小林信彦『コラムの逆襲 エンタテインメント時評 1999~2002』

深夜、精神的にしんどくて目覚める。いったん起床するも、少し暖かくしてもう一度眠る。
雨。
 
図書館から借りてきた、小林信彦『コラムの逆襲 エンタテインメント時評 1999~2002』(2002)読了。小林さんがはっきりと指摘しているとおり、我々はどうしようもなく幼児化、幼稚化しており、小林さんがかかる幼稚を一顧だにしないことは明白であるが、さて、そういう我々が小林信彦を読むとはどういうことであるか。バカで無知で幼稚なわたしなどは、小林さんの膨大で鬱蒼とした、我々の失って取り返しのつかない教養の重さに、正直いって疲れてうんざりすらしてしまうところが、ないとはいえない。我々は、幼稚化した中でニセモノとして生きていくしかない。もっとも、ニセモノとして生きていくというのも、我ながらみっともなく、(こちらも)うんざりさせられるのは事実である。
 いやしかし、たんにわたしのレヴェルが低く、また田舎者であるというだけのことかも知れないな。自分の低レヴェルを、一般化してはいけない。

 
 
昼。雨あがる、曇。
イスラエル、アルジャジーラの活動停止命令 エルサレム事務所を強制捜査 - BBCニュース
【解説】 ハマスの「提案受け入れ」、ネタニヤフ氏にとって想定外 厳しい選択迫る - BBCニュース
(どうでもいいが、イスラエルハマスの「停戦交渉」で、ハマスが解放すべき人質の人数を「40人から33人に変更した」のがイスラエルの「譲歩」であり、それゆえその「譲歩」に対してハマスは停戦を受け入れるべきだ、受け入れないハマスはクソだとしたのは、茶番そのもののようにわたしには見えていたのだが。しかしそんな茶番をアメリカやイギリス、またいくらかの各国報道機関(NHK も含む)がマジメぶって主張したのには呆れた。そんなの、イスラエルの「交渉のテクニック」にすぎないことは、明白だろうに。はは、「譲歩」だって? バカくさすぎて話にならない。
 いずれにせよ、ハマスが「提案」を受け入れるとは、わたしには意外だったが、さて、イスラエル、またアメリカ、イギリスはこれに対し、どういう屁理屈をもってくるのか。もちろん、イスラエルが「恒久的な停戦」を受け入れる気などさらさらないのは明らかである。そして、そのことをじつは誰もが知っている。
 別にわたしは特にハマスの肩をもつわけでもない。気の毒なのは、殺されつづけるガザの民間人である。彼らが「ハマスの提案受け入れ」というニュースに喜び、涙を流してすらいるのをわたしはテレビで見た。しかし、彼らの喜びは報われない可能性が高そうだ。ジェノサイドはまだ終わらない、本当に、気の毒という他ない。
 わたしがこんなことを書いても無意味なことはわかっている。わたしもまた偽善者のひとりだ。)
イギリス議会、不法入国者のルワンダ移送法案を可決 深夜まで審議の末に - BBCニュース
(イギリス政府はクソだろう。こんなの、国家による一種の人身売買(金を受け取るのはルワンダ政府だが)というか、「ゴミ処理」以外の何物でもない。まったくどの口が「人権」とかいうのか。こんなことをして、中国などを非難できるのか。「欧米のダブルスタンダード」の実例といわれても仕方がない。)
 
カントの『人倫の形而上学 第一部 法論の形而上学的原理』(邦訳2024)を読み始める。熊野純彦訳。
 
金柑を食う。

ガーベラ。ヒバリ鳴く。

こともなし

振替休日。曇。
 
(母方の)祖母のバラ。祖母はわたしが小学校に上がる前に亡くなったので、このバラは少なくとも50年、たぶんそれ以上生きて、まだこうやってきれいな花を咲かせる。まあ、何ということもない素朴なバラだが、こんなに長生きするものなんだな。不思議な感じがする。祖母もまた、素朴なただの田舎のおばあさんだった。わたしにその記憶がもっとあればよかったのになといまでは思う。

三日前に撮影したもの。
 
NML で音楽を聴く。■ショパンのバラード第一番 op.23、舟歌 op.60 で、ピアノはイヴァン・モラヴェッツ(NML)。モラヴェッツ、先日のドビュッシーのアルバムがよかったので、これも聴いてみた。充分な技術をもっていることはわたしごときでも窺えるが、何よりも弱音の美しさ、抒情的表現が印象的だ。その意味で、舟歌は絶品である(ただ、デジタル録音だったらと惜しまれる)。1960年代の録音。

