ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

スポーツテレビが面白くない

相撲にはもう全く興味がなくなった。ゴルフの番組も一切みなくなったし、バスケットの試合もテレビで見ても面白味がない。とはいいながら今日放送していたトヨタ対アイシンであのマイケル高橋がまだコートに出ていたのには驚いた。ラグビーに至ってはなんだかんだいっても世界にでていけばあの辺だと思うと興味ない。テレビの前で我慢するということができなくなったのは一体いつ頃からなんだろうか。

復活祭

 昨日の帰路東京に向かう中央高速の車中から見えた登ってくる満月がとても綺麗だった。20日春分の日の次の日が満月だったのは近年聞かなかった様な気がする。そして今日が日曜日だから今年の復活祭はこんなにまだ春浅き主日となっている。
 クリスマス・イブの時ほどではないけれど、それでもたくさんの人たちが集まっていた。いつもは初めて来た人、しばらく顔を見せなかった人(この中にも私は多分入らないほど知られていない)が最後に紹介されたりするけれど、今日は人が多かったから紹介されない。友人が出てくるのを待っていたけれど、どうやら練習があるらしくなかなか出てこなかったからそのままあとにした。
 直ぐ傍の公園では並木になっている染井吉野のうち、いつも陽当たりの良い、しかも北風が遮られるところから花がほころび初めて来た。来週の日曜日まで持つだろうか。多分その頃には風にぱらぱら落ち始めていることだろう。多分土曜日に仲間内の「花見の回」があるだろうから日曜日は呑みすぎて頭が痛くて出かけられないかも知れない。それならそんなに呑まなければよいのにそういう時はきっととことん呑んでしまうのが常の人生だから可能性は低いなぁ。
 バブルが崩壊してからこの国のあらゆる価値観は壊れてしまったのかも知れない。それなのにそれに直面するのが怖くてこの国の人たちはゲームだ、グルメだ、メールだ、サブカルだと走りまくって逃げているんじゃないのかといわれてしまった。それを否定するだけのバックグラウンドを持っていないなぁ。仰る通りだと思わず頷いてしまう。彼の話には説得力があるんだなぁ。
 そんな話を頭の片隅に残したまま旅用の上にはおる物を探しに行ったのが間違いだったのか、何を見てもぴんと来ず、しまいに某有名デパートに入ってみたら、一着で16万円なんて値札を見てしまい、何も買わずにただただ歩くだけで帰ってきた。そうだ、着るものがないわけじゃないんだから要らないじゃないか。
 復活祭というのは磔にされたイエス・キリストが復活したことをお祝いする日だけれども、これなくしてはこの宗教は成り立たないのだからともかく大前提の出来事だということだ。もともとはユダヤ教のなかのできごとであってキリスト教という宗教はその時点では存在していない。だから、一派だったわけだし、ある意味では新興宗教だったといっていいだろう。しかし、その後の新興宗教といったい何が違うんだろう。そこまで話を拡げてしまったらどうにもならないかも知れないから、すぼめたとしても戦後の新興宗教といったい何が違うんだろうか。ひとつにはその宗教を広めることによって誰か特定の人物、あるいはグループが他の人よりも金銭的にあるいは物量的に恵まれてしまうというのはもう既に本来的な宗教からは排除しても良いだろう。そしてもうひとつはそれに与することのない人をどう取り扱うのかという点は重要だろう。完全否定してしまうのであればもう既にそこで人間の本来的あり方としてもう意味がないだろう。ここまで考えてきて、こんなことはこんな容易な考えで著してはいけないのかも知れない。きっと「まずその宗教というそのものを定義せよ」「新興と在来の定義わけをせよ」といわれてしまうに違いない。それでも私の様なその辺のおっさんはこうして考えるくらいしか能がないのだ。
 歩いているうちに腹が減って腹が減ってしょうがなくなってきたがその辺で間に合わせで飯を喰うのもなんだか損した様な気がする。じゃ、今一体全体なんだったら双手をあげて食べるだろうかと考えるが、大したことはない。野菜がたっぷり入っているカレーを食べたいと思った。ならばと家に急いで帰り、玉葱、ピーマン、しめじ、カリフラワーをじゃっじゃっと炒め、そこにレトルトの(なんだ、レトルトか!)カレーを入れて煮た。それをご飯にかけて食べた。旨かった。

新銀行東京

 都議会与党の自民党+公明党新銀行東京への追加出資に賛成するのだと報じられている(2008年3月23日03時03分 読売新聞)。新銀行は400億円をつぎ込むとどの様に好転して経営が安定するというのだろうか。新宿の本店だけが店舗になった現状でいったい何ができるというのだろうか。この時点で70名の自民党+公明党都議会議員たちはなにを根拠に賛成するというのだろうか。来年夏の都議選に対してここでどんな賭をしているというのだろうか。これで彼らが賭に負けたとしたらそれでも良いだろう。しかし、400億円のみならず最初の投資金額までも全て失うことになったとしたら都民はどれだけの被害を被るというのだろうか。彼らは何を根拠にこの金の意味を選挙民に説明できるというのだろうか。

ギャラリー収納

 私の部屋はもう多重立体型かなんかにしないと中身が収まらなくなりそうだ。なにか良いアイディアって物はないものだろうかとウェブをウロウロしていたらなんとなく変わった雰囲気のサイトを発見。それがこちらの「ギャラリー収納」という。とっても洒落たサイトでいかにもシステム的に洒落ているんだろうなぁという雰囲気を感じる。と、同時に多分とても高いんだろうなぁ、という雰囲気も感じる。多分若くしてお金稼いじゃった人たちにとってはとても使いたくなる様なコンセプトなんだろうなぁという雰囲気だ。基本的にいくつかのユニットがあらかじめ準備されていてお客の要望を聞きながらコンセプトを提案していくといったシステムの様であるが、勿論基本構成を自分で考え出して発注しても良いわけだろう。とりあえず街に出たので銀座のショウルームと覚しきお店にお伺いしてみた。昭和通りと晴海通りの交差点の角にある手拭い屋さんから2-3軒新橋よりのビルの一階であるが、多少敷居が高そう。様々な物がディスプレイしてあるのかと思ったらそうでもなくて、じっくり相談してみて初めてきっかけが分かりそうな様子である。そこに至るまでの経費はどうなるんだろうか。シンプルなコンセプトそのものはとても手触りが良さそうである。出来合の集合住宅には難しいんだろうかと思ったけれど、戴いた「収納百景」なる実例集を見ると結構様々なヒントが散らばっていそうだ。実はこの会社は和歌山の大谷産業という会社なんだそうだけれど、このコンセプト造りはどこから始まったのか、そこが知りたい。ここのコンセプトで面白いのは文庫本、CD、ビデオなんて物を引き出しに入れてしまうという考えだ。これは目から鱗という感じだ。