三軒茶屋 別館 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2012-05-25

[][][]絶妙な距離感。亀井薄雪『桃栗三年』

桃栗三年 (リュウコミックス)

桃栗三年 (リュウコミックス)

 亀井薄雪による初単行本です。

 プラモデル大好き女子大生・桃瀬みすずと遅筆な小説家・小栗が、本屋に行ったりドライブしたり鍋をしたりとまったりとした日常を過ごすというお話で、それ以上でもそれ以下でもないなんともまったりとした漫画です。

 お世辞にも描きこんでいるといえない脱力した筆致がまた良い雰囲気をかもし出しています。

 特筆すべきは、二人の絶妙な距離感です。

 二人はアパートの隣人同士なのですが、小栗は一服、桃瀬はプラモデルの塗装と各々がベランダでそれぞれの時間をすごします。そしてその「各々」が一致したときに起こる、ベランダ越しの二人の時間。

f:id:sangencyaya:20120525233047j:image

 はたまた、ドライブでの何気ない会話。

f:id:sangencyaya:20120525233103j:image

 お互いが向き合うわけでもなく、それでいて会話や意思がきちんとキャッチボールされているやりとりは、読んでいて「ニヤニヤ」の二歩ほど手前にある「恋愛感情が生まれる前の小さな小さな萌芽」を感じさせ、心がほっこりします。

 誤解を恐れず言うならば、「文科系の距離感」とでもいうべき絶妙な距離感なのです。

 劇的なイベントも劇的なラブもない、だからこそ大事にしたいやさしい空気を持っている作品です。

 漫画を読んで何かを得たいという方には胸を張ってはお勧めできませんが、読んだ後にふわっとした何かが残る佳品だと思います。

2012-05-23

[][]『スカイ・ワールド』(瀬尾つかさ/富士見ファンタジア文庫)

スカイ・ワールド (富士見ファンタジア文庫)

スカイ・ワールド (富士見ファンタジア文庫)

「現実だろうがそうでなかろうが、ここはひどく悪趣味なゲームの中だ。この世界をつくった人物がなんであれ、ひどく狂っている。そんな狂った世界に触れることができるなんて、嬉しいじゃないか。クエストはその手段のひとつにすぎない。……最高だ。クエストをつくったやつがなんであれ、そいつがひどい狂気に侵されていることだけは間違いないんだから」

(本書p92より)

 MMORPGそっくりの世界に現代人が飛ばされて、冒険する。本書はそんなお話ですが、あとがきでも述べられている通り、すでにあっちこっちで扱われている題材でもあります。それだけ人気のあるテーマということが言えますが、それだけに、他との差別化を図るのが難しいテーマであるとも言えます。

 例えば、先行作品である『ソードアート・オンライン〈1〉』(川原礫/電撃文庫)と比較した場合、まず、本書ではゲーム内での死=リアルでの即死ではないということを真っ先に挙げることができます。本書のゲーム世界であるスカイワールドで死を迎えると、タブレットのバッテリーが40パーセント減少するというペナルティが課せられます。タブレットのバッテリーは放って置けば一日に1パーセントの割合で回復するので、三回連続してしななければゼロになることはありません。そして、バッテリーが0になったときになにが起こるのか? 試してみた人物はいますが、そのキャラは装備品だけを残したままホームポイントに戻ってくることはありませんでした。果たして現実世界に戻ったのか?それとも本当に「死んで」しまったのか?それはゲーム内のプレイヤーたちには不明なままですが、いずれにしてもゲーム内の死は絶対的な死ではありません。

 死が絶対的なものではないことから、いわゆるデスゲームのような緊張感に欠けるのは否めません。ですが、そもそもゲームというのはそういうものでしょう。ゲーム内の死=リアルの死であれば、何もMMORPGの世界といった設定を謳う必要などなくて、そのままファンタジー世界の物語にしてしまったほうがよいのでは? といった見方だってあることでしょう。

 他にも、本書ではオートモードでの連続攻撃からマニュアルモードへの切り替えやスキル・クエストといったゲーム性が強く意識された設定となっています。チェイン・ヒールやボトラー、オムツァー、カイティングといった単語が自然に出てくるのが本書の面白さです。とはいえ、そんなにマニアックな方向に走っているわけでもなくて、その辺の匙加減は絶妙です。

