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2017年05月24日(Wed)

ミュシャ展に行ってきたんだった

そういえばゴールデンウィークの連休中に新国立美術館のミュシャ展に行ってきたんだった。

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混み具合をちょっと甘く見ていて10時開場のところ11時くらいに現地へ着いたのだが、すでに長蛇の列がとぐろを巻いていた。しかし同時に開催していた草間彌生展のほうがもっと長いとぐろだったので、快晴の屋外での50分待ちもまだマシなほうだと思えて我慢できた。グッズ売り場のレジ待ち列もこの時点で既に「最後尾はこちらでーす」と案内が出ている状態だった。

目当てはスラヴ叙事詩。巨大なカンバスに描かれたスラブ民族の歴史を綴った大部である。ミュシャはアールヌーヴォーのポスター絵が有名だし、私もミュシャといえばあの特徴的な絵を思い浮かべるのだけど、何か思うところがあったのか晩年の16年の歳月をこの連作に費やしたのだという。ミュシャはすべてをセットで公開するという約束でプラハ市に売却したらしいが、製作当時に流行っていた技法ではなかったので当時はあんまり人気が出なかったとか。いろいろあっていまはモラヴィアのモラフスキー・クルムロフ城で夏季だけ公開されているのだが、今回これが国外に出るのが初めてなんだそうで、それについて関係者筋からは賛否こもごもだったらしい。

いま改めて見ると、前景と後景の配置や匂い立つ物語性などが相俟って、なんだか小説本の表紙絵のような印象がある。ひょっとして逆なのかな。後世の作家がこれの影響を受けたのかもしれない。

大作なのでできれば少し離れて眺めたいところなのだが、なかなかの盛況でそうもいかなかった。ミュージアムショップも混み具合がエライことになっているのに恐れをなして、何も買わずにそうそうに退散したのだった。


国立新美術館開館10周年・チェコ文化年事業 ミュシャ展


 

その後、地下に潜って昼間っからビールをキメて正しい連休の在り方を模索した。

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ほろ酔いになって外に出てみたら快晴の真昼間であった。

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大道芸の尺八の音を聴きながら帰ってそのまま昼寝するという連休満喫コースを突き進んだときには、3日後にインフルエンザで高熱を出すとは夢にも思わなかったのだった。

2017年05月23日(Tue)

残りの自由時間

部屋の模様替えをしている。いままでは賃貸だし引っ越すかもしれないし、あんまり手をかけるのもどうなんだろうなという気分があってなんとなく適当にお茶を濁していたのだが、ここが人生で最後の自分だけの自由になる空間かもしれないと気が付いたのである。パブリックな場所ならば床は滑らないようにとか下手を打つヤツが絶対いるからここにこれはダメだとか、そういうユニバーサルデザイン(バカ合わせともいう)で考えなければならないのだろうが、自分の部屋だけは自分が使いやすく満足すればそれでいい。ああ、小さくともそんな心が満されるような場所があってもいいではないか。このちっぽけな住処に自分だけの居場所を求めるのはそんなに贅沢なことだろうか。自分の稼ぎで自分の手を使って整えるのである。どうせなら誰に見せるためでもない、自己満足の極北をいきたいものである。

生きてるとなんかこう、ちょっとのことでいいから自由にさせてよ、と思うことが多々ある。本当に自由な人なんか何処にもいないのだろうし、ずっととは言わない。誰かのためでも仕事のためでもなく、純粋に自分のためだけにひと時を過ごしたいのである。服を着ても髪を伸ばしても下手すると自分の好きなものを食べるのでさえ、ナニカするといちいち「誰かのため」だとか「男のため」だとか外部から理由づけを押し付けられると、もやっとして仕方ない。不愉快というほどでもなく、考えてもみなかった頓珍漢なことを言われて「ハァ?」となる程度のことなのだが、なんだか息苦しい。下手をすると勝手に「そういうこと」にされる。大した影響はないので流して放置することが多いのだが、なんで私は自分の意思や好みがないと思われてるんだろう、と不思議にもなるし人格を無視されているようでそこはかとない不快感が残る。

