ブログ移行に際してのコメント

この「たまにへこむ日記」も、もう7年も前に「終了」を宣言したのですが、つい先日「はてなダイアリー終了のお知らせ」が来たので、はてなブログへ移行したのに伴い、このブログの補足的なコメントをしておきます。

かつて某大学でチャリ部に所属し、国内・国外含めありとあらゆる場所を駆け巡って、「もはややりつくしたかな」という気分で、人並みに修士卒の技術者として就職したのですが、その会社の先輩から、あるいはチャリ部の同期から、もっとチャリ乗ろう!と誘われたのが会社に入ったころでした。もう16年も前のことです。

当時熱中したのがチャリ担ぎによる登山で、今思えばかなりやばい所も随分行きました。あの噴火した××山の山頂とか、毒ガスで視界がゆがんだ××山とか。今でもアクセスあるのは、以下のポストです。いずれも今は相当荒れているようですが。

 

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お陰でチャリ熱も再び勃興して、国外ツーリングも随分やりました。思い出に残るところとしては、ひたすら荒野と走り抜けたレーマナリハイウェイ(2008年)とか(皆生トライアスロンの1週間後に行ったとか、今ではとても信じられない)、「棚田が見たい!」と突っ込んで坂が激しすぎて死にそうになった雲南ベトナム国境地帯(2010年)とかでしょうかね。

 

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そのうちに「トライアスロンやろうぜ!」と言われて、ろくに泳げないのに練習初めて、その後アイアンマン完走したり、スキーもろくに滑れてないのに「テレマークやろうぜ!」と言われて、山に登って信じられない景色に出会ったり。

 

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 そんな私もほどなくして結婚生活をして、一姫二太郎をゲットし今に至るわけですが、たまにそんな激しかったころを思い出しては、そんな日々もあったなあと浸ったりしていることもあります。もう今はさすがにそんな時間はありません。でもそういう日々があったからこそ、やり切った感をベースに今を生きているという実感は確かに強くあるのかなと思います。

かつて、チベット周縁部にこだわった理由とかは、次のポストに経緯をまとめてあります。

 

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それでもまだまだやりたいことは山のようにある。検索などでたまたま飛んできた方には、できるうちにたくさん行けること・やれることはやっておいた方がいいよー、と声を大にして言っておきたいです。私も機会を見てどこかでかつてのようないろんなことを復活できないかと虎視眈々と狙ってはいます。うーん。

旅の果てに。

長期の休みに激しい旅行をしていることは、さすがに顔が黒く変貌しすぎるせいか、職場だけでなく客先にも認知されるようになり、「ほんと、ちゃんと生きて帰ってきてくださいよ! でも楽しみにしてますからね!」とか遊び半分で言われるようになったのですが、今年の夏はまったりと石垣島旅行でした。

台風が来てバッタバタだったのですが、まあこういう旅もありなのかなと。今年のGWにインドに行った後半あたりで、さすがに一人で楽しみを追求する生き方をするのはそろそろやめようかなという思いがあって、しみじみと感じるところがありました。

社会人になってから、激しく楽しい旅や遊びを沢山できたのは、そういう行為を一緒に楽しんでくれる仲間がいたからで、そんな彼らがいなければこれほど楽しい日々を過ごすことはできなかった。やりたいことはまだまだあるけれど、ここまでに与えられた時間の中では、でき得ることはやり尽くしたかな。みんなありがとう。また別モードになっても、お互い楽しくやりましょう。って何にも変わんなそうな気もするけど。まあいいや。

これからもまだまだ色々やるつもりだけれど、いい節目なのでこのブログはここでおしまいにします。足かけ8年も色々書き連ねてきましたが、並々ならぬやりきった感で悔いなし!

ありがとうございました!

