ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

小澤 征爾

 24日の土曜日のことだけれども、BS-2で「小澤征爾 教育ドキュメント 中国と結ぶ 「終生の絆」」という番組が放映されていた。この番組はどうやら4月にBS-2で、5月にBSハイビジョンで放映されたものの再々放映のようであるが、中身は2005年の話である。この後小澤は身体をこわしている。
 NHKはこれまでにも2002年に「響け若き個性〜小澤征爾音楽塾の1ヶ月〜」という番組を放映していたようである。これがそうだったのか違う番組だったのか全く記憶がないのであるが、小澤は米国においても、そして日本においても若い人たちをどんどん引っ張って指導をしている。確か前のドキュメント番組では米国の若者達のサマーキャンプのようなところだった記憶がある。しかもこの一連の番組を見ていると彼は非常に細かいことについてまで全力を尽くして考え、熱を込めて若者に説明をする。その情熱は本当に素晴らしいものがある。私の記憶の中の小澤征爾クラシック音楽に全く興味のなかった私であってもその名前は大きなものとして記されている。江戸京子との結婚もそうだけれども、その後の入江美樹との結婚にも僕らの世界とは全く違う価値観の中に暮らしている人なんだという記憶だった。だから、鼻持ちのならない気障なやつだと思っていた。なにしろナチスを発想させるカラヤンに繋がる日本人としてのイメージがあったからでもある。
 その後彼のイメージが私にとって大きく変わってきたことのひとつの要素はこれらのドキュメント番組によるところが大であるのだけれど、その前に会社に入ってから数年の間、お粗末ながら吹奏楽団に加わって毎週練習をしていたという経験は大きい。当時の私たちは東京から毎週インストラクターの方をお招きしていながらその重大さについに目覚めずにいた。そのインストラクターの方がわざわざ地方都市まで新幹線で毎週やってきてくださっていたのにもかかわらず、一生懸命に練習をしなかった。本当にうまくならなかった。インストラクターの方の熱を感じ取ることができなかったのである。中学、高校の時から吹奏楽を経験してきた人たちばかりではなくて、社会人になってから初めて楽器を手にした人たちもいてそのレベルには大きな差があったこともひとつの要因だったかも知れないが、私たちにひとつになって切磋琢磨する雰囲気が生まれてこなかったことにもあるだろう。懐かしいのだけれども、苦い想い出でもある。
 小澤の父親は歯医者だったそうである。そして彼は満州奉天で生まれ、6歳までそこで過ごした。以前に生前の母親を伴って奉天のかつて家族が暮らした家を訪問したのだそうだ。それ以来そこに暮らす家族とは親交があり、母親が死んだ時にその遺灰の一部をその家の隅に撒いたのだそうだ。そしてそこに暮らす人がその場所に桜を植樹してくれてあり、今年初めてその桜が花をつけたという。その「今年」というのは現実的には2005年のことである。
 世界の小澤もすでに70歳である。しかし、彼のあのエネルギーと集中力には脱帽だ。今年の「サイトウ・キネン・フェスティバル」には復帰すると云われているのだそうだ。

