思考とはなにかについて思考する

フランス的思考―野生の思考者たちの系譜 (中公新書)

フランス的思考―野生の思考者たちの系譜 (中公新書)

 『パリ』と同じ著者によるフランス思想入門書、という思い込みは本書を手にとって読み始めてすぐに崩れる。いろいろおかしい。
 まず『フランス的思考』というタイトルを掲げながら、そんなものあるのか、と著者の自問自答が始まる。
 そんなものは自分はわからないし、あったとしても知らない。ならば入門書の体裁で自分も読者と一緒に虚心坦懐、一からフランス的思考なるものを見直してみよう。と、著者自身が自らの著書において入門してしまう。
 それから人選もおかしい。モンテーニュやルソー、デカルト、といった王道ではなくとも、ま、せいぜいサン=シモンぐらいまで、を想定していた読者は肩すかしを食う。ぐふふ。ちゃんと目次をチェックしてから買いなさい。著者のほくそ笑む顔が眼に浮かぶ。
 サド、フーリエランボーブルトンバタイユ、バルトというラインナップを見て、俗に言うフランス思想史の言説から本書の射程が大きく外れているのは火を見るより明らか。合理主義や普遍主義の「外」、あるいはそれらの裡に巣食う宿痾のようなものが、ふつふつと滾り、やがて赫々と燃える燎原の火となって、思考そのものを覆ってしまう。
 思想家としてあまり人口に膾炙しているとはいえないサド、そしてランボー(これがいちばんおもしろかった)、それから晦渋極まる文藻のひと、フーリエを思考の試行者として読みこんでいく手際は鮮やかで、フランス思想に通暁していない向きも、挫折経験者も、おフランスの裏口からノックぐらいはした気になれる。
 もっとも著者にしてみれば、自ら入門し直した手前、読者を啓蒙するなどという大上段に構えたそぶりはひとつもみせない。そもそも本書で扱う思考者たちの面々を思えば、啓蒙などという今や時代遅れの所作など「アウト・オブ・眼中」だろう。
 

[中略]究極的な真理に向かって直線的に進むところに合理主義的「方法」の本質があるのだとすれば、バルトの擁護する「教養」=パイデイアとは、そうした接近の運動を回避しながら「さまざまな知や味わいの切れ端、境界のあいだをよろめくこと」にほかならなかった。その意味で彼の思考は、確かに反合理主義の系譜に位置づけることができる。またそれは同時に、いかなるイデオロギー的覇権にも与することなく、すべての差異に向けて開かれているという意味で、反普遍主義の色彩をも濃厚に帯びている。
 だが、じつはそうした「反・何々主義」という弁証法的図式ほど、バルトから遠いものはない。彼が「ともに生きること」を夢想し、<中性>とたわむれ、小説を書かずにその「準備」にとどまったのは、テーゼにたいしてアンチテーゼを対置することで必然的に二元論的構造を打ち立ててしまうイデオロギーの罠から脱出するためであった。そして私たちは粘り強く持続されるこの脱出の試みにこそ、すぐれて二〇世紀的な「フランス的思考」のありようを見て取るべきなのではあるまいか。

 フランスに魅せられ、研究者を志し、今や円熟の時期を迎えた人たちにとって、ロラン・バルトの存在はひときわ蠱惑的だったに違いない。ひとつ前の世代の人たちにとって、ヴァレリーがそうだったように。
 ゴールがわからないときほど、スタートラインはくっきりと地面に引かれているものだ。そして、バルトのようにもう一度スタート地点から助走を始めること。何度でも助走を繰り返すこと。フォームの崩れたよろめきや過呼吸気味のためらいは、走る方向や速度に拘わらず、地面に線を引いていく。その線はまた別の、また誰かの、あるいは線を引いた当人のスタートラインとなるだろう。
 無性にバルトに会いたくなった。

 I don't wanna miss a thing

 朝、珍しく呼び鈴の音がする。「どちらさまですか?」 こちらから問いかけてみても、むこうからの声がくぐもって聞こえない。乾燥機を稼働させているせいか、ドア一枚挟んでのコミュニケーションがいつものようにうまくいかない。
 めんどくさがりながらドアを開けてみると、善意の笑顔が宙に咲いていた。手足も胴体もない笑顔は、こちらをみつめて漂っていた。根っこはきっとこの世にはないのだろう。
 「ハルマゲドン、ご存知ですか?」「ええ」「聖書をお読みになられたことは?」「いえ、特に」・・・。
 短文の遣りとりが雅を欠いた連歌のように続いて、わたしはおずおずとパンフレットをうけとり、根なしの笑顔は去って行った。
 一日が始まったばかりなのに、この世の終わりについてしばし考える。あの笑顔は地球最期の日も咲いているだろうか。

パリ、敷閾、夢

パリ―都市の記憶を探る (ちくま新書)

パリ―都市の記憶を探る (ちくま新書)

 パリは、あらゆる解釈を受け入れつつ許容し、しかしひとつも残さず呑みこんでしまう。すべては永遠に敷閾に留まり、敷閾それ自体になってしまう。エーコはいう、謎のないものは解釈を呼ばないし、傑作にはならない、と。まるでメエルストロムのようなパリは、傑作となるべく解釈を誘発してやまない。やがてパリは、「19世紀の首都」と呼ばれるようになった。
 本書はベンヤミン的、あるいは後期バルト的斜視を、観光都市パリへと向ける。
 扱われるのは橋、壁、門、塔、街路、広場、地下、駅、墓地、といったトポスたち。
 それぞれの章と場所は、本とパリを裁断する切れ目のように働く。パリの街を解剖学的にばらしていくと、ひとつひとつの器官を包む膜に突きあたる。ぬめりの不快、包まれることの快が頁を繰る手に広がっていく。
 パリという都市は、人が住む街というだけではなく、人の住めない神話でもあるのだろう。
 出発前に急いで少しだけ付け焼刃。