伊豆大島トライアスロン2012

久しぶりの伊豆大島。前に出たのはもう4年前。そのころは参加者も200人くらいで、こじんまりとした感じがほのぼのしていて良かったのだけれども、今や参加者は倍くらいの人数になっていて、参加者のレベルも全体的に上がっている感じ。ほのぼのしてたのももう昔の話なのかな… などと一緒に出たメンツとつぶやきながら大島入り。
今年は大会当日(土曜)の朝のジェット船を使ってみた。台風並みの低気圧が通過したという去年程の雨ではないらしいけれども、今年もなぜか丁度低気圧が接近し、岡田港は10m近い暴風雨でした。「これはホントにやるの?」なんて声もちらほら。

スイム会場の元町に着くころには雨は多少ましになってやれそうな雰囲気になってきたけれど、予報と違って北風がスイム会場の防波堤に吹き込む形となって波が勢いを増し、なんとスイムチェック開始の時刻にスイム中止、デュアスロン(Run5km+Bike40km+Run10km)への変更が告げられました。まあ残念というよりは、やっぱりそうだよね…といったところか。しかし、急きょデュアスロンに変更したにもかかわらず、第1ランのランコースではボランティアの方が雨の中を水を持って待っていたりとか、本来デュアスロンでは仕事のないはずのライフガードの方たちがランコースの誘導を担当されていたりとか、やはり積み重ねた歴史の厚みみたいなものを感じました。素晴らしいです。
第2ランの頃には雨は止んだけれど猛烈な北風はずっと吹きっぱなし。完走者346人中、2時間半を切ったのが45人というなかなかの厳しいコンディション。自分はなかなかラン練習の時間が取れなくて、今回はいつもと違ってバイクパートに助けられた。

リザルト:

1st Run : 0:25:10
   Bike : 1:22:33
2nd Run : 0:51:30
==============================
 Finish : 2:39:13 (89/346人中)

2月のカーフマンで第1ランを突っ込みすぎて大失敗したので、その経験が少しは生きたかな。しかし、第2ランが遅すぎるよなぁ…。
宿に戻る頃にはすっかりいいコンディションでした。人が増えてほのぼの感は若干減退したとはいえ、大会終わって一泊して帰宅できるゆったり感はうれしい。

チベットの周縁部の旅

「どうしてシッキムへいったの?」「どうしてそんなとこ行こうと思ったの?」というレスポンスを実家からも仲間内からも受けてしまい、「いや本当は中国のチベット自治区に行きたいんだけど、なかなか行きづらくて…」という話をしたのだけれど、いまいちその意図が伝わらないみたいなので(実家の反応に至っては「ちょっと頭おかしくなったんじゃないの?」くらいの勢いだった…)ちょっと書いときます。といってもこんなところに書いても、ただの書き散らしにしかならないけど。

実は学生の時から、チャリでチベットに行きたいという気持ちはかなり強かった。チベットは日本では政治的・宗教的な側面で取り上げられることが多いのだけれど、そのどちらも自分には特に関心がなかったし、基本的にそれは今も変わらない。多分、学生の頃に出た安東浩正さんの「チベットの白き道」という本の影響が大きかったのかもしれない。1999年に出た本で、安東さんが中国のチベット自治区を自転車で縦横無尽に駆け抜けるという内容。本に載っている写真の一枚一枚が見たこともない景色の写真ばかりで、学生の時の自分は度肝を抜かれた(ケチな学生だったから買わなかったけど)。抜けるような青い空、その空の下で幾重にも折れながら登っていく峠道、空気も薄くて信じられないような過酷な環境の中でこんな景色があるということを初めて知り、いつかはこういう旅ができればなあと夢に抱くようになった。けれどもチベット旅行は自転車があろうとなかろうと、やれパーミットだ、やれ検問だとか、いろんな問題があるらしく、ヘタレ学生の自分には単に憧れの的でしかなかった。今思えば無理くりでも行けばよかったのに。

