豊臣秀吉を朱氏子孫と読み解く。

  「さもしいって?」(秀吉の言葉そのものであるらしい。) 私は最後の最後まで律儀で馬鹿ーな世界遺産挑戦者であった。 浪速の事も夢のまた夢。 夢って夜見る夢だよ、そして夢のようにはかない人生の跡、英語のドリームというような意味は日本語にも中国語にもなかった。 古文解釈の誤り易い所である。
 加藤氏も同じ朱氏村農家の出身と見られる。 一族グループの上陸と想像する。 上陸地は若狭湾小浜近辺。 船は先ず越前岬に辿り着き、やがて穴が三つある特徴的な地形の土地をめざす。 
 同じような特徴の上陸地としては、根の島の土地、根の堅州の国と呼ばれる島根県の出雲の土地と、やはり日本海に飛び出ている秋田県男鹿半島が考えられる。 一つ目の潟二つ目の潟と、初めての土地の上陸地点であることを特徴ある地形で確認してから、見知らぬ国の奥へと足を踏み入れたのであろう。
 大陸の北方由来あるいは南方由来に相対した最短距離の進入地となっている。 航海術が進んでからは、太平洋側に、やはり海岸近くの湖を目当てとした、特定の上陸地点が置かれていたのではないかと考えられる節がある。 鹿児島池田湖、静岡の浜名湖茨城県霞ケ浦。 
 常陸の国は京奈良に劣らぬ力が注がれたところであったようだ。 京でも来るのでなければ「もったいない」という奮闘地域員の声が今の世に伝えられている。 藤原鎌足の故郷にして終わるぐらいでは残念、というのであれば初めての都藤原京の建設が達成された時のことであろうか、それとももっと早く古墳時代以前の京引き争いの頃の事であろうか。 大昔から中国渡来のエージェントが、遥々と海路を渡り足をとどめてきた懐かしの土地であることは確かと思われる。
 平将門が暴れて新皇を称したのも、その最後の願いに企画され遂行された出し物であったと考えられなくもない。 純友も九州に配して、本気でその最大実現が図られていたのではなかろうか。
 風に吹きたたかれているように、犬吠埼の岬の石碑の前に立つ。 詩人コウエイ氏の姿であり、白木埜の善二氏の姿であり、幸子さんの立ち姿であったと思おう。 幸子さんはまことにコウエイ氏の孫娘であった。 犬吠埼は実に実に風の強い身を吹き飛ばされそうな日本島最東端の岬であった。 昔は大川端がのんきであったろうから、岬の岩に飛付くというような風景ではなかったろう。 コウエイ氏はしかし自ら白木埜発またたびの人でもあったのである。 従って善二氏は、親の目に会えない衛門の家に返ってきた衛門の家の子孫であったという事になる。 いつの頃に犬吠埼の記憶を持つ人か、江戸時代かあるいはまさか奈良京都の時代でもあるまいかは定かではない。
 豊臣秀吉は少なからぬ人数の組織エージェントと共に日本に入ったものと推理される。 秀吉専門グループである。 明朝王室と同様農民上がりの王様を育て上げなければならない。 この頃の伝えられる記憶によれば、日本史は従来の世界史プラン側からは意外な事が多かったようである。 日本史一番の瞠目すべき現象である信長の台頭が意外であるというのである。 「ハーこりゃ自然の天才なんだ」 鉄砲の革命的使用法、楽市楽座の斬新なアイディア。
 朱印船秀吉の国家経営の仕事も、賢明且果断、日本史初の大事業大実績のものであった。 太閤検地である。 1582年から98年まで、本能寺の変から63歳で亡くなるまでの頂上期間一杯に渡っている。 秀吉一人の頭の働きであったろうか。 これにも世界史プランは仰天しているのである。 あれれけっこうなことをしでかす。
 今も京都の最高度の気品の誇りとなっている建立文化も含めて、これは秀吉専門部隊の請負仕事と考えれば納得が行く。 部隊は秀吉にケチらないで最高度の達成を目指したのである。 最後には、親戚が皇帝についている明朝中国に進軍し、自らが中国の王とならなければならない。 「同村の一族出身の者でありながら、出自を恥じてか村の者を近付けようとしない。 側道日本の王となって、朱氏王朝を橋の下に没落させずば止まない。」 と秀吉が自覚していたかどうかは分からない。 
     
       追記 世界史プラン相手に仙台藩も大陸人を雇っていたのであるが、伝えによると先祖は越前の方から渡って来た者であったという。 もしかして、時代は下るがやはり明朝の朱氏と縁戚のある人達ではなかったか。 秀吉その人に似て見えてくる。 更には、トラちゃん事フーテンの寅さんもそのように見えてくるではないか。 さてはまた、この間の上の家の父親と加山祐三氏の父親に当たる山村相氏もそのように見えては来ないか。 たまさかの挨拶に聞かれることのある「そうなるものですか」とは、山村氏の名前の事を言っているようで、実は山村氏と精一の先祖疑惑について確認の問いを発していたものなのかもしれない。 鹿児島の城の上下全部が朱氏子孫に見えてくることがあるが、うがち過ぎというものであろう。