ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

足を組む

 「日替わりメニューのメンチカツ。ドミグラス・ソースが丁寧にかけてあるので、ハンバーグを食べているかのような食感。」
 ランチにこれまで何回か入ったことのある洋食やさんに行った。先客は7名。あとから4名。私たち2名を入れて13名。これでほぼ一杯という小さなお店であるが、結構丁寧に出してくれるので好きだ。ただ難点は出てくるまでに結構時間が掛かるという点か。だから、一人では入らない。話しながら先客のところに運ばれてくるプレートを盗み見ていた。その先客のうちの二人が40歳前後の女性だった。このお二人がお二人とも足を組みながら食べる。そういわれてみると結構今の若い人たちは飯を喰っているときも、呑んでいるときも足を組んでいる人が多い。これは一体、何が要因になっているんだろうか。何か意味があるのだろうか。体力の問題とか、生活形態の変化とか、なにかそんな意味でもあるのだろうか。

老齢年金

 衆議院予算委員会でのやりとりを聞いていると、どうやら老齢年金にかかわるこれまでの社会保険庁が犯した記録の改竄、記録の消失といった致命的な過ちはもうほぼ取り返すことができない。安倍の阿呆二世やその前の「百年は持つッ!」と啖呵を切ったノー天気二世なんかが云っていたことはお為ごかしでしかなくて、その場しのぎでしかなかった。もう舛添君もいつまでもごねていないで、ダメだと、これ以上やればやるほど悪くなると認めよう。そうしないと後々になって君はごねて年金を払わないで国庫を守った男として記憶される人間に成り下がるぞ。
 私の友達の中に苗字に「田」という文字が入っているのがいる。彼が社会保険事務所に行って調べてもらったらどうしても欠落があって、記録に出てこないというのだけれど、「私の名前はこれをdaと読んでいますが、taで読んだら?」といったら出てきたんだそうだ。たったこれっぱかりの創造力すら兼ね備えていない窓口職員がやってんだから進むわけがない。端末で自分で自分の記録を探す、というようにできないものだろうか。キーワードを自分で入れていくと云うようには。
 こんな職員でやっていくんだから、この際年金記録が欠落していると主張する人に対してはもう無条件で認めていったらどうだ。それしか解決の方法は見つからないぞ。それは永遠に続くわけではなくて、その人が死んじゃうと終わるんだから今すぐそうすればいいじゃないか。そして税方式への転換を平行していくと云うことではどうだ。

山内一弘

 訃報。享年76歳。
 彼は毎日オリオンズに入った。毎日オリオンズが永田ラッパの大映スターズと合併して大毎オリオンズになった。そして小山正明とトレードされて阪神タイガースに来た。山内といえばすぐ想い出すのは背番号8だった。私の気持ちの中ではやっぱり毎日の山内だった。新聞のコメントを見たら小山正明のコメントも入っていた。彼ももう74歳である。
 大映スターズの話からウィッキペディアをためつすがめつしていたら、高橋ユニオンズの話を思いだした。ウィッキペディアによると、1954年に高橋ユニオンズができて、翌年は鉛筆のトンボ鉛筆が冠スポンサーになったから、トンボ・ユニオンズと称し、1956年にはまた高橋ユニオンズに名前が戻ったと書いてある。しかも、本拠地が川崎だった。ここまで来てようやく膝をポンと打つことになった。
 私は当時横浜、東横線の反町に暮らしていたから、一番近いプロ野球の球場が川崎で、子どもの頃から父親に連れられて助六の折を持っては通った。高橋ユニオンズと云えばなにしろスタルヒンが投げていた球団で、私はもちろん見た記憶がある。後の解説者である佐々木信也が戦争直後の甲子園で神奈川県立湘南高校の一員として優勝して慶応を経てプロ選手になったのがこの球団だけれども、私には全く記憶がない。
 「トンボ・ユニオンズ」という名前はとても変な名前だなぁという記憶で、それもたった一年しか呼ばれていないわけだから、長ずるに及んであれは本当だったのかと思っていたこともあったくらいだ。東映フライヤーズ駒沢球場を本拠地にやっていたけれど、東京オリンピックをきっかけに壊されちゃった。しかし、あの球場には一度しか行った記憶がない。後楽園球場には阪神のゲームを見に行った記憶がある。神宮に行ったのは小学校に入る前、そしてその次はなぜか高校生の頃だったろうか。夏の暑い日で、見たのがどこの試合だったのか、全く記憶がない。ずっと前に書いたけれど、多分小学生の時に初めて入った野球場は今の横浜球場があるところにあった横浜平和球場という古い野球場だ。