 
昼。小雨(こさめ)。
ショパンマズルカ op.50-3, 63-3, 7-2, 24-4, 17-4 で、ピアノはイヴァン・モラヴェッツ(NML)。軽くて美しくて、よいマズルカ。■ショパンのバラード第二番 op.38、第三番 op.47、第四番 op.52 で、ピアノはイヴァン・モラヴェッツ(NML)。これでアルバム全体を聴いた。美しいピアノで、浄化されていく。マイナーなピアニストをお探しの方に、勧められるかも知れない。
 
暗い空。珈琲工房ひぐち北一色店。
ナボコフ『ディフェンス』の続き。まあ話は結構おもしろい。ただ、いわば洗練された複雑な味の料理で、わたしのような粗野な舌にはちょっと苦手かも知れない。ナボコフは、高級な「小説のグルメ」向きの作家だろうな。
 帰りに肉屋。豚バラ肉&テキ・カツ用豚肩ロース肉を買う。安いんだ、これが。
 
小林信彦『コラムの逆襲 1999~2002』を読み始める。わたしに教養というものがなさすぎるな。田舎者であることを痛感する。
 
夜。雨。
『白聖女と黒牧師』(2023)第4話まで観る。ほのぼのほんわかとして、予想どおりおもしろいじゃん。某有名アニメ YouTuber がゴミ扱いしたらしいけれど。

天才というか天使というか

祝日(こどもの日)。日曜日。
昧爽起床。晴。
最近、午前中が(比較的)いい気分で、それなので(?)午前中何もしない。夜は九時頃に風呂を出ると、(何もしていないのに)もう一日の精神的残余物というかが澱のように溜まって、しんどくてだらだらと YouTube などを見ながら寝ころがっているうち、灯りを点けたまま眠ってしまう。まったく、非生産的な日々である。
 
鶴は飛び、龍は起つ | 玄侑宗久公式サイト
 
 
Mozart: Symphony No.39 /Karajan Tokyo Live 1988 モーツアルト:交響曲第39番 カラヤン 東京ライブ 1988 | YouTube
1988.5.5 (どうでもいいが、期せずして36年前の今日である)のカラヤン東京公演のライブ録音である。モーツァルト交響曲第三十九番 K.543、指揮はヘルベルト・フォン・カラヤンベルリン・フィルハーモニー管弦楽団カラヤンは1989年に亡くなっているので、最晩年の演奏ということになる。ソースはテレビ放送の録画か、FMエアチェックか、音はあまりよくなく、細部の分離が悪い。
 カラヤンの晩年、八十年代のそれといっていいのだろう、は、これまでわたしはあまり注意していなかったし、たぶん一般もそうで、全盛期は七十年代ということになるのだろう。しかし、これを聴いてみると、まずは衝撃的なまでの巨大さにびっくりする。目が覚めた。七十年代のアクの強さは、影を潜めているが、強度も充分だし、なにより、いまの音楽(だけでないが)にない、「中身が詰まっている」感がひしひし。我々の「枯渇」が、とてもよくわかる。
 それで思い出されるのが、小澤征爾さんの発言だ。大江健三郎との対談で、小澤さんが「カラヤン先生は生涯成長されて」などといって、大江さんが「一般にはその反対と思われていますね」みたいな会話があったのだが(たぶん、いいかげんに覚えていると思う)、ははあ、小澤さんのいっているのは、これかと(勝手に)わかったような気になった。
 わたしは最近思うのだが、カラヤンを聴くのに大事(?)なのは、彼の巨大さをよく認識して、特に領域の小さい音楽をやるとき、彼がそれにどう合わせるか、というのに留意することがひとつあるだろう。シューマンとかの録音を聴いていると、カラヤン、しんどそう。でもここでは相手がモーツァルトであり、こういうのだと、カラヤンも全力を出せて、こちらは驚くことになる。
 しかし、我々の「枯渇」ってのはどうしようもない事実だが、さて、それがどういうことかとなると、正確に言語化するのはいまのわたしにはむずかしい。何故、(仮に巨大であってすら)精神の「枯渇」が避けられないのか。まあ、自分たちの貧しさに自家中毒を起こしているのは、ほんと多くがそうだと思うのだが。
 

