田母神俊雄擁護論(朝日新聞糾弾)#8

第十三章: ジャーナリストを狙う

世論形成にジャーナリストが重要な役割を果たすので、コミンテルンは著名な報道者に狙いを定めた。その結果、ウオルター・リップマンやニューヨーク・ヘラルド・トリビューンのI.F. Stone には、NKVD のスパイが頻繁に接触していた。

第十四章:結論

1938 年から 40 年間に亘って米国政府の省庁は米国内の共産主義者の活動の目的と範囲を理解しようとした。1991 年になって新しい書類が二つのチャンネルから出てくるようになった。一つは、モスクワのコミンテルンの古文書館や東ヨーロッパや中央ヨーロッパ共産党の資料であり、もうひとつは Venona が解明した資料である。これらによると、米国共産党はモスクワのコミンテルンのために大規模な組織をつくり、有効な活動をしていたことは判明する。しかも、彼らの忠誠心はモスクワに向けられていて、自国の利益を犠牲にすることを厭わなかったのである。

赤狩りのマッカシー旋風は短期間しか持たなかったが、1947 年に施行されたトルーマン大統領の行政命令9835 番は、政府の雇用者に忠誠心を要求し、また身分調査を行なうもので、それにより共産党の党員が雇用されることを防ぐもので、それは効果を発揮している。

<目良氏はスターリンの構想力や実行力において日本より数段優れていたことを述べられ、スターリンの計画通りにすべて動いていたと考えておられる。スターリンはが毛沢東を動かし、日本と蒋介石を戦わせ、次いで、日本と米国を戦わせるのに成功した。「震源地はモスクワなのだ」と結論付けられている。
ただ、ここで書かれているハリー・ホワイトの果たした役割をそのまま飲み込むことは危険であり、確かに、ホワイトは 1941 年 11月 26 日のハル・メモの本になるメモを書いたが、それがハル・メモになる経過をもう少し追ってみる必要があるだろう」と慎重な研究態度の必要性を述べられている。>

<次に井上雍雄氏の要約の要約をする。目良氏と重なる部分は割愛する。>


Venona 〜 Decoding Soviet Espionage in America 担当:井上雍雄
         John E. Haynes, Harvey Klehr共著(エール大学出版部、1999年)
 本書は John Earl Haynes & Harvey Klehr の共著で、本文だけで337ページあり、資料(付録)としてAppendix がA ~Eとして本書に名前が出てくる米国人のスパイおよび米国在住でソ連のスパイのリスト等が339〜394ページ、さらに注が395〜475ページにわたっている。

 米国で活躍したソ連のスパイがモスクワの上司と交換した電報はほぼ3000通に近い。この電報の束はメリーランド州フォート・ミードにある古文書館に極秘書類として保管されていた。ヴェノナ文書は1946年から1981年にわたり、ロシヤ語から翻訳されたものである。この文書はフォート・ミードの古文書館に保存され、誰でも閲覧できる。
  本書で日本についての記述は、次のようにきわめて少ない。(1)ソ連の暗号解読作業のヒントになったのは、日本の陸軍参謀本部とベルリンとヘルシンキのミリタリー・アタッシェとの間に取り交わされた電報解読に成功したことからだという。 (p.31)、(2)日本におけるゾルゲ事件 (p.74), (3)第二次世界大戦中のドイツ暗号を解読したこと、カリフォルニアを中心とした西海岸在住日系アメリカ人の強制収容についてFBIフーヴァー長官と職員の反対意見をルーズベルト大統領に伝えたこと (p.89)、(4)日本軍が南京攻略の後、中国内日本軍の動静をさぐるためにコミンテルンがCPUSA〔米国共産党、以下同じ〕にスパイを送り込むために日系アメリカ人を集めるよう指示したこと。
 したがって、本書では1927年に「タナカ・メモランダム」が偽装されたこと、1928年の張作霖暗殺事件、財務省次官のホワイトが戦争開始直前に日本側に手交された「ハル・ノート」の起草者であること、1937年上海事件、盧溝橋発砲事件はコミンテルンの指示によるものであるかも知れないことは何も触れられていない。
第1章「ヴェノナ文書と冷戦」
 本章の内容は第11章と重複する箇所が多いが、米国とソ連との間の冷戦について参考になる記述があり、次のようにまとめることができる。
 (1)ソ連の暗号電報解読のきっかけ
 1943年にドイツとソ連が和平交渉を開始したのではないかという噂を耳にして、スターリンを信頼していなかった米国陸軍の諜報将校がその噂の出所を確かめるために動き、米国からモスクワへ打電された内容をさぐっていくうちに、米国連邦政府の軍事、外交の省庁にソ連のスパイが入り込んでいたことがわかったのである。またヴェノナ・プロジェクトで解読された電報から、349人の市民、移民、永住権保持者が割り出され、ソ連諜報機関とひそかな関係をもっていたことが知れることになった。
 多くの米国連邦政府高官がソ連諜報機関とひそかに連絡をとっていたことも判明した。その高官とは、財務省のハリー・ホワイト(Harry White )、ルーズベルト大統領の私的補佐官のロークリン・カリー(Lauchlin Currie)、グレゴリ・シルヴァーマスター(Gregory Silvermaster)らである。
(2)ジェット戦闘機に関する情報
 ウイリアム・パール(William Perl)という若い、優秀な科学者がジェット・エンジンとジェット戦闘機に関する機密情報をソ連に提供し、米国に対する裏切り行為を行った。それによって、1950年6月に開始された朝鮮戦争の際、空中戦ではアメリカ空軍の方がソ連の戦闘機よりもはるかに優位に立っていたと思われていたが、ソ連のMiG-15 は米軍のプロペラ機を圧倒し、アメリカの初期ジェット戦闘機、F-86 よりもはるかに優れた飛行機を製造していたことが判明した。
(3)原子爆弾製造情報の漏洩
 原子爆弾製造のマンハッタン計画に二人の物理科学者、クラウス・フックス(Klaus Fuchs)とセオドア・ホール(Theodore Hall )が極秘情報をソ連側にもたらしたことによって、ソ連がかなり早い時期に原子爆弾製造に成功したこと(1949年)。トルーマン大統領は朝鮮戦争で米軍が劣勢にたたされたときに原子爆弾の使用を検討したが、アメリカ軍が追い詰められた時でも、ソ連の原爆による報復をおそれて最終的には使用を中止した、という。スターリンは冷戦初期に米国に対して大胆な外交政策をとることができた。すなわち、危険な賭けをすることを極度にきらう彼は、1950年の時点で原爆を手にしなかったならば、北朝鮮に武器をあたえ、韓国を攻撃する指令を北朝鮮に出したかどうか疑わしい。
 冷戦初期にソ連が原爆を保持したということは米国側に心理的に重要な影響を及ぼしたといえる。ソ連が手にすれば冷血なスターリンは意のままに諸外国の都市を破壊する能力をもつことになると当時のアメリカ人や政府の指導者は恐れた。このパーセプションは冷戦初期の外交を左右した。
つづく