ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

落語協会会長

 この度めでたく落語協会の新会長に柳家小三治師が就任。持病のリウマチが心配されるところ。なにしろ先代の小さんが長いこと会長をやったんだけれど、その後は例の「やま、やま」の元歌奴の圓歌に、元柳家かえるの馬風だったんだから、落語協会も人材不足といやぁ人材不足。噺家連中にどうかという話もさることながら、なにしろお客があっての物種なんだから、客受けする会長という役割も重要。
 そういう点からいったら、前二代の会長は今や二人とも、ろくな話を高座にかけるわけでもなく、かたや自分のうちの年寄りがどうだったか、如何に面倒を見たかという自慢話しかしないし(そんなのは誰でもがやってきたし、寄席で年寄りをバカにするような話をするんじゃないってんだ。そういう点では文珍も許し難いのだ)、もうひとりなんかはそれまでずっと先がつかえちゃってこっちが先に逝っちゃいそうだ噺ばっかりだった。
 いや、これでようやく落語協会らしい会長になったといって良いだろう。さて、ここでまた頭を悩ますのは次だねぇ。ま、そんなことはこの際もう良いか。

お墓

 うちは前にも書いた通りに死んだ親父が農家の三男坊だから、それまで墓というものがなくて、お彼岸が来ても、よそのうちのようにお彼岸の墓参りがどうとかこうとかという行事なんてものはなかった。
 ある日、その親父が「墓を買った」といったのはバブルの頃のことだからもう20年以上前のことだろうか。それを聴いた時はホッとした。それまで考えまいとしたりして現実逃避をしていたんだけれど、彼が死んだら、墓をどうするのかを考えなくてはならないなぁという問題があった。それがある日突然解決していた。一度車に彼を乗せてその墓なるものを見に行ったことがある。随分不便なところだなぁと思ったけれど、そんなところだからこそ墓として売りに出たんだろう。墓石も建っていて、こりゃ結構なことだった。
 ところが彼が死んでからはじめて知ったのは、その墓がわが家のものだと証明する書類が見つからない。その墓地の管理事務所にそういったら、証明はできるけれど、それの証明書を作り直し、なおかつ名義人の書き換えが必要だというのである。なんだ、その名義人ってのは、と思った。不動産買っているわけでもあるまいに、そんなものは届け出だけかと思ったら書き換え料を払えという。その時にまた知ったのだけれど、この墓地を管理する法人はバブル期にゴルフ場開発に手を出して、バブルがはじけ、やばいことになっているというのである。さもありなんだ。
 こうして考えると今これからの時期に、墓はかなり大変な問題になる。高度成長期に入ってから地方からどんどん青田刈りのようにして企業社会の歯車をかき集めてきた都会にはもう墓地は飽和状態になっている。これから先、どんどん需要と供給のバランスは崩れていく。死者の埋葬についての考え方を根本から見直すべき時期に来ている。住宅と同じように集合化をより促進していく方法を考えなくてはならないし、ひょっとしたら考え方として墓地という概念を払底することも必要かもしれない。さもないと金がなくては墓地に埋葬すらされずに終わる人生がそこここに発生する。
 わが連れ合いではないけれど、死んだら誰にも知らせずに火葬に付し、骨はどこかの山に散骨して欲しいという人には何人も出会う。その「どこかの山」が問題だ。こうなると、富士山の麓の高台に「公営散骨場」でも作るということだって真剣に考える必要だってあると思う。確かにエジプトの王様じゃないんだから大きな墓を作るのももはや羨望の目で見られる時代ではなくて、蔑みの目で見られるようになってくるのかもしれない。

雰囲気が

 もうtwitterで書いちゃったから二重投稿だけれど、昨日のW杯サッカーのデンマーク戦以降、テレビはいろいろな人の声を報じていて、その中でフランス大会で岡田武史から帰国を命じられたとして大騒ぎになった三浦カズが出てきた。今でも現役でプレイしているのは凄いなぁ。
 で、彼が喋っているのを聴いていると、やっぱり普通の人じゃない。なんか、どこか、誰かに似ているなぁと思ったら、それはロック’ン・ロール界の両雄じゃないか。それは、矢沢永吉、そして内田裕也なのだ。因数分解すると同項目だね、あの三人は。あぁ、気持ちわりぃ!あの手が大嫌い。

War Memorial

 豪州のキャンベラに行くとWar Memorialという施設がある。日本語では「戦争記念館」といわれているけれど、こういう施設は日本にはない。強いて上げるとこれに近いのは靖国神社遊就館かもしれないけれど、思想的な問題がここには色濃く反映されてしまっていて純粋に資料を保管する、きちんと記録として残すという施設としては認識しにくいものがある。もちろんその旨を理解した上で利用すればよいのだけれど、常にそれを意識し続けるというのは結構面倒なものがある。
 豪州は英国がトルコに攻め入ったガリポリの闘いから出兵をし続けていて、これまでに西側が加わったいわゆる戦争、侵攻(侵略)すべてに軍を出している。
 このWar Memorialの直線道路の両脇にはすべての出兵で犠牲になった兵士たちをそれぞれ慰労する記念碑が建っている。そのひとつひとつを見ながらどんな戦争があったのかを見ていると随分忘れていることがあることに気がついて驚く。もうニュー・ファウンドランド紛争なんてここ何年もその活字すら見た記憶がない。
 ここには日本人の研究者の方もおられて、豪州に足をすえた研究を続けておられる。私たちの国では純粋に資料保管という施設として、ようやく国立公文書館が興されたけれど、なにしろ戦争直後に帝都の空が煙に覆われたというくらいに殆どの資料を燃やしてしまったものだから、歴史としても欠落した部分として将来においても禍根を残し続けることになるだろう。