 本書の主人公ジュン、かすみ、エリ、そしてカイ。彼らはそれぞれにゲームを楽しみ、冒険に挑み、そして成長していきます。MMORPGならではの人間関係の妙。限りなく現実に近いゲームであるが故のPKの重み。そして謎の少女アリスがほのめかす”蒼穹の果て”とはいったい何なのか。いずれにしても、ゲームも物語もまだまだ序盤です。続巻に期待です。

2012-05-22

[][]『サクラダリセット 7』(河野裕/角川スニーカー文庫)

 だから私たちは、正しいものの間違っているところまで理解するべきなんだろう。

(本書p309より)

 「セカイ系」という取り扱い注意の概念がありますが(苦笑)、”主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと”(参考:セカイ系 - Wikipedia)という定義に倣えば、本書はセカイ系に属する作品として理解することができます。ただ、本書では、咲良田のあり方が決定された上で、最後の最後に「きみとぼく」の問題と向き合うことになります。「きみとぼく」の問題とセカイとが直結しながらも、その関係性はつまるとこと「ぼく」の問題ということに尽きるでしょう。ひとりの少年が我を通すお話です。

 本書序盤での改変された咲良田の世界。浦地の計画によってすべての住人が能力に関する記憶を消されたことによって能力の存在しない世界。とはいえ、それは大局的には浦地の計画というよりは相麻菫の計画というべきでしょう。そこでの相麻菫と浅井ケイとのやりとりと、ただひとり能力の存在する世界と存在しない世界とのふたつの記憶を有する浅井ケイの苦悩と選択に、『涼宮ハルヒの消失』(谷川流/角川スニーカー文庫)の長門とキョンとの関係を想起された方も多いのではないかと思われます。時間と記憶とは密接な関連性を有しているということがいえると同時に、両作品ともに角川スニーカー文庫というレーベルであるという点も含めて、本書はポスト・涼宮ハルヒ作品として理解することもできるでしょう。

 同日に刊行された『ベイビー、グッドモーニング』(河野裕/角川スニーカー文庫)のプロローグに、あまり汚れないけれど掃除をされることもない天井と、よく汚れ毎日のように掃除される床を比べた時、天井の方が幸福だと思いますか?という問い掛けがありますが、本シリーズは”あまり汚れないけれど掃除をされることもない天井”のお話だといえるでしょう。

 シリーズ最終巻ですが、ここだけの話、個人的に本書で一番印象に残ったのは脇役中の脇役である坂上だったりします。「他者の能力を他者にコピーする」という能力からして、坂上は徹底的に脇役体質の登場人物です。ですが、作中での宇川との会話にもあるとおり、宇川自身や浅井ケイ、浦地正宗、そして春埼美空といった、自らの行動に際し勇気が伴わない登場人物が多い本作にあって、彼の普通ともいえる個性は逆に際立っているように思います。「要は、勇気がないんでしょ?」といったフレーズが一時期ネットで流行りましたが、勇気と行動の関係について考えさせられます。坂上以外の登場人物たちも、本書の結末において意味のある存在として現れ、その能力もまた有意なものとして機能します。シリーズ通して見事な構成です。

 記憶保持の能力を持つ少年が抱く未来への希望と、未来視の能力を持つ少女の未来への絶望と、より良い未来のために過去をリセットする能力を持つ少女の成長とが描かれた物語です。オススメです。

【関連】

『サクラダリセット』(河野裕/角川スニーカー文庫) - 三軒茶屋 別館

『サクラダリセット 2』(河野裕/角川スニーカー文庫) - 三軒茶屋 別館

『サクラダリセット 3』(河野裕/角川スニーカー文庫) - 三軒茶屋 別館

『サクラダリセット 4』(河野裕/角川スニーカー文庫) - 三軒茶屋 別館

『サクラダリセット 5』(河野裕/角川スニーカー文庫) - 三軒茶屋 別館

『サクラダリセット 6』(河野裕/角川スニーカー文庫) - 三軒茶屋 別館

2012-05-20

[][][]優駿牝馬予想

今週、来週が競馬ファンにとって1年で最も盛り上がる季節になります(次点は有馬記念)。

優駿牝馬(G1)