チベットの白き道―冬期チベット高原単独自転車横断6500キロ

チベットの白き道―冬期チベット高原単独自転車横断6500キロ

確か社会人4年目で社外出向となって信じられない激務になったころ、仕事でどうしようもない失敗をたびたび起こしていて、ちょっとこのまんまではまずいと思い、行き帰りの電車移動で猛烈な勢いで本を読みはじめた。けれどなぜか全く仕事とは関係のない本ばかり。自分でもその頃の自分の行動の意味がよく分からない。仕事の本を読まないと意味がないのに、そのころの自分はどうして少しもそう思わなかったのだろう。

その頃読んだ本の一つに、小林尚礼さんの「梅里雪山―十七人の友を探して」という本があった。雲南の北の奥地にそびえる梅里雪山。小林さんは麓の村に泊まりながら、かつての雪崩事故で遭難した仲間の遺体探しをし続け、その際の村人との温かい交流を描いた本だった。 梅里雪山のあるあたりは、あと少しでチベット自治区というところ。梅里雪山はチベット人にとっては聖なる山で、山の頂上を目指すのではなく、山の回りを時計回りに一周(コルラ)することでご利益を得ようとする。小林さん自身も梅里雪山のコルラをしていて、コルラの道すがら出会った人との触れ合いも本の中では細かく描写されている。挿入されている写真もとてもきれいで、いつか必ずこういうところに行ければと思ってた。

↓ 今は文庫で手に入りやすくなったみたい。

そんな中、たまたま会社の上司が中国人で、彼の薦めもあって2006年のGWに雲南北部を旅することになった。初めての中国。しかも何の自信があったのかチャリも持参しての旅だった。雲南の人達は中国語もろくに話せない自分のような日本人に対してもとても優しく、そんな優しさに泣きそうなくらい感動してしまった。「部屋の鍵をください」と言ったら包丁持ってきてキーホルダーを破壊して笑顔で鍵をくれた宿のおばちゃん。「お茶飲んでいけ」と小一時間分からない言葉で、亡くなった旦那さんの写真の前で語り続けてくれたナシ族のおばあちゃん。雲南の人達はみんな素朴で、その温かみは小林さんの本で出てくる人達が醸し出す温かみそのままのような気がした。

↓ 哈巴雪山の麓の村。素晴らしい景色だった。

最初の予定では自転車で麗江から白水台を回って香格里拉(シャングリラ)までいってバスで昆明まで帰るつもりだったのだけど、辛うじて1日だけ余ったので、思いつきで香格里拉から梅里雪山のある徳欽までのバスにのって強行日程で梅里雪山を見ることになった。小林さんの本に書かれていた梅里雪山。その頂上は残念ながら雲に隠れてたけど、予定していなかった梅里雪山に出会えた感動はひとしおだった。香格里拉から徳欽のあたりは、雲南省といっても実はチベット人達がたくさん住むエリア。徳欽の食堂で女の子達がチベット語で会話しているのを聞いたりしただけで、「今のそれはチベット語?」とわざわざ確認して一人勝手に感動しては、女の子達にぽかーんとされたりしていた。

↓ 梅里雪山。頂上は雲がかかってみえなかった。

いつかは「本丸」のチベット自治区へ。できればラサからカトマンズまでチャリ単独で。旅から戻ってその思いはますます強くなったのだけれど、チベット自治区の旅行はやはり様々な壁があってヘタレな自分には遠いところ。でも雲南北部にチベット族が多く住んでいたように、チベット族の住む地域(あるいはチベット仏教の栄えるところ)は中国のチベット自治区に限らない。中国の青海・四川の一部、北インド・ラダック、北東インドのシッキム、その隣のブータンなどは現在でもチベット文化の栄える「チベットエリア」と呼べる地域で、これらのゾーンは(ブータンを除けば)許可がいらないか、許可が必要でも比較的簡単に訪れることができる。中国のチベット自治区が無理ならその周りを旅すればいいや、ヘタレな自分でもOKでしょ、というわけで4年前くらいからこれらのゾーンをメインに旅をしてきた。2008年には北インドのラダック地方、2009年には四川省青海省のカム・アムド地域、そして今回2012年のインド・シッキム。気が付けば旅行人ガイド「チベット」の半分を旅していた。

