ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

Jet Star

 近頃テレビでもタレントのビッキーベッキー」(朋に感謝)が出てきて宣伝しているオーストラリアの格安航空会社。今年になってからは関西空港と成田から飛ぶことになって大宣伝に努めている。しかし、Sydneyへはダイレクトには飛ばず、Gold Coastまでしかいかないからどこで必ず乗り換えになる。料金は持ち込みバッグのみから始まり階層がいくつかに分かれているだけでなくて、機内サービスが全くない状態を基礎に何もかもオプションで提供される。ブランケットすら金を出さないとない。しかし、安い。燃料サーチャージがある。どうもよく知る人の話ではこれが未だに適用されているのは日本料金だけらしいし、豪州初の運賃設定と日本初料金の設定に大きな為替差があるそうだ。料金はその時々でどんどん変わり、複雑きわまりなく、mixiでは悲喜こもごもが語られる。
 最も注意をしなくてはならないのは、ここの飛行機が設定時間でそのまま飛んだという経験を語る人がずいぶんと少なくて、遅れた、それも大幅に遅れたという人がたくさんいる。つまり全然コントロールできていない様子が窺えるということだ。まぁ、どこでも格安航空会社は全く時間に縛られない人にしか使えないわけで、そうした人々のためにあるんだろう。それにしても時間がたくさんあるとはいえ、高齢者には辛いかも知れないな、それは。

昼夜逆転は

 引きこもりになってしまうと昼夜が逆転する。多くの場合に見られる現象だ。そうなることによって自分以外の人間と接する危険性を回避できるからだ。人と接することによって自分が間違っていることを認めざるを得ないものなぁ。とても些末なことではあるのだけれど、自分にはそうすることの理由があるのだけれど、それを相手に持ち出しても多分圧倒的に不利な理由で簡単に否定されてしまう。ま、自分が考えても相手をそれで追求できるほどの証拠はそこには転がっていない。そうかと云って今更その不満をどこかにうっちゃって知らんぷりをして、アハハ!という態度をとったんでは自分が心に持った不満の高まりとその正当性を全部自分ですてちまうことになるから、そうもできないままずるずるすることになる。
 そして一度このサイクルに入り込むとまたそのうち、同じ状況に陥ったときに第二弾がやってくる。
 大きな声で、大きな態度でその発端となった不満とどこかで決着をつけられると良いのだけれど、それがどこまでも引きずることになってしまうのだ。実はこの間にどんどん体力が失われてしまうらしくて、同じ作業でじっと堪えるとか、何度も身体を同じ動作を繰り返すことによって成立する作業なんてものに堪えられなくなってしまう。すると立ち直ろうとしていても物理的にできなくなってしまう。
 早いうちに、できるだけ早いうちに最初のその不満をぶちまけろ。もうなんだったのか忘れちゃったんだったらそれでも良いから、一度何かを破裂させろ。

いやぁ、驚いた

耐用年数を過ぎたり、壊れたりして休止した衛星、打ち上げロケットの破片、これらの衝突で生じたごみ、宇宙飛行士が落とした工具など、その数は3000万〜4000万個、重量で数千トンに達すると推計される。(2009年2月13日付・読売社説)

 アメリカとロシアの衛星がぶつかったんだそうだ。

最高裁判決 中国残留孤児婦人

 中国残留婦人3人が国を訴えた裁判の最高裁判決があって、「最高裁第1小法廷(宮川光治裁判長)は12日、原告側の上告を退ける決定を出し、原告敗訴の1、2審判決が確定(毎日新聞 2009年2月12日20時37分 最終更新2月12日22時51分)」だというのだけれど、「(4人の裁判官のうち、弁護士出身の)宮川裁判長は「政府に自立支援の法的義務があったと解する余地があり、日本語習得などの支援が早期・適切に行われたか、国に違法性があるかについて議論の余地がある。上告を受理して判断を示すべきだ」と反対意見を述べた(同上)」のだそうだ。最高裁判所の結論は上告棄却だけれど、本当は議論するべきだといっている人がいるということだが、これは原告に対して慰めにはなるかも知れないけれど、実際にはなんの足しにもならない。尤も「改正中国残留邦人支援法の成立(2007年11月)」で殆どが訴えを取り下げ、司法の判断を仰ぎたいとこのケースともうひとケースが最高裁までいった。
 結論的にいえば、残念ながら時の政権(今でも続いている与党が構成してきたのだけれど)が政策として中国に残してきてしまった人たちをそのままにして目をつぶってきたのは「国の広範な裁量」任せだからしょうがないんだよ、諦めな、といっているということになる。そうしてたった三ヶ月の日本語教習支援で家族を含めて放り出してきた。
 「家族をずらずら連れて、金目的で日本にやってくるんだからそれで良いんだ」とまでいう人々がいるのも知っている。しかし、その原因がどこから始まったのかをやっぱり明確にしておかなくてはならないと思う。「日本は中国に侵略していない」といくら威勢良くいってみたところで、傀儡国家に155万人も送り込んでいたんだからそれは無理だ。傀儡だろうとなんだろうと満州という国家に移民したのだといってみたところで、それは現実から目を背けていることに違いない。あたかも日ソ不可侵条約は日本とソ連の間に結ばれていたもので、満州はこの条約に絡んでいない、とソ連の8月6日の満州侵攻は条約違反じゃないというのと同じだ。

