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2016-05-24 長い旅

宮崎国際音楽祭から戻り翌日から2日間大学に行きその足で京都へ。

その京都から戻ってまた大学に3日間。

宮崎での2週間、そして京都での1週間。

ありがたい事にその間に沢山の刺激を貰い早速今週の大学でのレッスンの糧になっている。

個人個人のレベルアップと言うのは、年齢を重ねれば重ねるほど大変な事だ。

そんな簡単にレベルアップなんて出来ない。

でも少なくとも1年というスパンで1つの事を追えば、何かを得られる。

それをしない限り落ちて行く一方だしもう戻れない。そんな年齢なんだよね。

だから人の演奏を聴く、自分のオーケストラを聴く、様々なオーケストラを聴くというインプットはもちろんの事、

毎年、毎月、毎週、そして毎日、何かのテーマを持って日々考えて生きていないと、簡単に衰退して落ちていく。

そんな事わかり切った事だけど、それを続ける事は本当に難しいし、忍耐のいる事だ。

宮崎では僕の尊敬する先人である上村昇さんや原田禎夫さんの生活を目の当たりにして、やっぱり自分の足りない事を沢山気付かされるし、音楽監督の徳永二男さんを始め、60歳代でまだ全然へこたれた様子も見せず、全く心身共にエネルギーに満ちた先生方姿は僕を本当に僕を奮い立たせてくれる。

そしてズッカーマンの演奏。

これには参った。

去年も一昨年も彼の演奏は聴いて驚愕したし(当然今年も凄いんだろうな)という僕の想定を超える演奏を見せつけられる。

これは一体どういう事か?

先人に聞いても「わからない」と言う。

あんなブルッフのコンチェルトはもう聴けないだろうなと思う。

でもその音を求めて、その音楽を求めて再び楽譜や楽器に向き合える事の幸せを感じている。

その向き合えている自分がないと、生徒さんに教える事なんて出来ない。

毎年、背中が少し見えたと思って、少しは近づいたのかな?と思ったら差は開いていたと言う僕から見た先人達の様に、生徒さんからもそう見えないと教師なんて勤まらないんだろうなと思う。

レベルアップという言葉を簡単に使う人は、レベルアップする事の大変さを知らない人だ。

1年、3年、そして5年経ってようやく少し自分の身体に浸透出来たら御の字だ。

その辛抱に耐えられる人が才能がある人なんだと本当に思う。



この3週間に及ぶ旅の間、そんな事を確信した。

明日明後日とまた大学に行き、そして自分のオーケストラの仕事だ。

何かをオーケストラにも還元出来たらと願っている。

今年も宮崎では多くの演奏家の方やスタッフ、そして僕が好きで通わせて頂いたお店のマスターやスタッフの方にはお世話になった。ブログという場でのお礼など、失礼かとも思うけれど、心から感謝申し上げたい。

ありがとうございました。

2016-05-02 第21回宮崎国際音楽祭

明日から宮崎国際音楽祭。

初めて参加させてもらったのは2003年ぐらいからかなぁ?

しかも一度行くと2週間から長いと20日近く滞在する。

足すともう宮崎に1年ぐらい住んだと同じ事になる。


参加メンバーは各々自分のお気に入りのお店があるし、僕もお世話になるお店がほぼ決まっている。

またそんなお店のマスターやご主人達にお会い出来る事が本当に楽しみでならない。

本当に毎年お世話になりっぱなしなんだよなぁ。

今年もよろしくお願い致します。


多くの国際的なソリストや音楽家を目の当たりにする事や、またこの音楽祭に参加しているチェロの大先輩達との生活が僕には本当に貴重な時間。

そこでショックを受けたり、感動したり、少しでもそれを自分の物にしたいと思う訳だけど、そんな簡単じゃないんだなぁ。


数年前にピンカス・ズッカーマンのリサイタルやコンチェルトに衝撃を受けて茫然自失となり、そのズッカーマンと親交の深い原田禎夫さんにその秘密を教えてくれと迫った事がある。

禎夫さんは

「俺、昔から彼の事よく知ってるけど、最近の彼は凄い所に行っちゃったんだよな。本当にすげえよ」

との答えが。

世界の第一線で活躍している人が進化のスピードをあげている事にも衝撃だった。


また今年もどんなショックを受けるのか。

でも届く事が出来そうにない目標を毎年目の前に突きつけられる事は、本当に喜ばしい事だ。

今年もタリーズで珈琲を飲みながら本を読む時間があるかな?

