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とは云ふもの丶お前ではなし このページをアンテナに追加 RSSフィード

2018年05月11日(Fri)

ブラックホール根源説

たぶん、若いころと時間の感覚が違ってきてるんだな。より自分がゆっくりになって、日が経つのが速くなる。休憩時間が足りず疲れが取れないうちに次のターンに入らなければならない。1日24時間と決まっている天体の運行に合わせて生活するのがしんどいのだ。1日に3食も食べるとなると1回終わったと思ったらすぐ次の回の準備しなきゃならない気がする。風呂もそうだ。毎日繰り返すには手間がかかりすぎる。

こういう体感は体力に直結しているので、ひとつひとつの動作が大義になればなるほど所要時間が引き伸ばされる。いまなら1日が30時間くらいあれば余裕をもって行動できるだろうし、もっと体力が落ちたら36時間くらいになり、42時間になり、と1サイクルがだんだん伸びていく。

年を取ると時間の流れが速くなるとはよく言われることだけども、こういうことだったのか。生命の終着点は近づくほどに時間が引き伸ばされていくブラックホールだったのか。

2018年05月10日(Thu)

悩みの続き

昨日の話の続きをtwitterでぶつぶつ言っていたので、こっちにも書いておく。

とどのつまり、日々の繰り返しのルーチンが賽の河原で積む小石に見えてきてるんだよな。流れる川の中で一定の位置をキープするには泳ぎ続けなければならないように、現状を保つためだけでも労力がいる。それがどうも納得できなくなってる。自分でも意味わからんけど。

これ、川底にアンカー打って係留すればよくね? そういう方法があるはずなんじゃないの、と心のどこかで思ってる。この生々流転に対抗するエネルギーを比喩的アンカー&ワイヤーに負担させれば、自分のエネルギーは温存できるんじゃね? みたいなことを考えているというより、漠然と感じているのだ。世の中の法則として当然予想されることで、むしろなくちゃおかしいんじゃないか。そろそろ開発されててもいいんじゃないか。

しかし有機生命体である以上、エネルギーを出し入れしながらエントロピーの崩壊を待つのが宿命なので、それを止めたら生命体ではなくなるんだよな。別に死にたいわけではない。有機生命体であることを止めたいだけだ。というとどうも不穏だが、私が私であることを止めるつもりも、これまたなかったりする。自分がどうしたいのか、何を目指しているのか。目標が定まらなければどっちに泳ぎだしたらいいのかも判らん。電子の海か? それとも悟りの時空なのか?

2018年05月09日(Wed)

最近の悩み

生活していくうえで、繰り返すこと自体が肝要なことがある。1日に1〜3回程度に分けて口からエネルギーを補給することや、1日に1度程度は身体を洗浄すること。それと掃除・洗濯・炊事・生活用品の仕入れ・出納管理といった細々としつつすべてが有機的に繋がってくる家事と総称されるような物事である。

最近、この繰り返すことへの回答がよく判らなくなってきている。

必要性ということであれば、極論は食べねば死ぬ。それに百年前ならいざ知らず、今は臭気等を発さない程度の衛生状態を保たねば社会生活者として欠格になってしまうということが挙げられる。それは判っている。もう少し現実に即したレベルでも掃除をすればすっきりし、美味しいご飯を食べれば楽しい。風呂に入れば気持ちが良くて、必要な手続きをしておけば後が楽になる。だからこそ人目につかない自室内の整頓状況などは自分が良ければ後回しにしても構わないわけだ。いままで充分に自分の面倒を見る時間はあったし、それが当たり前としてそれなりに手を抜きつつもやってきた。

そういうことではなく、目の前の作業を遂行することで得られる回答がよく判らなくなってきたのだ。クイックルワイパーのシートは常備しておかねばならないし、掃除機をかける前にも埃をはたいたり床の上にあるものを移動したりとなにかと手数がある。30分かけて作った食事は10分で食べ終わってしまう。遊ぶにも切符や宿の手配くらいは事前に計画を立てて手配しておかねば遊べない。洗剤を切らせては掃除も洗濯もできないし、風呂に入るには風呂掃除をしてお湯を張るほかに、排水溝に溜まった抜け毛を排除してときどきカビキラーで大掃除しなくてはならない。

