2012-02-07 働く母親問題の解決策はひとつではありません
■[WLB]まだ保育園に入れるかどうか決まってないのですが、予定通りいけば4月に復帰。
この数カ月、家に主婦(=私)がいる状態に慣れていて、色んなことがすごくスムーズでした。宅配便がいつきても受け取れる。夕食は明るいうちから仕込んでおき、家族が空腹で帰ってきたらさっと出せる。ゼロ歳の娘がおっとりした性格で、育児がラクで、夫が上の子と向き合う時間があるからこその余裕であって、ここに4月から私の仕事が乗っかってくるなんて信じられない。こんなんで回るのか?と心配しているところです。
これまで、夫は、仕事はしていましたが「未来につながるキャリア」をほぼ投げ打って子どもに対応してきたのですが、さすがにそろそろやばい。せっかく希望の仕事に就いたのにこれでは勿体ない。私も一定の責任が伴う会社員を続けるなら、家のことを今のようにやるのは無理。ということで、春からは家事サービスを週2回頼もうかーと話していた矢先こちらのブログを読みました。
色々考えたら眠れなくなりました。
働く親が抱える課題については、色んな本や雑誌や論文を、海外ものも含めて読んできました。共感することが多いけれど、不満もあります。いつもいつも言われてることが一緒だから。20年くらい前に書かれたものも、大体、似たようなことを言ってます。何で解決しないのか。何でいつも同じ話が出てくるのか。何で堂々巡りしてるのか。
ひとつの問題は、レベルの異なる課題をごっちゃにして「(働く)ママは大変」と論じているところにあるのではないか。実は働く母親/父親のニーズも色々あって、解決アプローチは異なるのに、ちゃんと考えてこなかった。働く母親の大変さを、「母=女=弱者」という昔ながらの発想で論じている限り、私たちのもやもやは解消されない、と思いました。「完全な福祉」と「公共サービス(補助金市場)」と、「普通の市場」、それぞれが提供できるモノを分けて考えるべきではないでしょうか。
とりあえず、(働く)母親が欲しいものについて、価格という観点から3つに大別してみます。
■1)市場価格を払っても、欲しい人がいる
ある種の家事サービス。ブログでさいとうさんが書いているような、ソリューション提供型のプロの家事サービスです。
我が家では週に1〜3回、食事つくりをお願いしています。払っている金額は大学生の家庭教師相当で、決して安くはありませんが、子どもにはまともな食事をさせたいし、外食より美味しくて家で食べられて元気が出るので、大人も満足しています。
家事サービスといった時、家庭によって頼みたいことは掃除だったり洗濯だったり料理だったり、子どものケアだったり色々ですが「きちんとした主婦仕事を頼めるなら市場価格払ってもいい」と考える人はいる。ここでの課題は、さいとうさんのブログに書かれているように人材難です。特に、夕方〜夜の時間帯に頼める人が見つからない、ということでしょう。我が家も食事作りを任せられる方を見つけるまで約1年間、思考錯誤がありました。
需要はあるし市場価格を払いたいと思っている。それなのに供給過小なのだから、本来なら担い手が参入してくるはず。阻んでいるのは外国人労働者に対する規制でしょうか。こんな具合に考えると、ここでの解決策は規制緩和ということになるかもしれません。
■2)公共サービス市場
利用者の自己負担に加えて補助金が入っている市場、例えば認可・認証保育園がこれに該当します。
私自身はあまり賛成しませんが、待機児童解消のためには、補助金をカットして保育園の利用料金を上げれば良いという考え方もあります。現在の自己負担額は必要コストの数分の1、残りは補助金で賄われています。補助金があるせいで、自己負担額が安くなりすぎ「この価格なら自分も欲しい」という人が列を作ってしまう、という発想です。
保育園不足問題への取り組みは、社会が子どもをどう位置づけるかによって違います。もし、子どもは社会の未来を作るから、皆で支える…と考えるなら、親だけでなく社会のお金=税金を使って保育園を運営するのが良い、という結論になる。一方、子どもを作るかどうかは完全に個人の問題と考えるなら、育児は自己責任、保育園に補助金はいらない、という結論になるでしょう。
保育園が足りない、待機児童が何万人…という報道を見るたび、そもそも、子どもは社会にとって何なのか、子育てコストはだれが負担するのか、根本の議論をもっとすべきだと思います。ちなみに、社会が子育てコストを負担しない場合は、今やっているように現役世代がリタイア世代を支える賦課方式の年金を正当化することはできませんよね。
■3)完全な福祉
児童虐待の防止や育児鬱への対策がこれに該当します。
このレベルの問題に対応するため、税金を投入することを嫌がる人は、そうそういないでしょう。
予算の制約や社会の意識によって、提供されるサービスは異なりますが、最近、少しずつ変わってきている感じはします。私が住んでいる自治体には、幼稚園入園前までの子どもが誰でも使える屋内遊び場があります。広くてきれいで玩具もたくさんあり、授乳室なども充実しています。先日、下の子を連れて行ってみたら、上の子を連れて3年半前に行った時より、スペースは広がり、職員の方の対応がさらにきめ細かくなっていました。
やたらと親切で親身になって歓迎してくれるのを見て、これは、育児ノイローゼになりそうな母親への配慮なんだなと思いました。