 
辻井伸行さん 名門ドイツ・グラモフォンと日本人ピアニスト初の専属契約 | NHK | 音楽
おお、辻井伸行君、ドイツ・グラモフォンと専属契約かー。僕はニュースとかあまり見ないので、気づかなかった。衰えたとはいえ天下の DG、これで辻井君のことを認知・評価する人もいるだろう。わたしは辻井君、現在世界最高峰のクラシック音楽ピアニストのひとりだと思っているので、これは嬉しいニュースである。辻井君のすばらしい音楽が、これでさらに多くの人に届くにちがいない。
 
スーパー。あるブログ日記を読んで老母が「〆鯖が食べたい」とかいうので、大量に刺身類を買ってしまう。キュウリやかいわれ大根も買って、今夜は手巻き寿司だな。
 
 
昼。
NML で音楽を聴く。■モーツァルト交響曲第三十五番 K.385 で、指揮はオットー・クレンペラーフィルハーモニア管弦楽団NML)。クレンペラーって昔の指揮者ってイメージで、ほとんど聴いたことがない。これもモノラル録音なんだろうな、って先入観で聴いてみたら、ステレオ録音で音が充分よかった。演奏も(当たり前かも知れないが)知情合わさったよいもの。録音年代が知りたいのだが、ちょっとわからない。

シューマン交響曲第四番 op.120 で、指揮はヘルベルト・フォン・カラヤンベルリン・フィルハーモニー管弦楽団NMLCD)。1971年の録音。
 
 
U-NEXT で『辻井伸行 カーネギーホール・デビューLIVE《完全版》』(2012)を視聴する。
 曲はマストの インプロヴィゼーションとフーガ、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第十七番 op.31-2、リストの「ため息」「リゴレットパラフレーズ」、ムソルグスキー組曲展覧会の絵」。アンコールは辻井伸行「ジェニーへのオマージュ」 op.1、ショパンの「雨だれ」 op.28-15、辻井伸行それでも、生きてゆく」。2011.11.10 のライブ録音。97分。
 いやーもう、すごすぎてめちゃめちゃ疲れた。感動というも愚か。「天才」という言葉は基本的に使っちゃいけないんだと思っているけれど、辻井君は天才というか、天使というか。まさか、「リゴレットパラフレーズ」で泣かされそうになるとは。「展覧会の絵」は、しんどくてこっちが壊れるかと思った。
 しかし、さすがカーネギーホールというか、いいお客さんたちで、辻井君も感動してボロ泣きしていたな。ライブを生で聴いた人は、一生ものの体験になったことだろう。

 
 
夜。
『僕の心のヤバイやつ 第2期』(2024)第25話(最終話)まで観る。うーん、よかったけど、原作を既に読んでいたのが残念だな。話をすべて知っていたので、そうでなければもっと感動したかも知れない。いい話なのはそうだった、原作にほぼ忠実(最終話は少し改変されていたが)。
 OP、ED もすべて観て、こちらもよかったが、ちょっと既視感(既聴感?)があって素直に楽しめなかったのも残念。まあアニソンは似たようなのが多くて、それは仕方がないけれど。

扶桑町の木曽川左岸へ

祝日(みどりの日)。晴。
昨日は一万歩歩いたくらいだと思うが、そんなので疲れてしまったな。
 
みかんと夏みかんの白い花がいっぱいに咲いている。いい匂い。みかんの木は寿命が来て半分枯れてしまったが、今年はその残りの半分に生(な)りそうだ。最後かもしれないな。
 
 
昼。
先日犬山を訪れた際、木曽川左岸(愛知県側)に木曽川を眺めるよさそうなポイントがあったので、ドライブも兼ねてひとりでいってきました。
 各務原大橋経由で愛知県へ渡って、お囲い堤ロードをずっと上り(新緑のトンネルがきれいでした)、愛岐大橋南をさらに越えたあたりで、堤防を降りて適当に車を駐めます。

扶桑町が整備しています。

木曽川、奥は各務原市の伊木山。

ちょっとわかりにくいですが、新愛岐大橋の建設が進んでいます。
 
もう少し上流へ行って、また車を駐めます。木曽川犬山緑地の近く。

上流方向を眺めます。奥は各務原市の鵜沼の町、左は伊木山。



伊木山のほぼ全体。

奥にライン大橋、右に小さいですが、国宝・犬山城天守が見えます。

犬山城天守

ノイバラ(野茨)。

後ろからブーンと飛んできて、首筋にがっちり留まったのでさすがにちょっと驚きました。車に入れるわけにもいかないので、下りてもらいました。ウバタマムシかな?