ルシール・ボール

NHK BSで「アイ・ラブ・ルーシー」50周年番組を見る。
 私が子どもの頃に日本で放映されていたアメリカの1950年代から60年代のテレビドラマというものは大変に大きな影響を私たちに落としこんだ。これはただ単なるバイ・カルチャーとしてのみ語られるのではなく、つまり真っ正面からその影響力を取り上げられるべき多大な力を私たち、いや少なくとも私に落としこんでいる。それはいま「まさかぁ〜」と云う雰囲気での取り上げられ方しかしない、ゲーム文化が現在の思春期を挟んだ少年少女層に与えている大きな影響力にひょっとすると匹敵するといっても良いかも知れないのである。
 その中でルシール・ボールと当時の夫、デジ・アーネズがドラマの中でも夫婦を演ずる「I Love Lucy」の放映から50周年になるのだそうだ。尤もこの番組のオリジナルは1951-1957年なのだそうだ。番組は二人の娘と息子が出てきて狂言回しをするが、コメンテーターにはシュワルツネッガー初め(なんでシュワルツネッガー?)、ウーピー・ゴールドバーグディック・ヴァン・ダイクアントニオ・バンデラスアンディ・ガルシアと何人もの人が出てくる。番組の中での設定は本人がまさにその通りである旦那がラテンバンドのエンターテイナーで実際の生活通りに番組の中でもルーシーは妊娠する。改めてこの「私が懐かしがる」番組を見ていて驚いたのは、当時の番組中に出演していたとてつもない有名人ゲスト達である。ボブ・ホープジョン・ウェインウィリアム・ホールデンから始まって本当に凄いメンバーだったのだとびっくり。
 ルシール・ボールはその後、デジ・アーネズとは離婚し、その後創られた、ルーシーが未亡人で、ムーニーさんの下で銀行勤めをするシリーズの「ルーシー・ショー」(1962-1968)も忘れられない。「カーマイケルさん!」は懐かしい。

夕食炊事当番

 今日は先日テレビで見たおろしソースで豚肉を食べることにした。キャベツともやしを電子レンジでちょっと加熱。キャベツを千切りにしてもやしと混ぜ、これをベッドにするのはいつもの豚肉の生姜焼きと一緒。薄切り肉はそのままソテーをして、その上から大根おろしと生姜おろしをフライパンにあけ、酒、塩、めんつゆ、醤油で味付けをした和風ソースをたっぷり載っけるというもの。『結論』ソースの味が薄すぎてインパクトに欠ける。しかし、わが家では皆さん薄味指向なので、濃い味を創ると必ず評判が悪くなる。

ビートルズ来日40周年

 あの台風あけの羽田にビートルズがやってきてから40周年ということで、あちらこちらのチャンネルで、どこが創ったのか注意していなかったので、分からないがビートルズの一連を語るフィルムの放映が重なる。日曜日はケーブル・テレビのあっちとこっちで、ほぼ中身の映像の出自がまさに同じだけれども日本版制作を異なる手によって加工されたとおぼしき番組をちらちらと見てしまった。NHKも記念番組をやるとかで、ホームページ上で意見やリクエストを募集中。一方、小林克也もラジオで面目躍如の語りがあり。
 何度も何度も書くように私はあの年、浪人生活を送っていた。最初の頃は浪人となってしまったことに結構焦って、毎日結構真面目に水道橋にあった研数学館に通って私立文科コースの授業を午前中受けていた。そのうち、水道橋までは行くのだけれど、そのまま喫茶店に直行してしまったり、そこから方向転換して代々木のゼミではなくて代々木予備校に行っている友達のアパートに転がり込んだりして、本当に真面目に勉強していなかった。
 だから、いくらでも武道館に行くチャンスはあったはずである。しかし、今とは比べようのない価値観に自分で自分を縛っていたと云うほかないのだけれど、あの武道館にビートルズを見に行くのは一種の「不良なんだ」という価値観を当時のエスタブリッシュメントから与えられていたといって良いだろう。こんなこと今時の若者にいくら説明したって分からないのだ。それは戦前の思春期の少年達が「皇国少年」となっていったことを今から批判するのと同じくらい、その気弱さを批判することにはなんの意味もないのだ。
 私は高校生の終わり頃、生徒会の議長を務めて高校の生徒指導の教師と対立したり、羽田事件に行かなかった自分を責めたりし、そこから高校の学校祭で初めてエレキ演奏を実施したりした。その前哨戦として、高校の講堂を土曜日の午後に使う許可を得て、放送部だった経験から勝手知ったるマイク設備の設定を行い、幕の開け閉めも自分たちでやり、黒いズボン、白いワイシャツの学校の制服姿のまま、友達と創ったバンドでライブ(その時はそんなことは云わないな)をやったくらいである。
【写真:残念ながら自分は映っていないのだけれども、一緒にやっていた仲間。ネクタイなんかしている。】
 それなのに、あぁ、それなのに、あの武道館の時にあそこまで出かけることで世間に喧嘩を売る勇気がなかったということをこの際告白するしかないわけだ。そんなにビートルズを好きなんだったらなんで武道館に行かなかったんだ、と簡単に云える今の状況の方が私にとっては納得ができないとでもいってしまいそうだよ。それにしてもキャピタルホテルが当時ビートルズが泊まったスイートを建て直し前の最後のサービスとして一泊10万円で提供とか、様々なおっさん、オバサンを相手にした企画が売りに出そうである。スイートでみんなでパーティーかな?