長々と書きましたが、1)〜3)では、少しずつ、でもだいぶ違うと思いませんか。ひとくちに「育児支援」とか「働く母親支援」といっても、ある課題の解決には規制緩和など市場主義的対応が、別の課題については財政支出の拡大という大きな政府的な対応が望まれる。母親の課題、働く母親の課題を本当に解決するためには、課題の構造をひとつずつ解きほぐしていく必要があると思います。何となくぼんやりざっくりと「女性の社会進出」とか「育児支援」とかを論じていても、当事者には役に立たないのです。
2012-01-26 「おさるのジョージ」と併せて読みたい…
Curious George Goes to a Chocolate Factory
- 作者: Margret Rey,H. A. Rey
- 出版社/メーカー: Houghton Mifflin (Jp)
- 発売日: 1998/10/26
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■[子どもの本]有名なおさるのジョージの物語。
何冊かある中で息子(3歳)が特に気に入っているのが、このチョコレート工場の話。製造ラインに入りこんでしまったジョージが、チョコレート作りを手伝うシーンが好きで"Bring more boxes!"というセリフを真似て喜んでいます。
他にも、ジョージが博物館に入りこんだり、牧場でちょっとしたトラブルを起こすお話を描いた本もあります。英語(読み聞かせは夫)をどこまで理解しているか分かりませんが、ジョージの行動には共感している様子。
一緒になって読んでいると、ジョージと飼い主の「黄色い帽子の男性」との関係がちょっと変わっていることに気づきました。飼い主がジョージを「ペット扱い」しないのです。この男性、ジョージのいたずらに驚くことはあっても、叱るとか罰するといった反応をしない。対等なパートナーとして、あたかも親戚の男の子みたいにジョージと接しています。
なぜこういう発想になるのか、気になって調べてみると、作者のレイ夫妻がたいへんな動物好きであることが分かりました。また、ユダヤ人だった夫妻がナチス・ドイツの侵攻を逃れてヨーロッパからアメリカに渡ったことも。さらに詳しく知りたくなって読んだのが、こちら。
戦争をくぐりぬけたおさるのジョージ―作者レイ夫妻の長い旅 (大型絵本)
- 作者: ルイーズボーデン,アランドラモンド,Louise Borden,Allan Drummond,福本友美子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2006/07/14
- メディア: 大型本
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ドイツ生まれのユダヤ人であるレイ夫妻が、ナチスの進軍を知って旅立つまでを描いています。たまたま、ブラジルの市民権を持っていたことが、2人の命を救いました。自転車でパリを出て、フランスからスペイン、ポルトガルを経てブラジルに渡り、最後にはアメリカ・ニューヨークに着くまでの旅を、子どもでも分かる平易な文章で綴っています。
当時の写真やレイ夫妻が書いた手紙やイラストを散りばめたカラフルな「絵本」ですが、内容はまさに息詰まる展開です。逃避行の途中で経由する街々を出るのが、あと一歩遅ければ子ども達が「おさるのジョージ」を読むこともなかったからです。
レイ夫妻がアメリカ合衆国にわたったのは1940年10月。翌月に4冊の絵本の出版契約を結びました。そして翌'41年秋に出版された「ひとまねこざるときいろいぼうし」は2700万部を超す売れ行きとなり、14カ国以上で翻訳されているそうです。動物への優しい目線にあふれた、ユーモアのある絵本が生まれる背景に何があったのか。子どもの本を通して歴史を振り返る機会となりました。
2012-01-24 実は命がけの攻防戦
- 作者: ビアトリクス・ポター,Beatrix Potter,いしいももこ
- 出版社/メーカー: 福音館書店
- 発売日: 2002/10/01
- メディア: 単行本
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■[子どもの本]学齢の女児にとって、ピーター・ラビットは「かわいい持ち物」だった。
お弁当箱やお皿、文房具についている「キャラクター」とみなしていたのだけれど、本業は絵本。半分は自分が欲しくて、半分は子どものために購入し、最近、動物の物語に関心を持つようになった3歳児に読み聞かせてみた。まずは箱入りの最初の3冊。
緻密なスケッチに綺麗な色がついた挿絵をうっとり眺めつつ、声に出して読んでいると、これはシリアスな話だったんだ、と気づいた。
第一巻では主人公のピーター・ラビットが、近所の農家の畑に忍び込み、オーナーのマクレガーさんに追い回され、命からがら逃げかえる。何せピーターのお父さんは、この人に捕まって「肉のパイ」にされてしまったのだ。必死で逃げなくてはいけない。第二巻ではピーターといとこのベンジャミン・バニーが、やはりマクレガーさんの家に行って怖い目に遭うし、第三巻ではベンジャミンの子どもたちが、マクレガーさんに捕まって皮をはがれそうになるけれど、途中でネズミに助けられて逃げ出す。
農業を営む人間と、農作物を荒らす野ウサギとの、命がけの戦い。ウサギは捕まったら命がないし、マクレガーさんだって、作った野菜を食べられたら大損害である。