5月20日(日) 東京競馬場 芝 2400m

◎ヴィルシーナ

○アイムユアーズ

▲ミッドサマーフェア

×ジェンティルドンナ

3歳女王決定戦。

本命はヴィルシーナ。もともとオークスを目標としており長い距離をずっと使われ続けてきたが、前走の桜花賞ではあわやの2着。素質の高さを存分に見せ付ける結果となった。

桜花賞から直行というローテーションもこのレースには相性が良く、また天気も良好で崩れる要素はなし。

この馬を軸として勝負する。

相手は、桜花賞上位2頭と上がり馬ミッドサマーフェアの2頭で十分。今週は堅い決着になるでしょう。

というわけで買い方は、◎1着固定から○▲×の3頭に3連単流しを500円、保険に全頭3連複BOX1,500円、余った1,000円は◎単勝に。

牝馬クラシックの頂点を極めるのはどの馬か。注目の一戦です。

2012-05-17

[][]『追想五断章』(米澤穂信/集英社文庫)

追想五断章 (集英社文庫)

追想五断章 (集英社文庫)

 そして芳光は暗闇の中で、自身にも自身の父にも、物語が存在しないことをあらためて噛みしめる。不況の波に抗う生活。目下の最大の問題は、帰ってきて欲しい母と帰りたくない息子の、腹の探りあい。場面場面は恐ろしく緊迫するが、そこには一片の物語も存在しない。

(中略)

 いったい、人間の生き死にに上下があるのだろうか。一篇あたり十万円の金で他人の物語を探す間に、花の季節は移り変わっていく。どうしてこんなことになってしまったのだろう。

 ひどい虚しさが胸を覆っていく。雨音だけがうるさい夜だった。

(本書p165〜166より)

 大学を休学して伯父の古書店に居候している菅生芳光は、ある女性から奇妙な依頼を受ける。それは、彼女の父親が遺した5つのリドル・ストーリーを探し出して欲しいというものだった。調査を進めるうちに、故人がかつて「アントワープの銃声」と呼ばれる事件の容疑者だったことがわかる。そして、5つの物語に秘められていた真実もまた明らかとなり……といったお話です。

 「小説が書かれ読まれるのは、人生がただ一度であることへの抗議からだと思います」*1とは北村薫の言葉ですが、この言になぞらえれば、リドル・ストーリーというのはそうした抗議がもっとも鮮明に現れたものだといえます。なんとなれば、誰もが自身の物語における「死」という結末を読了することはできないからです。

 物語の不在を描きながらも、一方で将来への閉塞感に苛まれている主人公により、リドル・ストーリー一篇一篇を一片としてつなぎ合わせながらひとつの物語を描き出しています。そんな本書は、一風変わった連鎖式の作品として評価することもできるでしょう(【参考】大きな物語と小さな物語と連鎖式 - 三軒茶屋 別館)。

 本書においてリドル・ストーリーは、「読者に委ねて結末を書いていない小説」(本書p36より)と定義されています。これはシンプルなようでなかなか含蓄のある定義だと思います。結末について、あくまでも読者に委ねているのであって、決してその存在を否定しているわけではありません。確かに、”リドル・ストーリーの中には、小説としては魅力的でも適切な結末はあり得ないという作例もあります。”(本書p104より) ですが、そのことは、あらゆる結末の存在を否定する思考停止的な読み方を肯定することとイコールでは断じてありません。読者に委ねる、というのはそういうことでしょう。

 そもそも、「適切な結末」とは何でしょう? 5つの断章を追い求めるうちに浮かび上がってくる「アントワープの銃声」と呼ばれる事件。それは巻末の葉山響の解説でも指摘されているように「ロス疑惑」を想起させる事件です。「疑わしきは罰せず」という法原則からも明らかなように、実際の裁判は白か黒かを明らかにするものではありません。黒かそうでないか、です。真相が明らかにならないまま終結する裁判もまた一種のリドル・ストーリーです。

 リドル・ストーリーと裁判とでは物語と事実というレベルの違いがあります。ですが、実際の裁判においても「きちんとした物語を作ること」が裁判に勝つ方法だといわれています*2。そうだとすれば、受け入れ難い真実は、ときに受け入れやすい=面白い物語と入れ替わってしまう危険性もあることになります。このとき、「適切」とは何なのかもまた切実に問われることになります。

 作中作であるリドル・ストーリーは一篇一篇が驚愕の面白さです。「結末のない物語」として謎物語の魅力を高らかに謳い上げる一方で、物語のない主人公を物語とすることで結末を迎えることの必要性を切実に訴える。そんなアンビバレンツな相克が巧みに描き出されています。オススメです。

*1:『空飛ぶ馬』(東京創元社)単行本版の著者の言葉より。

*2:【参考】『文学界』2009年7月号所収「文学的模擬裁判」など。さらに参考の参考→『勇者と探偵のゲーム』(大樹連司/一迅社文庫) - 三軒茶屋 別館