新ネタピン!祭り ルミネtheよしもと〜2/4

何となくお笑いが見に行きたくなったので、何となくチケットをとって見に行きました。
いちおう「ぜんぶ新ネタ」という触れ込みです。
MCは前田ししょうと、元チャイルドマシーンのボケの方の人。
なお、出演順はバラバラです。最初は佐久間一行、トリは千原ジュニアでした。


あべこうじ
漫談。えーすいません、内容は忘れました(笑)。でも「エンタの神様」とかよりも、実際に見てみて評価は上がりました。後述します。


佐久間一行
一人ショートコント。「冬によくある光景。」
ホンワカしていて良かったです。長いコントもやってほしいですけどね。


井上マー
一人コント……と言ったらいいのか、「エンジェル堕天使」という架空のビジュアル系ピン芸人が芸をやる、という設定のコント。
ちょっと尾崎に比べると完成度が低い印象でした。


ハローケイスケ
一人コント。「桃太郎の桃が流れてくるところをレポートするレポーター。」
着想は面白かったですが、途中噛んだりダンドリが悪かったりして、正直滑っていました……。終わった後も凹んでいて気の毒でした。


ハローケイスケのあやしいアンケート

ハローケイスケのあやしいアンケート

まちゃまちゃ
漫談。「小学校時代の友人の悪口。」やっぱり私のまちゃまちゃ評価は見るたびに高くなりますよ。


レイザーラモンRG
プロジェクトX風に、自分の芸風について語る。」これ、けっこう面白かったですよ。


南野やじ
いつものお経ではなく、予備校教師として講義、という一人コントのようなケーシー高峰のような……。笑いどころは少なかったです。フォーマットとしてはいいとしても、内容には改良の余地ありと感じました。


くぬぎ富士彦
「自分が恥ずかしいと思う瞬間」だったかな? ブリッジを挟んだ、あるあるネタの連打でした。


増谷キートン
一人コント。「記憶を失った男が、カウンセリングを受ける。」
なんか新境地だったらしく、もともとのフォーマットがわからなかったため見ていて当惑しました(笑)。
でもポテンシャルは感じました。


浅越ゴエ
アナウンサー。盤石ですねこれは。「昨年以前のR-1と昨年ではあまりに優勝者の待遇が違うので、もう1度挑戦する」というフリートークも面白かった。


ヤナギブソン
一人コント。「アメリカ人が、日本語の教科書がひどいと裁判で訴える。」
最近いろんな芸人がネタにしているのを見かける「英語の教科書の文はよく考えるとおかしい」といったたぐいのネタの発展系。そもそも、ネタにしている教科書が存在しないということに最初はとまどいましたが、だんだん見ているうちに面白くなってきました。ただ、架空の教科書を「おかしい」といってツッコミを入れることがギャグとして成立するかは考えれば考えるほどわからない。後半の逸脱した展開はじゅうぶん面白かったんですけど。
実験作、と私は考えます。


鈴木つかさ
竹内力の感じでの漫談。ちょっと苦しいかな……。時間をもてあましている感じが、ちょっとしました。


お〜い久馬!
「おれには紙切りしかない」と言い出し、いきなり紙切りをやり出すという不思議な芸。スマートすぎて、ちょっと憎かったです(笑)。カッコいいですねえ。


灘儀武
最初に「自動車教習所の学科の問題がおかしい」というネタ。しかし、ヤナギブソンのときにも思いましたが本当のことなのかツクリなのかがわかりませんでした。後半は「ドラえもんで変な絵がある」というようなネタで、実際に「ドラえもん」のコピーを持ってきてましたがあれはテレビではできないのでは? そしてもっと厳しいことを言えばネットで拾えるネタなんですよね……。
ただ、この人自身はピンとしては初見ですが、落ち着いていて安心して見れたので好印象です。


千原ジュニア
最初に「R-1のつもりで、三分以内でやる。三分経ったら暗転してもいい」と宣言。
「ディレクターのキュー出し」というネタですが、貫禄ですごくうまくできてました。