ページをめくるたび、素敵な絵…と思って眺め、文章の方に目をやると、ひらがなでたんたんときびしいげんじつをえがいている。こえをだしてそれをよんでいると、なんだかふしぎなきぶんになってくる。
3歳児はウサギと人間の追いかけっこが気に入ったようで、新しいのを出してやると、まずは全ページをめくって挿絵をチェック。「マクレガーさんがいるかどうか」確認する。今のところ、そのニーズは満たされているようなので、続きも入手しようと思っている。
2012-01-21 「ママは年を取ったら“ばさま”になるの?」
- 作者: 斎藤隆介,滝平二郎
- 出版社/メーカー: 岩崎書店
- 発売日: 2002/04
- メディア: 大型本
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■[子どもの本]3歳の息子、気に入った本は決まって「もう1回読んで」と言います。
この絵本は買ってもらった当日、夫に読んでもらい、次に私のところへ来て「ママ、読んで」。
臆病だった主人公の豆太が、大好きな祖父=じさまのため、勇気を出して暗い夜道を走り、医者を呼びに行く…というストーリー。暗いところが怖い息子は、豆太に感情移入して真剣に見入っていました。読み聞かせの後、お昼寝をしながら、寝言で「じさま…」とつぶやいていたことも。文章は方言交じりで小さな子どもに分かるのかな?と思ったのですが、迫力のある絵が十分にお話を伝えるのでしょう。
大きな手を広げたような「モチモチの木」の迫力満点の絵を目に焼き付けた息子。植物園に散歩に出かけると、大きな木を見つけては「モチモチの木みたいだねえ」。最近は「人間は年を取る」ことを理解したようで「パパは年を取ったら“じさま”になって、ママは年をとったら“ばさま”になって、ぼくは年を取ったら“パパ”になるの?」と話しています。
子どもの絵本を見ていると、良書は半世紀すぎても生き残っているのだな、と、つくづく感心します。
2012-01-14 むかしばなしを おもしろく よむ
- 作者: ルーシー・カズンズ,灰島かり
- 出版社/メーカー: 岩崎書店
- 発売日: 2010/02/27
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■[子どもの本]外国の昔話が8話収録されている、大判の絵本。
あかずきんちゃん、さんびきのやぎ、おおきなかぶ、さんびきのこぶた、ブレーメンのおんがくたい…など。こうして見ると昔話って「3匹」が多いんですね。絵本は同じシーンが繰り返し出てくることが多いので「サイズを変えて3回繰り返し」だと、ちょうどいいのかもしれません。
誰もが知っている話を、2つの角度から個性的に味付けしてあります。
1つ目はイラスト。ねずみの「メイジーちゃん」で有名なルーシー・カズンズさんによるもの。筆で描いた黒く太い輪郭とざっくり大胆な絵柄が特徴。「さんびきのこぶた」で狼の顔を見開き2ページでアップに描いたシーンは迫力満点。とにかく動物たちが、魅力的に描かれています。
たとえば「めんどりメリー」では、鶏、雄鶏、カモ、ガチョウ、七面鳥と鳥類ばかり数種類の特徴がよく伝わってきて、小さな子でも「これは、がちょうのガッチョマン」と確認できます。そして、後日、動物園や庭園でがちょうを見つけると「ガッチョマン!」と喜んでいて、絵本によって現実世界への感受性も高まることを感じます。
読み始めた当時、3歳になったばかりの息子は「悪役」に興味があり、キツネや狼をじっと見ていました。彼の分析では「わるものは爪が伸びている」。その後、自分の爪を切る時も「爪がのびると、悪者になっちゃうからね」と言いながら、納得していました。
本書の2つ目の特徴は文章です。誰もが知っているお話ですが、口語で、ちょっとふざけた雰囲気を加味した軽い文体になっています。これによって、童謡を歌うような感じで読み聞かせができます。
「もりのなかで、おおかみに あっちゃった」(あかずきんちゃん)
「『こぶた こぶた いれてくれ』『だめだよ〜だ。あっかんべろべろ べえろべろ。ぜったい いれてやるもんか』(さんびきのこぶた)
「むかしむかし ろばが ブレーメンへ いって、おんがくを やろうと きめました(中略) 『どうした、いぬ? かなしそうじゃないか』ろばが ききました。『おれ すてられたんだ』と いぬ。『それじゃ いっしょに ブレーメンへ いって、 おんがくを やろう(後略)』」(ブレーメンのおんがくたい)
センスの良い訳で、声に出して読んでいて、親も楽しい気分になります。
■ 追記
さっき、0歳の娘に夫がこれを読み聞かせしました。
絵を凝視し足をバタバタさせて「えうー」(嬉しい時の声)。ダイナミックな絵は生後3カ月の赤ん坊が見ても刺激的だったようで、その後すぐ、コトンと寝てしまいました。
2012-01-12 初めての絵本
いいおへんじ―ぴよちゃんとあそぼ! (ぴよちゃんとあそぼ!シリーズ)
- 作者: いりやまさとし
- 出版社/メーカー: 学習研究社
- 発売日: 2006/07
- メディア: 単行本
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■[子どもの本]息子(3歳)が最初に見た絵本。
