ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

18年監禁

 このキーワードでやたらアクセスがあるのはどうしてなんだろうと思っていたら雑誌の「People」最新号の表紙に、あの被害者だったJaycee Dugardがにこにこしている写真が出ている、という話題かららしい。この辺が日本人の感覚からするとちょっと考えられないのである。(写真はPeople誌のサイトから)

一家の広報を担当するエリカ・シャルト(Erika Schulte)氏「彼女はとにかく輝いている。(ピープル誌の)写真を見たとき、ぞくぞくした。今の彼女の様子を完全に写し出しているし、家族と一緒にいられる喜びや新生活に対する期待を物語っている」「彼女は大人であり、母親であり、姉であると同時に娘だ。そのすべてと共にいることはとにかく驚きだ」「(彼女をめぐる)状況を知らずに部屋に入ったら、普通の家庭とまったく同じに見えるだろう」【10月15日 AFP】

 どのようなスタッフが彼女と二人の娘のために心理的なケアをしたというのだろうか。そんなケアがなかったとはちょっと考えにくい。それにしても俄には信じられないできごとだ。

田中正平

 BS Japanで「ヨーロッパ 音楽の旅 〜ドイツ皇帝が愛した幻の楽器と日本人〜」という番組をやっていて偶然見てしまった。西村由紀江というピアニストがかつてドイツに留学していた田中正平(1862年5月 - 1945年10月)が考え出した「純正調」のオルガン「エンハルモニウム」を探して歩くという番組である。普通の鍵盤楽器やフレットのある楽器は音階が不連続で半音ごとにしか音が出ない。そうすると和音を作り出す時に若干のずれが出る。それを私たちはそれでいいやとごまかして、あるいはそれはそうしたものとして受け取ってきてしまっているけれど、田中正平は一音を1/8に区切ったところまで理想を追った鍵盤楽器、パイプオルガンを作ったのだそうだ。実機はドイツが受けた二度の戦争をくぐり抜けられなくて、もう残っていないが、その理論を受け継いだパイプオルガンを見つけ出し、それを最後は西村が弾くという寸法である。
 最後はウィーンにまで行くのだけれど、やっぱり豪勢な商人が住んでいた街だけあって、そこに出てくる教会なんか、いやもう、華美な後手後手であるのだけれど、一度はあんなものを見て見たいものだと思ってしまうのだ。
 それにしても大変恥ずかしながら、小生は田中正平なんてこれまでに聴いたこともなかった。

概算要求95兆円

 これまでに比べて史上最高の額に到達。ほじくり出した3兆を差し引いたって90兆を遙かに超える。そりゃもちろんこれまで自民党公明党連合政権が斬りに斬ってきたものを復活どころか上積みするわけだから増えて当たり前で、これが減っていたら何してんだよ、という話だ。
 さて、問題はどれだけ財源を確保できるのかという話になるんだけれど、これまでも大幅に国債に頼ってきていたということはこれまでの政権は歳入について根本的に、なおかつ革命的に考えを変えるということを何もしないできたということに他ならない。それはなぜかというと、そんなことをしたらこれまで確保してきた有権者を裏切ることになるからだ。ところがそんなことはもう通用しなくなったというのが8月末の選挙の結果なんである。
 つまり、民主党を中心とする三党連立政権は何をしなくてはならないのかというと、税制を根本的に変えるということをして歳入を増やさなくてはならないということなのだ。
 これは要するに高福祉・高負担社会の到来を意味するのだ。法人税もさることながら、消費税は昔の特別飲食税、奢侈品加算税といったものを復活する。相続税の免税額を下げる。その代わり介護費用の本人負担を下げる。宗教法人への課税も検討する。
 しかしながらここには問題がある。所得の補足の精度が上がるかどうかなのだ。脱税の摘発、負担逃れの摘発にどれほど注力することができるかという問題が大きい。そうかといって国民総背番号制を採用するとファシズムに容易に繋がる道を開いてしまうことになりかねない。これまで緩くて美味しい所得を得ていた部分をうやむやにしないではっきりしていこう。
 暴力的不法行為組織の摘発は相当なエネルギーを割いても反対意見は出ないだろう。経済犯を犯した人間は背番号制にするという方法はあるだろうか。
 私たちが目指しはじめているのは自民党公明党、特に小泉・竹中心自由主義ではなくて、ブッシュ親子路線ではなくて、北欧の社会主義的高福祉社会なのだということをこの際はっきりしようじゃないか。
 そしてなんの役にも立っていない特定法人を精査しようじゃないか。仙谷由人に下にスタッフを集めて、片っ端から特定法人を洗うことにしようじゃないか。各省庁に任せておいたら何もしないのに決まっている。金庫に手を突っ込もう。一気に走ろう。片山さつきがなんというか知らないが、振り子はまだまだ戻らせるわけにはいかないのだ。

喰いもの

 ここのところ朝ご飯はずっとパン。ただし、オムレツを創る。タマネギのみじん切りをチン。ジャガイモを小さく切ったものをチン。ハム、トマトをやはり小さく切って卵一個を加えてかき混ぜ、それを焼くだけ。+コーヒーとトースト一枚。時と場合によって茹でたブロッコリーを2-3片。
 今日の昼は軟骨入りつくねと蕎麦。食べ過ぎだな、これは。

