幼い少女が

空が写りこんできれいです

 何故こんなにも惨い犠牲がと、息を呑んだ。7歳までは神の内という言葉があるように子供は細心の注意と24時間365日休まず見守り、育んで来た親の愛情があってやっとこの年齢まで来る。何とか自力で育っていけるなと、見極めのつく年齢が7歳である。人間は未熟児として生まれて篤い守りの時期を過ごし、やっと何とか生きられると周りが安心して集団に入れて親の懐から出してやる時期だ。親もまたこの7年間自分と子供の間に距離を持てるように、心を整えられるようになった時期だ。子供は自分の力を信じて親から少しだけ離れて、見知らぬ同年齢の子供たちの集団の中に入る。親は社会の受け入れを信じて子供を社会に託す。決して当然そうなるべくしてそうなっている事ではない。親と子のお互いの成長の結果子供が親から巣立ってゆく最初の一歩を踏み出した時期が7歳なのだ。ほんの一瞬親の保護からも学校の保護からも離れた一瞬を狙われた。
 ブラジルで活動されていたF神父さんが「ブラジルではガードマンが校門に銃を持ってたち、学校は親を確認して子供を手渡す。朝も親が学校までつれてくる。日本のこの無防備さは考えられない」といっておられた。確かに欧米を考えても親の送り迎えやスクールバスを使わないで子供だけの登下校は殆どないのではないだろうか。
 最早都会だけではなく、地方都市でも親は子供の安全を確認しつつ毎日を自分の管理下にあるものとして過ごす必要がある。かつてジョナサンが下校途中に苛めグループに襲われたとき、教育長をされた恩師にお尋ねした事がある「子供の登下校の責任はどちらにあるのか、学校か家庭か」恩師は「中間地点まではそれぞれの責任義務範囲」と答えられた。通学の途中までは学校であっても残り半分からは親が守らなければならない。確かに幼稚園の送り迎えが終わってやれやれの親に、小中学校の子供の登下校を管理せよというのは勤労者の多い現代にはそぐわないかもしれない。しかし、子供たちが犠牲になっている今、自分のこどもを守らなければ同じ事が起きるかもしれない不安に根拠はないといえない。
 私たちの居住地区でも、何度もカッターを持った男が子供たちを追いかけたり、切りつけたり、おどしたりする事件が起きて、いまだに犯人は掴まっていない。地区の父兄でパトロールを繰り返したり、自発的に子供たちを迎えに行ったりしているが、不安はある。こんな時代になったのではなく、既に十年ほど前からこんな時代だったのだ。
 私達の方が日本の安全神話に胡坐をかいて現実に対処してこなかっただけだ。世界の風潮の中で日本だけが何の手段も講じないで安全が確保されていると思う自体おかしい。親は子供の身を守ることにもっと敏感であるべきだ。せめて小中学生の間は。中学生の方が性犯罪の餌食になりやすい。今は男の子だから安心という事はない。少年もまた襲われる。

今朝親分は朝7時前に出勤した。

 年内この調子で忙しそうだ。彼の仕事を見ていると、ノウ天気で穏やかで夢ばかりを見ていたT君がよくもまあ家族を養い続けてきたものよと感嘆する。
 男は仕事で育つとはよく言ったものだ。自分が働いて家族を生かしているんだという自負が、現実を嫌でも見つめさせ、自分のやりたいことを諦めさせ、時間をもぎとられても我慢させたのだろう。彼の人生が彼にとって厳しすぎるくらい厳しいものであっても、彼はこのことゆえに自分に誇りを持って生きられるだろう。
 自尊心の強い私は人に守られて生きてきたなんて考えても見なかったが、彼が人間ドックで引っ掛かるたびに、この人が私たちに毎日必要なものを稼いでくれたんだよなあと思う。素直にありがたいと思う。何時か自分の時間を自由に持てるようになったら、この人は何をするのだろうか。せめて願った事を実現するだけの体力と時間が彼の人生に残っていますようにと願う。男ってなんだか可哀想。
ん、我が家の男だけかわいそうなのかな?