ストーリーはとても単純で、にわとりのお母さんに呼ばれて、ひよこのぴよちゃんが「はーい」といいお返事。おばあちゃんに呼ばれてあひるの子どもがいいお返事…その繰り返しで、最後に「元気な子どもは手を挙げて!」で、登場人物が勢ぞろいして「はーい」。
小鳥たちの手(羽根)は、各ページ横についている紙を引っ張るとパタパタ動きます。
職場からもらった出産祝いの、たくさんの絵本たちの中の1冊。届いた時、息子はまだ生後2カ月弱。早速読んでみた記憶がある。最初は反応がなく、次第にじーっと見つめるようになり、次に自分でページをめくるようになり、羽根をパタパタ動かせるようになり、ついに自分で声を出して読めるようになった。
シンプルな本だけに、関わり方の変化から子どもの成長を感じることができる。しばらく仕舞っておいたのを、娘が生まれたので取り出してみた。すると、3歳の息子が読み聞かせをしてくれた。0歳の娘は息子が持った絵本を凝視し、そういう2人を夫が傍らで見ていて、3人の様子を数歩離れたところから眺めていた私は、思わずカメラを取り出した。
2012-01-11 嫉妬について
■[ちょっと]3歳の息子と一緒に「白雪姫」や「シンデレラ」を見ています。継母たちの恐ろしい行動の源泉は嫉妬だなあ、と思い、現実社会の嫉妬についても考えました。
多くの自己啓発本には、こういう趣旨の記述があります。「あなたは、あなた、他人は他人。他人を嫉妬するのは人生の無駄。嫉妬心をなくせば心穏やかに幸せに暮らせます」。これ自体、なかなか難しい上に「嫉妬された時の対処」を目にする機会が少ないため、まとめてみました。
嫉妬する側とされる側には、大きな認識ギャップがあります。する側は、嫉妬の対象をたえず、見つめています。物理的に見つめるだけでなく、心の目で見つめて嫉妬心を増幅させます。虫眼鏡で太陽の光を集めて紙を焦がすように、強い嫉妬は対象を傷つけます。
一方の嫉妬される側は無自覚なことも多く「なぜ焦げてるのか分からない」。白雪姫のように命の危険はなくても、非常に不愉快な思いをしたり、嫉妬パワーに振り回されてエネルギーを消耗しながら、原因に気づかないのです。そして「自分はなぜこの人を怒らせてしまったのだろう」などと、考えたり悩んだりしています。要するに無邪気なので、自分が嫉妬の対象になっているとは、夢にも考えません。他人から嫉妬されるような価値あるものを、自分が持っているとは、思わないのです。
嫉妬の対象は非常に広いです。学歴や美貌など、誰の目にも明らかなもの。相対的に見た職業上の成功。語学ができること。愛嬌のある性格で人を惹きつけられること。上司や取引先に気に入られていること。モテること。家族がいること。お金があること。家柄がいいこと。ファッションセンスが良いこと。能力はあまりないのによく褒められること。そして何より、嫉妬する人よりも幸せそうに見えること。
恵まれた環境なのに嫉妬の塊という人もいます。嫉妬する側とされる側は、数字で測れる客観的事実では決まらないので、やっかいです。「欲しいのに、手に入らなかったものを持っている人」は嫉妬の対象になりやすいと思います。
私自身は物をナナメから見る癖がある上、嫌いな人とは付き合わなければいいと思っていますが、心やさしい友人から人間関係の悩みを打ち明けられることがあります。「何で、○○さんは自分に冷たいのだろう」と。その際、各々が持っているもの、欲しいものを照らし合わせてみると「原因は嫉妬」と言えるケースが多いのです。
そのように指摘すると、友人たちは驚きます。「え、何で?だって○○さんは自分のことを××だって批判していたのに(ようするに友人は「○○さんの方が自分より上」と思っている)」。
「でも、○○さんは、あなたが持っている△△を持っていない。それに関する嫌み発言が、あったって以前、言ってたでしょう」・・・という具合に、関係性を解きほぐしていくと、最後に嫉妬という核にぶつかることがあります。
嫉妬に支配された人は、よく話を捻じ曲げます。実は批判する対象が、自分が欲しくても手に入らないものを持っていることが「嫌い」の原因なのに、それを認めるわけにはいかない。認めたら自分の人生を否定することになってしまうから。
「そんな大げさな」と思うかもしれません。でも、嫉妬にとりつかれた「嫉妬オバケ」にとっては「それ」こそが人生の一大事なのです。その秘密に気づいた人にも、攻撃の矛先を向けます。
嫉妬オバケから嫉妬を取り除くには、どうしたらいいでしょう。一番効果的なお祓いは、家族や親しい人から「それを持っていなくても、あなたは素晴らしい」と無条件で肯定されることです。だから親としては、自分の子どもたちが万が一にも嫉妬オバケにとりつかれないように、彼らの存在を徹底的に肯定したいもの。
ただし、家族以外の他人に対しては、そこまで責任を持つ必要はないでしょう。そもそも、近づくと攻撃してくるのが嫉妬オバケですから、まさに、触らぬ神にたたりなし。訳の分からない批判にさらされて困惑したり、辛い思いをしている人は「嫉妬されてる」という角度から、問題を見直してみると、意外と楽になるかもしれません。
2012-01-10 取れかけた「ネコ目」のページが伝えること
- 作者: 三浦慎悟
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2002/06
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■[子どもの本]子ども達が好んで読んだ本のことを、忘れないうちに記録したい。