なんだろう、私には私の生活やリズムがあって、合わせるところは合わせているのだからそれ以上は求めないでほしいというのはおかしなことだろうか。ささやかな自分の都合や好みや人格や生活があるというのは、そんなに我儘なことか。そういうことを押し付ける人は、自分が他人に何を求めているのか判っているのだろうか。自分の人生を生きるなということか。

だったら私はいなくなった方がいい。

2017年05月22日(Mon)

模様替え:戸棚1

まだ終わってない工作第3弾。20年くらい前に実家を出た時に買った戸棚である。

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使用前。化粧合板に鉄扉。昔から趣味は変わっていないようだ。

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家具類をこげ茶に統一しつつあるので色目を合わせるためにインテリアシールを貼ることにした。

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貼った。これまた大昔に買って余らせたインテリアシールを有効利用したため、シールについていた折り目がどうしてもとれなかった。まあいいか。いうほど気にならない。あとは取っ手をアンティーク調とか木とかなんか馴染みそうなオシャレっぽいものに替えるとしよう。

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そんでネットで探してこんな取っ手にしてみた。セラミックのアンティーク加工というやつだな。

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金属の板1枚だけの薄っぺらな扉なので、適合板厚に合わなくて手持ちの木端を小さく切って穴をあけたものをかませて取付けた。

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取っ手自体の大きさが若干大きすぎたかな。ちょっと寄り目な戸棚になってしまった。しかし前の取っ手よりしっかり掴めて使い勝手はいい。

この戸棚の改造計画にはもう少し続きがある。しかし優先順位はさほど高くないのでのんびりやろう。

扉に大量についているビールの王冠は、いままで100均の裸磁石でひっつけているだけだった。磁石と王冠を何かしらで接着しないと使うたびにバラけるので若干の不便があったのである。前からやろうやろうとは思っていたのだが、グルーガンのネタをやっと買ったのでこの週末に全部くっつけた。ああ、スッキリ。

2017年05月19日(Fri)

模様替え:ラティス再利用1

模様替えの途中経過で中途半端シリーズ第2弾である。

インテリアとして使っていたラティス。見た目はいいのだが格子の部分に埃が溜まって非常に掃除しにくいのである。この際、このまま使うのはやめて二次利用しようということで、とりあえずバラした。

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途中でネジの頭が千切れたりもしたけど、力技でどうにかバラした。

中の薄板を別の戸棚の背板隠しにしたいのと、枠の方は別途で棚を作りたいという目算はあるのだが、続きが出来るのはいつだ。

棚を作る前に電動ドライバーを買っておかねば腕が死ぬ。

2017年05月18日(Thu)

模様替え:机1

模様替えをしようといろいろ手を付けたのだが、連休の後半になって熱を出してすべてが中途半端になっている。

木製のコーナー棚を二次利用した机がある。10年以上もこのまま使っていたのだが、今になって継ぎ目の凸凹がどうしても気になってきたので改造することにした。

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凸の部分を鉋で削り、継ぎ目に木パテを詰め、サンドペーパーで均す。

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塗装をかけて耐水ペーパーで磨く。

それだけのはずだった。しかし残念なことに塗装を失敗したので今はこれをまた剥している途中である。いろいろ試してみたけど表面を少しずつ削るより被服を剥すという感覚でやったほうが早い。#80のサンディングネットを使い、力を込めて消しゴムをかけるようなつもりで擦るとポロポロと取れてくる。とはいえ、これの全面に力いっぱい消しゴムをかけるのだから、作業量は推して知るべし。なかなか進まない。

今週末は天気がいいようなので、再塗装までいきたいな。これを逃すとあとは梅雨に入ってしまう。