↓ ラダック。荒野の真ん中では給水もできない。

と、ここまできて思うのは、チベット族あるいはチベット仏教の息づく地域というのは、安東さんの本で見たような「青い空のもと、強烈な日差しの照りつける漠々とした荒野」というようなところ(北インドのラダックがそんな感じの場所)もあれば、カム・アムドのような草原地帯や、あるいはシッキムのような日本とほとんど変わらない植生のある山岳地帯などがあって、そこに住む人の文化も食べ物も様々で、本当に色々な顔があるということを強く実感する。シッキムに至っては、住んでいるのはネパール系の人達で、話されているのはネパール語だったりする。そういう違いはあるけれど、どんな場所に住む人達も、中国のチベット族が置かれている政治的に過酷な状況をみんな一様に心配していて、そういう主張に共感するにせよしないにせよ、彼らの強いアイデンティティも実感したし、チベットという「国」を感じた。このあたりは、国としての境界も、民族としての境界も、かなり明確に線引きされている日本人からはなかなか理解しづらいところで、そういうものを時間をかけて感じ取れたのは収穫かもしれない。

ぐるりと周縁部の旅はしたのだけれど、本丸のチベット自治区にはいまだにいけないまま。「ここから鉄道に乗りさえすれば…」「その先の橋を渡れば…」「ここからバスに乗れば…」、もうそこがチベット自治区というところまで何度もいった。でもそこ止まり。北京オリンピックの2008年にチベット騒乱が起きて以降は、チベット自治区内の旅行(特にチャリ旅行を含む自由旅行)は以前にもまして厳しくなっているらしい。それでも強制退去となるのを覚悟で果敢にチャリでトライしている図太いメンツや、「強制退去されたけど、無事に帰ってきたよ!」と自己申告する輩も数多くいるのを見ると、なんとなく「自分もひょっとしたら行けるかな」とか思えてくる。青蔵鉄道を使うパックツアーで行けばラサのあたりにはあっさり入れて観光自体は普通にできるけど、それをやったら自分としては負けかなぁと。やっぱりチャリで行きたい…。

というわけで、ラダックやシッキムにチャリで行ったのは、そういうチベットに対する強烈な憧れみたいなのを豪快に社会人のこんな年齢までひっぱり続けちゃったからで、自分でも「もうええかげんにせぇ!」という雰囲気はさすがに否定できないわけです。そろそろ限界…。いま学生のチャリダーには、国際事情も変わらないうちに行けるところをどんどん行った方がいいですよ、事情変わっていけなくなるとマジで後悔しますから、と上から目線でアドバイスしておきます。はい。

■ 過去のレポート:

タシディン〜ガントク (5/3〜4)