言葉を覚え始めた頃、息子がいちばん好きなのは「ゾウさん」だった。その後ナショナル・ジオグラフィックのDVDとライオン・キングの影響で、ヒーローの座はいつしか「ライオン」に変わった。
3歳をすぎると、帰宅後はベッドの上で吠えるようになった。ベッドを「プライドランド」に見立て、キリッとしたライオンの顔つきで「がおーっ」。気づくと道端でも保育園の廊下でも、四つん這いで「がおーっ」。それを見た夫が買ってきたのがこの動物図鑑。
案の定、ライオンのページを何度も何度も開いて見ている。おかげでP60〜61はすぐに破れてしまった。同じページに載っている、トラ、ジャガー、ヒョウ、ユキヒョウ、ウンピョウを、毛皮の柄で見分ける。トラはともかく、ジャガーとヒョウの違いなど、考えたこともなかったのを息子に教えられた。
P65のスナドリネコが魚を取っているポーズを真似したり、P64のカラカルの特徴的な耳に見入ったり。ライオン好きから始まって「ぼく、ネコ科の動物が好きなの」。「ぼくの手にも肉球があるよ」。
「そんなにライオンが好きなら、ライオンの写真を撮る人(動物写真家)になれば?」と言うと「ううん(違う)。ぼくはライオン(そのもの)になるの!」と答える3歳半です。
2012-01-08 経済小説家が描く「働く女」
- 作者: 城山三郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2008/03/28
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■[読書]年初から面白い本を読みました。
主人公は38歳の平凡な主婦、2児の母で夫は単身赴任中。友人の強引な誘いで働き始め、社会の仕組みを知り、家庭の大切さにあらためて気づきます。
本書を手に取ったきっかけは、私と同世代の女性がツイッターで紹介していたため。実を言うと、「ビジネスマンに人気の男性作家が女を描くと、どれくらいピント外れか見てやろう」という意地悪な動機でアマゾンの購入ボタンを押しました。
予想は良い意味で裏切られました。確かに主人公は、私から見るとだいぶ保守的です。家事や育児を丁寧にとりおこなう、良き妻にして良き母。夫を愛する可愛い女でもあります。その言動は企業戦士のビジネスマンにとって、理想の妻でしょう。かたや、素子を仕事の世界に引っ張り込む「強引な友人」ルミは、どう見ても悪女。3児の母ですが、育児は姑まかせ。「連れ合い」と呼ぶ商社マンの夫との仲は冷えていて、自分の仕事(講師派遣業や市場調査を担う小さな会社を経営)を優先し、家族に公平な家事分担を求めた結果、家族は崩壊していきます。ルミが体現する、アメリカ人のような強い女は批判的に描かれています。
…こんな風にまとめると「やっぱり、働く女を否定的に描くんだな」と思われそうです。私は、ルミに関する描写を読んでいると、漱石の『虞美人草』を思い出し、「女が自我や自己実現の欲求を持つのが、男性知識人はよっぽど嫌なんだな」と苦々しく感じることもありました。しかし本書は単純に保守的な物語にはなりません。働く女性たちを巡るエピソードの数々が非常にリアルであるためです。私はマスコミ勤務のため、ここで描かれる世界と似たような出来事を見聞きしています。もてはやされる女性経営者。「働く女性」というだけで、小さな成果でも大々的に取り上げられること。一方で少しの失敗も大げさに扱われる…。「この人のモデルは…」などと考えると面白かったです。
登場人物は、仕事と家庭のバランスを様々な比重で取っている女性たちの見本市になっています。一番おとなしいのが、つい最近まで専業主婦だった素子。そして家事育児は家族に任せ、可能な限り人脈を広げて仕事上の成功を狙うルミ。さらに、元女優で恋多き女である作家、研究者や成功した経営者となった女性たちが加わります。
物語には、全てを手に入れた女性、つまり仕事の成功も夫も子どもも手に入れてた女性作家が登場します。彼女の夫は「主夫」であり、子どもを背負い掃除機をかける姿で嬉々として写真におさまります。その一方、仕事と家庭の両立に苦労したり、両方を手に入れようとしてもがく女性たちは、口をそろえて「私に必要なのは何よりも妻だ」と言います。こうした描写から、ビジネスマンが仕事の成功と家庭の幸福を「当然のもの」として享受できるのは専業主婦のおかげ、という作者の裏返しのメッセージを感じました。城山三郎がシャドウワークを理解していた…これは発見でした。
物語の後半、仕事に振り回されて家庭の様子が怪しくなってきた素子が「仕事の代わりはいるけれど、母や妻の代わりはいない」と諭される場面が出てきます。これだけ取りだすと、女を家庭役割に引き戻そうとする、保守的な言説に見えるかもしれません。しかし、私自身は実際に外で働き、子どもを持った今、読んでみると「確かにそうだな」と頷かされました。
本書が書かれたのは1986年。今から25年前のことです。細部は変わったものの、女性の労働を巡る課題が変わっていないことが分かります。文庫で簡単に手に入るので「どこが変わって、どこが変わっていないか」考えながら読むと面白いと思います。
私は「仕事の代わりはいるけれど、父や夫の代わりはいない」という言説が少しずつ広まってきたことが、この四半世紀の最大の変化だと感じています。
2011-12-27 可愛い子には家事をさせよう
■[News]特に男の子には。