好きな時間なんだよね。


まずは中心部のMUJIでサンダルを買う事から始まる気がするけど。

明日の昼からラフマニノフのコンサートのリハーサルが始まる。

2016-05-01 4月が終わった

以前はチェロを教えると言う事に凄く躊躇していた。

あまりに自分の中で完結していたり、多くの人から学んだ事や教えて頂いた事を自分の中で組み合わせ過ぎていて、独善的でありすぎると自分を考えていたと言う事もあるけれど、芸大で生徒さんを教えてくれないかと言って頂いた時、実は断りの電話を入れた。

室内楽は今までもいろんな形でやってきたとは言え、特定のカルテットやピアノトリオをやっていなかったと言うのに「室内楽は教えたい、伝えたい」と生意気にも思っていた。

でもチェロはかなり躊躇していたのは事実。

その生徒さんに対しての責任に耐えうる自信もなかったのも当然ある。

でも当時誘って頂いた先生に電話で多くの話をして頂き、引き受けさせて頂く事にした。

それから月日も経ち、今年からは4つの大学で非常勤として教えている。

と言っても全部合わせて生徒さんの数は9人。

多いのか少ないのかはわからない。

今でもレッスンが終わった後にこの進め方で間違ってないのか?と凄く心配になる。

自分の思った事を言えば良いと到底思えない。

生徒さん達とは背の高さも体重も腕の長さや太さ、骨の太さ指の長さや特徴、もちろん男女の違い等々、同じ部分はまるでない。

各々の生徒さんに対して言う事が違って当然だし、それを辛抱強く言い続けられるのか、それとも途中で軌道修正をした方が良いのか、いろんな事を考えるととてもじゃないけど身体が持たない。

それだけに集中したいという想いもあるけれど、継続的にオーケストラの仕事にも追われ、それ以外の演奏会の事も考えると、本当に1日24時間では足りない。

今年から生徒さんがの数もぐっと増えて9人になった為もあるし、初めての学校も2つあり、身体もさることながら精神的にも辛い一ヶ月だった。

今、その4月をずっと思い返しながら今後の策を練っている。

生徒さん達はみんな真面目でみんな頑張ってる。

少しでも彼らの為になる事が言えたらいいなと思う。

チェロが上達する事もさることながら、卒業した後、独りになっても自分で勉強出来る術を身につけてもらえたらと願っている。

明後日からは恒例の宮崎国際音楽祭だ。ここで上村昇さんや原田禎夫さんに「教える事」についてまた教えてもらおうと企んでいる。

2016-04-13 田園

1993年頃だったと記憶しているけれど、ウィーンの楽友協会でウィーン・フィルの定期だったか特別演奏会だったか記憶は曖昧だけど、バレンボイムの指揮とピアノでベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番と交響曲第6番「田園」をステージの上にある席で聴いた。

その時僕はまだ20代で最初に就職したオーケストラに所属はしていたものの、オーケストラの素晴らしさや尊さなどまだ知らずにいた。

でもその「田園」を聴いて、あまりにも感動してその日が僕のオーケストラ人生のスタートになったと未だに思える程の素晴らしい忘れられない演奏だった。

それから25年ほどの歳月が流れ、僕なりに様々なオーケストラでの悩みや試行錯誤、喜びや感動も少なからず味わってきたけれど、先日「トヨタ・マスターズ・プレイヤーズ・ウィーン」というウィーンフィルを核とした小編成の奏でる「田園」を聴いて、再びあの日の田園を思い出し、またショックを受けた。


始まった瞬間から「田園って、これだよ。この響きだよ」と思った。

田園は本当に難しい曲とされているし、その事にはどのオーケストラの人間も異論はないと思う。

この響きを僕は25年前に体全体で受け、それを目指して今までやってきたつもりだ。

そしてああやってあの時の音楽や響きが伝えられてきているウィーンフィルの素晴らしさにただただ脱帽するだけだった。

僕は25年もの間、何をしてきたんだろう。

何か役に立つ事が1つでも出来たんだろうか?と考えると寂しい気分になったし、こういうオーケストラになって行くにはあと何十年、いや百年単位の時間がかかるんだろうか?と思うと僕は暗澹たる気分になった。

神奈川フィルに入って来た若い人達には何はともあれ「外を見て欲しい」「世界を聴いて欲しい」と思う。

もちろん日本のオーケストラも素晴らしいオーケストラは沢山ある。

でもファーストバイオリン5人、チェロ3人、コントラバス2人であの響が出せるという事はどういう事か、それを探求して欲しいし知って欲しい、そしてあのレベルを目指して欲しい。

