上枝美典『「神」という謎 第二版――宗教哲学入門』

「神」という謎―宗教哲学入門 (SEKAISHISO SEMINAR)

「神」という謎―宗教哲学入門 (SEKAISHISO SEMINAR)

はじめに
第1部 宗教的議論とはなにか
第1章 論理実証主義の宗教批判――科学的でないものを論じても意味がないか?
 論理実証主義/「意味」の意味/検証原理/検証原理による既成学問の選別/宗教的表現に対する四つの態度/論理実証主義の問題点/自然法則が不合格/「または」の問題/「経験的に検証可能」とは?/検証原理が無意味/検証原理の身分/宗教の科学批判/進むべき道

第2章 宗教の心理学的解釈――宗教は心の弱い者の逃げ場所か?
 実例/心理学的解釈:フロイト/宗教的観念の成立:自然の人格化/宗教的観念の完成:父親化/「心の鎧」としての宗教観念/「幻想」としての宗教/「神経症」としての宗教/心理学的解釈批判:原因と正当化の混同/心理学的解釈批判/心理学の宗教的解釈?
第2部 無神論と悪の問題
第3章 「悪の問題」とは何か――神と悪は矛盾するか?
 「悪」/矛盾の種類/悪の問題を生みだす潜在的命題/潜在的命題の第一候補/「善」を欲する神/全知全能の神/必要悪/神は必要悪も阻止するのか/潜在的命題の第二候補/改訂版:悪の問題

第4章 自由意思による弁護――悪があるのは人間の自由のせいか?
 二者択一/自由/自由意思による弁護/自由にした責任/創ってもらって文句を言うな/神に対して異を唱える権利/自律した人間/未成熟な個人や社会/「魂の完成」による弁護(Soul-Making Theodicy)/幸せビーム/新バージョンの利点/無神論に対する有効性

第5章 神の基本性質――全知全能と自由
 予備的考察:「自由」と「全知」/全能の定義1/全能の定義2/循環/全能の定義3/無矛盾/全能の定義4/「できる」ことと「する」こと/全能者は自己を否定できるか/実行可能性についての補助的考察/「石」のパラドクス

第6章 神と自由――西洋的有神論における自由の概念
 神はなぜはじめから天国を創らないのか/神は人間の自由な行為を創り出せるか/新たな問題:全知と自由/ボエティウスの解法/ボエティウスの解法に対する反論/モリーナの解法/全知全能と人間の自由/「自由」の変質/悪の責任/意志の自由と選択の自由/殺人サイボーグの責任/選択と責任/結論
第3部 神の存在論
第7章 宇宙論的論証――この世界はどうして存在するのか?
「この世界全体」/宇宙には時間的な始まりがある/「無限」について/現実世界に無限はありえない/ビッグバン宇宙論/熱力学の第二法則(エントロピーの法則)/宇宙の基本構造を考える/「この世界全体」の原因/世界が自分で自分を生んだのではない/無限背進/第一原因/宇宙論的論証の欠点

第8章 目的論的論証――ダーウィンは宗教の敵か?
 自然界の神秘/アナロジーによる議論1:ヒュームの場合/アナロジーによる議論2:トマス・アクィナスの場合/ダーウィンの進化論/進化論に対する科学者の反論/冷たい反応/それでいいのか?/新しい目的論的論証/空間的規則性と時間的規則性/進化論と矛盾しない目的論的論証/結語

第9章 存在論的論証――神の存在は論理的に証明できるか?
 アンセルムス『プロスロギオン』第二章/背理法/イラスト付き解説/「神」の定義はこれでよいか/「存在」とは何か/現実にある戦争とあたまの中にだけある戦争/存在論的論証の中心概念/「考えられる」の意味/存在論的論証:主観バージョン/主観バージョンが意味すること/存在論的論証:客観バージョン/形式的証明の雰囲気を少しだけ/むすび
第4部 理性と信仰
 信仰とはなにか/クリフォードの原則/宗教批判/パスカルの賭け/カミハソンザイスルvsカミハソンザイシナイ/払戻金/パスカルの賭け:改良版/「パスカルの賭け」の弱点/「パスカルの賭け」の長所/パルカルとクリフォード
第10章 信仰の倫理――証拠がないことを信じてもよいか?

第11章 信仰という選択――本物の選択としての信仰
第12章 「合理性」の行方――宗教的信念の合理性

著者のブログで誤植等のサポートあり。

分析哲学系の宗教哲学入門。2000年に出版された第1版の増補版。
大学の講義用テキストの体裁をとっており、ユーモアのある丁寧な解説が読みやすく分かりやすい。
最初の方で、「科学的でないものを論じても意味がない」「神様は心の中の慰めに過ぎない」というよくある宗教否定の2大パターンをとりあえずさっくり否定しているところも良い。
ただし、自分はこういう議論を深めようとしているのではなく、あくまでこういう議論を回避したところに成り立つ信仰を考えるという意味で参考にしようと思っている。
神の存在というのは、議論で説得できるようなものではないと私は思っている。それは認めるか認めないかという問題であると思う。無神論者が議論で説得されて有神論者になるということは私には全然想像できない。やっぱり人を神に向かわせるのは何かつらい経験とか衝撃的な経験とかが典型的で、そうでなくても、何か「求める心」みたいなものが必要だと思う。でも、それを否定的に「単なる思い込み」とか「非理性的で無知な振る舞い」とも考えたくないし、そうは思えないんだよな。でも、しょうがない。この話題は「認めたい」「否定したい」というそもそもの根底にある態度から出てくるものが違い過ぎる。理性的な議論で無神論から転換した人の事例があればぜひ教えてほしいな。
アマゾンのレビューを見ると、いくつか批判も出ている。存在論的論証における論証のまずさ、というのが今の私の能力ではいまいち理解できないところだ。
ホイルの誤りについては、ホイルは原始スープから生物が一気に誕生するような前提で計算しているから誤りだという説明を見つけたのだが、それで合っているのだろうか。ところでフレッド・ホイルといえば、昔『トンデモサイエンス読本』というトンデモネタ本で、定常宇宙論を唱えた人として出てきた記憶がある。あと、なぜか『ジョジョの奇妙な冒険』のキャラクターの台詞の中にフレッド・ホイルの名前が出てくるという話が面白かった。

トンデモサイエンス読本―「2ちゃんねる」と我が闘争

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ジョジョの奇妙な冒険 1~7巻(第1・2部)セット (集英社文庫(コミック版))

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ブルース・フィンク『後期ラカン入門』

後期ラカン入門: ラカン的主体について

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誤記あり。
p.51,13行目,×「生じさせることを示すことできる。」→○「生じさせることを示すことができる。」