 なぜか、この記事は産経、読売のサイトでは発見できない。追記:産経は2009.2.13 00:02で掲載。

追い込まれる麻生

 12日に自民党本部で開かれた「郵政民営化を堅持し推進する集い」での小泉純一郎元首相の発言:

 私は最近の(麻生太郎)首相の発言について、怒るというよりも笑っちゃうぐらい、もう、ただただあきれている。一昨日も、首相から「話がしたい」というんで電話で話したが、その時、たまたま小野次郎衆院議員の「総理、それはないでしょう!」と、世耕(弘成)参院議員の「それを言っちゃーおしめぇよ!」というブログを読んでいた。「首相にこういう意見は耳に入らないだろうから、官邸に小野さん、世耕さんの文章をファクスで送るから、よーく読んでおいてくれ」と言っときました。
 「だいたい、首相とか執行部の方針に批判的な意見を若手が出すと、執行部から『後ろから鉄砲を撃つな』と抑え込みがかかるが、最近の状況は、首相が前から『これから戦おう』としている人に鉄砲撃ってんじゃねえか。発言は気をつけてくれ」とよく言っておいた。
 まあ、私についても「常識の通じない男」「奇人変人」とか言っているようだけど、私は自分では常識をわきまえた普通の人だと思っている。私もたまに非常識なことをするかもしれないが、だいたい常識的な「まあ、その線かな」というところに持っていくため、よく話し合うことが必要だと思う。
 「ねじれ国会」と言うが、決してそんなに悪いことじゃない。政策優先という国民の声が強いから、衆参の意見が違ったら、どういう政策なら国民が納得できるか、よく協議してもいいと思う。
 定額給付金についても、首相は「さもしい」「自分はもらわない」「いや、そんなことは言ってない」とかいろいろと言っているが、私は本当にこの法案が(衆院の)3分の2を使ってでも成立させねばならない法案だとは思っていないんです。私は引退表明して、あまり多くのことは言わないが、「あの時賛成したけども、実はそうじゃなかったんだ」と言いたくないから、給付金についてもっと参院の意見と調整して妥当な結論を出してほしいと思っている。
 選挙を目前にした大事な時期で、9月までに国民の信を問わなきゃならない。政治で力を得るには信頼だ。特に首相、首相の発言に信頼がなければ戦えない。信頼が大事なことを肝に銘じて、なんとかこの難局を切り抜けるよう、皆さんと共にいい知恵を出していきたい。(毎日新聞 2009年2月12日 23時35分(最終更新 2月12日 23時44分))

 毎日新聞の記事には右に武部、左に中川秀直を従え、小泉は立って紙を読んでいるから、彼はこれを準備してきたということか。テレビで見ればわかるのだろうけれど、昨日は早くから寝てしまった。それにしても出席者がたったの18人というのはどうだ。
 麻生が「郵政民営化に反対だった」といえば小泉が「定額給付金なんて成立しなくたっていいや」といっている。あっちもあっちならこっちもこっちだ。
 昨日の森某の発言やら、この小泉のいいたい放題やらを見てくると明らかに自民党はもうどうしようもない。やって来たこともこどもののようなことだと思うと、党内応酬も小学校の児童会でもばかにされそうな低次元。
 こんなことをわざわざ集まって見せて、麻生に「そりゃないだろう」といって見せるなんてことをやっているようじゃ、もう国会に携わる政治家としてレベルが低すぎる。そんなことはわざわざ新聞記者を集めずに勝手にやったらいいじゃないか。狸の巣の中のことはもう狸の村の中でやればいい。後は何があってももうほぼ自民党の政権が続くことはないだろう。この状況でまだ自民党を支持する人がいるとしたらよほど既存の体制で美味しい目を見ている人だろうか。
 ところで小泉お気に入りの世耕のブログを見ると、なるほどと思える。

「実は反対でした」などとは口が裂けても言えない。「委員会の理事は議事進行が役割で法案の中身には関与していませんでした」とも絶対に言えない。それこそが政治家の「矜恃」というものだろう。

 森某なんかだったら、男気のある意識の持ち方だろうといってしまったりするんだろうけれど、よく考えてみると、国家の政治に携わる、しかも与党に所属する議員がこういっているということは「実は反対」でも唯々諾々と党内の存在を確保するために「賛成」し、「委員会理事をやっていると法案の中身なんてわかんなくても普通だ」といっているということなのだ。
 昨日の保阪のレクチャーにも通じるのだけれど、なぜ日独防共協定から三国同盟に移っていくのかと聞かれた大島浩が「風が吹いていた」としたのと、小泉+竹中の郵政民営化に対して麻生が「私は反対だったけれど」というのとその無責任さ、実情を把握せずに冷静に判断することができないリーダーが率いているという点で似ている。イヤ、似ているということで全ては終わらなくて、こうしたリーダーに率いられているという点で戦前から今まではものの見事につながっているということだ。
 ひょっとするとこの国はアジア太平洋戦争後も相変わらず国民、市民のために国家が存在するのではないのかも知れないという懸念を持つ。
090213追記:森某は記者団に囲まれてコメントを求められるも「どけよ!」の後、取り巻きに「どかせろ!」といった挙げ句、何度も追いすがる記者に「うるさい!」「うるさい!」と怒鳴りつけるという始末。もうダメだなぁ。