5年前、米国で共働き子育て夫婦について調査をしました。米国女性はなぜ、日本女性より経済的地位が高く出生率も高いのか。政府の育児支援は貧弱なので、夫の家事育児分担が貢献しているのでは…と考え、文献を読んだりインタビューをしてきた結果、次のことが分かりました。
1)全体的に米国男性の方が日本男性より、考え方が進歩的で行動も伴っている
2)米国では男性の経済力が下がったため、相対的に女性の経済力が上がった
1)は予想通りでしたが、2)はちょっと驚きました。インタビューした多くの男性が「妻の方が収入が高いから」とか「共働きでないと家計がもたないから」と明言したのです。要するに「妻に働いてもらわなきゃいけない→夫も家事をせざるをえない」という構図です。
当時、日本では「ワーク・ライフ・バランス」という言葉が流行り始めていたものの、中身は「働きたい女性のための育児支援」。つまり女性のための福利厚生というイメージでした。日本女性には、「仕事を辞めて主婦になる」という選択肢がある印象で、そういう中「あえて働く」女性たちは、生活のためというより「働きたいから」「自己実現のため」に働くと思われがちでした(実際は家計のために働いていた人もたくさんいましたが、あくまで全体の印象の話です)。
そういう中、ダイバーシティ推進やワーク・ライフ・バランスに関する仕事をする人たちは、共通する課題を抱えていました。それは「女性のための福利厚生という位置づけでは、経営層や管理職が真剣に取り組んでくれない」ということです。加えて、日本の人事制度は「従業員が皆、平等に使えるもの」にするため、企業の経営戦略とかみ合わないこともありました。嫌な表現ですが「制度を手厚くするほど、使ってほしくない人がぶら下がる。どうしたらいいか」という声をよく聞いたものです。
しかし、最近、状況が一変したことを感じます。日本でも、米国と同様に男性の経済力低下が目に見えるようになってきたのです。例えば、こちらのブルームバーグの記事。
記事の冒頭には失業中の40代後半男性が登場します。関西在住のこの男性は、長いこと職探しをしていますが、見つかりません。家計を支えるのは妻と娘が働いて得た収入。この記事の面白い点はエピソードをつなぐだけでなく、労働統計を引用しつつ、日本経済の現状をマクロな視点から見せてくれることです。
そのポイントは3つあります。
1)男性労働者を多く抱えてきた製造業や建設業で仕事が減ったこと
2)女性労働者の多い介護職などで市場が拡大していること
3)2)の賃金は1)の6割程度であること
この現象を個人生活に当てはめると、次のことが分かります。
1)片働きで家族を養える男性が減り、
2)女性の収入は増えるけれど、1人で働いて家族を養える人はやはり少ない
こうなると、家族形態も変わってきます。つまり「結婚しない」か「結婚後は共働き」。記事には女性から見た「結婚しない理由」が示されていますが、男性だってこう言いたいはず「自分ひとりで全部払えなんて、無理を言うな」。
このような事情を背景に「婚活」の生みの親、白河桃子さんは最新刊『専業主婦になりたい!?』で「もう結婚では食べられない」と記しています。これを男性側から見れば「もう主婦という職を女性に提供することはできない」ということになるでしょう。
働くのも家族をつくるのもハードルが高くなる中、どうしたらいいのか。私自身、2児の親として真剣に考えざるをえません。すると、やはり子どもには「稼ぐ力」と同時に「家事力」を身につけさせる必要があると思います。前者については、子どもを「グローバル人材」にしなくては、という焦りから、早期に英語教育をしたり留学させる動きを耳にします。それに加えて、男の子も家事力がなくては、(よほど高給取りなら別ですが)パートナーを見つけるのは難しくなるはず。勉強さえ出来ればよいという発想で子育てすると、かえって子どもを不幸にするかもしれません。
今回、紹介したのは1本の記事のみですが、大学や採用担当者や企業の管理職から「優秀な女性が増えたことで、相対的に男性の能力が下がった印象を受ける」という話をよく聞くようになりました。もともと、女性が皆、家庭向きであったわけではなく、男性が皆、稼ぐのに向いていたわけではないのに、性別で役割分担をしていたことに、無理があったのでしょう。雇用主の目が厳しくなる中、男の子にも、多様な生き方の選択肢を作ってあげる必要があります。つまり、一生懸命勉強して働いて稼いでくるだけでなく、家事や育児の労力を提供することで、共に生きる相手を見つけられるように。
幸い、3歳の息子は今のところ、お手伝いが大好き。「お米じゃーじゃー(米とぎ)」や「青くなったか見る(下の子のオムツチェック)」ことを、進んでやってくれます。彼が将来生きる社会を想像する時、より一層、家事育児スキルを養う必要を感じます。
■ 「女性にも経済力、男性にも家事能力」というのは、ふた昔以上前からフェミニストが主張してきたことなので、経済事情が理念に追いついた、と言えそうです。
2011-12-25 家族旅行と地方経済
■[政治]10年ぶりに祖母が住む町を訪れた。
子どもの頃、夏休みに母親と一緒に行った同じ場所へ、当時の母より年を取った自分がいるのは少し不思議な気分だった。当時と違うのは、新幹線とローカル線ではなく、飛行機と車で移動していること。母に手を引かれているのではなく、自分が幼児の手を引いていること。そして何より、かつて祖父母や大叔父叔母夫婦が住んでいた広い家に今は誰も住んでいないこと。