2012西ベンガル〜シッキム 目次

朝一、目を覚ましてから徒歩でタシディン・ゴンパへ。写真は途中の参道。竹林が参道脇に鬱蒼と生い茂っていて、石清水八幡宮みたい。個人的にはチベット仏教のお寺は荒野や草原にあるという勝手なイメージあって、こんな感じで日本的に現れちゃうと親近感ありすぎて逆に違和感を感じる。けどこれは偏見かしら。本堂までジープロードが付いているけど、なかなか参道の雰囲気いいのでジープではなく徒歩移動をお薦め。
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本堂。
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そしてチョルテン。すごい巨大。
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タシディンからラバングラ(Ravangla)は一旦標高600mの谷まで降りて橋を渡る。ここから2100mまで登り返しです。後で気付いたのは、Ravang-La、つまり「ラバン峠」と言うわけで、峠に位置する街まで登り返しというわけです。
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おとつい登って行ったレグシップ(Legship)からペリン(Pelling)までの登り道が見渡せる。なかなか写真には収まらないけど。本当に山のてっぺんや中腹に家がある。どうやって周りの集落と行き来しているんだろうか、不思議でたまらなかった。
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バングラ手前にあるボン教の寺。シッキムでは唯一のボン教の寺です。素朴な雰囲気。
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バングラ到着〜。といっても雲の中。ここが南部シッキムを東西に分けるピークでもあって、ここから東は、西よりもどちらかというと都会です。東の人達は西シッキムの人達よりなんとなく擦れてる感じがするのは気のせいなのかどうか。
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バングラからシングタム(Singtam)へはガッツリくだって結局標高は300m。中腹の畑では、ビニールハウスのようなもので栽培している集落もあって、割と生活水準が高めな印象を受けました。シングタムはガントクへの幹線道路の途中の街で、すごい喧騒。しかもすげぇ暑い。我慢出来なくてバー(地元の発音では「バール」)でビール1瓶空ける。このビール、かなりきつい。一瓶でフラッふらになった…。
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翌日。最終目的地ガントク目指して、チャリを漕ぐ。幹線道路は交通量が激しそう(事実、帰りのバスで実際に交通量おおいのを確認した)なので、一旦ラバングラに2kmバックし、ルムテク(Rumtek)に向かう山道を選択。あんまりこの道にくるチャリ、というか外国人もいないらしくて、学校ぬけて追いかけてきた小学生が近所のおばちゃんに怒られるとか、道を聞いたじいちゃんの家に引き込まれてウイスキー飲まされるとか、ようやく旅行してる感じが出てきた。でもチャリもあと少し。
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棚田(作っているのは米ではないかもしれない。調査不足…。)の広がる素朴な風景はこの土地ならではです。
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ソン(Song)〜ルムテク(Rumtek)間。何気に崖下まで1000mあります。というかこのルート、ホントになんにもない。
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ルムテク到着。ここは、ガントクからの観光ルートになっていて、レストランとかも一杯あって若干拍子抜けです。
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ルムテク・ゴンパ。入口でパスポート検問があってがっちりしているけど、中は至って普通のゴンパ。厳かな雰囲気です。このあたりのゴンパは地元に根差していて、しかも真面目な人が多い。日本で神社にお参りするのとは本気度がかなり違う。
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ようやくガントクも見えてきた。遠目から見ると要塞みたい。
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一足飛びにガントクに向かいたい気持ちを抑えて、更に足を伸ばしランガ(Ranga)にある Lingdum ゴンパ。1998年に作られたゴンパとのことで遠くから見ても相当目立ち、かなり巨大です。内部ではしきりに太鼓と笛を打ち鳴らしてかなり賑やかでした。雰囲気ではルムテクのゴンパに軍配は上がるが、迫力で行けばこちらの勝ちか。
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さてようやくガントクの近くまで来た。下からガントクを眺めて撮ったところ。ガントクは麓から400mもあり、街自体が斜面の中腹にあって、坂が激坂ばかり。チャリにとってはなかなかに殺人的です。それでいて車が多い、舗装がいい加減と来ており凄まじい。
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スコールにやられる前にバー併設のホテルに飛び込んで、無事ゴール。バーでビール飲みつつ、意味不明なネパール語を駆使して騒いで打ち上げ。写真は翌日の朝撮ったガントクの「マハトマ・ガンジー通り」の様子。ここまで見てきたシッキムの山並みからは全く想像もつかない素敵なショッピング通りでした。
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坂ばかりの旅だったけど、色々出逢いあり発見ありで、充実のGWでした。チャリ旅は、もうこれでおしまいかな…。

ペリン〜タシディン(5/2)

