『ガブリエル・アンジェリコの恋』クリスティン ヴァラ(ポプラ社)読書メモ

幸いにも部屋も道路もあまりにも静かなので『ガブリエル・アンジェリコの恋』著・クリスティン ヴァラ 訳・中川あゆみポプラ社2004.7.1刊)を読んでいた。

14頁くらいまで読んで、休憩中。

おそらくまもなくこの静けさは失われるので、今日はもう読まないと思う。

私にはこれくらいの静けさが必要なのだと知る。

 

本を読んでいると、もう半分くらいの私が頭のなかであれこれのタスクをどうするか考えだす。

はっと我に返ってまた本を読むのだけれど、しばらくするとまた考え事をしている。

 

『ガブリエル・アンジェリコの恋』は、一文一文がまるで一つの物語のようで、多くの景色を含んでいて、速く読むことはできない。

そうできている時は、おそらく私は私のペースを生きておらず、とても急いでいるのだと思う。

今日、それを知った。

 

私の耳は音を遮断することがあまりできない。

外面的なパニックをきたすことはないけれど、頭の中が、その音から連想されたことでいっぱいになってしまい、自分の心の居る余地がなくなってしまう。

それが当たり前だと思って生きてきたから、この静けさと、自分の心を知らずにずいぶんと歳をとってしまった。

 

びっくり。

 

続きはまた、読めた時に足していきます。

 

不安と悪文

2025/01/19(日)22:05
私の神経は、小さな不安の蓄積ですぐに重心を失って揺らぎ出す。
携帯の電池残量が40%しかない、とか、眠る時間まで1時間を切っている、とか、あの子は元気にしているだろうか、とか、年賀状の返事を書いていないなあ、などなど、小さなことたちは高速で頭をよぎっていくのに、留まっていてくれない。
今日この部屋が暖かいのは、アパートの隣人が暖房を入れているので。
少しだけフラットなピアノ曲を聴いている。
文章もバラバラだ。
夢を見た。
珍しく姉と父が同じ隣の部屋にいて、私はいくつもの道具を組み合わせてパソコンのようなもので作業している。姉の無体な言動を父に伝えても、父は即座にその存在ごと否定する。
私は「伝わるわけないだろ!」と寝言で叫ぶ。
寝言ではっきりと叫ぶのは家系らしい。祖母と母で私が体験済みである。
日々、アパートの隣人を恐怖のずんどこに陥れている。
こういう悪文をしばらくは書く。
今日はそれしかできないらしい。

おじいちゃんと私


 1165グラムの極小未熟児として私はこの世に生を受けた。
 母は28歳で第二子として私を授かった。
 私を生むかどうかで話し合いが持たれた時に、祖父が、自分の目をあげてもいいから生んでほしい、と言ったそうだ(未熟児は保育器に入れられるため網膜症に罹りやすい)。母の決断と、祖父の頼みと、生後に病院までミルクを自転車に相乗りして運んでくれた父と姉と、当時未熟児診療をしていた近所の産院のおかげで、私はすくすくと育った。
 祖父は私が6歳になった次の月の冬、その年の冬至に58歳で突然この世を去った。糖尿病による高血圧で心臓と脳に負担がかかって、どちらかが機能を停止してしまった。気持ちが悪いと言ってトイレで吐いており、祖母が母を呼んで、家に着いた母の目の前で祖父は倒れて、そのまま帰らぬ人となった。
 母は私と姉を、クリスマス会に行っておいでと、同じ年頃の子どもがいる友人の家へと預けた。母の手作りの「米山京子人形」を私と姉と、その友人の娘さんが持っている。私たちは楽しいクリスマスを過ごして帰ってきたけれど、何かを察して姉はケーキを吐いた。翌日、帰りの地下鉄のホームで友人の「おばちゃん」から「今おうちが大変なのよ」と言われた私は「引っ越しをついにするんだろうか」とチグハグなことを思っていたのをよく覚えている。
 祖母の家のエレベーターの中で、父が「おじいちゃんが死んだ」と私たちに言った。姉は火がついたように泣き始めた。私が「どこのおじいちゃん?」と尋ねると「うちのに決まってるだろう」とぞんざいに父が言った。
 祖母の家に入ると、そこには大きな棺に入った白い顔をした祖父がいた。ようやく事態を飲み込んだ私は泣き出した。祖母が「泣かないで。おばあちゃんも悲しくなっちゃう」と私を宥めた。そこにはたくさんの人と、祖父の母親がいて「親より先に死ぬなんて」と無念そうに漏らしていた(この曽祖母の記憶は、あとで語られたものかもしれない)。
 祖父のことは折に触れて思い出した。夏休みに私を連れて、体が丈夫になるようにラジオ体操へ連れて行ってくれたこと。5歳の私がアニメを見ると言うと、なんのアニメを見るの、と興味を示す姿勢をとってくれたこと。姉と私で変わるがわる、ラグビーをやっていた広い肩を叩いたこと。その時お小遣いをくれるので大きな陶製のドラえもんの貯金箱に入れていたこと。大きな体をしてカエルが大嫌いだったこと。釣りでゴンズイをたくさん釣って帰って宿の人に注意されていたこと(ゴンズイにはヒゲに毒がある)。ボールペン付きのライターが空になったので私にくれようとして、母に怒られていたこと(私の変な機械好きはここから来ている)。
 今この小文を書いていても、涙が流れてやまないほど、私たちは祖父が大好きだった。
 祖父は父が敵わぬ一家の大黒柱で、海産物の輸出入をしており、お茶目なところのある、懐の深い、大きな人だった。
 冬至の日にカボチャを食べて、柚子湯につかって、あんまりにもあっさり祖父が死んでしまったので、それから家ではどちらの習慣も無くなってしまった。
 祖父は6歳の私に、人が亡くなるということがどういうことであるのかを教えてくれた。あまりに大きな人だったからか、家では数年間お通夜状態の空気が続いた。しばらくは母と娘たちで祖母の家へ行き、キティちゃんのお茶碗でご飯を食べた。母は働きに出て、稲葉賀惠の黒い服で全身を固めて、喪服だというそれを着続けて定年まで勤め、私と姉を学校に行かせてくれた。
 今でも時折、近所の公園のブランコで、ブランコを漕いでいる私を見ていてくれる祖父の姿を思い出す。祖父はだいたい仕事で忙しくてスーツを着ていたので、ブランコの横に立っている祖父はなぜかスーツを着ており、私の好物の「つぶつぶオレンジジュース」を手に持っている。
 私が命を投げ出して今を終わらせたいと思う時、私を生かそうとした祖父の言葉と、祖父を失った家族の大きな欠落を思い出す。
 家族の中で一番うまく、私から興味を引き出すことのできた祖父の、見てくれていた私を思い出す。
 祖父が亡くなったあとに、姉と私へのクリスマスプレゼントが見つかった。それは祖父が家に来る時にいつも持ってきてくれる天津甘栗で、白い包みにはこう書いてあった。
「メリークリスマス。お山のサンタクローズより」

