291 workshop 「第5期」で検討した写真集・図録など
【第5期・第1回】
- 東松照明『I am a king』
- 高梨豊『Toshi-e (Towards the City)』 ※『都市へ』の複写復刻版
- 西井一夫『なぜ未だ「プロヴォーク」か―森山大道、中平卓馬、荒木経惟の登場』
- 関口正夫 牛腸茂雄『日々』
タイムアップのため、東松照明『I am a king』をぱらぱらめくった程度で詳しい話はできず。
【第5期・第2回】
- 図録『木村伊兵衛写真賞の軌跡 1975-1999』
- 『36フォトグラファーズ 木村伊兵衛写真賞の30年』
- John Gossage『There and Gone』
- Roe Ethridge『le luxe』
- ジャック・デリダ、マリ=フランソワーズ・プリサール『視線の権利』
- 細川文昌『アノニマスケイプ こんにちは二十世紀』
- 図録『現代美術における写真―1970年代の美術を中心として』(東京国立近代美術館・京都国立近代美術館 1983年)
- 図録『現代美術になった写真』(栃木県立美術館 1987年)
- 図録『脱走する写真|11の新しい表現』(水戸芸術館 1990年)
- 図録『移行するイメージ―1980年代の映像表現』(京都国立近代美術館・東京国立近代美術館 1990年)
現代美術と写真をめぐる4つの展覧会図録は見る時間なし。
【第5期・第3回】
- A-chan『Vibrant Home』
- Peter Fraser『Material』
- 『The Helsinki School New Photography by TaiK』
- 『The Helsinki School Vol. 3, Young Photography by Taik』
- 『The Helsinki School Vol.4, A Female View』
- 『Paul Graham (Contemporary Artists)』(Phaidon Press)
- Olivo Barbieri『Site Specific Modena 08』
- John Divola『John Divola』(Gallery Min)
- 図録『Utopia/Dystopia: Construction and Destruction in Photography and Collage』(The Museum of Fine Arts, Houston)
ポール・グラハムのモノグラフ以下の4冊は見る時間なし。
【第5期・第4回】
- 雑誌『アサヒカメラ』1992年1月号
- 図録『畠山直哉 NAOYA HATAKEYAMA』(国立国際美術館・岩手県立美術館)
- 図録『畠山直哉 Draftsman's Pencil』(神奈川県立近代美術館 鎌倉)
【第5期・第5回】
- 小野啓『青い光』
- 荒木経惟『顔写』
- 図録『現代美術における写真―1970年代の美術を中心として』(東京国立近代美術館・京都国立近代美術館 1983年)
- 図録『現代美術になった写真』(栃木県立美術館 1987年)
- 図録『脱走する写真|11の新しい表現』(水戸芸術館 1990年)
- 図録『移行するイメージ―1980年代の映像表現』(京都国立近代美術館・東京国立近代美術館 1990年)
- Wolfgang Tillmans『FESPA Digital / FRUIT LOGISTICA』
- Wolfgang Tillmans『Neue Welt』
【第5期・第6回】
- 石川直樹『Mt.Fuji』
- 王子直紀『KAWASAKI 576』
- Roni Horn『You Are the Weather』
- 大橋仁『そこにすわろうとおもう』
- Gabriel Orozco『Photographs』
- John Baldessari『Pure Beauty』
ロニ・ホーンは軽く流して次回に。
【第5期・第7回】
- 雑誌『IMA 2013 Spring Vol.3 特集「写真は世界を旅する」』
- 内原恭彦&tmsgksk『華氏マイナス451度』
- 土田ヒロミ『新・砂を数える』
- Roni Horn『You Are the Weather』
- 図録『21世紀の出会い―共鳴、ここ・から』(金沢21世紀美術館)
- Gabriel Orozco『Photographs』
【第5期・第8回】
【第5期・第9回】
- 熊木裕高『晴天』
- Uta Barth『White Blind (Bright Red)』
- 『Uta Barth (Contemporary Artists)』(Phaidon Press)
- Paul Graham『The Present』
- Philip-Lorca diCorcia『Streetwork』
- 小沢剛『小沢剛世界の歩き方 2000年版』
- 『Peter Fischli & David Weiss (Contemporary Artists)』(Phaidon Press)
- 中川貴司『BOY』
フィッシュリ&ヴァイスのモノグラフは時間切れで見ることができず。中川貴司の写真集は打ち上げ時に回し読み。
【第5期・最終回】
- Jörg Sasse『Vierzig Fotografien, 1984-1991』
- 安村崇『日常らしさ』
- 『Peter Fischli & David Weiss (Contemporary Artists)』(Phaidon Press)
- 『Stephen Shore (Contemporary Artists)』(Phaidon Press)
- 『Callahan, Siskind & Sommer: At the Crossroads of American Photography』
【第5期・補講】
3/28(木)開催
※色文字はWSの参加者&ゲストが持参したものです。
