緑雨

緑雨
          ぞうりむし

  I

五月雨に閉じ込められた私の想い
は何処へ行けばよいだろう
倦怠に満ちた私の夢
もいつかは地に降り溶けるだろう
原罪は悲しみの反響
悠久の歴史(とき)に震える心臓を縛(いまし)める
生は憂愁、
きれぎれの五月雨に溶けては混じり
郷愁は跡形もなく流れて消える……

声が、
あなたの声の残響だけが
春の終わりを告げていた


  II

雨上がりの音を聞いたことがあるだろうか
雨間と晴れ間のその間(あわい)
オレンジ色の光を透かす雲の声
憂愁をかき消すようにざわめく人の波
滴に滲む新緑の葉擦れ
苛立ちも喜びも怒りもやりきれなさも
悲しみも安らぎも淋しさももどかしさも
どんな感情も等しく包む優しさに
思わず何もかもを忘れて顔がほころぶ
暗くてぶ厚い雲の下
緑雨がこっそり素描した
七色に輝く街の顔(かんばせ)
季節(とき)の薫りのプリズムが
そのカンバスに仕上げをする
ただただひたすら白く無限に青い
雨上がりを告げる鬨(とき)の声
彩(あや)めきながら流れれば
あちらこちらに瀰漫する
滴は街路の隅からすみに
色鮮やかな輝きを添える
それは祈りにも似た夏の訪れ

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フランスの詩人ボードレールの詩に、次のようなよく知られた詩がある。

万物照応

「自然」は一棟(ひとむね)の神殿、その息づく柱から
時折漏れる理解し難い言葉たち、
そこを過(よぎ)る人が抜けるのは、幾重のシンボルたちの森
彼らは人を見守っている、親しみに満ちた眼差しで。

まるで途切れぬ谺(こだま)の如く、遥かに混ざる
暗くて深い統一に、
夜のように、光のように広い統一に、
香りが、色が、あるいは音が、互い互いに答え合う。

香りの瑞々しさはまるで子供の肉(しし)の、
甘美さはまるでオーボエの、青々しさはまるで草原のよう、
―― また別の香りは、爛熟して、豊饒で、誇らしい。

限りない事物の広がりで、
それはまるで龍涎香、麝香、安息香、あるいは薫香、
それらの香りが歌うのは、精神(こころ)と官能の高まり。


ここに歌われているような様々な感官の結びつきは、詩の世界では珍しいことではない。自然に対する新鮮な感受を持っていさえすれば、これは誰にも起こり得る感覚だと思う。

‐わたしたちは、氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、きれいにすきとほつた風をたべ、桃いろのうつくしい朝の光をのむことができます。
宮澤賢治注文の多い料理店』(序)

物事に対するこうした新鮮な捉え方に対して、それをことさらに共感覚synesthesiaだとか説明じみたことを言ってみても始まるまい。そうした科学的で客観的な説明は、詩を「きれいにすきとほつた風」のように味わうことを妨げるものですらあり得る。

  海暮れて鴨の声ほのかに白し  芭蕉

すぐに思いつくものを任意に拾ってみたが、様々な感覚の結びつきだとか、共感覚だとかいった言葉のみで、これらの作品を漠然と捉えることはやはり難しい。
芭蕉が鴨の声に見た「白」は、東海の冬の海と不可分のものであるし、ボードレールの「万物照応」の詩は、よくよく観察してみれば「香り」に対する強い嗜好を示していて、これなどはボードレールが身を置いていたフランスがカトリック教国であったことや、ナポレオン3世第二帝政下で、大都市パリの衛生状態が飛躍的に向上しつつあったことを思い起こす必要がある。カトリックの儀式や典礼で使われた香に対する一種のノスタルジーや、清潔さの追求の中で失われていく生々しい臭いに対するこだわりが、そこには透けて見える。
いずれにせよ、どの作品もそれが作られた状況と密接に結びついていて、そこに共感覚的な表現の仕方が要請されたと見るほうがたぶん核心に近いだろう。
ありふれた材料と、即座に消えてしまう実感とが、本来とは異なる次元で捉え返されることによって、新鮮な表情を取り戻す。
そこには、詩が生まれる瞬間の鼓動が確かに息づいている。読者は、詩への感動を通してその瞬間に立ち会うのである。

ぞうりむし

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ボードレール万物照応」原文

Correspondances
                     Baudelaire

La Nature est un temple où de vivants piliers
Laissent parfois sortir de confuses paroles ;
L’homme y passe à travers des forêts de symboles
Qui l’observent avec des regards familiers.

Comme de longs échos qui de loin se confondent
Dans une ténébreuse et profonde unité,
Vaste comme la nuit et comme la clarté,
Les parfums, les couleurs et les sons se répondent.

Il est des parfums frais comme des clairs d’enfants,
Doux comme les hautbois, verts comme les prairies,
―― Et d’autres, corrompus, riches et triomphants,

Ayant l’expansion des choses infinies,
Comme l’ambre, le musc, le benjoin et l’encens,
Qui chantent les transports de l’esprit et des sens.

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写真一口説明

夜、近所の公園を通りかかると、街灯に照らされた木を発見。
ただの街灯の光だが、まるでライトアップしているような色合い。
風に揺れる姿を撮ったら、油絵のような風合いになった。

すきっぱら