松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

シオニズムとは

(1)「ユダヤ人の存在を否定すること」は世界で最も悪いことだ。ちょっと通俗的ではあるが、アウシュヴィッツの教訓として妥当な命題である。
(2)「イスラエル(国家)の存在を否定すること」は世界で最も悪いことだ。
これについては議論の余地があるのだが、ユダヤ人=イスラエルといった通俗的等式によれば、(1)と同じに、この世で最も大事な価値となる。
(3)したがって「イスラエルの存在を否定することはユダヤ人の存在を否定することだ」、という命題を否定できない限り、あなたはシオニズムの影響下にある、ことになる。

僕らは彼らの存在を認めている

なぜなら、僕らは彼らの存在を認めているのですから。「君たちはここに存在する」と僕らは言っています。君たちは僕らの社会を破壊し、僕らの土地を奪ったけれど、僕らは事実上君たちが民族・国民であること(ネイションフッド)は認めている。そして次のようなかたちで君たちと平和的に暮らすことをのぞんでいる。僕らは西岸地区とガザにパレスチナ国家をつくり、民族自決を実現する。君たちは1967年以前のイスラエル領土に君たちの国家を持ち、主権を持てばいい。しかし、彼らは決して僕らに承認を与えようとしないのです。民族・国民(ネイション)としては決して。
p64 サイード『ペンと剣』isbn:4480089519

1988年までの10年間は、イスラエル人たちは僕のところに話し合いに来て、君たちの承認が欲しいのだと申し入れたものでした。君たちが国連安保理決議242を受け入れイスラエルを国家として承認すれば、どんなに助かるだろう。そうすれば、いっさいの状況が変わるだろうと言うのです。そこで僕らは承認しました。だけど何ひとつ変わりません。むしろ事態は悪化しました。(同上p65)

イードの1991.10.8のインタビューより。サイードイスラエル国家の存在を認めている。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20060311#p2 で書いたハマスの態度も、(いまや?)上のサイードのそれに非常に近いもののようだ。現実の抑圧者を言葉の上でだけ否認してみせるのは強がりにすぎない。ハマスにせよ誰にせよパレスチナ人は現実を否応なく知っている。
 それに対して、欧米のシオニストは、現実を現実として見ることができず形而上学的枠組みによって平板な観念に還元されたものを現実だと思っている。自らの善意が善意であるためには現実はそういうものでなければならないから、という理由によって。

北朝鮮人民=金正日 の場合

(1)「朝鮮人の存在*1を否定すること」は世界で最も悪いことだ。ちょっと通俗的ではあるが、大東亜戦争敗北の教訓として妥当な命題である。
(2)「北朝鮮(国家)の存在を否定すること」は世界で最も悪いことだ。
これについては議論の余地があるのだが、北朝鮮人民=北朝鮮国家(金正日)といった通俗的等式によれば、(1)と同じに、この世で最も大事な価値となる。
(3)したがって「金正日の権威を否定することは、朝鮮人の存在を否定することだ」、という命題は充分説得力を持つ。
(・・ しかしながら、最近日本では、金正日は絶対悪の*2独裁者だという見方が広まった。そして、北朝鮮人民=北朝鮮国家(金正日)という等式も必ずしも支持されていないようだ。しかしそのような等式による朝鮮人差別もまだ残存している。)
・・ 両方を比較検討して言えることは、国際政治の場だけでなく一般的な言説の場においても、国家だけが発言(represent)権を持つ、ということ。それに反し、わたしたちは流通しやすい言説の構造を疑い、事実に迫ろうとしなければならない。
国家の立場ではなく、比較的低い民衆の目線から見ようとすること。これは言うのは簡単だが、実現するのは難しいのは言うまでもない。

*1:その半分であっても

*2:横田めぐみを抑圧したから

パレスチナ刑務所へのイスラエル軍の攻撃に抗議しよう!

英国と米国の監視部隊は、刑務所に対するイスラエル軍の攻撃を承認したらしい。

英国と米国の監視部隊は、このイスラエル軍の侵攻が始まる前に刑務所から立ち去りました*[*15分前に去ったという情報あり]。5人のPFLPメンバーを守るためのこの英米監視部隊の駐留は、自治政府イスラエル政府の間での合意の重要な部分でした。その部隊が去ったことは、英国・米国政府がこの侵攻においてイスラエルと協力していることを示しています。
http://0000000000.net/p-navi/info/news/200603142227.htm
P-navi info : 緊急! エリコの刑務所がイスラエル軍に襲われている

http://d.hatena.ne.jp/fenestrae/20060314#p1
fenestraeさんによる、「NouvelObs による時事刻々特別ページから」の時々刻々ニュースの翻訳あり。感謝します。

すべては「和平」のため!

隔離壁をそのままにして、巨大入植地を全部イスラエル側とする──結果、西岸のパレスチナ人居住区はまた土地を奪われ、さらには分断される。これを英米は基本的に認めているのだろう。そういう政策を推進しようとしているカディマへの後押しとして、今回のエリコ襲撃への「協力」があったと私は思う。
http://0000000000.net/p-navi/info/news/200603160408.htm  P-navi info

英米イスラエルへの協力とは、(まさに今回のようなことが起こるのを妨げるために駐留していた)英米監視部隊が事前協議により撤退した、ことを指します。

サイードとは?