実感がないという実感

実感がないという実感 2004年06月22日(火)03時03分08秒

 

こんにちは。
一連の書き込みを読んで、いろいろと考えを巡らせています。


以下、Rさんの掲示板に書かれた
佐世保小6同級生殺害事件/完璧な表現と内実の空疎」

(引用文省略)


 私は、アピールというより、それすら無意識だったんではないかと思うのです。

 親をなくした友人がそばにいるのに他の子たちが親がいないほうがいいと言って
 いることに対して、怒りを感じて、それを自分の立場からでなく「友達の言葉を
 使う」形で表現してしまうこと。
 友達と同化して語ってしまうこと。

 そうすることが相手の気持ちを置き去りにする可能性には彼女は気づいていなかっ
 たのではないでしょうか。

 共感したようでいて、友人がなにを望んでいるかのほうが置き去りになってしまう
 可能性のある「同一化」、人を守ることのできる独立した自分にはなりきれない弱さ
 というのを、かつて持っていたことを思います。今も持っていると思う。
(それがデリカシーがないという部分ですよね。)

 自分の立場がなくてまずすっとなにかに同化する(できない部分である自分自身は無く
 してしまう)危うさがあると感じます。

 それがいわゆる「いい子」を演じると言われることだと思います。


 そこから考えると、近くにあるものを自分の言葉の代わりに取り入れてみることは、
 自分に強い印象を与えた「人の感情の発露の仕方」をトレースしてみることで、
 せめて何かの手触りに触れようとする、そういう変な努力もあるのではないかと思います。

 それは取り入れることで何かに合わせるという働きと同時に、取り入れてみることでせめて
 自分に触れたいという思いもあるように思います。

(あまりに自分のことと同じだと思い込むのは、違う部分を見つけないので、以上の私の言葉は
 断定的過ぎるかもしれません……)


 でも本当に自分であることを知りたいと思ったら、人と対照にならなければならないこともある。
 それが決して相手の全否定にはならないこと。
 人と違うということが相手への否定ではなく存在できるということ。
 人と同じ思いであるということが没個性ではないということ。

 そういった信頼感が、表面的に同じであることを求められるなかで、自分からも人からも、
 総じて世の中からも失われてきたような気がします。

 

 女の子の日記より

『ご飯』
『失礼でマナーを守っていない』
『ごく一部は良いコなんだけど』

 という部分は、たぶん身に付いた丁寧な言葉が消しきれていない部分のように思います。
『顔洗えよ。』という言葉遣いのつたなさに、慣れない言葉を使っている感じがあります。

 おそらく、ネット言葉の影響で書きつけてみた暴力的な日記は、彼女の気持ちを
 代弁はしなかったはずです。
(それは表現の手前で止まっているし、なにも重要なことは伝えていないのです)

 そしてその後に起こした被害者を傷つけて殺した行動も、彼女の気持ちを表現することはありません。
 殺人は気持ちの代弁にはなりません。
 結局のところは、そんな酷いことの後で、自分で言葉を探して伝えて行かなければならない。