2012西ベンガル〜シッキム 目次

多分この区間が南部シッキムで最も綺麗で、チャリで走ってて一番楽しい所。観光客が一番やってくる場所でもあります。ペリンのそばのジープロード。すごいいい天気。実は写真右側後ろの遥か向こうにカンチェンジュンガが見えている。信じられない風景。ちょっと豪快すぎて写真じゃ収まらない。。こんな景色の中を、学校に向かう生徒たちが、徒歩で通学していく。山の中の日常。
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ペリン〜ダラップ(Darap)間。本当に素朴な生活があります。ナウシカの風の谷のような。もう少しちゃんと写真を取っておけばよかった。思わず見とれてぼんやり通り過ぎてしまった。ちなみに、道路わきに立ってる「のぼり」のようなものは、チベット名物の旗「タルチョ」。チベットでは紐に括りつけて運動会の万国旗のようにするのが一般的ですが、この地域のものは特殊で、竹に括りつけて旗のようにしてあります。こんな感じで竹はシッキムで大活躍。
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坂を下りきったRimbi付近から道が分岐して、ケチャペリ湖(Khecheopalri)に向かう途中。商店にてコーラ休憩。「日本人だよ、ネパール人じゃないよ」ってネパール語でお喋りしてたら、聞き取れないのに途中からネパール語の応酬になっちゃって。うーん、わかんないよ…。お店の子供さんに無理くりグーポーズしてもらいました。サングラス似合ってるね。高水山トレランの参加賞ということは、さすがに彼も知らないだろうね。
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地道に高度を稼いでケチャペリ湖。この辺りの人達にとっては聖なる湖とされている所です。ただ、ジープツアーの観光ルートでもあり、インド人観光客がわいわい騒いでいて雰囲気台無しです。ガイドで読む限り、山奥の神聖な雰囲気漂う静かなところっていう印象があったのだけど。さすがの観光地。
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入口付近では、日本人の女性の方がインド人の旦那さんとお土産屋さんを営業してます。一昨年結婚されて以来、ここにおられるという話で、まさかこんな所で商売することになるなんて、とのこと。「せっかく来たのに一泊ぐらいしてきなよー。朝のケチャペリは人少なくていいよー」っていわれた。確かにそうかもね。湖周辺には宿がいくつもあって、宿泊には事欠かないようでした。でもすまん、時間ないもんで、宿泊はまたの機会に…。

Lonely planet のガイドには、ここからYuksamまでのショートカット・トレイルがあるというので、サイドバックの荷物をザックに移し換えて突撃準備。いろんな人が止めとけ!と言うのを無視して突っ込んでみたが、あまりに勾配きつすぎて大失敗。トレイルの途中では牛さん登場。
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乗車率5%くらいで担ぎと押しが半々くらい。後で確認したら、おおむね下りがメインだけど、ずっと担いでたような心象。かなりばてた。これをやりたいがためにザック持ってきたのにね。さすがにそんな奴見たこと無いらしくてトレイル途中の地元の方に大笑いされた。
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ユクサム(Yuksam)の街。ここで腹ごしらえ。レストランで「道路でお前とすれ違った」というジープドライバと会った。「君の通ったトレイルがメインロードだよ。ナイスだ」とのこと。ありがとう!
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ユクサム(Yuksam)からタシディン(Tashiding)の雰囲気が素晴らしい。道路から、今日の出発地点ペリンが遥か遠くの方に見える。後ろの山の上の方に見えるのがペリン。本当にすごい所に住んでる。
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タシディンまではトレッキングルートを通るのが王道ルートらしいのだけれど、ちょっと余裕がないのでジープロードを選択。夕陽に映える山並みがきれい。
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途中の街では子供たちが必死にチャリを追いかけてくる。素朴だなぁと思ってたのだけれど、どうやらこの付近を歩くトレッカーが物を与えているようで、なにかくれると思ってたらしい。勘違いだといいけど。日本人の皆様、決してそんなことはしないように。
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タシディン(Tashiding)に着く直前。右上にポコッと膨らんでいる山の上に、タシディン・ゴンパがあります。さらに左手奥に、明日向かう予定のラバングラ(Ravangla)が見えてます。すごい景色。
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