堤防を登っておしまい。
 
もっと下流木曽川扶桑緑地公園にも寄ってみましたが、ここは家族連れ向けの、遊具が置いてあるようなふつーの公園でした。川も見えず、人もたくさんなので、早々に退散。
 あとは犬山までいってライン大橋を各務原市へ渡り、市民プールの前のコンビニでポカリスエットを購入。外気29℃で、ほとんど真夏日でしたから、喉が渇いた。堤防道路を下って、緑の多い田舎道を帰宅。そうそう、堤防にオレンジのオオキンケイギクが咲き始めていました。
 

 
夜。
中国、フィリピン沿岸警備隊の船に放水 BBC特派員が同乗取材(BBC) - YouTube
米大学での「反ガザ攻撃デモ」、キャンパス内で何が 学生らの思いは(BBC) - YouTube
 
早寝。

老父の傘寿のお誕生会

祝日(憲法記念日)。晴。
 
(我々のいちばんの問題点は、「生きていない」ということだろう。生のリアリティが感じられなくて、どうして生きているといえるのか。恐ろしい時代である。「知」が生を殺すとは、既に散々いわれてきた陳腐な真実であるが、こんなことをあらためていわねばならないとは。象徴構造は、生のリアリティそのものに比べれば本当に貧しいものだ。
 善良さへの志向性。ってむずかしいことをいわなくても、ふつうに、素朴に善良に生きるということ。どうして我々は、マウンティングし、幼稚なナルシシズムを満たす、そんなことばかりしているのか。凡庸でいいのに。いわゆる素朴な無名の民衆、「地の塩」というものが、消滅した時代。インターネット、恐るべし、である。)
 
午前中、気分がよかったのでひさしぶりに一時間あまり散歩。陽射しが強くなってきたが、まだ快適に歩ける。世界がすばらしく美しく、いつもながらとてもカメラには収められない。

ゼニアオイ。


いつの間にか今年も用水に水が流れ始めた。

葦(アシ)。

ユウゲショウ、らしい。




矢車菊ヤグルマギク)。


レンゲ(蓮華)の咲く田んぼも少なくなったが。小学校への通学路とか、かつては一面にレンゲ田だったような記憶がある。


左下はシロツメクサ

アメリカフウロ、らしい。



わかりますかね、ジャガイモの花ですよ。



ムラサキカタバミ、らしい。

ニゲラ、らしい。


さくらんぼかな。




ガザニア、かな。

どこかのお宅の、すばらしい芍薬たち。




カタバミ


テッセン(鉄線)。
蝶やツバメが飛び回っている。
本当にいい日和で、歩いてよかった。こんな日はめったにない。
 


 
昼。
妹一家来訪。老父の「傘寿のお誕生会」をやる。ホールケーキを買ってきてくれて、「80」ってローソクも点けて、皆んなでハッピーバースディ・トゥ・ユーを歌う。妹夫婦、孫たち(わたしからすれば甥たち)、やさしーねー。老母が作った老父の「記念アルバム」を見て、笑い合う。さても、じい、長生きできてよかったねえ。
 
老母が夕食の用意をしている間、他の者たちは散歩。近所に大きな古墳が二つあるので、わたしが先導して一時間くらい歩く。なんか好評だったようで、よかったな。
 
夕食はいつものおばあちゃんの料理。もう(飲める人は)皆んなアルコールが入って、楽しくやる。上の甥っ子が学生なのはあと一年間だけだし、もうこんなことはないかも。平凡な幸せ、これでまったくいいのだと思う。これ以上、特に何もいらない。
 
