その後2分、1分)行い、その積算距離から記録を推定するというものである。

<推定式(男子)>
800m推定記録(秒) = 217.4 - (総走行距離 × 0.119)
1500m推定記録(秒) = 500.3 - (総走行距離 × 0.162)
※計算するのが面倒くさい方はコチラ

上記の推定式は、300名を超える多様なレベルのアスリートのレース記録とテスト結果との関係から導き出されている(らしい)。

このテストは、私が知る限り、日本ではそれほど一般的に行われていなかったと思います。私がテストの存在を知ったのも数年前で、日本陸連の中距離部で導入したのは2009年、強化指定選手が集まる強化合宿で実施したのが始まりでした。
陸上競技の場合、試合期前の春季合宿などでは個人のコンディションに応じてトレーニングや調整を行うことが多いのですが、集まるからには合宿に来ないとできないような取り組みを実施する必要があると考えていました。その1つとして、国立スポーツ科学センター(JISS)での測定や研修がありますが、さらに選手たちに共通の課題を扱うようなトレーニングやテスト内容なども検討課題となっていました。
JISSの測定では、いわゆるラボテストとして最大酸素摂取量や乳酸閾値、Maximal Anaerobic Running Test(MART)なども行っていましたが、中距離走のフィールドテストができないかという話になり、このコスミンテストが候補に挙がったのです。
(拙稿「(特別報告)陸上競技・中距離におけるコスミンテストの可能性」コーチング・クリニック2010年6月号より抜粋)

コスミンテストを実施するにあたっては、選手に対して「(2本または4本の)総走行距離が最大になるようにペース配分を考えて走ること」「走行中の主観的な努力感を大切にすること」という留意点を伝えるとともに、「一人ずつ走る」「ラップタイムはよまない」という方法を用いるのが通例である。

1人ずつ行うので時間はかかりますが、スタッフやライバルの選手達が見つめるなかで走るという緊張感もあり、単にテストというだけでなく、いろいろな面でのトレーニングになっていると感じます。また、陸連の科学サポートではレース中のピッチとストライドの分析も行っておりますが、このテストの際にはそれらの分析に加えて、血中乳酸測定なども行っています。
体力的・精神的負荷はかなり高くなるので、選手からは「きつい」という声が上がりますが、回数を重ねるにつれて、選手たちも過去の経験やそのときのコンディションを考えながら、ペース配分を調整するようになっていきます。その前提として、テストに向けて相応の準備をしてくるという流れができつつあります。(…)
もうひとつの大きな特徴は、ラップタイムを読み上げないということです。さすがに突然ストップさせると危険なので最後の10秒だけは読み上げますが、選手は客観的な情報なしに自分の感覚だけで走ることになります。
このテストを導入した理由として、選手同士で競走したり、実際のレース距離を通しで走るわけではないので、テスト結果が思わしくなかったとしても、選手もさほど落ちこまないだろうということもありました。もちろんテスト結果が良いに越したことはありませんが、われわれはこの時期の結果の良し悪しには、それほどこだわりはありません。テストの結果と今の自分の状態や感覚などとを付け合わせる「場」として活用していきたいという狙いがあるのです。
(拙稿「(特別報告)陸上競技・中距離におけるコスミンテストの可能性」コーチング・クリニック2010年6月号より抜粋)

記録の向上に向けたペース配分およびトレーニング課題の設定は、個々の選手の特性や考え方によっても異なるだろう。
しかしながら、このようなテストにおいて自分の感覚(努力感やスピード感)のみを頼りに走り、事後的に通過タイムや走行距離を確認することにより、あらかじめ練ったペース配分と結果との「ズレ」が何に起因するのかについて、効果的に振り返ることが可能になると考えられる。

身体制御のイメージとして、オープンタイプとクローズドタイプのループがあると考えられます。
例えば、ラボテストはあらかじめ決められた速度でトレッドミル走を行うので、自分でペースを作る必要がなく、これ以上は走れないというオールアウト時点が終了となり、それがパフォーマンス評価にもなります。終わりが決められていないという意味で、オープンループといえるでしょう。また、実際のレースは、あらかじめ距離が決められているので、その距離をいかに速く走りきるかという調整が必要となります。ループとしてはクローズドタイプといえます。
一方で、コスミンテストは、走行時間は決められていますが、自分の努力感の調整によって走行距離は任意に変化するという意味で、ループとしては、“半オープン・半クローズド(セミクローズド?)”のようなイメージになるでしょうか。そのなかで選手個々に様々なフィードバックがかかりながら、ペース戦略を練っていく。現在身についているものを壊して、より高いレベルにもっていくきっかけづくりの「場」になるのではないかというのも、このテストの狙いの1つといえます。(…)自分のペース感覚を“安定させる”というよりは、“壊していく”方向性にあるテストだという気がしています。
(拙稿「(特別報告)陸上競技・中距離におけるコスミンテストの可能性」コーチング・クリニック2010年6月号より抜粋)

