ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

友達のバンド

 友達のバンドの、年に一度のライブが祐天寺にある、日本を代表するキーボーディストの一人である深町純の店であった。16時入りと聞かされていたので行ってみるとセッティングをはじめたドラムスが「あっ!?」と声を挙げる。一体何事かと思ったらキックペダルを忘れたというのである。本当に自分の足で蹴ったらどうか、なんて冗談も殆ど笑うことなく、彼は真っ青な顔をしてとって返す。その間、他の人でリハ、サウンド・チェック、といってもフージョン系のバンドだし、かわいい箱なんで殆ど問題なし。モニターが足下にほしいとキーボーディストが云うけれど、機材がなくてそうも行かず。
 満席の仲間のお客さんで実にほのぼのとした集まりで、私は久しぶりに楽しい思いをさせていただいた。私が自分の偏愛文具歴を語っただけで笑いが出るというのはこれはちょっと特殊だ。
 メンバーのお友達らしき人がPAをやってくれたのだけれど、それはそれは流ちょうな腕前でこんな人は珍しいなぁと思ったら、学生時代にそんなサークルにおられたというのである。放送研究会でもなくてそうした技術のサークルが独立してあったというのも、考えてみればあってもおかしくはないけれど、かなりピンポイントな分野だ。こういう人がいてくれるとこうした小さな箱では相当に安心感がある。そういえば中目黒のライブハウスのPAもとても安定していて素晴らしいなぁと思ったのだけれど、なんと青山の某超有名ライブハウスでPAをやっていた人だと聞いて舌を巻いた覚えもある。この辺は目立たない技術で、なかなか日の目を見ないけれど、実に重要で、いつも感心する。
 始まりが遅かったものだから、打ち上げに入ったのも遅く、結局メンバー全員で、なんとオールをしてしまった。私にとっては11年ぶりの出来事である。大丈夫かなぁ・・・。キーボディストの家が遠いというのを聴いて酔っぱらって家に電話をし、ひょっとするとひょっとするから布団を敷いておいて、といったようだ・・というのは酔っぱらってわかっていない、なんちゅう情けなさだ・・・。目が覚めたら思いっきり家人の機嫌が悪いのには笑うっちゅうか、どうにもならない。「ごめん、すみませぬ」といっても肌寒い風が吹きつける中で冷凍庫を開けたようだ。

ゴスペル 宗教音楽

 メソジスト教会の賛美歌から始まった教会で主を賛美する歌。だからウーピー・ゴールドバーグのあの映画も変。あそこはカソリック修道院の話だもの。だから、信者が人口のわずか1%にしかならないこの国でこんなにゴスペルを歌うグループが存在するのは変。そんなに信者がいるわけないもの、メソジストの。
 ゴスペルといいながらソウルの歌を歌っているグループだっている。だったらソウル・グループだっていえばいいのに。
 確かに強いビートの曲を4声でみんなでスウィングして、手を打ち鳴らして思いっきり声を張り上げて歌うのは楽しいし、達成感がある。しかし、まったく考えたこともないのに「主よ!私はあなたの枝である!主を讃えよう!」と唄うのは如何なものかと思う。
 御詠歌をライブハウスで(そんなことやるやつはまさかいないか・・・)やられたら多分仏教徒としては違和感があるんじゃないかなぁ。尤も雅楽をジャズに取り入れてくれるプレイヤーがいたら絶賛かな?そういえばロックバンドをやっている坊さんだっているしね。そんなことをいったらこの前テレビで坊主がやっているバーというのがあった。悩みをお伺いしますってんだね。本末転倒かもなぁ。それともあれこそが究極のアウトリーチか?この辺はテーマにしても良いんじゃないかな。

米共和党・保守派の矛盾

 例のオバマ医療保険改革についてワシントンで大規模な反対デモがあったという報道があった。

デモ参加者らは「オバマの国家には投票しなかった」「権力者を解任せよ」「(オバマ大統領は)代表だが支配者ではない」などと書かれたプラカードを掲げながら行進。ナチスのイメージや、オバマ大統領をアフリカの呪医になぞらえたポスターも多数見られた。
ティー・パーティー・エキスプレスが先月28日から全国で展開してきた抗議活動の最終日。
ティー・パーティー・エキスプレスは保守派政治団体から資金提供を受けている。(2009.09.13 Web posted at: 13:05 JST Updated - CNN)

 リーマンなんたらはじめやくざ金融企業がむちゃくちゃにしてしまった米国経済を救うためにあっちにもこっちにも国費をつぎ込んでいることに対してこれほどの反対運動は起きたのか?あっちはOK、こっちは社会主義者か、独裁者かという反対運動が矛盾していることに気がつかないのか。民間医療保険会社の既得権が守られれば共和党にまた政権が戻ってくるという考えか。そんなに米国民は視野が狭いのか。あ、人のことはいえないかな。ずっと尻尾振ってきたんだ。

活字媒体の岐路

 サンフランシスコで戦後創刊された日米タイムスがついに廃刊になったという。こちらの北米毎日新聞のサイトに日米タイムスの岡田幹夫社長のインタビューが掲載されている。
 この中でも語られているように活字媒体はどんどんネット上に流れてくる無料で提供されるニュースに押されていく。ルパード・マードックはネット上のニュースも有料化していくといっている。そうでもしないとニュースの提供者が著しく減少すると云うことだろうか。FOX系はどうでも良いけれど、確かに、あぁそうか、そうでもしないと活字新聞はなくなってしまう運命にあるんだな、と今更ながら気がつく。
 しかし、ぽつんと離れた地域の人たち、あるいは技術的にネットを駆使することのできない人たちにとっては、携帯電話も持っていないのに公衆電話を撤去されてしまう状況と同じことになって、活字新聞も来なくなり、文化・技術の進歩によって情報が制限されてきてしまうという状況になりかねない。
 ネット環境がどんどん進化するに従って、ネット上を飛び交う情報量はどんどん大量になっていく。かつてサイトのページが開くのをじっと待っているのが当たり前だった10数年前から比べたらとてつもない状況になっていると云うことに今更ながら気がつく。
 こうなると通信状況に応じてそれに携わる企業というのは形態がどんどん変わっていかなくてはならなくなるだろう。現場から一体誰が正しい情報を流していくのか、という第一歩から変わってくる可能性があるのではないだろうか。つまり情報産業が自ら抱える社員ではなくなっていくと云うことがあり得るだろうか。しかし、それでは何が正しくて、何がバイアスのかかったものかという判断が難しくなる。
 NHKの様な報道機関は元々情報の受け手から対価を受けているのだからこれまでのやり方通りで何ら問題がない。すると活字媒体そのものはどんどんその発行部数を減少させていき、最後はネット上の配信企業になるしかないのだろうか。そしてそれをプリントアウトしたものを希望者には印刷代を取って配るという、今のあり方の逆になるということではないか。そうなると宅配便がまさにかつての郵便局の配達の役割を果たすことになる。その時には宅配便に何もかも頼る形になっていて、結局これが国有化されることによって最後の情報ライフラインを構築していたりする。亀井先生もこの時まで長生きされることをお奨めしたりする。
 こうなると民間の情報配信企業はその企業形態が大きく変わっていることだろう。それにしても、そうなるとニュース・ソースがどんどん限定されていくのだろうか。
 こちらのようにやっぱり有料化、だろうか。
 それで公正が保たれるだろうか。