夜。
風呂を出て一時間あまり眠る。

池川玲子『ヌードと愛国』

深夜起床。
 
NML で音楽を聴く。■ヴィヴァルディのフルート協奏曲 ニ長調 op.10-3 で、フルートはパトリック・ガロワ、オルフェウス室内管弦楽団NMLCD)。■ドビュッシーの「映像」第二集、「版画」、他で、ピアノはイヴァン・モラヴェッツ(NMLMP3 DL)。めったにないレヴェルのドビュッシー。何よりつつましくて、美しい。こんなピアニストがいたのだな、無知だった。■メンデルスゾーン交響曲第三番 op.56 で、指揮はパーヴォ・ヤルヴィチューリッヒ・トーンハレ管弦楽団NMLCD)。これいい。パーヴォ・ヤルヴィ、きっちり聴かせてくれる。
 
朝食まで一時間うとうとする。
曇。
 
ハイドンのピアノ・ソナタ第十五番 Hob.XVI:13 で、ピアノはラルス・フォークトNML)。
 
晴れる。スーパー。ゴールデンウィークの谷間のせいか、客が少ない。
駐車場の上の電線でツバメが鳴いている。きれいな声。嘴(くちばし)でしきりと身を繕っている。もう一羽来て隣に留まる。
自分の部屋という暗い窖(あなぐら)へ帰ってくると、こんなところに閉じ籠っているとマジ(精神の)不健康だなと思う。
 
昼。
蜘蛛が天井から静かにつーっと降りてきた。いま、机の上を歩いている。見ていると何か不思議な感じ。
 
ひさしぶりに珈琲工房ひぐち北一色店。
ナボコフの『ディフェンス』を読み始める。若島正訳。ナボコフは小説がうますぎて、というか、わたしのレヴェルを超えていて苦手なのだが、これはなかなかおもしろい。
外気23℃で家の中だとまだ涼しいくらいだが、陽射しは強くなった。
 
庭。


キスゲ
 
図書館から借りてきた、池川玲子『ヌードと愛国』(2014)一時間ほどで読了。近代日本という国家(あるいはナショナリズム)と(主に女性)ヌードを絡み合わせて論じた本。フェミニズムの視点が強く入っており、知的でなかなかおもしろかった。こういう本を読むと、性的に古くさい時代遅れの自分を感じずにはいない(悪しき昭和の男性である)。例えばインターネットに氾濫する大量の女性ヌード画像に、わたしはきわめてナイーブな観点しかもっていない。自分の視線を解体、相対化していないといえるだろう。さて、若い世代の男性は、そのような視線を解体できているのだろうか。
 略歴を見ると、著者は若桑みどり先生に師事しているのだな。なるほど、と納得させられるところがある。

 
夕方、六時を過ぎてもまだ明るいな。
 
夜。
『僕の心のヤバイやつ 第2期』(2024)第19話(1期からの連番)まで観る。原作の感じがよく出てる。ここは原作でもいちばんいいところだからね。やっぱり第18話の卒業式の送辞のシーン、そのあとの、山田が気持ちを口にするところは感動的だった。
 たぶん、2期の最後は修学旅行の例のエピソードだろうな。原作はそのあともかなり健闘してたけれど、さすがに最近はダレてきて、惰性で読んでいるというのが正直なところ。さすがの『僕ヤバ』もあれがピークだったか。とにかく、2期はいいところなんだよ。
 
どうでもいいが、その送辞を読む前のシーン、市川が「自分で自分のことを好きになる」それって原作者が確かいっていたけれど、これめっちゃ今風だと思った。自分をなかなか好きになれないとか、若い人がよくいうよね。わかる、わかるんだけれど、「自分」なんて存在しない、関係性しか存在しないんだから、自分を好きとか無意味だろって、思わないでもない。まあ、理論的にはだけれど。

こともなし

昧爽起床。雨。
 
昼から雨の中、県営プール。外気が暖かくなってきたので、水温が低めにしてあった。

白いブラウスの女子高生が傘もささずに自転車を漕いでいた。降るという予報じゃなかったしな。
日野から抜ける井ノ口トンネルの上の山が、ツブラジイの黄金色の華に染まって美しい。
帰りに肉屋へ寄る。豚かたまり肉×3 など。
 
NML で音楽を聴く。■モーツァルトの 二台のピアノのためのソナタ K.448 で、ピアノはマリー=ルイーズ・ヒンリクス、クリスティアン・ツァハリアス(NML)。■モーツァルト弦楽四重奏曲第十九番 K.465 で、演奏はベルチャ弦楽四重奏団NMLCD)。
 
精神のなめらかさ。
 
夜。風呂を出てすぐ寝てしまう。