霊芝山光雲寺

 
先日の大河ドラマ「江」最終回で描かれたように、徳川秀忠・江の末娘「和子まさこ」は後水尾天皇中宮となり、奈良時代以来の女性天皇明正天皇の母となります。皇室と徳川家との結びつきもこれほどになり、徳川安泰の基盤ともなったのでしょう。その後禅宗に帰依して東福門院となり、その菩提寺として光雲寺を再興されたと。元は5300坪の寺域、七堂の伽藍を擁したと言いますが、それも今は昔、現在は禅宗の一塔頭然とした趣です。それでも東福門院ゆかりの仏像や、古文書などに王寺の栄華が偲ばれます。特に「菊の御門」と「葵の御紋」が共に描かれ、刻まれた事物には、今なお威厳が感じられます。
現存の庭園は”植治”の手によるもの。やはり琵琶湖疏水を利用した、池泉式の庭園に、もみじが映えています。
 
 
 
 
 

本願寺岡崎別院

            
親鸞聖人が比叡山を下りた後、また越後への流刑より帰京した後に棲んだのが、この地にあった草庵だとか。その後「親鸞屋敷」と呼ばれたこの地に、江戸末期に建てられたのがこの岡崎別院。ここにも大きなイチョウがあり、お参りされる信徒さんたちを見守っています。
 
 
 
 
 

桃源山地蔵院

 
京見峠を越えて、静かな杉坂の谷あいに、ひっそり佇む永観堂の末寺が在ります。既に紅葉は盛りを過ぎて、鮮やかさ・華やかさは褪せていましたが、晩秋の侘びがほんのりと漂っていました。
 
 
 
     
紅葉を前に、なぜか山頭火の句碑。『音はしくれか』(音は時雨か)と、何とも山頭火らしい、これは山口・小郡で詠んだ句とか。常人には言い切れない”たった七言”ですが、秋の北山・周山あたりでは、寂が染みいるような七言です。
 
 
 
 
 

中尾山宗蓮寺


残念ながら拝観謝絶の宗蓮寺。きっとカメラマン達が荒らしてしまったんでしょう。ずいぶん以前に友人と訪ねた際は、ご住職直々に、入れて頂いたこともありました...。まぁそれでも、門前からの風景を見るだけにここまで走っても、納得の光景がありました。