高まる期待

 ドウス昌代という名前はずいぶんと変わっている。Duusと綴って米国人は多分「ドゥーズ」と発音するだろう。なぜ彼女は自ら「ドウス」と書いているのだろうか。日本人には発音しにくいだろうという読みか。
 彼女は1938年の岩見沢の生まれだとされているから、今年で71歳となるはずだ。「イサム・ノグチ—宿命の越境者」を上梓してからもうすでに10年近く経とうとしている。夫であるスタンフォード大学の史学部で名誉教授であるPeter Duusがそろそろ76歳の様で、彼が妻の著作を英文翻訳してきたのだと聞いている。こうなるとじっくり時間をかけて実に細かく資料を読み込んで書いていく彼女の新作というのはあまり望むことは難しいのだろうかと思っていた。
 ところが講談社のサイトに「書き下ろし100冊 講談社創業100周年記念出版」なんてものがあって、その100人の作家の名前の中に彼女の名前も連なっているのである。
 これまでに33人の作家の著作が刊行されていて、2008年11月からの2年間ですべてを刊行する予定なんだそうだ。つまりあと一年以内に67冊が刊行されるということになる。これは大いに期待しても良いだろう。今度はどんな日系米国人が登場するのだろうか。戦争花嫁を扱ったものだったらとても嬉しいのだけれどなぁ。彼女だったら必ず間違いのない仕事をしてくれるのに相違ないと確信する。
 ちなみに保阪正康の「明仁天皇裕仁天皇」もこの一冊だったそうだ。彼も北海道だったなぁ、八雲町。

明仁天皇と裕仁天皇

明仁天皇と裕仁天皇

全日本・岡田武史

 見るのを忘れてしまったのだけれどろくな選手が来なかったトーゴと日本の試合の後、岡田武史はTBSのインタビューに答えなかったのだそうだ。それは放映権を買った放送局の契約上の一項目になっているのだそうで、岡田武史はその契約を破棄したことになるのだそうだ。(それにしても対戦相手としては最悪で、なんだか4-50年前の話のようなエピソードばかりを置いていった。)
 しかし、今月の3日にTBSが放送した「スーパーサッカー」での岡田武史のインタビュー番組がその発端になっているんだと共同通信が伝えている(2009/10/15 21:45)。当日のスーパーサッカーでのインタビュアーは小倉隆史で、その質問は岡田が掲げている「ワールド杯でベスト4を目指す!」は実現可能かどうか、という街のアンケートなんてものを見せる。全くデーター分析をしたら世界ランキングで40位台の日本がベスト4なんかにいける可能性がある!と断言できるわけがないのであって、それをまともに可能か、無理かと問うこと自体が岡田武史の姿勢と全く大きく軸がかみ合っていない。それはそれで面白いといってしまうのが亀田にいつまでもぶる下がっているこの放送局のアホなところだといってしまえばそれまでな訳だ。
 やろうじゃないか!やろう!で頑張るのがチームスポーツだ。(自民党はスポーツチームじゃないってところに谷垣も気がついた方が良い・・・あ、あれは森の差し金か!)。
 挙げ句の果てに、小倉のアイディアなのか、あるいは小倉を使ったTBSのディレクターのノー天気さなのか、岡田武史に「カズを外した真相はなんなのか?」と質問した。これで腹を立てなかったら余程の人物なのか鈍感な奴なのかということになるのだけれど、岡田武史は怒った。「もう二度とこんな番組でねぇよ」といったのだ。彼は日頃からざっくばらんに発言するタイプで、大阪出身の割には結構べらんめえ調の言葉を使う人間だからかなり真剣に怒っていたことは事実だけれど、目が笑っていたからその実はどうかなぁという気はしないでもない。
 全日本の監督は誰がやってもどうせマスコミが先頭に立ってぼろぼろにされてしまうのはわかりきっているし、多分今回も終わった時に「ベスト4にはなれませんでしたねぇ」という質問が飛んで岡田武史が苦々しい顔をするんだろうと想像ができる。「そうじゃないんだよ、この俺がそんなに勝てるわけがないだろうといって、一体何が起きるっていうんだよ!」とまた彼が押さえた口調で言うのが目に浮かぶ。
 八ッ場ダムも、この狭い日本に100カ所になんなんとするほどの地方空港も、でれでれだらだらと作り続けてきた自民党政権の腐れ縁をきっぱりと断ち切るためにはその流れをいったんぶっちぎらなくてはならないわけで、それを「予定されていたわけですからしょうがないですね」とやっていったらなにもこれまでと変わることはできない。「変えよう!」「そうだ!」といった私たちにその責任の半分はあるのと同じだ。

 くだんの共同通信記事は

TBS側は「(騒動の)火種は弊社の番組。失礼に当たる(内容があった)のは否めない」とし、必要ならば岡田監督に直接謝罪する意向を示した。

とも伝えていてこれが本当ならばあの放送局にもまともな社員がいるのかも知れない。
 それにしても前回はあんな嫌な雰囲気の中で全日本監督を終えたのだからまたまたこの役割を引き受けるっていうのはよくよく岡田武史は人が良いというのか、義理人情の人間だというのか、意欲的だというのか。先輩には逆らえない体育会系の人間だということなのか。今度あったら聴いてみよう。