敷地内のかつて呉服店だった場所は、棚とハンガーを残して空っぽになり、わずかに返品されていない服が下がっていた。店の主だった大叔父を囲み、近所の人が数名集まってお茶を飲んでいたスペースは、ただの薄暗がりになっており、ミシンのあった部屋にも人の気配が全くない。
店の中の畳敷きのスペースでは、祖母や大叔母、店を手伝っていた親戚同然のおばさん達が、人形や花飾りの作り方を教えてくれたものだ。ふと、ある夏の大雨の後、祖母や母たちが同じ場所で赤い布でたくさんの三角巾を作っていたことを思い出す。長い長い赤い布を正方形に切り、対角線でさらに切って三角にする。雨で崖が崩れた場所に旗を立てて危険を知らせるためだ。家の前の国道を渡ったところにある町役場に、当時、町長をしていた祖父が通勤していた。大量の赤い旗製作は、町役場から頼まれた仕事か、町長の妻によるシャドウワークだったのだろう。
玄関の下駄箱の上には、子どもの頃に見たのと同じ青緑色に金の模様の花瓶があり、壁にはちぎり絵のネズミが貼られていた。ちぎり絵は祖母の趣味だから、介護施設に入った3年前のネズミ年に作ったものだろうか。
約30年前は、夏休みになると叔父叔母やいとこ達が次々にこの家を訪れていた。多い時は4家族15人が入れ替わり立ち替わり。マメな祖母は客用のシーツに全て糊をつけ、パジャマや箸や子ども向けの遊び道具を用意していた。小学生だった私と弟は、家の目の前にある川に小さなバケツと網を持って行って魚を採ったり、店を手伝いにきてくれているおばさんに連れられて、農家に牛を見に行った。朝食はご飯と野菜のみそ汁に卵。昼食はパンだったけれど「日本は米が余っているから」と言って、祖父だけはいつもご飯だった。
家に最も人がたくさん集まるのはお盆の8月15日前後だ。奥座敷に位牌や飾り、お菓子を並べて提灯を飾った。30年以上前に遊び半分に覚えたお経の一節を私は今でもそらんじることができる。田んぼの間の道を歩いてお墓参りに行くと、いつも強力な蚊にあちこちを刺されてかゆかった。
当時子どもだった私も今や「おばさん」になり、あの頃、一緒に遊んだ小さないとこ達と同じ年ごろの、自分自身の子どもを連れている。身体の自由がきかなくなった祖母は老人ホームへ、大叔母は病院に入院した。祖父と大叔父はすでにこの世にいない。
空港から祖母や大叔母のいる介護施設や病院を訪ねるため、車で移動する途中、窓からは山と川とコンクリート採掘場と畑と、それから沢山の有料老人ホームと通所介護施設が見えた。付近の経済が年金と介護保険で支えられていることが誰の目にもよく分かる。
ちょうど旅行中に2012年度の予算関連法案が成立し、政治にできることは、痛みの先送りでしかないことをあらためて痛感した。都心で暮らし経済ニュースを見ていたならば、そこで感じるのはある種の怒りだっただろう。
しかし、実際にその支え手を失って崩壊しつつある地方経済を目の当たりにして感じるのは、世代間不平等への怒りよりむしろ無力感だった。30年の年月を経て私が失くしたのは、子ども時代の夏の思い出だった。そして、個人の喪失感や感傷を圧倒する速度で、日本の経済がどんどん崩れている。
2011-12-07 米国のパパ研究者が「書くこと/書かないこと」から分かること
Papa, PhD: Essays on Fatherhood by Men in the Academy
- 作者: Mary Ruth Marotte,Paige Martin Reynolds,Ralph James Savarese
- 出版社/メーカー: Rutgers Univ Pr
- 発売日: 2010/12
- メディア: ペーパーバック
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■[読書]米国の男性研究者による「仕事と育児の両立体験談」。少し前にご紹介した"Mama, PhD"の男性版です。
"Mama"を読んだ時は、米国の研究者コミュニティーが働く母親にあまりに厳しいので驚きました。筆者のバイアスかな?と思い、事情を知っていそうな人に話を聞いてみたところ、どうやら書いてある通りのようです。話した相手はアイビーリーグで終身在職権を持つ女性。キャリアとしては「勝ち組」で、お子さんもいます。彼女のポジションでも「米国のアカデミアは母親に厳しい」と感じるなら、それは大変なのだろうと思いました。
では、父親のおかれた状況はどうなのでしょうか。本書の寄稿者たちは全員が子どもを持つ男性たち。やはり、男性にとっても米国の研究者コミュニティーは「子育てしにくい」「両立が難しい」場所なのか。
本書の読後感からは「男性はそんなに大変そうではない」という印象を受けました。いちばんの理由は、妻が主婦の場合がある、ということ。"Mama"と比べて"Papa"では、産後すぐ職場復帰する大変さや、家事育児と仕事の両立の苦労はあまり描かれていません。
前書きにその理由の一端が示されています。筆者によると「何人かの男性研究者は、本書への寄稿を断ってきた。また、いったん原稿を提出したものの『やはり載せたくない』と原稿を引き上げた人もいた」そうです。この事実と本書の読後感を"Mama"の読後感と比べてみると、推測できることがあります。それは、男性研究者の場合「本当に両立困難を感じている人はこういうところに原稿を寄せない」。