エドワード・W・サイード(إدوارد سعيد Edward W Said, 1935年11月1日 - 2003年9月25日)は、パレスチナアメリカ人の文学研究者、文学批評家。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%89
エドワード・サイード - Wikipedia

中野真紀子さんの下記サイトから
http://www.k2.dion.ne.jp/~rur55/home.html
Edward W. Said Index−  ペンと剣  − 
「凱旋の集いには、すべての者を招く余地がある」
(頁ごとのurlがでないのでtopから順に辿ってください。)
このサイトにはサイード自身のものを含めたたくさんの有益な翻訳があります。読みましょう。

(質問)バーサミアン: パレスチナ問題のいま一つの隠れた側面は、パレスチナ運動のなかでキリスト教徒が占める位置の問題です。あなた自身がキリスト教徒ですし、ほかにもジョルジュ・ハバシュ George Habash やナイエフ・ハワートメ Nayef Hawatmeh などがいます。間違っていれば訂正していただきたいのですが、パレスチナナショナリズム運動の最前線に立つ人々のなかには、大学教授、建築家、医師など、キリスト教徒の家庭で育った人々の割合が不釣り合いに多いようです。これはなぜなのでしょう。

僕の感覚では、キリスト教徒であってもイスラム教徒であっても解放運動にかかわるのはごく自然なことです。もしパレスチナキリスト教徒であることに何か特別の意味があるとすれば、それは、キリスト教徒が何世紀にもわたってパレスチナに住み、そこに属してきたことを、僕らの多くがとても誇りにしているということに他なりません。ここから必然的に、民族共同体のなかで積極的に行動するという特別な義務を背負うことになります。僕らはみな、そう感じていると思います。僕はこの闘争に何年もかかわってきました。僕の親族も多くかかわってきましたし、あなたがいま取りあげた人々はみな僕の知り合いです。

僕らのなかに、多数派から差別されているという気持ちを少しでも抱いている者はいません。この点について最後に指摘しておきたいのは、アラブ世界における多数派と少数派の関係は、欧米人にはそう簡単には理解できないということです。彼らはつねに、人種差別や抑圧された少数派に対する差別という西洋のカテゴリーのなかで考えてしまいます。でも、アラブ世界では、彼等の尺度はあてはまらないのです。僕はなにも、アラブ世界では少数派が常に夢みたいによい暮らしをし、抑圧されたことは一度もないなどと言ってるわけではありません。抑圧されたこともありました。けれど、普段の両者の関係は、西洋における多数派と少数派の間に見られるような、つねに不安にとりつかれ緊張をはらんだ関係よりはずっと健全で、自然で、気楽なものだったと僕は思っています。

<憎悪>

そこにいくといつもある大きな死体。それはいつも同じものなのにいつも新鮮で腐臭がない。そこに行ってわたしは先生から死体をどう扱うのか学ぶ。筋を一本一本解きほぐし、臓器を一つづつ丁寧に取り外していく。学ぶ楽しさ?そんなものがあると思うか。相手は死にたての屍体である。確かに少しづつ分かってはくる。だがそれはそいつがわたしのうちに棲みついてきたってことだ。

田島先生の意見

 中東問題が我々にとって一見、理解困難に見えるのは、文化的・宗教的隔たりによるものではなく、パレスティナ問題という要を、メディアによって見えなくさせられているためでしかない。

 ヨーロッパは口をそろえてハマス武装解除を求めているが、馬鹿げている。イスラエルの核を黙認しておきながら、パレスティナの代表には、丸腰にならなければ交渉の資格すらないと言うのである。このような欧米の欺瞞と偽善には、我々ははっきりと一線を引かなくてはならない。
http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/50336769.html
ララビアータ:イスラム「暴動」

全く同感であるので、2カ所だけ引かせてもらった。全文を読んでください。

「つもりだった」というレトリック

オスロ交渉でイスラエルパレスチナ建国を認めるつもりだった

「つもりだった」なるほど! ふん。
「つもりだった」とは「おまえが少しおとなしくしていればすべて上手くいったはずなのに、すべてはおまえのせいでだめになった」という責任を相手に押しつけるレトリックにすぎません。わたしは善意に溢れているのに、合意が成立しないはすべておまえの瑕疵のせいだという理屈ですね。
「つもりだった」とはすくなくともその時点では、承認は明示されていないかったことを意味します。

パレスチナにも真意を説明する責任があります。

イスラエルには真意を説明する責任などありません、と。

いろんな情報・意見を提供して一般人のグレーゾーンをどっちの方向に向かわせるかがこの種のサイトの役割じゃないですか?

野原のサイトは残念ながら、「この種のサイト」ではありません。「この種のサイト」って一体なんですか?
それに、「いろんな情報・意見を提供」することが役割なら野原は野原の意見を提供しているわけですね。あなたの言っていることは支離滅裂ですね。

イスラエルパレスチナ国家の存在を認めているのでしょうか?それ抜きにハマスを云々するのは、イスラエルに一方的に荷担したものの見方ですね?

何だか異質な意見を出せばすぐ「オマエはアカか?」と言われた一昔前のようなコメントですね。

「おまえはアカか?」論理を行使しているのはアルファルファさんですよ。「イスラエルパレスチナ国家の存在を認めている」という前提を欠いている。その点に反論できないのなら、ハマス批判には進めませんね。
(3/18記)

「イラク戦争から3年」

バクダードは、より危険な街になっているらしい。

以前も何度も会ったヨルダン人TVカメラマンの男は、「いいか、お前がここにいた04年あたりまでと、今はまったく違うんだ。本当に気をつけろ。ここでは誰も信用するな。絶対に一人で出歩くな。自分の安全だけをまず考えろ」と話す。

「誰も信用するな」か…。

恐らくバグダッド市民の間でも、同じような言葉が交わされているだろう。
http://blog.so-net.ne.jp/watai/2006-03-16