僕にはそれを実現出来る様な力も蓄えもなかった。

頑張って来た自負はあっても、出来なかったんだから仕方ない。僕より素晴らしい若手の人達には是非人生守りに入らず、上を見て欲しい。そして上を目指し続けて欲しい。


25年前に田園を聴いて日本に戻ってきた直後、「田園」のコンサートがあり、当時の同僚であったファゴットの岡本くんと、最終楽章のチェロをファゴットのユニゾンの所を散々二人で色んな意見をぶつけながら勉強しながら音を出した日々が思い出される。


来週、神奈川フィルでも「田園」を演奏する。

すっかり自信を失った僕だけど、それは何の為かもわからないけど、もう一度あの響にチャレンジしたいとも思っている。

これで終わってしまっては悔やむに悔やみきれない。

2016-04-03 池松合宿

N響からニュージーランド響を経て現在都響という少し面白い経歴を持つコントラバス奏者の池松くんが毎年のように主催している合宿に参加して来た。

コントラバスの合宿に何故?と思われる方もいると思うので簡単に説明したいと思う。

この合宿はコントラバスのオーケストラでの弾き方の全てを学ぶもので、バイオリン2本、ビオラ、そしてチェロの弦楽四重奏がオーケストラの曲を演奏し、その弦楽四重奏と共にコントラバスの合宿参加者がコントラバスのオーケストラのパートを演奏する。

それを池松くんが音色からタイミング、音の質、音程、弾き方まで全てに渡って指導するというもの。

もちろんカルテットのメンバーはみんなプロのオーケストラで働いている人間なので、そのカルテットのメンバーからの助言もあり、こう弾いてくれると僕らは上手く行く、という様な事を言いながら進めていくという合宿。

それをかなり前から彼はやっていて、以前にも行った事があったけど、最近はなかなか予定が合わずに僕は久しぶりの参加となった。

コントラバスの生徒さんは途中で帰ったり途中から参加したりと入れ替わりもあるけれど、15人ほど参加してたと思う。

参加してた生徒さん達は大学生、卒業してフリーで働く奏者からプロのオーケストラで働く奏者まで様々なコントラバス奏者が集まる。これは毎回の事だ。

勉強する曲は例えば、チャイコフスキーの弦楽セレナードやロココバリエーションの第3バリエーションのコントラバスがずっとピチカートをする所、ドボルザークの新世界や弦楽セレナード、ブルックナーの7番、ダフニスとクロエ、ブラームスの3番やピアノコンチェルトの2番、ベートーベンの4番等々、一体何曲やった事か。

参加してるバス弾き達は自分が出来ない事、わからない事を次々と質問してどんどん本質に迫って行く。

その都度池松くんが助言したり教えたり弾いたり、カルテットのメンバーが想い想いの意見を言う。

とは言え、僕も当たり前と思ってた事と違う事を弾くバス弾きがいると、それが間違っているとは思わない。

そういう考え方もあるのかと逆に教えられる。

どちらにとってもハッピーな合宿なんだ。

全てが終わり、カルテットのメンバーから一言ずつ感想を言った。

参加者全員へのエールはもちろんの事、4人から出たのは感謝の言葉だった。


最後に池松くんが感想を言った。

「このひろやすも、俺も学生時代ホントにダメ人間だった。音楽的な基礎なんか全くなかったし、本当にどうしようもない楽器弾きだった。だから俺もひろやすもプライドがない。とにかく「なんであいつあんな音が出せるんだ?」「なんでこんなに弾けるんだ?」っていつも探してた。上手くなる方法をね。俺は今が一番上手いと思ってる。70歳になったら70歳の時が一番上手く弾けると信じてる。それは俺もひろやすもホントにダメだったから、あとは上に行くだけなんだ。だから今でも上手くなれると信じてる。君たちは俺やこいつの学生時代のレベルをとっくに超えてる。合宿ではその弾き方は良い悪いと言ったけど、俺より良い部分を必ずこの全員が持ってる。だから良いバス弾きになれ」

感動したよ。

池松とは大学が閉まる夜10時30分の15分前から毎日ロッシーニのチェロとコントラバスの二重奏曲を一回必ず合わせてから学校を出るという生活を半年以上続けた。

そんな若き日の自分と池松の姿と、今回の合宿の参加者とをダブらせて今格闘してる彼らを羨ましく思った。無我夢中な人間は本当に美しい。そして尊い。

それを思い出せてくれて、これからの10年、20年先をまた目指そうと思った。



ありがとう、池松。