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とは云ふもの丶お前ではなし このページをアンテナに追加 RSSフィード

2017年10月13日(Fri)

近況

細かい仕事を並行してポロポロとこなしている。来月は短期間の現場がある予定。まあ、暇なほうだね。しばらく土曜に休んでなかったが、今週から休めることになったのでやっと整体に行ける。

暇に任せてとにかく寝ている。もうね、人間らしい文化的な生活とかいろいろ諦めて晩飯を食べたら何もしないで寝る。食べてすぐ寝るのは諸々に支障があると判ってはいるが、とにかく眠れるだけ寝ることを優先しているのである。こうなったらロングスリーパーの面目躍如というくらい寝てやろうじゃないか。しかし哀しいかな若い頃と比べると早寝しただけ確実に朝も早めに目が覚めるので、夜に何もしない分の作業を早朝に粛々とこなしている。茶碗洗いとか。

休んでも揉んでも解してもその端から筋肉がこわばってくるのは、さすがにこれはどう言い訳しても心因性なんだろうな。別に言い訳する理由もないけど。仕事が大詰めのときに保っていた緊張が、休んでいい状況になってもそのまま解けなくなっているようで、意識してもどうにもならない。これはなんか違うアプローチを考えるしかないな、というわけでずっと手控えていた精油にとうとう手を出した。具体的にはリラックス系のものを3種類ばかり買い込んで、順繰りに使ってみることにした。

音や匂いというのは不思議なもので、記憶と直結していたり表層の意識を飛び越えて精神のコンディションに作用したりするのだよな。音楽に救われる人やアロマに嵌る人がいるのも頷ける。ただ、こういうのは調味料と一緒で凝り始めるとキリがない。種類も多く覚えきれなくてすぐに飽和するのは目に見えているので、深く追及するのはやめとこう。

毎晩ティッシュに1滴垂らして枕元に置いておいたらなんとなく気分が落ち着いてきたらしく、食欲が落ちてきた。正確にはのべつ幕なしに食べたい欲求があったのがなくなってきた。あー、やっぱりこれもストレスだったか。無くなって初めて判るオカシイところ。他人事のようだが、実際に自覚もコントロールも出来ない部分なんて、それが自己の内部であっても感覚的には他人と一緒である。他人とは違うのは、押したり引いたり好きに操作していいってとこだな。

精油の匂いはリラックス系の雄であるラベンダーからして甘いけどもツンと尖っているし、嗅いで「落ち着くわぁ」という感じではない。ただ清潔感はある。洗剤っぽい匂いともいう。もっとも順番が逆で洗剤にそういう匂いが付けられてるんだろうけど。動物的な不潔な匂いがしないというだけで、身体は安心するものなのかもしれない。よく判らないが落ち着くという目的が達成されるなら、プラシーボだろうが気のせいだろうが委細構わん。よーしよし、いい子だ、このまま落ち着いて回復していけー。(呪文)

2017年10月10日(Tue)

映画:ドリーム(監督:セオドア・メルフィ)

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アポロが月に行く前、合衆国が初の有人宇宙飛行を達成したとき、それを陰で支えた3人の黒人女性の奮闘を描いた映画である。

見てる間中、身につまされすぎて疲れた。それにしても今から55年前の話である。黒人で女性という立場でのご苦労は並大抵ではなかっただろう。アメリカにおける黒人差別は今の日本の女性差別よりよほど苛烈で、ちょっとしたことから生命が危ぶまれる事態が起きても不思議じゃないわけで、映画ではそのへんはだいぶソフトに描かれているんだろうな。

3人の黒人女性たちだが、それぞれ非常に魅力的に撮られている。特に発話が穏やかで可愛らしい。相手を刺激しない従順さや理不尽なことがあっても呑み込んで我慢する忍耐がそういった「可愛らしく理知的な」声に現れているんだろう。生意気だと思われたら殴られたり逮捕されかねない立場がそうさせるのである。しかし才能と向上心がその奥からふつふつと湧き上がり、ちょっとずつ頭をもたげてくる。だって大人しくしていたら何も変わらない。情勢が変わったら真っ先に切り捨てられるのは女性で黒人という弱者なのだ。仕事にあぶれないためにも闘うしかない。

そう、このね、安定して気持ちよく働きたいだけなのに、それ以上になれる努力をしなければあぶれてしまうというのはとてもよく判る。別にここまで頑張りたかったわけじゃないんだ。夜学まで通って手に職つけてそこらの男性よりキツい仕事して過労死寸前まで働いて、そんで威張り散らしたいわけではないんだよ。そうしないとまともな給料を貰える仕事がなかっただけなんだ。‥‥おっと、話がずれた。

それはそれとして、音楽はゴキゲンだし女性たちは可愛らしく頼もしいし、本部長は合理的でイケてるし、いい映画であった。あと、オイラーが「原始的」と表現されていたのに若干ショックを受けた。数学の世界では50年以上前の時点でそうなのか。おいらは未だに全然判んないけど!