そういった楽しむためや保つためのコストに対して得られるものの満足感が割に合わないような気がするのだ。平たくいえばいろんなことが億劫だ。食べるのが毎日じゃなくて済むと非常に楽になれるのだが、やっぱり腹は減るのでそうもいかない。生活とは面倒なものだな。

2018年05月08日(Tue)

GWは市原ぞうの国とさゆりワールドへ

市原市にあるそうの国とさゆりワールドへ行ってきた。前回は2014年だったので4年ぶりか。

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金網の向こうの草が食べたい。

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何故か数珠つなぎ。

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キリンのジョギング。

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餌箱の下になんかいる。

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チビしっぽしましま先生がいた。

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カピバラ詰め合わせ(緩衝材入り)。

前回よりお客さんが多かったようで、入場規制がかかっていて入るまで20分くらい待った。

しかし横浜からだとアクアラインを通る高速バスが一番便利なわけだが、GWとあって渋滞に嵌ると現地にいられる時間が短くなるのだった。入園料がそれなりかつ2園別料金なので両方回るとコスパが悪い。ずいぶん前に富士五湖あたりに行ったときにも思ったが、世の中が休みの時にバスで行楽に行くのは宜しくないな。

2018年04月23日(Mon)

調整

ダイソーのギャバが品薄で買えなくなったので、通販で海外製品をボトルで買った。相変わらずパヤパヤしている。加えてDHA・EPAも飲み始めた。これはコレステロールが若干高めなのでその対策のつもりだったのだが、神経を修復する効能もあるそうで、いままで麻痺してたところが痛い。肩が痛いのも治らない。ぐぬぬ。気分的には錆びたブリキの木こりのようである。もう仕事なんかしないで1日中ボーっとしていたい。働きたくない。天から不労所得が降ってこないかな。

熊んちから戻ってこっち、炊事をするのが億劫で堪らない。ジャガイモを剥くのも面倒くさい。あまりに面倒なのでおうちコープという名の計画経済では、湯煎してご飯にのっければ終わりだとか、レンジでチンすれば食べられるやつを中心に買い込んで、あとは日々の満足のためにちょっと切って火を通すなりなんならドレッシングで和えればそのままでも食べられるような青菜を少し足すくらいに調整している。料理したくないのについ惰性で材料を買ってしまい、結果作らざるを得ないという習慣スパイラルを断ち切ってみたのである。気を抜くと無理をするタイプの阿呆なので、本気で手を抜くのなら準備段階から入念に仕込まねばならぬのだ。ところで某大手牛丼チェーンのレトルトは値段が実店舗で食べるのと大差ないのがいろんな意味で恐ろしい。米の値段はどこいった。

それにしてもしかし、調子が悪い時期が長引いてくると本当に頭が悪くなっていくのを感じる。物忘れや頭が回らないのを最初は余裕がないからしょうがないと思っているが、時間が経つにつれて可塑性が失われていき、脳筋化が定着してしまう気がする。こういう時にただの老化だよ〜というのは〆の言葉としてはお約束なんだが、定番すぎて面白みに欠ける上に話のぶった切り方がずいぶん粗暴だ。3回聞けば充分な類の冗談ともいう。マジレスすれば40代で肩や膝の痛みが定着するのはおかしいし、原因が除かれれば回復する余地はまだあるだろう。さすがにすべての不都合を年齢のせいと片付けては怠慢の謗りを免れ得ぬ。明日死ぬならそれでもいいが、おそらくもう少し苦しみは続く。だったら死ぬまでの間はなるべく快適なほうがいいじゃないか。と、もう回復しないんじゃないかとどこかで思い始めている自分に言い聞かせている。