私と姫は募金です

 この寒いのにユニセフ募金で街頭にたちます。お金はあまり集まりませんが、同じ地球の子供として、自分たちが彼らの役にたちたいと行動する事はガールスカウトの「私は地域と国と世界への責任を果たし人に役立つ事を心がけ」という約束のことばに沿った行動です。自発性を重んじますので強制はしませんが皆時間を作って参加してくれているようです。こんな小さなことの積み重ねがボランティアを生涯続けてゆく人格を作っていくのだなあと感じています。
 一番大切なのは、気がついたらヒョイっと動く身の軽さと、ひとごとを他人事とつきはなさず、何か出来ることに気がつく観察力と、一緒にさせてくださいなと言える謙虚さと勇気です。これだけあって後は忍耐があれば言う事なし。こんな友人がひとり傍にいれば、人生楽しいですよね。それがなかなかいないんだよなあ。まず私自身がどうかっていう問題かも。まあ美味しいお茶を入れて飲もうか

皆様有り難う御座いました

 思いがけずに沢山の方々に寄付していただきました。いつも思うのは、寄付してくださるのはお年を召した方、小さいお子さんを連れた方、若いカップル、そして今風のお兄さん達。質素な方たちがお財布を開いていれてくださる。深々とお礼をする。小さなお子さんがとことこ寄ってきてぽとんと入れてくださる。お年を召した方が募金箱の一つずつみんなに入れてくださる。ユニセフが貧しい子供たちの援助団体だとご存知の方も多くて「ああユニセフだから」と入れてくださる。外国の方もユニセフといって入れてくださった。スカウトのユニフォームが少しずつ認知され、ユニセフという名前が認知され安心して寄付いただけるようになってきたと感じる。大海の中の一滴の水のような活動だけれど、続けてゆくことで少しずつ私たち自身が変えられていくのだろう。
 尊いお金を寄付してくださったお一人お一人に改めて感謝を申し上げます。

パウラ・M・ベッカー

 姫と親分と3人で県立美術館に行きました。此処はホテルのレストランが入っています。松島産の牡蠣フライと古代米のセットを頂きました。
 それからお目当てのパウラの絵を見に行きました。じっくりと心にしみこむ深みのある絵でした。彼女と交流のあった画家たちの作品の中にライナ・マリア・リルケの夫人が彫刻家で彼女の彫刻も来ていました。版画の作品がすばらしくて特にエッチングが素敵でした。30歳そこそこで亡くなった若い方の作品でした。
常設展で松本俊介の「画家の像」にまた会えました。
佐藤忠良の『ボタンをかける』という作品は少女がマントのボタンを俯いてかけている小品なのですが、面差しや雰囲気が亡くなったギュダ君にそっくりで、姫と暫く作品の前に立ち止まっていました。
 「あいにきたよ」。初めてこの作品を見たとき声も出ませんでした。姫は辛くてたまらんと言いながら随分長い時間向き合っていました。昔から見慣れた作品だったのに、ギュダ君が亡くなって暫くして、何気なく見て、初めて彼が此処に居たのだと気がつきました。まるでかくれんぼのように。
 此処にくればまたギュダ君に合えると思い、また来るね、と部屋を出ました。盛岡県美の舟越保武ゴルゴダに父の面影を見つけ、佐藤忠良の作品にギュダ君を見て、私たちは亡き人の面影をどこかに探しながら、めぐり会って、生きているかのようです。作者は勿論そんな見方をしている者がいることなど思いもなさらないでしょう。
 芸術作品というものは不思議なものです。強烈に個の存在でありながら、限りなき普遍性を持つ存在です。

大根

 畑に寄って聖護院大根と青頸大根を抜いてきました。ブイヨンを入れてお肉とコトコトたきこみます。例のスイス料理です。これは重い黒パンかライ麦パンがあうのですがどちらもないので、胡桃のパンでいただきます。玄米御飯が合うかもしれません

待降節


 待降節の壁画がカテドラル正面に飾ってありました。クリスマスが一日ごとに近づいてきます。既に教会の典礼は新しい巡りになっています。今ユダヤの民は暗黒の闇に住み、来るべき救い主を待ち焦がれています。イザヤの預言が示している『闇に住む民は光を見た』という時まで。