2017年10月04日(Wed)

映画:スイス・アーミー・マン(監督:ダニエル・シャイナート)

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スイス・アーミー・マンとは、つまり十徳死体である。いろんな使い道があるツールなのである。サバイバルには欠かせない。十徳ナイフならせいぜいがナイフと缶切りと楊枝と場合によってはドライバー程度の利便性しかないが、これはナイフではなく死体なので、切ったり抉ったりする以上に役に立つ。なんたって水上バイクにもなる優れものなのである。予告編のあのシーンがまさか映画のイントロだとは思わなかった。

水筒にもなるし歯で何でも切れるし口から何か発射されるし着火剤にもなる。使い方はあなたの工夫次第。

ていうか、何やってんすか、ラドクリフさん‥‥。あと、無駄に映像がキレイだった。

2017年09月27日(Wed)

地味にハードモードは続く

なんかねぇ、もうねぇ、未だに仕事の新しい局面を教えられるのが結構しんどいんだわ。氷河期にぶち当たった宿命で20代から何かしらお勉強してきたが、まさか就職してからこんなになるまで続くとは思わなかった。考えてみりゃ本格的にこの職種に首を突っ込んで5年、業界にはそこそこ長くいるけども分業化の進んだこの世界で狭く深く嵌るには1人前になるのに10年かかるといわれるわけで、まだまだ覚えねばならぬことは多い。多いがしかし脳細胞の数は減少の一途を辿っているどころか始めたとき既に下り坂の途中だった身としては、いろいろと無理があるのである。普通ねぇ、四十路を過ぎたらそれまでの知識貯金で仕事するもんなんだよ。そのためには30代までに貯金しとかにゃいかんのだよ。してこなかったしっぺ返しを今受けてるわけだけどな。ちくせう。胃が痛い。

だいたい10年選手になるころには50に手が届くわけで、その先なんぼも仕事する暇なんかないじゃないか。それに今でさえヨレヨレなのにこの先で気力体力がもつわけがない。新しいことを覚えたらこれからの人生においてどれだけ役に立つか、効率よく稼げるか生活が楽になるかと想像しては何事か学ぶモチベーションにしてきたのだが、それがない。ああ、ないのか、と思い至ったとき、その茫洋とした空白にトシを取るとはこういうことかと感慨深くなった。役に立つとかモノになるとか、そういう成果を求めて動いているうちはまだ甘かったのだ。何を成すかに結果を求めればいつか打ち止めがやってくる。そうではないのだな。理由はどうあれ営々とやっていかねばならんのだ。なるほど、後進の指導に意識を向ける気持ちというのは、こういうところから生まれるのか。まだその境地には達していないし、はたしていつか到達するかのかどうかも判らんけど。

労苦に意味を求めることや個人がどうしたいかなどは案外重要じゃない局面がやってくる。それは想像してない未来だったな。

2017年09月22日(Fri)

映画:オン・ザ・ミルキー・ロード(監督:エミール・クストリッツァ)

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まさかこんなに哀しい映画だったとは。

クストリッツァの映画は途中経過を眺めているときはどう解釈したらいいのか迷うような訳の判らない描写が多くて、感想が形になりにくい。背景となる文化の違いでモチーフに対するイメージが共有されていない感じもする。だけど映画が終り、エンドロールになった途端に卒然と「そういうことだったのか」と伝わってくるのが不思議なのだ。今回のオン・ザ・ミルキー・ロードは「なんと哀しい」だった。ひと言で表現できるほど単純な感情だが、その内容はとてもひと言では言い表せない。だから映画という手法なのだろうけど。

結論として哀しい物語だとしても、途中もずっと物哀しいわけではない。それはそうだ。紛争中だって長引けば人々は日常生活を送らねばならないし、生活していれば笑いも愛も自然発生していく。狂った地盤の上に乗ろうとすると狂ったバランスで均衡を保たねばならなくなる。すべてが狂ったバランスでそれが噛みあって物事が進んでいく。そのさまがシュールを通り越してマジックリアリズムに昇華されている。合間にガチョウはガーガー、豚はピギィ、ハヤブサが飛んで蛇が巻き付く。なんなのか。

後半の逃避行が幻想的で美しい。その美しさが結論の哀しさに結びつく。最後の美しい風景の中にロバがいて良かったなぁ。