加藤登紀子

 日曜日の夜中過ぎというか、月曜日の明け方というのはラジオもテレビもろくなことにはなっていないのが普通である。今朝はきっとサッカーの中継があったんだろうからいつもとは違っているだろうけれど、やたらビデオがセットされているわが家ではつけにくい。ラジオ深夜便はいつの集まりの録音中継か知らないけれども加藤登紀子大特集となっている。これまで大変に広く知られているシャンソンの日本語訳をきちんとフランス語の訳に近い訳に直して加藤登紀子が新しい感じの歌詞にして唄っていた。面白いことだ。だけれども、やっぱり私が唄う時はきっと昔からの、そのいい加減な訳の訳詞で唄うだろうなぁ。彼女のオリジナルの歌(なんという題名か覚えていないけれど)の歌い方は、なんだか渡辺勝を彷彿とさせるのであった。

NHKもなかなかやるじゃないか

 ビートルズ来日40周年絡みのニュースが流れるという噂をmixiビートルズ・コミュニティで知ったので、めったに見ないNHKの21時のニュースにチャンネルを合わせていた。
 たまたま与党と政府の間での財政・経済一体改革会議の実務者協議会での「2011年度の黒字化(基礎的財政収支)を目指すため、歳出削減のメドを11兆4000億円から14兆3000億円とすることで合意した。7月7日に閣議決定する「骨太の方針」に反映させる」絡みのニュースが流されていた。
 そこで、例の愛人スキャンダル、それも覚醒剤絡みのスキャンダルで森第二次内閣の官房長官という立場をたったの3ヶ月半で棒に振ったにもかかわらず、そんなものはどこ吹く風と睨みをきかせる、これまた二世議員で、品位のかけらも見られない自民党中川秀直政調会長が例の野太い声で登場。あのスキャンダルからまだ6年もたっていない。この世界はどんなことがあっても大丈夫なようで、なるほど、あいつにとっては多分端金の5億円の保釈金を払ってとっとと出てきちゃった村上にこれなんて端の端金である1千万円を倍以上にしてもらった福井のおっさんが、辞めやしないのもこいつらとつきあっているんじゃそんな価値観で染まってしまうに違いないわけで、あの福井のおっさんが決して悪いわけなんかじゃないのだ。あの辺の世界観が彼(一体どいつのことなんだか分からないけれどみんな一緒だから良いけれど)をしてそんなこたぁ大したこたぁねぇんだよ、と居座らせるものとなるわけだ。
 なんという人か知らないけれど、アナウンサー出身ではないであろうと思わせるNHKの男性キャスターが「骨太でなくて、骨抜きだという声もありますが」と云ったら声を荒げて「一体どこが骨抜きだというのか」と迫る。「上限14兆3千億円の86%を削減しようとする計画のどこが骨抜きか!」と。消費税の税率を上げるという点については「来年の様子を見て」と云う中川にそのキャスターが「それは来年参議院議員選挙があるわけで、その選挙のあとにするという意味ですか」と聞くと、カッとした雰囲気で、「構造改革二期目五年間の初年度たる来年の様子をしっかりと見て、それから考えようという計画であって、選挙とはなんの関係もない」と見得を切る。あげくに「国民に負担を押しつけるものではない!」と大きな声できっぱりと・・・・・・。
 NHKのこのキャスターの将来が不安だけれども、この真っ正面からの直球勝負は良いんじゃないか、と思った・・・なぁんて、こんな単純な考えをするおっさんばかりだったらNHK自民党もやり易いんだろうけれどね。