 でも今はまるで殺人がなにかの表現のごとく、くたくたになるまで読み解かれようとします。
 無い謎を見つけるが如くです。

 後から遅れて出てくる底のほうからの言葉を待たず、殺人を表現として読み解こう
 とする動きは、殺人への境界を薄く弱くしているように感じることがあります。

 犯罪を犯した人間への「共感」を持つこと自体はそうおかしなことではないかもしれない。
 けれどそれがイコール別の殺人へつながったり、
 影響でやりましたという言い訳がさも本当の原因のように言われまかり通っているなかで、
 こう感じたら人殺しをしてしまうものなんだという認識を、言い訳を、弱さを、今使われてい
 る解釈というものが人に与えてしまってはいないでしょうか。
(それに動かされる人間ばかりではないとしても、それを利用できたり、真に受けてしまうある真面目さと小心さを持つ人も、ある程度いると思います)

 恐ろしい行為をした人間や、恐ろしい思いをして亡くなった人たちに対する畏れや距離を失って
 理解できない部分を見るだけの目の強さを失って、
 ただ同化してしまうたやすさを、つくってきたものはなんでしょうか。


 なにかの埋めてはいけない溝を、どんどん埋めているのはなんでしょうか。
 それはどうしてでしょうか。
 具体的にどこから変えていけるでしょうか。

 うまく言うことができません。
 言葉も知識もまだ足りないです。

 

 私はおそらく元々はこの事件を起こした少女のつかめなさがわかると思ってしまうほうの人間です。
 たまたま『わかる』と言われてしまうことがどんなにやられたほうにむごい言葉であるかを知ったた
 めに、わかると言うことをせき止めているだけの人間です。


 その実感の無さ、つかめなさがそのまま彼女たちの実感であるということ。

 それを正すというより、そこからの言葉をもっと聞きたい気がします。
 それをわかると言うためでなく、その場所から実感の世界への道筋を見つけるために。

 

ボケております。

ここ数年間、人間関係が忙しかったのですが、そのせいというわけでもなく、なんのせいだかわかりませんが(運動不足は大きい)、私はだいぶボケてきております。

ここを病んだブログにしても仕方がないので、別のブログを立てました。

リンクを貼るかどうかは、そちらでしばらく文章を書いてから考えようと思います。

久々の更新がこんなのですみません。

(とはいえ読者の方がどのくらいいらっしゃるかわからないのですが)

ここ数ヶ月でいろいろとカタをつけて、なんとか前に進んでいると思われる9月1日でした。

紙の本

私にはやはり紙の本のほうが向いている、というなんでもないことを更新します。

感想を書こうと思うと容量がいっぱいのミニパッドではなかなか振り返りが難しい。

最近独り言がとても長いのでブログに書くべきではないのか、しかしそれを誰が読むのか、と葛藤しているフリをしています。

眠りがちな精神が目を覚ましていられる短い時間

おはようございます。

(深夜1:42)

心が暖かいと色んなものへの感度が上がって、世界が肌理細やかに見えます(触れます)。

どん底に心が冷たい時にも、世界の別の相貌について感度が上がることがありますが、それは多くは、この日記のような小さな星に記しておいてもいつかやっと誰かが訪れてそれに触れる前にネットから消えていたりするような、伝導率の低い出来事を多く捉えるタイプの感度のように思います。

いま私の心は珍しく持続的に暖かく、冷たい心の時には取りこぼして、防護ネットの間に消えていくものたちを思い出して拾うことができます。

おそらくこれは短期記憶を長期記憶にするために必要な温度なのだといまの私は思います。

それを私はしばしば失ったまま走り続けます。

とてもゆっくりと。

 

チョコレートの甘み、溶けやすさの具合のちがい、10代の頃に見た書店の本棚の、所定の位置の記憶、まだ読んでいない本たちの記憶、心の位置、想うことの位置、そしてずっと想っていくだろうといまの私が思っている、ある感情。

けれどやっぱり、いつかには、書き込んだ文字はいつのまにか古びて、そこにあった躍動を私は失うのです。

 

想いは、変化していきます。

 

それを丸ごと包むには、私が21年ほど避けてきた、物語が必要なのです。

 

衣子(仮名)さんの家には宝物が眠っている、と訪問のカウンセラーさんに言われました。

それは(その日見て頂いたいくつかの)本のことで、カウンセラーさんは、アガサ・クリスティーが子どもの頃空想好きだったことをラジオの英語講座で聴いた話をしてくれました。

私は先日初めて買った初クリスティーの「スタイルズ荘の怪事件」(ハヤカワ・クリスティー文庫)が、本の崩れ止めになっていることを思い出してカウンセラーさんの背中側からそれを取り出して見てもらいました。

私も(きっとクリスティーには敵わないけど)子どもの頃、空想好きでした。と照れながら話しました。

いまは上手く描けないのですが、その時に私は私が本来好きだった「物語」のことを思い出すことができました。ひとつの嘘もなく他者が照らし出してくれた私の一面を、時々私は強く記憶に残します。それは自動的です。

このぶぶんの雲が晴れていることが、どのくらい続くのかわかりませんが、端緒だけでも残しておきたく、久しぶりにブログを書いた次第です。

 

まだ書き足りない衣子より。

 

2:09