田母神広報部

 どうやら産経新聞は田母神広報部を担当しているらしい。私が見つけたわけではなくて、あるメーリング・リストに書き込んでくださった方がおられて気がついた。なにしろ田母神が来月カリフォルニアで講演会をやるというのだけれど、それは何時、どこの会場でいくらで問い合わせはどこで、まで掲載しているんだから、まさに産経新聞後援のようなものだ。メールアドレスまで掲載されている。
 まぁ、田母神のスタンスと産経新聞のスタンスが合致するからやっているんであって、何がいけねぇんだという話になるわけで、知っている人にはそれなりにわかっているから良いんだろうが、これはやっぱりなにがなにだろう。
 あの時点でわが国は明確に中国に侵略し、明確に傀儡政権を樹立していた。その事実はどんなことをしても消し去ることはできない。それは大英帝国がインドを植民地としていたことを消し去ることができないのと同じだ。

人に接する仕事

 人と対面しての仕事は一方に対峙する自分という人間性を全く包み隠さず露呈する。意図的にしても無意識にしても、まったく自分の人間性を表に出そうとしないで、頑なに包み隠して行うのは難しい。
 それがそんな意図が全くわからなくても決まり事をおたがいがやりとりすれば、それで分かってしまうというものであれば、これはこれでいやいや全くの話、簡単だ。それは多分貨幣と物を交換するだけだからだ。
 ちょっと込み入った表現をしたんだけれど、要するに介護の仕事はその対象となる方が、どんな動きを必要としていて、何を果たせばその方の「快適」をより増すことができるのかというポイントを探り当てればもう殆ど目的を達することができる、ということなんだけれど、それがなかなかわからない。
 だからこの仕事に従事している人は苦労する。ベテランさんにそんな前例はないか聞いてみるとヒントにはなるかも知れないけれど、全くそれとそっくりそのままなんてことはあり得ない。なにしろ意図的に表に出さないようにしている人だっておられるんだしねぇ。
 みんなで寄り集まって、一体全体この人はどうだってんだろうかと相談してみたって、なかなか本当のところがわからない。
 そうやって毎日毎日目の前のことに悩みながら動かないわけにはいかないってのに、根本的な法を整備していく人たちの動きはあたかも人ごとのようだ。そして現場で動く人たちは自らの精神的高揚感を糧にして今日も明日も自らを鼓舞している。その力が萎えてしまわないうちに、本当に報いてあげられるようなシステムにしなくちゃならないんだぞ、と手遅れにならないように動いていかないものかと考えるのだけれど、そのために私が今できることはなんだろうかと思うと、あの一票を投票することでしかないのかと思うと茫然自失だ。いい加減に策を弄していつまでもこうした労働に対する支援をないがしろにして平気でいるのを止めて、根本的な解決を図ることにしようじゃないか。たかだか数%の報酬改善なんてことで物事が見事に解決できるわけがないじゃないか。だみ声の口の曲がったおっさんが1.2万円をもらうのもらわないのはもうどうでも良いから、真剣にやれよ。

 意味があるのかどうかこっちからではわからないけれど、豪州のケビン・ラッドは年末の交付金に加えてまた金をばらまくといっている。だみ声のおっさんがうろうろしている間にバンバン動いている。どうやら前原が云っていた「やるやる詐欺」ってのはあながち外れちゃいないかも知れないなぁ。