博多華丸
最近よくやってる「アタック25」のものまね。「あ行」とか「ら行」とかで頭の文字を決めてすべて児玉さんのセリフにする、ってやつですね。会場から拍手が。


くまだまさし
わっ、生でくまだまさし見たよ!
「足を動かすとオッパイが動く」というネタ。これ新ネタじゃないじゃないですか(笑)。許すけど。


ですよ。
初見。「ラップ調に漫談」という、私の苦手なタイプ。フレーズ的にも、あまり飛躍がなかった気がします。




今回見に行って感じたのは、ピン芸ってどうしても「あるあるネタの羅列」に流れるのかな、ということ。
そしてその場合、ブリッジを挟んだ羅列となるわけです。
今回の出場者で「ブリッジを挟んだあるあるネタ、もしくはショートコント」をやっていたのは、佐久間一行井上マーくぬぎ富士彦千原ジュニア、ですよ。なんですが、
この中でもっとも洗練されていたのが千原ジュニアで、「ディレクターの架空の番組のキュー出し」という構成にしたために、あるあるネタに流れができているんですよ。
「変な芸人が芸をやる」というメタ的な展開にしながらも、ブリッジを挟んだ構成にせざるを得なかったのが井上マー
井上マーは、「尾崎」のネタでブリッジを挟まないであるあるネタをやることに成功しているので、今回のネタは苦心しているように感じました。


それに比べるとくぬぎ富士彦や、ですよ。はちょっと安易すぎたかなあ……と言わざるを得ないというのはありました。
佐久間一行は、動きのコントなので「あるある」の羅列は、私はあまり気にならないんですよね。


逆に、ブリッジを用いないで漫談をやるのがあべこうじまちゃまちゃ浅越ゴエはニュースという体裁を取っているのでまた別ですが。
で、「ブリッジを用いないで話す」のがいかにむずかしいかを感じました。
あべこうじまちゃまちゃはそれが自然に出来ていて、あれなら爆発的な笑いはないにしても、寄席とか劇場で客席がとんでもなくウケない、ということはまずないでしょう。まあ、簡単に言えばうまいということです。そういう意味で、あべこうじの評価は個人的には上がりました。


会場ではやはりプラン9のメンバーとかに多少歓声が上がっていたように思いますが、お客さんの雰囲気としてはだれが出ても楽しんでいた印象です。お客さんみんなおとなしいんですけどね。


個人的にはいちばん面白かったのは博多華丸、時点は千原ジュニアです。その次にお〜い久馬!、浅越ゴエと続きます。我ながらプラン9ばっかですなあ。
いやだって、もともとああいうのが好きなもんで。

「ツンデレ」とか出てきたらもう自分にとってこの世は終わり宣言

この年になって「燃えよ剣」を読んだ。理由は、NHKで去年だか一昨年だかに新選組のドラマをやっていて、2、3回見てもだれがだれだかサッパリわからなかったからだ。だが「燃えよ剣」を読んだから、もうある程度わかる。
きっと「銀河烈風バクシンガー」を見ても、もっと楽しめるだろう。


燃えよ剣」では、大政奉還が成し遂げられた時点で近藤勇は何かをあきらめ、「おれはあきらめない」、「これからだ」と言った土方歳三とて、小説を読んでいる読者からすればもう居場所はほとんど残っていない。


ここで話は司馬遼太郎とは無関係に「五稜郭」というドラマで、土方役を渡哲也がやっていたことに飛ぶ。
ドラマ「五稜郭」において、渡哲也演じる土方歳三は、ただ単に死に場所を求めている男だった。


燃えよ剣」(と、「新選組血風録」)がおそらく、小説においては新選組を描いたスタンダードで、それは要するに時代に翻弄され、死に場所を求めた男たちの立ち姿を描いたのだと私は解釈した。


などと大げさぶったことを書いたが、話は「ツンデレ」という脱力するような話である。
ツンデレ」、興味ゼロ。何の興味もない。いや、むしろとてもイヤ。
その理由はめんどうくさいので説明しないが、初めてオタクの歴史において「いくら何でもそりゃないだろう」と思った。
結論から言うと、もう自分にとってこの世は終わりなんだなと。自分にとって、生き場所はないんだなと思いました。


「萌え」に関しては、萌え萌え言っている方が話が通じやすいことが多かったり、尊敬すべき人で「萌え」の研究をしている人がいるので便宜上使用してはいるが、
私個人としてはもうめんどうくさいのでこの言葉は使いたくないです。
「しかたなく容認している」という点では、自分にとっての2ちゃんねる用語に近い。


