「変人」は褒め言葉 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

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2005-07-03

[]スパルタ教育の功罪 スパルタ教育の功罪を含むブックマーク スパルタ教育の功罪のブックマークコメント

 日本テレビで「女王の教室」というドラマが始まったが、私が思うに、これは半分ネタとして、つまり半ば冗談っぽく楽しむような作品だろう。“スポーツ根性もの”ならぬ“勉強根性もの”というところか。主人公の良くも悪くもアナクロなスパルタ教育は、どことなく「巨人の星」の星一徹を思わせるものがある。

 さて、スパルタ教育は良い教育法か。だらけ根性を叩き直してしっかり規律を身に付けるという、確かに良い面もあるだろう。しかし危険な副作用も兼ね備えている事を決して忘れてはならない。とは言っても、1983年にあるスパルタ教育のヨットスクールが死亡事件を起こして問題になった時のような、身体的暴力ばかりが副作用の全てではないし、必ずしも身体的暴力を伴わないスパルタ教育も存在する。しばしば忘れられがちだが、精神に与える影響もそれと同じくらい問題視すべきである。スパルタ式に偏った教育は、人の心をガチガチに押さえつけ、心がカタワの人間に育て上げることだと、はっきり警告しておく。

 まず、スパルタ教育は自尊心を破壊する危険がある。自分はどうしようもない愚かなダメ人間なのだとさんざん刷り込まれていくうちに、本当に愚かなダメ人間になってしまう事がある。あるいは、鬱病になる危険もあるだろう。自分の心が耐えられる範囲内での適度な精神の叩き直しは、人の心を鍛えるかもしれないが、度を過ぎるなら、心を鍛えるどころか取り返しの付かない傷を付けることになりかねない。

 逆に自分の得意な分野についてスパルタ教育を受けるなら、歪んだ自尊心を持つ危険もある。スパルタ式とは強さが善、弱さが悪という思想である。その思想にどっぷり浸かっていくうちに、自分はどんな試練も乗り越えてきた秀才だが、周囲の人間はそのレベルからはほど遠い凡人だ、そうみなして人を知らず知らずのうちに見下してしまうかもしれない。

 また、多くの場合、スパルタ教育とはすなわち奴隷教育である。規律に盲目的に従う事は教えられるが、融通の良さは教えられず、順応性に富んだ自己判断力の成長を阻害する危険がある。指導者の言う事を一字一句しっかりと覚えて実行する事が大事であり、それに疑いを差し挟むことは反抗であり悪であると看做される傾向が往々にしてあるが、それでは教えられなかった事に出くわしたらどうだろう。たとえ自分はどう行動したいのかわかっていても、結果を無意識に恐れるあまり、どうしても指導者の顔色をうかがってしまう。「もし間違いだったらどうしよう、それは人間として許されない悪になるのだ」と、尻込みしてしまうことになりかねない。人間として許されない悪、これは当事者にとって決して極端な表現ではない。

 そしてその融通の利かなさは、自分自身ではなく他人に対してもそのように言える。極端な教条主義の信奉者、つまりある決まりを状況に応じて柔軟に適用する代わりに、それを無視してただ機械的に適用するような冷たい態度を取るような人間を生み出す結果になりかねない。そこに浪花節とか義理人情なんてものは無く、ただコンピュータのように0か1かで他人を判断する冷酷な人間になるというわけだ。

 さて、私は具体的にどのような現場での教育を念頭に置いて上の指摘をしたかというと、これはただ単に教育ママや一部の学校や塾といった子供の教育だけに限った問題ではない。わかりやすい具体例が軍隊だろうし、スポーツ系の部活の一部もそうかもしれない。あとはカルト宗教や、マルチ商法を含めカルト的雰囲気の会社組織での人間教育もスパルタ的と言える。しかし、たとえ同じ組織内であっても、上位の人間の資質によって雰囲気は冷たくもなれば暖かくもなる。その大きな鍵を握っているのは、融通と人情である。つまり、上位の人間がいかに柔軟な発想をできるか、下の人間の出来る事の限界を知り、その弱さを暖かく受け入れる事が出来るか、そしてユーモアのセンスを理解する事ができるか、などにかかっている。だからこそ、軍隊での思い出や部活での思い出が、たとえ厳しくとも懐かしい思い出になっている人が多いのだろう。

 このように、スパルタ教育とはかなり毒の強いものである。とは言え、良い部分だけはチョコッと見倣って薬として使えるのではないか。もちろん先に指摘したように、スパルタ式とは、ともすると形式ばかりを重視するあまりに人情を軽視する罠に陥りがちなものであるから、その部分を十分補完する必要があるだろう。「あなたが弱音を吐くのは弱い証拠、あなたの為を思って厳しくして何が悪いの」と、相手の心や限界を無視して無理な要求をする独りよがりな“愛”なのか、それとも相手の限界を理解し、厳しさの後にはフォローを忘れないか。その違いが大きな違いである。

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