足湯のつぶやきBOT - Twitter
被災者の本音の「つぶやき」を全国に伝える足湯のつぶやきBOTです。2011年3月29日、足湯のボランティアで被災地支援をスタートした足湯隊は、被災者の方々から様々なお話を伺います。震災を体験した一人一人の生の声を、時を経ても忘れずに残しておきたい。そんな思いで、足湯隊が収集を行ってきた「つぶやき」を自動配信します。
◎ 足湯のつぶやきbot
http://ashiyu-bot.mapping.jp/
12th day
◇ Nobuhiro Fukui(@n291)/2011年03月22日 - Twilog
http://twilog.org/n291/date-110322/asc
2011年3月22日(火)
■佐々木敦さんのツイッターより
◇ 佐々木敦 (sasakiatsushi) on Twitter後藤氏が素晴らしいのは、ご専門の部分については極めて明解かつ丁寧に解説しつつ、自分が情報/事実として知らないことは、それは知らないわからないとはっきり述べるから、だけではない。そのあとに、だが考えられることがあるとすれば、この可能性とこの可能性である、と続けられることだと思う。
もちろん、ありうる可能性の提示や推測といったことは、言説に公的な責任を負わずに済む、当事者でない立場だから言えるのだ、という見方もあるかもしれない。だが、だからこそ、私にはこのような可能性があると思える、と不特定多数の他者に向けて表明するのは、大変な勇気のいることなのではないか。
(3月15日)
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東京で逃げるの逃げないの言ってる人たちは、逃げたくて逃げられるのなら静かに勝手に逃げればいい。誰も止めないし咎めない。でもそうでないならごちゃごちゃ言わず事態を冷静に見守れ。不安なのは誰でも一緒。不安を恐怖や絶望に押し流そうとする力に負けるな。被災地の人々の事を考えろ。想像しろ。
わけのわからない買い占めにしても、だって不安なものは不安なのだし、不安に駆られてのエゴイスティックな行動だって仕方ない、だってそれが普通の人間というものなのだから、それを責めるのは一種の差別である、というような意見があるのかもしれないが、僕はまったくそうは思わない。
そういう悪しき「普通人信仰」というか「凡人主義」は、幼稚な知的エリーティズム(崇める方も威張る方も)と裏腹である。まさしく人間は、そんな風に分けられるものじゃない。私たちは、もっと賢く、強く、優しくなれる筈だ。
(3月16日)
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地上波のニュースを観ていると、ニュースバリューとコンテンツバリューをいまだに勘違いしてるとしか思えない報道が多い。悲劇と美談とそのリピートが大好き。
同じく、影響力を持った方々の言動も、本物の真摯さを帯びていると思えるものと、こういう時にはこういう発言が望まれるんでしょうというような、マーケット分析みたいなのに沿って言って/書いてみせてるとしか思えないものもあって、少々うんざりする。品性と知性は必ずしも両立しない。
(3月17日)
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ヒアホン創刊号に付けたコンピレーション・アルバムの音源から、とりあえずアーティストの許諾が取れた楽曲を以下にアップしました(ミュージシャンの皆さん、急なお願いですみません、感謝です!)。クリックするとmp3で再生されます。http://p.tl/eVV2
暗闇の中で工事の人が黙々と立っている。
(3月18日)
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1「する/しない」と2「したい/したくない」と3「できる/できない」は、全部違う次元の問題だ(他に「すべき/すべきでない」もあるが)。この中でもっとも重要なのは勿論3である。したかろうがしたくなかろうが、実際にするのであれしないのであれ、できることしかすることはできないからだ。
だから僕は正直言って、内田樹氏などの発言は、その優しさには一定の敬意を払うけれど、よくわからないのだ。できたのでしたことに疾しさを感じてる人や、できるししたいがまだしてない人も大事だが、したいのにできないのでしてない人、そのことに震えてる人の方が、よほど深刻なのだと思うから。
(3月19日 昼)
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今回わかったことのひとつは、頭の良さと賢さは、必ずしも共存しないということだ。そしてそのことがどうしてもわからない、肩書きと演技に弱い人たちも思ったより多いということだ。まあそれはそれで純然たる事実として受け取るまでだけど。でも、まあ正直、少なからずがっかりですけどね。仕方ない。
(3月19日 夜)
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クヌートが。。
多和田葉子『雪の練習生』を読んでください。
(3月20日)
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芸術を殊更に否定してみせる身振りこそ芸術の芸術性に支えられている。昔、小泉義之だったか、アガンベンのことだったかを、退廃したスコラ、とか呼んでいたと記憶するが、まさに然り。頭の体操はもう結構。
(3月21日)
http://twitter.com/sasakiatsushi
◇ エクス・ポ日記
http://expoexpo.exblog.jp/
※過去の佐々木敦さん関連
http://d.hatena.ne.jp/n-291/searchdiary?word=%BA%B4%A1%B9%CC%DA%C6%D8