あまりに哀しい。なんでこんなことになってしまったのであろうか。
しかし、もうこの傾向は止めようがないだろう。
この世は、萌えとツンデレと、その逆ベクトルとしての巨大なる倖田來未に支配されるに違いない。


なにひとつ自分が求めているものではなく、その育成に寄与した覚えもない。
その代わりに、自分が大切にしていたものは無惨にも踏みにじられてしまった。
本当に、未来がこんなに不愉快だとは思わなかった。
「ひどい」とか「暗い」とかではなく「不愉快」。


私がブログやHPをやるのは、そういう流れに少しでも抵抗しようという意図が実はあったのだが、
何をやっても無駄だと悟りました。


まあいいです。「でも、やるんだよ」精神でやります。
たぶん、私が何をどうしたいのかは世界で3人くらいしかわからないと思うけど、
まあいいです。
だれもわからなくてもいいです。

「ツンデレ」とは攻め/受けの関係性の零落した姿かもね

やおい関連で「だれが攻め、だれが受け」などというらしい。しかしこれは当然、男/男でなく、女/女でも男/女でも成立するはずである(女/男でもいい)。
女/女で、カップリングや攻め/受けの関係がイメージの遊びとして取り沙汰されたのがモーヲタの間でのモーニング娘。ハロプロの女の子の関係性だった(最近はあまりそういうのはない……のかな?)。


ところがやおい関係の研究している人でモーニング娘。の関係性について言及している人っていないんじゃないの?
「そういうのがあるよ」って話題にしたこともあるんだが……本を書くときも論文を書くときも、娘。関連のカップリングネタってやおいと関連づけるとおいしい題材になったはずなんだけどねー、たぶんだれもやってない(やっている人がいたら泣いてあやまります)。


さて、また話がそれました。男女の関係においても「攻めっぽい」とか「受けっぽい」という見方が成立するならば、かつて、少なくとも少年・青年マンガやアニメ、大衆小説の世界では男が「攻め」であることが望まれた。
「男が男として生きることの生きにくさ」は、最近ぼつぼつ論じられはじめているが、まあ大半は男が攻めのものが定番だったと思う。
で、「ツン」が先か「デレ」が先かはニワトリと卵の関係になってしまうのだが、私の考えでは「デレ」が先に決まっていると思う。
だって「ツンツン」だけだったら、ただのディスコミニュケーションですからね。


よく、女の子でも「一見冷たい人がステキ」などと言うが、それはあくまでも「自分を好きでいてくれる」ことが大前提であることからも、たぶん「デレ」の方が先だと思う。
単なる「デレ」なキャラクターというのは普通に、昔からいたのである。


ではなぜ「ツン」の部分が必要になったかというと、
むしろ「ツン」の方にリアリティが生じてきているからだとしか考えられない。
簡単に言えば、妄想の世界の中でさえ「男攻め/女受け」の関係性にリアリティがなくなったため、女受けの状況をつくり出すために、仕方なく「ツン」をリアルの前提として付けたのだと思う。


言い換えれば、「正義はお天道様のもとで勝つ」と思われていた明朗時代劇から、「本当の正義は貫けるものではない」という前提のもとに、暗めの時代劇「必殺シリーズ」が生まれたようなものだと思う。
そういう屈折しか、ツンデレには感じられない。


それともうひとつは、あまり表面に出すことがはばかられた「男のM性」を満足させることができるため、「ツンデレ」がもてはやされているということがあると思う。
だから、「デレの状況をつくるリアリティとしてツンを付けた」ということと、「女に攻められたい男の欲望を満足させられる(ツンの部分が主流)」という両方の利点でもって、「ツンデレ」というのがあるのだろう。


っていうか、そうとしか考えられないんだけどね。


あ、それともうひとつ。
「デレ」って恋愛的にデレデレするっていうことでしょ。
Hマンガとかでも「デレ」の部分って相思相愛的に展開されるんだよね。


でも昔はそうじゃなかったのが圧倒的に多かったんだよな。
まあそんなことどうでもいいの局地だな。
本当にどうでもいい。
泣けてくる。