ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

重なる時ってある

 昨日遅くなって帰宅。今朝起きると連れ合いが午後1時に友人夫婦が遊びに来るという。どういう具合なんだろうと思っていたら、元々仕事上から水曜日が基本的には休みってことになっているんだそうで、なんだ、そんなことならもっと水曜日に逢おうじゃねぇかということではある。どうせならというので浅草・雷門前の観光センターで落ち合うことにした。寒い冬、暑い夏に人と待ち合わせるのにはぴったりなところで、トイレもあるし、椅子もあるしで、いうことはない。ここには英語の案内をしてくれる人たちが詰めているんだけれど、外から見てもそれは容易にはわからないのが如何なものかなぁとは思う。かつてここでお手伝いさせてもらおうかと思って聞いてみたら「今は会員募集はしていない」と断られてしまった。ボランティア希望者を断る団体は初めてだ。どうやら学校の教員だった方々の集まりのようだ。
 アリゾナのランチ牡蛎フライ」
 遅めの昼食を洋食で食べようという話になったのだけれど、「ヨシカミ」の前に行ってみたら8-9人の列が外にできていた。待つのはイヤだからと知り合いの「アリゾナ」に足を伸ばす。私は牡蛎フライ、他はカジキのソテー、ハンバーグのキャベツ巻なんてところをご飯で戴く。久しぶりの牡蛎フライである。でれでれ歩きながら喋っているうちにお茶を飲もうじゃないかとまた「アンヂェラス」でショコラを食べながらべちゃべちゃ喋る。ここに入るのは信州の友達夫婦が遊びに来たとき以来だ。こうして誰かが遊びに来ないと入らない。あの時は夏だったから梅ダッチ珈琲を頼んだけれど、今日はブレンドコーヒー(¥530.-)。
 なんで珍しく平日に遊びに来たのかと思ったら彼らは今日は結婚記念日だったというのだ。確か私は彼らの横浜ニュー・グランド・ホテルでの披露宴で司会をやったはずだ。それにしてもあのパーティーがこんな真冬だったとは私の記憶も相当いい加減だという感が強い。私は友人の披露宴の司会を自分が覚えている範囲で28回くらいやった。もう全く付き合いも連絡もない人たちが何組もいる。
 「写真:アンヂェラスのショコラ。一口食べちゃったんだけれど、慌てて写真撮影」
 気がつくと「アンヂェラス」の隣の席は三組目になっている。昔のこうしたお店の造りというのはチマチマっとできていて席は小さいし、テーブルの間は狭く、ましてや今は着ているものがもこもこしているから動くとどこかにぶつかる。そういえば歌舞伎座の椅子だって小さいものねぇ、とまたそんな話になる。
 そういえば浅草に来るとすぐに話題になるのは、あの「大江戸バンドセッション」の主催者の友人で、そうだ、彼がもしいたら顔を出してみようじゃないかと電話をして、じゃ今から向かうよ、といったところに携帯の着信記録を見ると、学校の友人から電話。そうそうそういえば今日は学部の4年生の卒研発表会で、ある先生の退職記念講演がある日だった。埼玉のキャンパスから、もし夕方あいていたら呑まない?というお誘いだった。重なる時には重なるもので、それぞれ私の好きな友人なので残念なことをしたし、申し訳ないことをした。

山本って誰?

 衆院予算委員会は今日は民主党の前原、馬淵、長妻が緊迫感一杯の質疑の応酬。金子国土通産大臣はたじたじ。その間、いつまでも続く自民党側からのヤジ。長妻がついに最後に「山本さん、なんですかそれは!」と怒鳴る。委員長が再三「理事の皆さんにお願いいたします。発言は小さな声で、可愛らしくお願いします」には笑える。しかし、笑いものにする場ではとてもない。山本という自民党の理事がヤジを飛ばし続けているらしいけれど、これは一体誰だ?ひょっとすると高市早苗の旦那の山本拓だろうか?

選挙に備える

 天下りに関して新しい政令を出して年内に渡りを許さないことにするという。だったら前の中途半端な玉虫色の政令を撤回すればいい。民主党の細野がいっているとおりである。それなのにそれをそのままにしておいて「あとから出された政令が優先する」という麻生太郎のかわし方は普通じゃない。選挙に備えるという意味がここにはひとつあると思う。表面的に改革していくというポーズとして使うことができる。それでいて、霞ヶ関に一方的に泥を塗る結果とはならないやり方が後ほど取れるだろうという可能性を秘める。
 こうした霞ヶ関の利潤に直接関わる事項についてのらりくらりの対応をすることによって開いている国会の時間とコストを無駄遣いしていることは明白だ。
 私たちは賢くならなくてはならない。こうした状況変化を見ていくことも重要だけれども、目先のいい訳、逃れ方に振り回されることなく、綿々と(一時期の例外はあるけれど)続いてきた(私たちがそれを許してきた)自民党霞ヶ関の明確な癒着を認識しなくてはならないということだ。人事院総裁と内閣との争いをみたら、自民党政権霞ヶ関と戦っていると見えないこともないけれど、内閣は谷総裁の首を左右できる立場にいないんだというではないか。だったら果たして意味があるのか。例の省庁統合がただ単に看板の掛け替えに終わっている状況を見ればこの一件も実質的にはなんの変化も起きないだろう。私たちはこの程度のことでごまかされてはいけない。
 石原慎太郎の「ちょっとは反省している」というひとことであの時も騙されてしまったことを忘れてはならないと思う。

あと二週間

 大江戸バンドセッション、今年の@浅草公会堂が2月15日(日)。今日は展示部会、ステージの両方の打合せ。初めて参加の皆さんは慎重この上なく、そりゃそうだろう。どうにかこうにか打合せ終わり。あとはスタッフの結団式という呑み会。午前様となってようやく終わる。なんだかまるで打ち上げの時のようだ。
 さぁ、頑張るぞ、午後12時から午後8時までの長丁場。