深読みすると「男性の方が女性より弱音や愚痴を言いにくい心理状態にある」とか「女性は家庭やキャリアにおける失敗を口にしやすいけれど、男性にとっては難しい」とも言えそうです。
実際、寄稿者の職種を比べてみると、パパとママの違いが際立ってきます。ママの方は、PhDを取得した後、競争の厳しいアカデミアでのキャリアをあきらめて主婦やフリーランスのライターになった人が大半で、中にはPhD取得そのものをあきらめた人もいました。理由は育児との両立困難であることが、エッセイを読んでいくとよく分かります。一方、パパの方は終身在職権を持つ研究者。もしくはテニュアトラックの研究者。つまり、父親たちはPhDホルダーのスタンダードなキャリアを歩んでいるのに対し、母親たちはそうでないことがよく分かるのです。
エッセイの内容も、大きく違います。ママは生まれたばかりの赤ちゃんの育児について、つまり頻繁な授乳と講義の両立の苦労や、新生時育児で眠れない日々、授乳の合間にやるつもりが、なかなか進まない博士論文について書いていました。一方パパたちは、もっと大きくなった子どもの育児について記しています。
また、父親が研究者であることが子どもに好影響を与えていると解釈している人も多いようです。ある生物学者は長期休暇ごとに家族を伴って外国のジャングルへリサーチに出かけています。育児と言っても、女性は「手を動かす」経験を書き、男性は「頭を使う」経験を書いている点が異なります。中には自分と子どもたちの学歴をずらずらっと記している人さえいて、この人にとって育児とは=教育のことみたいです。
フェミニストも多いようです。ある父親は、ジェンダー、特にLGBTを専門にしていました。ある日、息子が女装趣味があることを打ち明けられます。仕事柄、息子の恋愛相手が男性だと聞かされたら拍手をするくらいの心づもりはあったのですが、事態の複雑さに戸惑いを隠せなくなります。息子は異性愛、つまり恋愛対象は女性。息子自身は自分を男性と認識しているため実際の身体とも一致している。服装のみ女性のものを着たいという指向の持ち主だったのです。LGBTとも異なる複雑な息子の性アイデンティティー。これはリベラルな父親でも受け入れるのが難しいようでしたが、徐々に納得して女性ものの服を息子と一緒に買いに行ったそうです。
こんな具合に、父親の育児体験と言っても、自分の知的活動に引きつけたテーマを書いているのが、パパPhDの特徴です。中には妻が出産を控えた状況で、まだ見ぬ我が子に対して、哲学的な悩みを打ち明けるパパのエッセイもありました。これに関しては「そんなことはいいから、妻の手伝いをすればいいのに」と思いましたが。
シングルファザーや障がいを持つ子どもの育児、養子を迎えた経験を記す人も多くいました。最も大変そうな例は、子どもの生活介助のため、自宅を数時間以上空けられない父親研究者。大きな子どもなので妻では手に余り、介助方法が複雑なため人に頼むのは難しい。そのため、昇進に必要な研修を受けに街を出ることすらできない、というのです。これは社会福祉の問題でしょう。養子については、健康な白人の子どもを迎えるために遠く東欧まで迎えに行く人が多い一方、健康なアフリカ系の男の子は引き取り手が少ないといった問題提起もなされています。
「赤ちゃんと私と助けてくれない職場」を書く女性研究者に対し「子どもと僕と社会問題」を書く男性研究者。それは、男女の違いというより、母親と父親それぞれが「口に出しやすい問題」が異なることを示しているようです。
印象的だったのは最後のエッセイ。2人の娘を持つ父親研究者の奮闘ぶりを描いたもので、要約するとこんな内容です。
講義の合間にカフェでちょっと一休みしていると、担当している大学院生から「至急、相談に乗って欲しい」との連絡が。続いて「子どもが熱を出したから迎えに来てほしい」という連絡も。妻は1日中抜けられない会議のため、自分が行かねば!歩きだして、学部長と会う約束だったことを思い出す。講義を休みにしてオフィスに戻り、学部長と大学院生にお詫びメールを出した後、すぐ娘を迎えに行き、15分後には一緒に自宅でテレビを見てくつろぐ。夜になり、家族皆に食事をさせ、寝つかせた後、大学院生にはメールでフォロー、学部長にミーティングの再設定を頼む。ペーパーを採点してウェブ経由で結果をアップロード。
大学の研究者は、子どもが病気と言われたら、真昼間でも帰れる。授業を休講にしたら、学生が喜ぶだけ。誰も困らない。でも、その代わり、夜、埋め合わせをする。会社員のようには拘束されないけれど、講義をして学生の指導をして気の進まない会議に出て、夜、家族が寝た後で論文を書いて…全てやっていると、フルタイムよりずっとたくさん働かなくてはならない。
こういった状況がコミカルに描かれた後、いつか娘が結婚して家を出て行く時、お父さんは頑張っていたことを、きっと分かってくれるだろう。他の父親のようにゴルフコースにいた(接待していた)わけでなく、子どもが必要とする時に家にいることができるのは貴重なことで、そのために、下らない教授会も、論文につけられたいじわるな査読コメントも受け入れようじゃないか。
これはきっと、うちの夫も同じように感じているんだろうな、と思いました。
■ 追記
昨日の夕方から今朝にかけて、たくさんアクセスいただきました。全国の主要国立大学アカウントからの深夜アクセスが多く、パパ研究者のWLB問題の深刻さをあらためて実感しました。皆さん、がんばってください!