どんよりとした雲、昨日よりも分厚く、太陽の陽射し、全く届かず。
急転直下
四国の事件では共犯説がまだ根強く残っているようだけれど、皆さん何を根拠にそう仰っているのかと思ったら「はよせいよ」だそうだ。
M/V Explorer
どうやらチリ海軍やアルゼンチン海軍のレポートによると最終的に、あのさまざまなツアーで勇名を馳せた船は南極海に横たわる結果となったようだ。最終的に報じられた救出された人々の国籍は下記。2 アルゼンチン, 10 オーストラリア, 2 ベルギー, 24 英国, 12 カナダ, 1 中国, 3 デンマーク, 17 オランダ, 1 フランス, 1 ドイツ, 2 香港, 4 アイルランド, 1 日本, 4 スイス、 14 アメリカ, 1 コロンビア、1 スウェーデン。船長はスウェーデン人でクルーの多くはフィリッピン。フィリッピン45名、スウェーデン4名、ブルガリア2名、ニュー・ジーランド2名、そしてポーランド1名の54名である。
中国新聞「戦争花嫁 in USA」
昨日書棚の奥から見つけ出してきた1989年(平成元年)の中国新聞の連載特集をためつすがめつしている。全部読み、調べ終わってから書けばよいようなものだが、そうすると書くのを忘れてしまいそうだからその場その場で書いていく。やはり連合軍のベースがあった地域から結婚して行かれた方が多いから共通したキーワードもあるのだろう、各地で横の繋がりの会もできていたようである。第4部「異郷に築いた城」になって「その5 イワクニ会」ではカリフォルニアの南、サンディエゴの南にあるチラビスタという街に「イワクニ会」が構成され、横の繋がりができていたと書かれているし、「その6 老後の備え」ではワシントン州のタコマにつくられた「たんぽぽの会」もそうした横の繋がりとして機能していたことが分かる。こうした各地の横の繋がり会が基礎になって下に書くように「戦争花嫁渡米40周年記念大会」が開かれ、ここから日系国際結婚親睦会なるものが構成されたと2002年に芙蓉書房出版から刊行された「戦争花嫁 国境を越えた女たちの半世紀」という書物の中で林かおりが報告している。「その6」でとりあげられている「たんぽぽの会」の会長だった欣子・カークウッドさんは1999年に多分67歳で他界されておられるようだ。
フロリダ沖縄県人会はその会員の全員がこうした国際結婚で渡米した人たちで構成されているようである。多くのこうした横の繋がりの会報のバックナンバーは国立国会図書館の「日系移民関係資料刊行物」の中にありそうである。やっぱり行ってみようか。
1988年10月にワシントン州のオリンピアで「戦争花嫁渡米40周年記念大会」が開かれたことをきっかけにこの動きはアメリカとオーストラリアでのいわゆる「戦争花嫁」の繋がりを作った。「戦争花嫁」という言葉は今の世代にはなんの抵抗もないのかもしれないが、戦争直後を知る世代にとってはその人ごとにその人ごとの定義を持っている可能性がある。暗いイメージや、暗い先入観を持つ人がどうしてもいることは否定ができないからその使い方には慎重さが求められる。だけれども、発言をする人たちの間からは時間が経つに連れて抵抗感よりもむしろさばさばと語る、そして語ることによってその時代の重要な一コマを風化させるべきではないという気持ちが感じられる。
この記念大会から6年後に1994年にハワイのホノルルで第一回の日系国際結婚親睦会世界大会が開かれた。
1997年には会津若松市で第二回世界大会が開かれ、松井久子監督の映画「ユキエ」が上映されたそうだ。この映画は吉目木晴彦の芥川賞受賞小説『寂寥荒野』を原作とするいわゆる戦争花嫁が認知症を病むというストーリーで異境の地に暮らすエスニックの課題を浮き彫りにしたものである。この時点では私はまだこの小説の存在を知らず、2000年になって初めて大学の恩師のお一人であり、立川市にある高齢者ケアの総合施設である至誠ホームの理事長をされている橋本正明先生にこの小説をご教示頂き、大変に共感を覚えた。そこから有吉佐和子の小説「非色」を知った。
1999年10月には第三回世界大会が米国カリフォルニア州、ロス・エンジェリスで開かれた。米谷ふみ子さんが基調講演者だったという。そして2002年5月に第四回世界大会が別府で開催されている。この直後、6月第2週に在豪州の戦争花嫁の皆さんのお世話をしておられて、キャンベラのWar Memorialで仕事をされている田村恵子氏(上記「戦争花嫁 国境を越えた女たちの半世紀」の高津文美子と林かおりとの共著者)に初めてお会いしていたが、残念なことに私はこの世界大会のことを全く知らなかった。田村恵子氏には「Michiko's Memories」*1というやはり在豪の戦争花嫁の方を取り上げた著作がある。英文で書かれた日系戦争花嫁の著作では「Tsuchino - My Japanese War Bride」Michael Forrester著 2005がある。この著作のまえがきは戯曲「Tea」の作者でUSCの教職にあるVelina Hasu Houston(こちら)が書いている。そしてはじめにとして日系国際結婚親睦会のKazuko Umezu Stout会長が筆を執っておられる。
戦争花嫁に関して日本で出版されている本はさほど多くなく、前述のものも含めても数点ではないかと思う。
- 作者: 林かおり,高津文美子,田村恵子
- 出版社/メーカー: 芙蓉書房出版
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私は戦争花嫁です―アメリカとオーストラリアで生きる日系国際結婚親睦会の女たち
- 作者: 林かおり
- 出版社/メーカー: 北國新聞社
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- 作者: 安冨成良,スタウト・梅津和子
- 出版社/メーカー: 明石書店
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- 作者: 遠藤雅子
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- 作者: 植木武
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- 作者: 則子・デビス
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給食
給食といえば脱脂粉乳と私の世代では話題は決まっている。その次は必ずクジラの竜田揚げである。そんなにしょっちゅうクジラの竜田揚げが給食に出たわけでもないのになんでみんなそんなに話すのかと云ったら、そりゃあんた、あれが美味しかったからに決まっている。戦後脱脂粉乳はユネスコのチャンネルでも送られてきたのだろうか。
今日何気なしに見ていた(しょっちゅう何気なしテレビなんだけれど、一休みしてお茶を入れると自動的にテレビのスイッチを入れるという条件反射になっているわけだな、これは)Historyチャンネルかなんかで云っていたのは学校給食法が成立したのは1954年の6月だというのだ。それは私が小学校に入学してすぐの話だけれども、それまでは何に基づいて給食が実施されていたのだろうか。そして私が中学生の頃に脱脂粉乳から牛乳になったという話だった。私は未だに牛乳だけではあの匂いが鼻について呑めない。コーヒーや紅茶に入れるのであれば大丈夫。だから私にとっては牛乳だろうと脱脂粉乳であろうと鼻をつまんで呑むということでは同じだったということか。中学、高校は弁当持参であった。おふくろは面倒だったんだろう。良く竹輪の煮付けが入っていた。醤油と味醂でちょちょいと煮ちゃえばよいわけで、便利だったのかもしれない。おかげで良く煮汁が鞄に浸みだした。
結婚してからしばらくの間は弁当を持たせて貰った。なんだか職場の先輩たちが結婚すると弁当を持ってくるのを見ていると、そうしなきゃならないような気になったのだ。連れあいに無理をさせたんだろうなぁきっと。全然そんなこと思わなかった。傲慢が男の強さだと勘違いする、そんな世代だった。