ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

箱根駅伝 復路

 8区の学連選抜の中村君は抜かれてしまった。城西大のたすきが途切れた。東洋大が初優勝。繰り上げがほとんどなかったのは各校の力が近いということになるけれど、それは高いレベルに、なのか、低いレベルになのだろうか。
(追記)0901031451
 東洋大の優勝タイム:11時間9分14秒は昨年の駒澤大学の優勝タイム:11時間05分00秒に比べると記録は遅い。
 かつての関東学生選抜は本当に「おかず」という感じだったけれど、最近では10位以内に入ってくるところに来ているということは選手の偏在が昔ほどではないということになるのかも知れないけれど、実は予選会組とシード組との差はかなり大きいのが、予選会から本戦に出場できる学校がなかなか増えないという点を見てもわかるのではないだろうか。例えば今回の青山学院大は毎年予選会で当落線上を争っていたけれど本戦には出てこられなかった。ようやく今年は久しぶりに出場できたけれど、結局最下位(城西大が途中棄権)。出場校20校という制限は緩和されないのだろうか。トップからの差20分で繰り上げスタートをそのままにしていけば、増やしても大丈夫なんじゃないだろうか。

 追記:090110 朝日新聞Be2を読んでいたらスポーツ・ジャーナリストの生島淳が「箱根駅伝は経済戦争だ」という記事を書いている。箱根駅伝が入試願書提出直前に行われるイベントでここでの成績で受験生が特段に増えるというのだ。思わず頷いてしまう。それまで全く知られていなかった山梨学院大中央学院大といった名前は駅伝ファンの中では知らない人はいないし、一般的にももはや充分なまでに周知されたであろうことは火を見るよりも明らかだ。さぞかし今年の東洋大は、この通りになれば充分なまでの投資をしたという結果を得ることになるのだろう。塩川正十郎総長のカンラカンラの高笑いが聞こえそうだ。

恐ろしい夢

 わが家には昨年の2月に生まれたというスコティッシュ・フォールドという人間が無理矢理つくった耳の垂れ下がった猫がいる。一昨年の11月にそれまで16年にわたってわが家に君臨した猫が急死して家全体が悲嘆に暮れたのだけれど、娘の知人のところにこの猫が生まれて、4月過ぎにもらわれてきた。この猫が当初血尿が止まらず、やっぱりこの種の猫は難しいのだろうかと思っていた。なにしろ近所の獣医では原因がわからず、さればと東大の獣医まで持って行ったのに、やっぱり原因はわからんと匙を投げられた。
 それこそ猫っ可愛がりにしている娘はどこまでも関わるつもりで、これまでにつぎ込んだ医療費は彼女の収入にしてみたら相当だ。ペット税を語るんだったらペット医療保険を考えてもらいたいくらい。ところがそろそろ生後一年を迎えようとするこの時期になって随分順調になってきた。すっかり血尿も見られなくなってきた。成長したことによって体が出来てきたのだろうか。
 そうしたら今度は私の夢の中で、私が血尿が出るという状況に陥って目が覚めた。おいおい、こっちに来ちゃうのか。冗談じゃないぞ。

年越し派遣村

 昨日は厚労省に申し入れにいって、湯浅誠大村秀章に申し入れ書を渡したんだそうで、厚労省は講堂を開放し、300人以上が厚労省に布団を抱えて移動して寝たんだそうだ(中日新聞2009年1月3日 朝刊)。
 粘る活動の凄さというのが良くわかったような気がするし、ようやく自民党もやばいかも知れないということに気がつき始めたということではないかということではないかということだろうか。それともこれだけマスコミやブログ等の情報が発信されていることに抗えないということだろうか。問題は5日以降のことだ。
 → こちら

2009 天秤座

こちらでわが天秤座運勢を教えていただいた。

幸運の星、木星は、あなたの「楽しみ」の部屋に入ります。すなわち、2009年は明るく楽しく過ごせる幸運期。思いがけない幸運が押し寄せて、毎日がバラ色に輝くでしょう。ただし、せっかくの幸運に水をさすことになるのが、土星冥王星の動き…。実は物事を抑制したり、縮小させたりする力を持つ土星が、2009年に天秤座に入るのです。これは、楽しい毎日を送りつつも、きちんとケジメをつけ自分をコントロールすべき時であることを告げています。子どものように無邪気に楽しむことはできずとも、大人としての楽しみを見出すことができるはず。ですから、どんなに楽しい時でもブレーキペダルにはいつも足を乗せておくような、セルフコントロールを心がけるといいでしょう。一方、冥王星は、天秤座にとってやや厳しい角度を取り始めます。そのため、否が応でも何かを変えなければおさまりがつかない年。驚くような変化を遂げる場合もあるかもしれません。
人間関係ラッキーポイント:笑顔が地球を救います! 誰にでも好感をもたれるようふるまって

 てぇことは「自律」ッてぇことが必要だと、そういうことだろうか。これまでのような自堕落な生活ではダメだということだろうか。そうだろうなぁ。

もう、とにかくテレビ

 久しぶりに家を出てちょいと買い物があったものだから銀座に出た。ついでに家電量販店に立ち寄ったら思ったほど混んでない。薄型液晶テレビがめったやたらと並べてあって今やこれが量販店の目玉になってんだなぁと思った次第。随分凄いものを買うんだなぁと思ったけれど、考えてみればパソコン一台と大した変わりがあるわけでもない。それにしてもこんな面倒くさいシステムを歳をいったおばあさんがひとりだったらわかるわけがない。もっと気楽に相談できるような売り方ができないものだろうか。例えばアップル・ストアのジーニアス・バーみたいなものができないものか、それができればもっと売れるんじゃないかと思うんだけれどなぁ。
 カメラ売り場を見たらデジイチの殆ど全ての種類が並べてあった。手を出したいんだけれど、なんだか壊しちゃいそうで怖いけれど、触ってみなくちゃわからない。でも、殆どのカメラには媒体が入っているわけじゃないから、撮ってためつすがめつ見るわけにもいかない。これじゃ重さがわかるくらいだ。
 いつもよりちょっと美味しいパンを買って帰ったものだから今日の夕飯はパンとスープと温野菜で済ませた。すると、またまた眠くて夜9時になる前にもう寝床に入るやいなやすっかり寝込んでしまった。なんだか夢を見たような気がするけれど、何も覚えていない。
 目が覚めて、なんだか起きちゃいそうな気がして、そうするとまたくだらないことを考えるような気がして、例によってテレビの音声をラジオで聴こうとスイッチを入れると、NHK総合テレビが談志の話をしている。なんだまた談志かぁ、と思ったんだけれどとにかくちょっと聴いたら、なんと「新春蔵出し」といって、いつだったかNHKが大胆にも実施した「談志十時間」の再放送である。
 談志の落語はヒヤヒヤしたり、あれまぁと思ったりするんだけれど、とにかく聴いちゃったりする。そのとにかく聴いちゃうってのが術中にはまっていると思うんだけれど、しょうがない。圓生志ん朝が命だ、と思っている人にはあんまりのめり込む人はいない。とにかく難しい感じの人のようで、そこが好きじゃない。そうはいってもテレビで流れればやっぱり見ちゃう。じゃ、独演会に行くかというと、談志命と思っている人たちがたくさんいて、切符なんて買うのはまめに動かないと買えやしないんで、全く見たことがない。実際に談志を見たことがあるのは20年ほど前になるだろうか、三社祭の金曜日だったかに浅草神社の本社の御輿を友達と見に行ったときに、横に談志が、あ、いや松岡克由が、誰かを連れていて、御輿の説明をしているところだった。
 すっかり目が覚めてしまった。