「ペース(配分)戦略」とは、時々刻々の疲労情報からゴールを予測し、その予測をもとに時々刻々の努力感を調節する「身体制御システム」のことを指す。
このシステムの「安定」は、すなわちパフォーマンスの「安定」を意味するが、パフォーマンスを「向上」させるためには、当然システムの「解体」と「再構築」が必要となる。

選手は、1本目と2本目でそれぞれ「大体このくらいの距離を走りたい」という目標を決めてはいると思いますが、その距離を達成するために走るというよりは、自分の努力感をモニタリングしながら走った結果が目標に近づくというのが理想的です。その結果、あらかじめ定めた目標どおりの走りができたのか、できなかったのか。できなかったとすれば、何が足りなかったのかを振り返ることが重要だと考えています。
例えば、最初の1分間走で470mという目標を決めて、その距離のために1分間で走りを調整しようとすると、結局のところ、前述のループでいえばクローズドタイプに近いものになってしまいます。その意味でも、ラップタイムは読まないようにしているのです。
テストを実施したときの選手の感覚についていえば、一般的には1本目にハイペースで突っ込むと2本目以降は走れないケースがほとんどです。ただし、突っ込んだわりには2本目も結構走れたというケースや、逆に1本目を抑え気味にいったけれど2本目が思ったほど走れなかったというケースもあります。いずれにせよ、選手は「次はどうしようか」と考えざるを得なくなるでしょうし、そこにこのテストの意義があると考えています。
日本の中長距離トレーニングでは、こまめにラップタイム読みながら進められるケースが多いといえます。日頃のトレーニングでも、選手がしょっちゅう時計を見ている場面に遭遇することもあります。そういう練習を続けていると、安定して走れるようにはなるかも知れませんが、設定ペースでの動きのステレオタイプ化が生じてしまい、いつの間にかそのペースや動きから抜け出せなくなってしまうリスクも見過ごせないと考えます。また、普段からラップタイムばかり気にして走っていると、実際のレースが速いペースで進んだときにタイムが耳に入って「速すぎる」と思ってしまい、瞬間的に脳が身体にブレーキをかけてしまうような状態に陥ることもあると思います。
一方で、「努力感」でペースをコントロールしていれば、通常より速いペースでレースが進んでも「この感覚だったら、ついていっても大丈夫」と感じられてブレーキをかけずに済むこともあるでしょう。
(拙稿「(特別報告)陸上競技・中距離におけるコスミンテストの可能性」コーチング・クリニック2010年6月号より抜粋)

苦しさや疲労感といった主観的な情報と走速度との関係によってつくられた脳のプログラムは、常に「安定」や「快適」を求める身体制御システムとの相互関係によって構築されている。
したがって、このプログラムの書き換え作業は、システム全体の解体および再構築を視野に入れながら、戦略的かつ体系的に行われる必要がある。

ラボテストで用いられるトレッドミル走では機械が動くままに身体を動かせばいので、細かいことを考えずに「楽をして走るにはどうしたらいいか」を実践すればいいでしょう。また、実際のレースはさまざまな駆け引きがあるので、時々刻々と感覚的な部分で受け取ることは変わってきます。このテストは、両者の間をつなぐようなものにもなるのではないかと感じています。
また、トレーニングでの集団走や、あらかじめタイム設定されたペース走などでは、誰かについていったり、タイムを聞いたりしながら走りを調整することができます。コスミンテストでは、自分のスピード感や努力感、「走れていそうな気がする」とか「これは速そうだ(遅そうだ)」などといった、まさに主観的な情報のみを参照しながらペースの調整を行いますが、集団走やペース走で同じ機械的負荷をかけるよりも心理的、感覚的な面も含めた質の高い負荷がかかっていると感じています。
(拙稿「(特別報告)陸上競技・中距離におけるコスミンテストの可能性」コーチング・クリニック2010年6月号より抜粋)

横田選手は、日本記録を更新したレースの3日前に、レースペース感覚での500m走(400mを51.3秒通過の64.5秒)を実施しているが、そのときの疲労感はRPEにして「9(かなり楽である)」程度であり、実際にテストを行っていれば935m(1分46秒0相当)くらいは走れただろうと回顧している。
これなどもテストの経験があればこその振り返りといえるだろう。
というわけでつづく。m(__)m